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第八話:言葉に、できない。~律花、二〇一七年初秋~③

※※注意!!※※

本話はセンシティブな内容を含むため、ご注意ください。

現実の事件や事象を増長させる意図はございません。

 それから数時間が経って帰宅した母親は、一体あたしが何をしようとしたのか、台所の状況から概ね理解したらしかった。そして、あたしの喉の件もあって、翌日仕事を休み、母親はあたしを医者に連れていってくれた。

 まず、あたしは午前中に近所にある耳鼻咽喉科に連れて行かれた。三時間ほど待合室で待たされた上で、鼻からカメラを入れられたところ、どうやら結節による嗄声(させい)だという診断が下された。医者曰く結節は喉を酷使する人がなりやすいとのことだったが、今は部活をずっと休んでいるのに何だか妙だなとは思った。しかし、声が枯れること自体はストレスが原因でも起きることがあるとのことで、吸入薬が処方された。

 耳鼻咽喉科を後にすると、母親と市営地下鉄で三条まで移動し、ファミレスで精神科の午後の診療開始時間まで時間を潰した。昨日は声が出ないだけだったのに、一日経って症状は悪化し、喉が腫れ塞がっているように痛み、リゾットを少量胃の中に流し込むことしかできなかった。

 十五時を回ると、あたしと母親は精神科の扉を潜った。ここでも一時間以上待たされた後、あたしと母親は診察室に通された。

 これまでの経緯から、あたしは起立性調節障害の他に適応障害を併発していると精神科の医師から診断を受けた。帰り際に母親が「希死念慮があるようなので充分に気をつけてあげてください」と医師に言われていた。そうは言われても、あの死にたいという衝動は時々ぶわっと込み上げてくるものであり、何をどう気をつければいいのかなんてわからなかった。きっと母親もそうだっただろうと思う。

(……なんか、疲れた)

 午前三時十二分。あたしは今日も眠れていなかった。精神科から睡眠薬が処方されていたが、一ミリたりとも効く気配はない。今日、新たに青い錠剤が追加で出されたが、それによってあたしの調子がよくなったようには思えない。もっとも、飲むだけでいきなり気分が爽快になるようなら、それはおそらく合法ではない薬品のような気もするけれど。

 眠れないあたしはJWSで今日もAIの作成を進めていた。先ほど、データを蓄積させるためのストレージは作った。データはまた今度、あたしのスマホの日記アプリやLI-NGの履歴、PostedやClipperのログを出力して突っ込むとして、今は作業を先に進めたい。

 画像や音声の認識をさせたり、思考結果を音声として出力させる必要はない。今のあたしの知識や技術力ではそこまで複雑なものを作ることは到底不可能だ。

 ただ、あたしの記憶を持ち、あたしの思考をトレースできる何かを作りたかった。あたしの代わりにあたしをやってくれる何かが欲しかった。そして、あたしに成り代わる何かをこの世に残すことで、あたしという人間が生きていた爪痕を残しておきたかった。

(チャットボットの作成……これが近いかも。質問のインプットと回答のアウトプットはこれを使えばできるはず)

 言語は日本語。音声はなし。テキストベースのアプリケーション。

 あたしは今日も初心者向けの入門書を机に広げ、本の内容と画面の内容を見比べながら設定を進めていく。本と現在のコンソール画面ではバージョンが異なるのか、たまに本にはない設定内容が出てくるのがうざったい。

 ぶーん。こんな時間なのに机に置いたスマホが唸った。何だろう。作業の手を止め、スマホに手を伸ばすとロック画面に二件のLI-NG通知が表示されていた。

「今日、中秋の名月だって。レナ、見た?」チャット画面を開くと、そんなメッセージと一緒に月の写真が送られてきていた。トワの住む東京は随分と空が明るいし、なんだかごみごみとして狭い。京都とは違って山なんてどこにも見えやしない。

 それにしても何でこんな時間にトワが起きているんだろう。昨日遅い時間にチャットを返したせいで変に気を使わせてしまっただろうか。それとも何か別の用事でもあって起きていただけだろうか。たとえば前に言っていたBNFっていうゲームとか。

 こんな時間にそんなことを聞いて長話をするのも憚られて、あたしはトワからのメッセージにGOODと書かれたスタンプ一つだけを返した。すぐにトワによって既読がついたが、それ以上は何も送られてくることはなかった。

 月などまともに最後に見たのはいつだっただろうか。そもそも、自然に触れてきちんと美しいと思えたのはいつが最後だっただろうか。摩耗して冷たくなってしまったあたしの心は、時折、大きく振り切れることはあれど、基本的には平板な状態を保ったまま動かない。まるで、あたしと世界の間が薄膜で隔てられているかのように現実が遠かった。

 トワが共有してくれた景色をあたしも見たい。何百キロも距離はあれど、同じ国の同じ空の下に生きているのだと実感したかった。

 カーテンはPCからすぐ手を伸ばしたところにある。しかし、今のあたしにはカーテンを開けて外を見るというだけのことがただただしんどかった。

 そのままその日のあたしは月など見ることもなく、夜明け前までPCへと向かい続けた。


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