第六話:寒花は動く歯車のように~律花、二〇一七年冬~④
その日の夜、あたしは机に向かい、今日買ったばかりの本に目を通していた。楓佳と一緒に瑚夏にあれこれ連れ回されて体は疲れていたが、なぜかやけに頭が冴えていた。
あたしが今目を通しているのは、クラウドコンピューティングサービス上におけるAIの実装についての本だった。目次を見ただけでも人工知能ブームの話に始まり、ディープラーニングやらチャットボットの実装やら、自然言語の学習やらと興味深い話題がてんこ盛りである。あたしはゴールデンウィーク明けくらいから、Pythonというプログラミング言語を独力で勉強していたが、どうやらPythonはAIと相性がいいようだ。
ぶーん、と机の端に置いたスマホが唸り声を上げた。ちらりと画面に視線をやるとLI-NGのチャットを受信した旨が表示されていた。瑚夏や楓佳とのグルチャだろうか。
(もしかして、トワだったりして……)
ほのかな期待を覚えながら、あたしはスマホを操作してLI-NGを開くと、トワからチャットが来ていた。こんばんは、という一昨年くらいに流行った幼年向け妖怪アニメのスタンプがチャット画面に表示されていた。あたしはこんばんは、とSSのマスコットキャラのスタンプを送り返す。
「どうしたの?」
「なんとなく、今何してるかなって思って」
「あたし? 今日買ってきた本読んでたとこ」
「何の本?」
「AIについての本。ほら、この前は基本情報の試験があったせいで、結局文化祭で部活で展示する用のAI作るの間に合わなかったから。それで、良さげな本見つけたから改めて勉強し直してるとこ」
「勉強って……もうちょっと受験に関係あるものやりなよ……」
ぽんぽんと小気味よくチャットのやりとりが連なっていく。そういえば、とあたしは話題を変える。
「今日、友達と初詣で伏見稲荷行ってきたよ。確か、トワも修学旅行のときに行ったって言ってたよね」
「うん。でも、行ったって言ってもほとんど回れてないよ。本殿お詣りして終わり、みたいな」
「え、じゃあもしかしなくても、あの有名な千本鳥居とかも見てない?」
「全然。そんな余裕なくって。多分、時間にして十五分もいなかったんじゃないかな」
「さすがにそれは勿体なさすぎ……お守りとかは買った?」
「いやー、そんな時間なくってさ」
「言ってくれれば今日、学業成就のお守り買うてきてあげたのに。受験近いんだしさー」
「受験近いのはお互い様だけどね。それに、そんなのレナに頼むのもなんか悪いし」
「今更そんな遠慮するような仲でもないでしょ。それじゃあ、大学受験のときは買って送ってあげるよ。約束」
「わかった(笑)」
約束、とあたしは小さな声で呟いた。喉に触れる空気がやけに冷たい。
(あっ、エアコンつけてなかった)
あたしは壁にかかったエアコンのリモコンを手に取ると、暖房をつける。いつの間にやら頭のてっぺんから爪先まで完全に冷え切っている。
わずかに開いたカーテンの隙間からなんとはなしに窓の外を窺い見ると白い雪片が宵の空で踊っていた。出かけていたときは大丈夫だったというのに、やけに寒いと思ったらいつの間にやら雪が降り始めていたようだ。
小さな氷の粒が窓ガラスへと張り付いた。まるで歯車のようにも見える小さな風花はじわじわと溶け、水滴へと姿を変えていく。
「律花ー、ご飯にするでー」
母親が階下から呼ぶ声が聞こえた。「ごめん、ご飯だって」「いってらっしゃい」あたしはトワとそんなやりとりを交わすと、冷えた手を擦りながら部屋を出ていった。




