第六話:寒花は動く歯車のように~律花、二〇一七年冬~③
絵馬を奉納したあたしたちは、奥社奉拝所の奥に続く朱色の鳥居の群れを抜け、神田を経由して入り口へと戻った。行きとは違う、出店の立ち並ぶ道を通って、あたしたちは京阪の伏見稲荷駅へと向かった。そして、駅についたあたしたちは、人でごった返す出町柳行きの京阪電車に乗って、祇園四条へと向かった。
鴨川を越え、河原町通方面へとあたしたちは四条通を進む。今日が初売りという店も多く、河原町に近づくにつれ人出が増えていく。チェーンのカフェやファーストフード店の前を通り過ぎると、やがて阪急の京都河原町の駅が見えてきた。
「この後、櫻井大角行って、服の福袋買いたいんやけど」
歩きながら瑚夏はスマホを取り出すと、行きたいショップをリストアップしたメモをあたしと楓佳に見せた。櫻井大角は四条通と寺町通が交わるところにある多くのアパレルショップを擁するファッションビルだが、瑚夏のメモにはかなりの数のブランドの名前が記されていた。
「わたしも服欲しかったからちょうどよかったけど、すごい量だね、瑚夏」
「本当にこんなに回るつもり? あたし、中島屋で本屋寄りたいんやけど」
あたしは気合い充分な瑚夏へと向けて唇を尖らせた。瑚夏に付き合っていては、あたしが行きたいところに行けなくなってしまう。
昨日、あたしは両親からお年玉を一万円もらっていた。経済的に潤っている今こそ、値段の張る専門書に手を出すチャンスだった。
「えー、律花が見たいのって、プログラミング言語がどうとか、クラウドがどうとか、AIがどうとかみたいな難しいやつやろー?」
つまらへんの、と瑚夏は不貞腐れたように頬を膨らませる。まあまあ、と楓佳は彼女を宥めると、あたしに水を向ける。
「律花って買いたい本とかって決まってるん?」
「うん、まあ」
これとこれとこれ、とあたしは通販サイトのページを楓佳へと見せる。彼女は高、と一瞬驚いたように目を見開くと、
「まあ……先に律花の用事済ませちゃった方がええんやないかな。中島屋はもうすぐそこやし、律花の用事はそんなに時間かからなさそうやから」
話しながら歩いているうちに、あたしたちは四条河原町の交差点へと差し掛かっていた。あたしが行きたい本屋が入っている中島屋百貨店はすぐそこである。
「ねえねえ、ほんなら律花が本屋行ってる間、向かいのSARA見てきてもええー? 用事終わったらSARAまで来てよ」
瑚夏の提案にあたしはええよ、と頷いた。そして、楓佳はどうする、とあたしが聞くと、
「わたしは律花と行こうかな。もう少し難しい数学の問題集欲しかったし」
「うわー、楓佳は真面目やなー。さっすが優等生」
楓佳は学年百二十人中上位二十人には入る優等生だ。しかし、楓佳は驕ることなく、そんなことないよとはにかんだ表情を見せた。
「それじゃ決まりね! 楓佳、律花、またあとで!」
瑚夏は軽く手を振ると、信号が点滅し始めている四条河原町の交差点にカーキのシンプルコートの裾を翻しながら大股に飛び込んでいった。
信号が赤になる寸前でどうにか横断歩道を渡り終えた瑚夏が、通りの向こう側のファストファッションブランドの店へ入っていくのを見送ると、あたしと楓佳はあちらこちらで有名な高級ジュエリーブランドのロゴがあちらこちらで存在を主張している中島屋の店内へと足を踏み入れた。
五階の専門店街にある書店でそれぞれの用事を済ませると、あたしと楓佳は通りの向こう側のファストファッションブランドのショップにいる瑚夏と合流した。
あたしたちが別行動していた時間は十五分にも満たないはずなのに、瑚夏はなぜか服がぱんぱんに詰まった大きな紙袋を手にしていた。
「瑚夏……どないしたら今の短時間でそうなるん?」
あたしが呆れ半分にそう問うと、瑚夏はちょうどタイムセールやってたんだよねー、とほくほくとした顔で答えた。
「せやけど、こんなのはまだまだ前哨戦やで! 櫻井大角が私を待ってる!」
「まだ買うん?」
あたしが半眼でそう突っ込むと、もちろんと瑚夏は胸を張った。そして、彼女はあたしと楓佳のコートの袖口を引っ掴むと、櫻井大角のある四条通と寺町通が重なる交差点を目指して歩き出した。新京極商店街や寺町京極商店街といったアーケード街が人でごった返しているのを横目に歩いているうちに、やがて櫻井大角のビルが行く手に見えてきた。
正面入り口から店内に入り、人混みでもみくちゃになりながら、あたしたちは上りエスカレーターに乗った。瑚夏のお目当ては婦人服売り場のある三階だ。先ほどのリストによれば、どうやら瑚夏は三階の店舗を全制覇するつもりのようだった。
エスカレーターを二回乗り継ぎ、三階に着くと、瑚夏の先導であたしたちはフロアの奥への足を向ける。奥の方には確か瑚夏のお気に入りのブランドがあったはずだ。
「まだ福袋あるかなー……正夢にならないとええんやけど」
タイムセールでーす、と販売員が嗄れかけた媚のある声で叫んでいるのが聞こえる。とにかく行ってくるね、と瑚夏は大きな袋を手にViZという赤い文字のロゴのショップへと突撃していった。
あたしと楓佳はゆっくりと瑚夏の後を追いかける。店頭ではセール品のワゴンと福袋のワゴンを囲むようにして、下はあたしたちの年代、上はアラフィフくらいに見える女性たちが集っている。
店内全品三十パーセントオフでーす、という店員の声にあたしと楓佳は顔を見合わせた。あたしは元々服を買うつもりはなかったが、一、二枚くらいなら買っていってもいいかもしれない。瑚夏と違って流行に敏感ではないあたしは、こういうときに服のアップデートをしておかないと、すぐに流行に取り残されてしまう。
「楓佳はなんか買う? っていっても、ここはあんまり楓佳の好みとちがうか」
あたしは今日の楓佳の格好に一瞥をくれながらそう聞いた。今日の彼女のファッションは、女子アナ風とでもいうのか、良家のお嬢様然としたテイストでまとめられている。
「うーん、でもせっかくやし見るくらいはしていこうかな」
「楓佳の好みって、ここだとレセフェールとかスナイダーとかやっけ?」
「あれ、覚えてたん? 律花、あんまりファッションとか興味なさそうなのに意外」
「いややなあ、友達のことなんやから、そのくらい把握してるって」
「てっきりゲームのことしか頭にないのかと思ってた。わたしや瑚夏といても、ゲームの話ばっかりやし」
それと例の東京の男の子、と手近なワゴンの服を漁りながら、楓佳はいたずらっぽく片目を閉じる。もうそんなんじゃないってば、とあたしは頬を膨らませる。
よっしゃーラスイチゲットーー、と興奮した少女の声が響く。その声は聞き慣れた人物のものだった。
「……瑚夏か」
「瑚夏だね……」
あたしと楓佳は服を漁る手を止め、それぞれ小さく溜息を漏らすと、レジ前で興奮して戦利品の袋をぶん回している瑚夏の元へと急いだ。
「瑚夏、一体何したん? 他のお客さんにめっちゃ睨まれとるで」
「んー……まあ、バスケの要領でちょちょいと」
楓佳が尋ねると、瑚夏はぺろりと舌を出してみせた。瑚夏は自他ともに認めるバスケ部のエースだ。部活で敵からボールを奪い慣れた彼女の手にかかれば、ラスイチの福袋をかすめ取ることなど朝飯前なのだろうということはあたしにも察せられた。
「あんまりはしゃがないでよ。恥ずかしいやろ」
あたしが苦言を呈しても、瑚夏はどこ吹く風で、鼻息荒くこんなことを捲し立てた。
「そんなことより次行こ、次! 次、スナイダー行こう! スナイダーは楓佳も何か買うやろ?」
頬を上気させ、瑚夏は時間が勿体無いとばかりに早足で店を出る。瑚夏とのラスイチの福袋争奪戦に負けたらしい年齢に幅のある女性たちの視線が痛い。
フロアのあちらこちらでは客を呼び込む声が響いている。あたしたちは人混みの中をエスカレーターの方へ戻りながら、次の店を目指した。




