第六話:寒花は動く歯車のように~律花、二〇一七年冬~①
あけましておめでとう。日付が変わると同時に、あたしがLI-NGのトワとのチャット画面にそう書かれたスタンプを投下すると、十秒とおかず既読がついた。今年もよろしく、と書かれたSS公式による期間限定スタンプがチャット画面に返ってくる。
「ねえ、ちょっと話さへん?」
あたしがそうチャットを送ると、いいよ、とすぐに快い返事が戻ってきた。あたしはチャット画面上部の受話器のアイコンを押し、遠く離れた東京へ住むトワへと通話を発信する。
とぅるるとぅるるとぅろろろーん。とぅるるとぅるるとぅろろろーん。スピーカーの向こう側で呼び出し音が軽やかに奏でられている。ツーコール後、変声期終わりかけのやや低いざらついた少年の声がもしもし、と通話に応じた。
「あけましておめでとう、トワ。こんな時間に大丈夫やった?」
「全然大丈夫だよ。年明けたばっかりだから、まだ家族みんな起きてるし」
年明けすぐで回線が混み合っているのだろうか。三秒ぐらいのラグを挟んで、トワの言葉が返ってきた。
「そういえば、昨日発表されたSSの最新情報見たー?」
「うん、見た見た。年度末でPC版サ終して、スマホ版に統合になるってね」
「PC版のアカウント移行できるみたいだけど、トワはどうする? スマホ版になると操作性ぐんと落ちるし、ユーザーのマナーとかも一気に悪くなるから悩ましいところやけど」
「僕はレナが移行するなら移行しようかな。そういえば、セケルとナハトってこのこと知ってるのかな?」
「どーやろな。っていうかセケル、受験終わったのに戻ってこなかったよね。廃ゲーマー卒業してリア充してるんかな? 五人くらい彼女とか作ってさー」
「……レナ、一応言っとくけど日本は一夫多妻制じゃないからね。でもわかんないでもないかな、セケル面倒見いいからモテそう。顔は知らないけど」
トワの言葉に、あたしはわかるーと同意した。自分の勉強で忙しい中、あたしたち年下組の勉強を見てくれたあの面倒見の良さは確実に女子ウケする。会ったこともないし、顔も知らない、本名さえ知らないけれど、セケルはあたしにとって、歳の近い気の置けないお兄ちゃんみたいな人だった。
「それにしても、まあ……セケルはきっともうSS戻ってこないんだろうなあ……。ねえ、トワ。トワはナハトとは連絡取ってる?」
「ううん、取ってない。っていうか、リアルの連絡先とかSNSとか知らないし」
「やっぱ、トワも知らへんのか……。あたしも連絡取れてないけど、ナハトってどうしてるんやろ。あいつ、受験終わったらちゃんと戻ってくんのかなあ」
うーん、とスピーカーの向こう側でトワが唸る。その声の調子はどこか冴えない。
「あのさ……言いにくいんだけどさ。ナハトは戻ってこない気がする。特に理由があるわけじゃなくって何となく、なんだけどさ」
「あーわかる。確かにナハトは何となく戻ってこなさそう」
トワの意見にあたしは同意を示す。ナハトはリアルとネットをきっちり切り分けている感じがする。リアルへと比重が傾けば、彼は簡単にあたしたちを過去にして、こちらに戻ってくることはないだろう。
「それはそうとさ、受験終わったら新しいPC買ってもらう予定なんよ。今使ってるしょぼいノートじゃなく、ちゃんとしたデスクトップのゲーミングPC。そしたらさ、SSじゃなくても何か一緒にゲームやろうよ」
あたしがトワにそう持ちかけると、間髪を容れずにいいよ、と快い答えが返ってきた。
「それじゃあ、そのためにも今はお互い頑張らなきゃね。朝になったら友達と初詣行くんだけどさ、レナがちゃんと高校受かるようにお願いしてくるよ」
「ありがと。あたしも友達と初詣行ったら、ちゃんとトワのことお願いしてくる」
「レナは僕のことより自分のことお願いしてきなよ。この前、秋の模試の結果よくなくて怒られたって言ってなかったっけ?」
トワの指摘にう、とあたしは一瞬言葉を詰まらせる。そして、あたしは仕方ないやん、と唇を尖らせると攻勢に転じる。
「あのときは別の試験あって、そっちに全力だったんだもん」
「えーと、何だっけ、なんかITの資格だったよね?」
「基本情報。あのときめっちゃ追い込みかけてて、過去問周回しまくってた」
過去十年分くらいを十周ずつくらいしたかなあとあたしが言うと、トワは苦笑した。
「その結果、無事に資格の方は受かったから良かったけど……レナは普段の勉強にもその熱量と執念で」
向き合えればいいのに、と言いかけたトワの言葉をあたしはあーあーあーと遮った。
「嫌や嫌やー、聞きたくない聞きたくなーい! それ親にも先生にも散々言われたから!」
模試の結果も内申もいまいち振るわず、二学期の最終日にあたしは学校に親を呼び出された。そのときに親と教師に散々そのことを指摘され、「どうせ商業行くんやからええやろー!」とキレ返したのはまだ記憶に新しい。
ふと部屋の壁掛け時計に目をやると、いつの間にか午前二時を回っていた。トワは寝て起きたら初詣に行くといっていたはすだ。話題は尽きないし、名残惜しいのはやまやまだけど、今夜はこのくらいにしておいたほうがいい。
「トワ、今日はそろそろ寝よっか。明日予定あるんやろ?」
「そうだね。それじゃ、おやすみ」
「うん、おやすみ。それと……今年もよろしくね」
あたしがそう言うとこちらこそ、とトワの声が返ってきた。そして、彼はそれじゃあね、と言うと通話を切った。耳元でドゥルンという音が鳴り、LI-NGが通話画面からチャット画面へと戻る。
今年と言わず、来年も再来年も、それこそ大人になってもトワとはこうやってなんてことない話ができる関係でいたい。願わくは一生、この縁は途切れないでいて欲しい。
セケルは戻ってこなかった。ナハトだって、きっと戻ってこないだろう。自分たちの間にあるのは、簡単に途切れてしまう脆く儚い絆だ。だから、どうかせめてトワだけはいなくならないでほしい。
あたしはカーテンの外の夜闇に目をやった。濃い藍色を彩るように、はらはらと小雪が舞っている。
トワが見ているのは一体どんな景色だろうか。東京は太平洋側だから、寒くてもこんなふうに雪は降っていないに違いない。
おやすみと誰にともなく呟くと、呼気が冷えた窓ガラスを白く染めた。あたしはカーテンを閉めると、エアコンのタイマーをかけ、ふかふかとした毛布の波間に身を潜り込ませた。




