第五話:同じ空の下~晴翔、二〇一六年初夏~④
JR奈良線に揺られ、僕たちは二十分余りで宇治駅へと着いた。宇治駅から平等院へと向かい、僕たちの班は幸野谷の案内で平等院の中を見学していった。
これから京都市内にまた戻らなければならないということもあって、さほどじっくりと平等院の中を見ることは叶わなかった。そのせいか、これが十円玉の表に描かれている建物かとは思いはしたものの、歴史の資料集で見たとき以上の感動は得られなかった。かの藤原氏の千年前の栄華に浸る余裕などどこにもない。
その後は宇治からの帰路で列車を途中下車すると、さっと申し訳程度に伏見稲荷に立ち寄った。鳥居と参道を抜け、外拝殿をスルーして本殿にだけお参りするという本当に味気ない行程だった。社務所でお守りを買ったり、絵馬を書いたりおみくじを引いたりする余裕がなかったのはもちろん、かの有名な千本鳥居さえ見ることができなかった。
十五分も滞在せずにJR稲荷駅へと取って返すと、僕たちは幸野谷に連れられて、昼過ぎに京都駅に戻ってきた。
昼食は幸野谷により、京都駅の地下街の西エリアの奥にある飲食店街に連れて行かれ、京野菜のおばんざいを食べた。正直、和食続きで成長期真っ只中の体には少々物足りなかったが、それでもレナがこの地下街で普段買い物をしたりしているのかもしれないと思うと感慨深いものがあった。
東京でも見慣れた店の数々が、人々の生活がこの地に息づいているのだという実感を僕にくれた。飲食店街のほうに来る前にちらっと見えた三百円均一の店やカフェなど、レナはいつもああいったところで遊んでいるのかもしれない。それに確か、冬のスキー合宿前にレナは京都駅の地下街で友達と買い物をしたとか言っていた気がする。僕は今、レナが普段暮らしている街にいるのだと、同じ空の下のすぐ近くに彼女がいるのだと、もちもちとした甘苦い焼き生麩と一緒に噛み締めた。
昼食を済ませると、僕たちは地下街を出て、中央口から八条口へと京都駅内を横断した。八条通沿いをホテルやらやたらと茶色っぽい外観のショッピングモールを横目に進み、八条油小路の交差点を曲がる。そして、ショッピングモールが見えなくなるまで油小路通を進むと、今度は油小路東寺道を折れた。間違っても大雪など降ることもなく、今日の京都の空には雲の峰が屹立し、少し早い夏の青が広がっている。
そのまましばらく道を直進すると、やがて東寺へと到着した。空を泳ぐ雲を穿つように存在感のある五重塔が聳え立っている。昨日見た興福寺のものと何がどう違うのだろうと思いながら、僕は幸野谷に連れられて慌ただしく見学を済ませていく。五重塔は見るのにお金がかかるということで、時間がないこともあり、遠巻きに見るにとどまった。
バスの時間が迫っていた。僕たちは早足で来た道を戻っていった。実質帰宅部で運動不足の僕の脇腹が、食後すぐということもあってずきずきと疼痛を訴えていたがそんなことを言っている余裕はない。京都駅に帰り着くと、僕たちは八条口の階段を上り、多くの人々が行き交う南北自由通路を突っ切って、中央口のバス乗り場に向かった。
バス乗り場に着くと、西賀茂車庫行きと書かれたバスが今まさに発車しようとしていた。慌ててバスに乗り込み、席に着くと僕は息をついた。修学旅行生の案内のボランティアをしているという幸野谷は学生たちの無茶苦茶なスケジュールに慣れているのか、涼しい顔をしていたが、僕の隣に座る蒼也は普段からサッカーで鍛えているにもかかわらず少し草臥れたような顔をしていた。女子たち三人も疲れてきているのか、言葉数が少ない。
発車いたします、という男性運転手のアナウンスとともにバスがするりと道路の上を滑り出した。車内の空調が少し汗ばんだ体に心地よくて、意識をぼんやりと淡い靄が覆い始める。バスがロータリーを抜けきらないうちに、疲労と満腹感が波のように押し寄せてきて、僕は船を漕ぎ始めた。
慌ただしく二条城を見学した後、僕たちは再びバスに飛び乗り、今度は金閣寺へと向かった。一時間以上もかかるという道中に、僕たちのプランを無謀だとレナが笑った理由を僕は理解し始めてきていた。二条城、金閣寺、銀閣寺は今日の自由行動における学校側が定めたチェックポイントだから仕方ないとはいえ、距離が離れすぎている。これじゃあ、移動ばかりで観光などままならない、ただのスタンプラリー状態だ。
確かに、レナのような地元民なら一日でこれら(と更に宇治)を回ったりなどしないだろうと僕は今更ながら納得を覚える。まあ、レナ曰く、そもそも地元民はそういう観光名所には全然行かないものらしいけれど。修学旅行で回る場所の話をしたときに、彼女はどこも場所は知っているけど行ったことないなあと言っていた。
長時間バスに揺られ、金閣寺道というバス停で僕たちは降りた。移動を兼ねて休息を取れた僕たちは幾分か元気を取り戻し、幸野谷の後をついてタクシー乗り場を横目に参道を進んでいく。
境内の中に入ると、幸野谷は団体用の受付で入場用のチケットを購入した。初老の男性係員によるチェックを経て、僕たちは他の修学旅行生や観光客についていく形で、日本庭園らしい趣のある砂利道を進んでいった。
しばらく道なりに奥へ入っていくと湖があった。湖の上には鈍い金色に覆われた仏閣が佇んでいる。ほんの少し、日が傾き始めた空の下、水鏡に映り込んだ金色の建築物の姿が揺れていた。外壁の金ピカっぷりに、足利義満というのは、一体どれだけ見栄っ張りな人物だったのだろうと、僕は密かに呆れを覚えた。
湖のほとりでは、担任の真船と学校に雇われたカメラマンが僕たちを待ち受けていた。金閣寺がチェックポイントに定められているのは、卒業アルバムに載せる写真を撮るためだ。
「お世話様です」
真船が幸野谷へと小さく頭を下げ、話しかける。その間に僕たちはカメラマンの指示により、手早く湖の前へと並ばされる。「待って、前髪が……!」同じ班の仁科華音がなんやかんやと喚いていたが、そんなことに構わず、カメラマンは容赦なくシャッターを切った。
待ってって言ったのに、と華音はカメラマンに礼を言うこともなく頬を膨らませている。不本意な写真が一生残ることになった彼女に多少同情を覚えないでもないが、金閣が一番よく見える絶景ポイントを長時間占有するのは他の観光客の邪魔になる。少々強引で残酷でもカメラマンの判断は妥当と言えた。
「それではあと少しですが、どうかこの子たちをよろしくお願いしますね」
何やら幸野谷と世間話をしていたらしい真船はそう言って話を切り上げる。「ほな、行きましょか」僕たちと再合流した幸野谷は僕たちをそう促した。銀閣寺へ向かうバスまで、もう時間がいくらもないらしい。ただ写真を撮りにきただけみたいでなんだかなあと思いながら、僕たちは湖の外周に沿って再び順路通りに歩き出す。何だか今日はこんなのばかりで忙しないことの上ない。レナが爆笑したのも無理なかった。
初夏の風に混ざって山と水の匂いがほのかに香っている。早足で歩く砂利道の上には日本庭園の緑陰が黒く揺らめいていた。




