第四話:雪とチョコレート~律花、二〇一六年晩冬~④
一面の銀世界。風に吹かれて粉雪がライトグレーの空を舞っている。
ゲレンデのあちらこちらに群生する木々には葉の代わりに銀花が生い茂っている。斜面の上からは腕に覚えのあるスキーヤーやボーダーが華麗なターンやジャンプを決めながら、こちらへと奔り抜けてくる。
何基もあるリフトの上にいる、足にスキーやスノボを履いた人々がウィンターソングと共にゆっくりと斜面の上へと運ばれていっている。同学年の中でもスキーの技能に熟達した生徒たちが、あたしたち有象無象の初心者より先立って山の上へと移動していくのが見えた。リフトの上から上級者チームに割り振られた瑚夏がゲレンデの下でよちよち歩きをしているあたしたちへと手を振っている。確か、あれは超上級者コースがある尾根へ向かうリフトだったような。
「はーい、それじゃあ、みんな、スキーの着脱とブレーキの掛け方は覚えたね! それじゃあ、次は早速リフトに乗ってみようと思います! こういうのは体で覚えた方が手っ取り早いからね」
あたしは同じく初心者チームに振り分けられていた楓佳と視線を交わし合う。この人まじか。あたしと楓佳の目は紛れもなくそう言っていた。
あたしたちのチームを担当するインストラクターは、真っ黒に雪焼けした二十代後半の弓波恭冴という男だった。どうやら彼は感覚派かつ野生派のようで、転び方からなにからあたしたちに体で覚えさせようとしてくる。
弓波に先導され、あたしたち初心者チームの面々は、よちよち歩きでリフトの方へと向かう。弓波はストックも使わず、後ろ向きで軽々とスキーを逆ハの字にして漕いでいるが、あたしにはあんな芸当はできそうにない。
どうにかしてリフト乗り場に辿り着くと、あたしたちは自分が乗るリフトが来るのを待った。前に並ぶ人々がブランコ状のそれに乗って空中へと攫われていくのを見ながら、あたしは楓佳と横並びで乗車位置の赤いラインまで移動する。
リフト乗り場の反対側にリフトが勢いを伴って入ってきた。リフトは乗り場の中を半回転すると、あたしと楓佳の背後に結構な速度で迫ってくる。
どん、と尻に衝撃を感じた。ずるり、と足元のスキーが凍った地面の上で滑る。あたしは楓佳ともつれあうようにして、地面の上に転倒する。びー、とブザー音がリフト乗り場に鳴り響き、すべてのリフトが停止する。あたしと楓佳は係員に助け起こされ、リフトの上にどうにか腰を下ろした。弓波に言わせれば、こういうのも含めてすべて本能で覚えろということなのだろう。
ブザーが鳴り止み、あたしと楓佳の乗ったリフトががくんと動き始めた。なんかちょっと恥ずかしいね、とあたしと楓佳は苦笑し合うと、雪空へと舞い上がっていった。
あたしたちが初心者向けの一番下のコースを何度も転倒を繰り返しながらどうにか滑り切ると、弓波は今度は山頂へ行こうと言い出した。
「大丈夫大丈夫、上の方のコースも難易度いろいろあって、簡単なところもあるから。それに、山頂は景色もいいし、行って損することはないから」
半ば強引に弓波に言いくるめられ、あたしたちはリフトを二台乗り継ぎ、山頂へとやってきていた。景色がいいと弓波が豪語していた通り、ここからは北アルプスの山々が一望できる。遥か下には、昨日からあたしたちが泊まっているホテルが見えた。
あたしは周囲に教師の姿がないことを確認すると、レンタルのスキーウェアの上着からこっそりスマホを取り出した。あたしは手早くカメラアプリを起動させると、目の前の風景を切り取った。上手く撮れた自信はないが、この景色をトワと共有したかった。迫りくる自然の雄大さをほんの少しでも彼と分かち合いたかった。先日、写真を送るという話もしていたことだし、今夜にでもこっそりLI-NGで連絡してみよう。
写真を撮り終えてスマホをそそくさとスキーウェアのポケットに突っ込んでいると、ふいに弓波と視線が交錯した。あたしはグローブをはめたままの指を一本顔の前に立てる。すると、わかったと言わんばかりに苦笑混じりに彼は肩をすくめた。毎年あることで彼自身も慣れているのだろう。どうやらスマホの持ち込みについて、教師にはチクらないでおいてくれそうだ。たぶん。
「それじゃあ、そろそろ降りて行こうか。さっきのコースと違って、崖になってるところがあるから、落ちないように気をつけてな」
そう言うと、弓波はあたしたちを先導するように、ストックなしで斜面をゆっくりと滑り降り始めた。あたしたち初心者チームの生徒たちは誰が先にいくかとでも言わんばかりに顔を見合わせた。誰も先に行く気配がなく、仕方なしにあたしはスキー板をハの字に開き、そろそろと斜面を降り始めた。あたしの後ろに楓佳が続き、その後から列をなして他の生徒たちがついてくる。
おっかなびっくりで半ばずり落ちるようにして斜面を滑っていると、次第に速度が増してきてスキー板があたしの制御下から外れた。どうにかして一度止まろうと、エッジを立てようとしたけれど、止まることは叶わず、あたしはそのまま体勢を崩して転んだ。
弓波から最初に習った通り、一度雪の上に寝転んで、あたしはスキー板を平行にそろえる。あたしの背後を滑っていた楓佳ががちがちのボーゲンでゆっくりと弓波を追いかけて斜面を降りていくのが視界の端に映る。他の生徒も次々とぎこちないながらも斜面を滑走していく。
(このままじゃ置いていかれちゃう……早く追いかけなきゃ)
あたしはストックを地面につき、体を起こそうとする。が、スキー板が崖へと向かってずるりと滑った。もう一度立ちあがろうとあたしは試みるが、ずるずると滑って思うように立ち上がれない。
(まずい……このままじゃ落ちちゃう……!)
どうにかしてあたしが立ち上がったときにはスキー板の前半分が崖から飛び出してしまっていた。今滑っているコースとは比べ物にならないくらい急峻な斜面が眼下に広がっているのを認めると、あたしは空恐ろしさを覚えた。ここから落ちていたら大変なことになっていた。それこそ山岳救助隊みたいなのが来る騒ぎになりかねないところだった。
あたしはエッジを立てたスキー板の下でしっかりと雪を踏みしめながら、どうにか方向転換を図る。そして、あたしはコースの下の方にスキー板の先端を向けると、がちがちのボーゲンで先ほどまでよりも慎重に斜面を降りていった。




