第四話:雪とチョコレート~律花、二〇一六年晩冬~③
帰宅して夕食を済ませると、あたしは自分の部屋に戻った。いつもなら、このままノートPCを立ち上げ、SSにインするところだけれど、今日はやってしまわなければならないことがある。
来週――三日後に迫った二泊三日のスキー合宿の準備をしなければならなかった。
あたしは部屋のクローゼットからキャリーケースを引っ張り出した。小学校の修学旅行のときに親に買ってもらったこれは、ラベンダーカラーからピンクへのグラデーションが絶妙に可愛らしくて、あたしのお気に入りだ。
机の脇にほっぽり出したままのスクールバッグから、しわくちゃになった合宿のしおりを出してくると、あたしは持ち物のページに目を通す。
スキー合宿に持っていく着替えを出そうと、箪笥を開けようとしたとき、机の上のスマホからバイブレーションが響いた。単なるLI-NGやPostedの通知ではないようで、ぶーんぶーんとスマホは振動を続けている。
なんだろう、と思いながら、あたしは机の上のスマホに手を伸ばす。画面には「つしろはると」という名前と緑と赤の受話器のアイコンが表示されていた。もしかして、と用件を半ば予想しながらも、あたしは緑色の受話器のアイコンをタップし、通話に応答する。
「もしもし、レナ? 僕、トワだけど。いきなり通話しちゃったけど、今大丈夫だった?」
どことなく困惑の滲むトワの声に大丈夫と答えると、あたしはスマホをスピーカーモードにして、机の上に置き直す。トワとも話したいけれど、学校のスキー合宿の準備もしなければならない。
「レナ、LI-NGギフトで僕にチョコ送ってくれたでしょ? そのお礼が言いたくて。ありがとね」
「そんなお礼言われるようなことじゃないよ。所謂、友チョコってやつやし」
照れ隠しであたしは早口にそう言うとタンスの一番上の段を開ける。今日買ってきたルームウェアが入っていたショッパーの中に、必要な日数分を計算しながら下着類をぞんざいにあたしは突っ込んでいく。
「僕、普段、親以外からチョコってもらったことないからさ。何か、レナからのチョコって特別な感じがして嬉しかった」
「友達が面白半分に送れ送れって騒ぐから、送ったようなもんだけど、喜んでもらえたんやったらよかった。いや、まあ、あのね、いつもトワには仲良くしてもらってるからっていうのもあるにはあるけれどっ」
なぜか顔が熱い。どうしてあたしは、トワに対してこんな言い訳じみたことを口にしているのだろう。あたしはやけくそ気味に下着類の入ったショッパーをキャリーケースの中に投げ込んだ。がさりと袋が大きな音を立てる。
「僕もレナからチョコもらったなんて、友達に知られたらいろいろ揶揄われるんだろなあ……どうにも友達にレナとの関係を勘ぐられてて。ところで、レナ、さっきからがさがさ音がしてるけど、今、何してる?」
「来週、水曜から学校のスキー合宿があるから、それの準備してた。そのために、今日、友達と京都駅の地下街で買い物してきたんだ。休みのうちに準備しとけって、うちの親うるさいしさ」
「へえ、いいね。スキー合宿ってどこ行くの?」
「長野。白馬だってさ」
「長野かあ。長野といえば、ナハトが確か長野だったよね。夏休み明けから全然SSでも見かけてないけど、今ごろ何してるんだろうね。案外、行った先であっさり会えちゃったりとかして」
「そんなわけないやろ。あたし、行くの長野の街中じゃなくてスキー場やで? それに会えたとしたって顔も知らへんのに」
あたしがそう言うと、それもそうだね、とトワは笑った。いつの間にか、さっきまであったどこか不自然で、照れ臭い空気はいつも通りのあたしたちのものに戻っていた。
「そういえば、僕とレナもお互いの顔は知らないよね。本名は知ってるのに」
「そうだね……トワもやっぱり顔とか気にする?」
「うーん、気にするっていうかなんていうか……だけど、全く興味がないって言ったら嘘になるかな。いつも話してるレナが――藤間律花って子がどんな子なのか気にはなる」
「何やったら互いの写真、見せ合いとかする?」
携帯用の洗顔セットやタオルをキャリーケースに詰め込みながら、あたしはなんてことないふりを装って、トワに聞いた。うんいいよ、というトワのあっさりとした返事にあたしは一瞬たじろいだ。冗談のつもりだったのに。
あたしは机の上からスマホを取ってくると、カメラアプリを起動させる。インカメラを自分の方へ向け、あたしはだめだとかぶりを振った。顎にニキビができているのを忘れていた。こんなのをトワに見せたくはない。こんな自分の素の姿を見せてなんとなく彼にがっかりされるのが嫌だった。
仕方なく、あたしはカメラロールを繰って、トワに見せられそうな写真を探した。冬休みに瑚夏と楓佳と一緒に大阪のテーマパークに行ったときの画像を見つけると、あたしは二人の顔にスタンプを乗せて加工してLI-NGでトワへと送った。ここ最近の写真の中では一番盛れていると自負しているが、トワは一体どう思うのだろうか。
スマホのスピーカーの向こう側で、ひゅっとトワが息を飲む音が聞こえた。そして、なぜかそれきり彼は無言になる。
「……なんで黙るわけ? 期待外れならそう正直に言うてくれた方があたしも傷つかへんねんけど」
「いや……その、なんかちょっと意外だったっていうか。なんていうか、レナが思ってたよりもだいぶかわいい女の子だったからさ」
「……逆にどんなの想像されてたのか怖いんやけど」
「ほら、レナは普段の言動が結構ズボラっていうか雑っていうかそんな感じだから、もっとそういう感じなのかとばかり」
「何それ。っていうか、あたし見せたんだからトワも見せてよ。不公平やろ」
「いいけどさ、英検のときに撮った証明写真くらいしか僕の方はないよ」
いいから、とあたしが促すと一拍置いて、学ランに身を包んだ少年の顔写真が送られてきた。あたしはへえ、と小さく声を漏らすと、
「何か、なるほどなあって感じ。トワっぽい」
「僕っぽいってなに、僕っぽいって」
「だってそれ以外の感想が出てこないんだもんー」
そう言ってあたしは笑うと、トワから送られてきた写真をスマホに保存する。そして、その写真をあたしはお気に入りフォルダへと移動させた。
そして、あたしはスマホを近くの床に置き、スキー合宿のための荷造りを再開させながら、
「そうだ、長野行ったら何か写真送るね」
「マジ? だけど、スマホ持ってって先生とかに怒られないの?」
「怒られる。っていうか没収される。けど、どうせみんな先生に隠れてスマホ持ってってるしさー」
「……まあ、期待しないで待ってるよ。先生にバレないように気をつけてね」
そんなふうに緩やかに雑談を交わしながら、あたしは荷造りを続けていく。物理的には四、五百キロと遠く離れているはずなのに、すぐ隣で一緒に過ごしているかのような気のおけない空気感が心地よかった。
穏やかで何気ない冬の終わりの夜は少しずつ更けていく。ベッドの枕元に置いた兎耳の生えたデジタルの目覚まし時計が日付が変わり、新しい週が始まったことを示していた。




