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朱鷺書院の四角い中庭に、極彩色の蝶が舞っている。
清那は中庭を囲うように作られた廊下を、死人のような面持ちで歩いていた。四年かけて歩きなれた歴史学部棟の廊下は、何も考えなくとも歩みを進められる。疲れた靴音が虚しく響く。
ふらふらと教室に入る。適当な机に腰を下ろし、呆然と外を見る。
花形の格子に彩られた窓から朝の光が差し込んでいる。隈が深く落ちた眼からぼんやりと外を見る。視界の端に、玉葱屋根の王宮が見える。それは砂漠の入り口を塞ぐように、堂々と白い壁を広げていた。
(あそこに、高砂先生が)
「清那さん、早いね」
声に振り向くと、教室の入り口に立っているのは明星だった。一段高くなっている教壇に登り、抱えていた教材を教卓の上に置く。
「なんだか家にいたくなくて」
明るく返したつもりだったが、予想以上に潰れた声が出た。
だって、家に、あの部屋にいたら思い出してしまう。
(もう、高砂先生はいないということを)
無理矢理にでも頭に教え込まないといられなかった。高砂は死んだも同じ。清那という力なき女が彼を嘆くことすらおこがましいと。
結局、書院に来たらもう王統に手を回されたあとで、高砂という教師は実家の都合で故郷に帰った運びとなっていた。元々あまり評判の良くない素行を取っていたからか、逆に悪い噂が立つことすらなかった。清那は自動的に明星教室に戻されていて、高砂という存在すら記憶から抹消されたかのようだった。
高砂は消えた。
まるで、千夜国の歴史みたいに消された。
明星は癖の強い黒髪を揺らす。
「清那さん、知ってる? 墓泥棒の話」
清那の気持ちなどそっちのけなのか、明星はいつものふわふわした顔で世間話を振ってくる。
「すみません、今日は伝使の話を聞く余裕がなかったので」
「じゃあ初耳だね。昨日、王宮の墓地に墓泥棒が入って、葬祭部が大変なことになっているらしい。坂羅の王家墓地の警備は王宮より堅いと言われているんだ。そんなところに、無謀にも侵入した者がいた」
照耀国の人々は、死に直面する砂漠が身近に存在することもあってか、永遠を強く信奉している。そのため、来世での生まれ変わりが国教の基本教義となっており、死後冥界の旅をしたのちこの世にまた転生するという神話は、墓への執着を生み出した。
その影響で多少余裕がある者は墓に金をかけることが一般的なのだ。つまり墓とはその家の財産であり見栄であり宝なのである。それをつけ狙う墓泥棒が現れるのは自然の道理で、困窮したら墓泥棒にでもなるか、というジョークもささやかれるほど浸透した概念なのである。
そんな信仰の中、王家は巨大な王宮の後ろ、砂の海が広がる広大な土地に坂羅という墓地を作った。王宮よりも壮麗な葬祭殿に、太陽の光を集めて白く輝く四角錐の墓。中でも高砂の父親に当たる隼玉王の墓は、白冠のどこからでも視界に入る造りになっている。今も窓の外を見渡せば、白い三角が青い空に浮かんでいる。
坂羅の葬祭殿は白冠の中心にある隼日神殿と並び、照耀国の王家信仰の柱となっている。墓の造営は一大事業であり、王家や豪族は農閑期に手持ち無沙汰となった農民を招集し、季節労働者として働き口を斡旋しているほどだ。
「墓泥棒ってそこまで珍しいものではない気がしますが……? 近所でも入られたって話はよく聞きますし」
「違うんだよ。その墓泥棒は普通じゃなかったんだ。深夜に一人で奇襲をかけ、衛兵たちをバッタバッタと倒した挙句、何も取らないで出て行ったんだ。動機も目的も一切不明。それだけじゃない。その者は子供の背格好で、全身をボロボロの外套で覆い、奇妙な猫の面をつけていたらしい。もはや怪人だよね」
明星は少年のように目を輝かせて語った。それこそ、英雄の伝説を聞かせてもらった子供のような。
「作り話でしょう。にしても、盛り過ぎじゃないですか?」
「まあ、僕も伝使から聞いたのなら、盛ったなと思ったんだけどね。これ、僕の家で聞いた話だからさ」
明星は恥ずかしそうに顔を掻く。
「先生の家?」
「うん。僕の兄は葬祭殿書記の秘書を務めているんだよ」
照耀国に文字が生まれてからと言うもの、各地で書記は活躍しているが、葬祭殿書記は中でも重要視される聖職である。王墓の運営、儀式の進行などを行う部署であり、単なる神殿書記よりよっぽど身分が高い。
そしてもちろん墓泥棒の取り締まりも葬祭殿書記の大事な仕事である。
「まさか、当事者ってことですか」
「そうなるね。今朝兄は随分頭を抱えていたよ」
明星はただ世間話をする教師といった具合で家族の話をする。
少し、おかしい。この先生は高砂とタイプこそ違うが、本来自分のことを積極的に話す人間ではない。流れに身を任せるという言い回しが似合う人間であり、担当教員としてお世話になった期間は長いが、個人的な話は聞いたことがない。
「……なぜ、私にその話を」
清那が疑問を持つことを待っていたのだろう。明星は真剣な目つきになる。
「知ってる? 王家の一族の墓は、総て王宮への通路が通されているんだ。死出の旅から帰ってきたとして、真っすぐに王宮に向かえるように」
「それって」
明星は静かに頷いた。
「もちろん、秘密の入り口の情報提供だよ」
天候の話でもする塩梅で言う。
「故国の研究者が蒸発するのはこれが初めてじゃない。僕の叔父、諸橋もそうだった。王宮図書館の司書まで務めたのに、いつの間にか僕達の前から去った。当時は信じられなかったよ」
蒸発した王宮図書館司書。
高砂の師匠は、明星の叔父だったのか。
「あの時と状況が似すぎているんだ。故国の研究者がいなくなって、本人の事情と微妙に齟齬がある説明がされる。だってサゴちゃんの場合、戻るべき実家はない。強いていえば……王宮だろう?」
知っていたのか。
清那が目蓋をしばたかせていると、明星は頷いた。
「叔父は彼の話をよくしていたからね。侍女長の連れ子が優秀だって。父親はわからないが、あの頭の出来だ。名のある貴族なんじゃないかとも」
秘匿された存在の割に人前に顔を出してよく不都合が起きないなと薄々思っていたら、侍女の子供という設定で暮らしていたのか。危ない。王家の血筋だと言うところだった。
「サゴちゃん……高砂先生は、僕にとっては単なる後輩以上の存在なんだ。長い物に巻かれて、環境に埋もれるしかなかった僕と違って、彼は時代を変える視点を持っている。みすみす殺されるだなんて、悔やんでも悔やみきれないよ。清那さんに彼を助けてもらいたいんだ。これは、僕の欲望だし、清那さんがどう受け取るかは自由だ。この場で聞かなかったことにしてもいい。そもそも、僕が罪を犯すことで国の葬祭が揺らぐような、こんな窮屈な血筋に生まれていなければ、僕が自らやっていたことだ。生徒に託すものでもない、だが」
明星は息を吸い込んだ。
「口でさえ塞がれたら、誰がこの悔いを後世に伝える。現状を変えることができるのは、彼のことを良く知っている清那さんしかいない。協力してくれるかな」
そこにはいつものふわふわとした明星はいない。小心者ながらも、精一杯自分にできる勇気を振り絞っている隼だけだった。
清那はごくりと唾を飲み込んだ。
(この思いは、引き継がなければいけない)
明星だって、清那や高砂と同じ、文字なき民を憂う者だから。
「行きます。ここで屈したら、悲しむ人がまた増えるから」
確かな口調で言った。
明星は一瞬ほっとした顔をして、
「うん、了解した」
とだけこぼした。
教材の山を崩して、黄ばんだパピルスでざっと書いてある端書きを二枚取り出した。文字の羅列と図面が引いてある。
「この紙に書いてある場所に、信頼できる墓泥棒の請負人がいる。二枚目の地図は和隼王の墓の簡単な図解だ。交渉材料にできると思う。学校のことは心配しないで。僕がなんとかする」
「和隼王? 盗掘されつくしてると聞いたことがありますが、価値があるんですか?」
「ある。彼の王の墓には、いまだ立ち入りのない区画があるんだ。財宝が埋まっているわけではないが、彼なら食いつく」
随分な信頼だが、有名な泥棒なのだろうか。
「大丈夫、ですかね」
「保証はない。でも僕は、清那さんならうまくやると信じているよ」
清那は震える指で受け取った。ただのパピルスなのに、受け取った瞬間重みを感じた。これから悪事を成すと思うと、実感が全身を駆け巡り緊張を誘発した。
「もたもたしている時間はない。もうちょっとで他の生徒も来るし、なによりサゴちゃんが安全かどうかなんてわからない。善は急げだ。早く行きなさい」
「はい」
ガチガチになる清那を見ながら、明星は目を細めた。
「あまり気負わないで。僕たちの知っている高砂先生は、簡単にくたばるような人間じゃないでしょう?」
窓の外を、一羽の鳥が飛び去った。