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砂の王と千夜の唄  作者: 回向田よぱち
第二夜 星の旋舞、呪われし一族
4/23

 鈴を転がすような声が、楽屋に響き渡る。

「清那! 一生のお願い!」

 千里先の音も聞き取れそうなくらい大きな犬耳をぺたんと倒して、甘夏(あまな)は手を合わせた。いつも全身で感情を表現する彼女だが、今日は特に顔がしわくちゃになっている。小麦色の肌を彩る装飾が、しゃらしゃらと音を立てる。

 太陽祭期間二週間ほど、書院は休みになる。

 歴史学部の展示の準備も終わり、砂漠調査も無くなった私はいい機会にと実家に帰ってきていた。高砂も何やら用事があるらしく、論文も進まないのでサボりにきたと言うのが正しい表現だが、帰ってきたら帰ってきたでやはり家業の手伝いをやらされている。

 清那の両親は共に仕事に生きる人間だ。父は砂海の隊商手配に精を出し、母は劇場の経営をしている。

 清那の母は元々地方貴族出身だが、子が産めぬ体であり、早々に家を追い出され砂漠の果ての小さな街に捨てられた。人買いに見つかり夜職も兼ねた踊り子として売り出されそうになっていたところ、当時傭兵崩れだった父に助けてもらったらしい。それからは父と共に自らキャラバンを立ち上げ、砂漠を西へ東へと渡っていた。その途中で拾ったのが清那である。なんやかんやあって王都白冠に落ち着いたあとは、キャラバンで稼いだ元手を使い劇場を建てた。

 その経験もあって、母は孤児の救済に精を出しているのだ。自分や清那と同じような境遇の子たちを雇い踊り子として育て、安定した収入と暮らしを提供している。

 母の手腕のおかげで、孤児たちは夜職を兼ねないでも踊り子として劇場に立つことができるようになった。父の事業とも提携していて、希望する子にはキャラバンの職を斡旋している。

 甘夏もその踊り子の一人だった。パワフルで明るい彼女は劇場でも特に人気で熱烈なファンも多い。大きな瞳に花のような笑顔、くるくる変わる表情、華奢な体に幼さが残る仕草と来れば男女関係なく彼女に魅了されてしまうのは当然だ。

 清那と甘夏は年も近く、他の踊り子たちと共に姉妹同然で育ってきた。

「なんで私が。代わりの子は沢山いるじゃん」

「清那じゃなきゃダメなの〜! ここの女はみんな口が軽いのよ。事情を言ったら絶対広まっちゃうでしょ」

 楽屋には昼下がりの陽光が差し込んでいる。天幕に紛れるようにして大量の舞台衣装が掛けられている。焚きしめられた強い乳香の香り。彼女が特に気に入っているものだ。

 清那が帰ってきた当初は裏方を任されていたのだが、甘夏に見つかった途端代役を頼まれるなんて本当についていない。なんでも甘夏は隼人将軍の大ファンであり、太陽祭宵山の前日に催される凱旋パレードを絶対に見たいらしい。主役級なのにポイとその地位を投げられるあたり、彼女の天衣無縫さがもろに出ている。役者の責任感はどうした。

「でも私数年は踊ってないし、主役なんて張ったらそれこそ他の子に殺されるよ」

「殺されないよ。清那はとっても舞が綺麗だし、有砂(ありさ)さんに許可取ったもん」

「おかんに!? もうそこまで話通ってんの……」

 視界が明滅した。そんな理由で主役を素人に任す母親も大概だ。

「だからお願い。私の代わりに舞台に出て」

 甘夏の潤んだ瞳が清那を射抜く。

 清那の手を覆うように、甘夏のひんやりとした掌が重なる。

「うう……」

 あざといとは思いつつも負けてしまう。清那はせめてもの反抗に小さく唸り声を上げた。

「わかった、やるか!」

「やったあ!」

 甘夏の顔に大輪の花が咲いた。艶やかな黒い尻尾が千切れんばかりに揺れる。

「で、演目は何なの?」

「炎の王と星読みの巫女」

「うわぁ」

 清那は思わず天を仰いだ。

 炎の王と星読みの巫女とは、古い民話から題材を取った劇である。

 舞台はとある国の王宮。炎の王と呼ばれたその王は、手のつけられない暴君として悪名を轟かせていた。王は極度の人間嫌いで、近しい家臣以外を絶対に王宮に入れなかった。その妃に選ばれたのは神殿の娘。娘は神に祈りを捧げる舞手であり、星を読み神託を下す巫女だった。娘は王の人間嫌いを治そうと、夜ごとに星の物語を語り、歌を歌い、踊りを踊る。娘の努力の結果、王の人間嫌いは治り、彼は賢王として後世まで名を残すことになる、という話だ。明言してはいないが、星読み、巫女などのモチーフから千夜国の話なのはすぐ類推できる。

 人気のある演目なので私も散々見てきているし、練習に混じったこともあるから踊れないわけではないのだが、一番の難点は大団円の曲だ。この曲だけは、相手役である王と息を合わせて踊らなければならないのである。

「大丈夫だよ〜。裕都さん一番うまいしリードしてくれるから」

「そうだけど……」

 自分一人で踊るならまだしも、他人と合わせて踊るのは苦手なのだ。相手の感情を細かく読み、それを表現として昇華するのは、自分の感情を表現するのとまた違った難しさがある。

 上機嫌な甘夏を見ながら、清那は大きくため息をついた。


 鋭い目をした隼は静かな声で言う。

「見に行きたい」

「嫌です!」

 店中に声が響いてしまって、清那は慌てて口を覆った。

 高砂の用事が済んだというので、打ち合わせもかねて書院の中にある珈琲屋に来ていた。朱鷺書院に通う者は寮暮らしの若者が多いため、安価な食堂や売店が学部棟の各所にある。太陽祭期間でも店は開いているのだ。

 ここもその珈琲屋の一つで、歴史学部棟の図書館の脇にある。他の食堂と比べて静かなので、休み期間でも勉強をしに来る学生が多い。

 がらんとしたカウンターの席で、誤魔化すように珈琲に口をつける。脳が痺れるほど甘いバクラヴァ(蜜漬けのパイ)に深煎りの豆がよく合う。

「千夜国が題材の話なのだろう? 民族舞踊ならまだしも、白冠でちゃんと上演されている劇の類は実は見に行ったことがないんだ。何か研究に生きることがあるかもしれない」

 隣に座る高砂の尻尾がパタパタ揺れている。表情に出ずともワクワクしているのだろう。

「そうだとしても嫌です」

「なぜ?」

「直属の教師に自分の恥ずかしいところを見られたくないんです」

「恥ずかしいのか?」

「だって書院に入学してから数年踊っていないんですよ。周りについていけてなくて」

 任された日から練習を重ねているが、やはり現役の踊り子との差は歴然としていた。体が鈍っているのもあるが、それ以上に感情の込め方などの機微がしっくり来ないのだ。

 それは最終幕の裕都と二人で踊る場面で如実に顕れており、動きがなぜかぎこちなくなってしまう。相手の誘導に合わせるので必死で、表現まで手が回らない。

 生半可なものを見せたくない。特に知人には。

 高砂はなんとでもない風に黒い瞳で見つめてくる。

「でも清那君は踊りが好きなんだろう?」

「それは、そうですけど」

 なぜ今好きとか嫌いとかいう話が出てくるのだ。

「大丈夫だ。好きという気持ちさえあれば表現として伝わる。自信を持っていい」

 無責任な発言だった。

 しかしその言葉に安心している自分がいた。

 芸術と学問はアプローチが違う。しかしこの類の教訓は万物に通じるのである。実際、相手はそれで研究の信用を勝ち取っている張本人だ。

 重ねて、今までの経験則、高砂という男は自分勝手で空気を読まないが、その代わり絶対に口に出す言葉を取り繕ったりしない。

 だからこの発言も、本心から言っているのだろう。

(たちが悪い)

 清那はなぜか悔しくなってわざと頬を膨らませた。

 高砂はいつもの肩掛け鞄から紙と羽を取り出し、何やら書き付けている。清那なんて目に入っていない。

 どろっとした珈琲から白い湯気が上る。

 やがて満足したように目を輝かせて言った。

「さて、上演日までに関連した書物を読み漁るとするか」

「だから観にこなくていいですから!」


 公演日の一週間前。

「裕都さんが怪我?」

 早朝、練習所で柔軟をしているところに母親の有砂が飛び込んできた。

 小麦色の巻き髪を揺らしながら、紅く塗った唇を開く。今は少々やつれているが、昔は美人と持て囃されただろうなと思わせる化粧だ。

「昨晩自主練で足を痛めちゃってね。お医者様がいうことには一週間は安静だって。でもうちに鳥族で褐色の男性って裕都くん以外にいないでしょう。どうしようかしら」

 母親の耳の裏からは淡褐色の羽が生えている。それは彼女のもともとの生まれが高貴だからであり、貴族崩れでもないかぎり、鳥族で身分が低い者は珍しい。

「いっそ鳥じゃなくするのは?」

「ダメよ。王の役は鳥族って決まってるんだから。清那には申し訳ないけど、もう他の劇場の役者さんにお願いするしかないかしら」

 他の劇場の役者を引き抜くとなると、仲介やらなんやらで煩雑な手続きがある。ただでさえ時間がないのだ、これ以上の手間はかけられない。

(褐色の鳥族か……)

 脳裏に一人の男が浮かぶ。

「待って」

 あれは踊り子でもなんでもない。しかし砂漠を歩き回っている影響かそもそも鍛える習慣があるのか筋肉はできているし、興味がないと行動しないだけで、研究が絡めば相当スペックが高い気がする。

 そしてこの劇はなんと言っても「民話」が題材だ。

 演技ができるかはわからない。とんだ大根役者かもしれない、が。

「ダメ元でお願いできる人、いるかも」

 母は目を見開いた。


「高砂と申します。清那さんの担当教員を務めさせていただいております」

 高砂が劇場に現れるなり、踊り子たちが沸き立った。清那は中身を知っているから呆れてしまうが、あろうことか話者対応時のうすら寒い笑みは女性陣に好評なのだ。

 そう、話者対応の笑みだ。

 千夜出身の踊り子の舞台を中から体験できる、と言ったら、文字通り尻尾を振って承諾してくれた。興味を持ってくれて助かったが、まさかうちの劇場内を研究対象にするつもりなのだろうか、実際そうなのだろうな。

「あらまあ、随分爽やかな方じゃない」

 あの悪魔の笑みに、人を見る目があるはずの母親まで好印象を抱いている。こうなると恐ろしい。

「隼人様と並ぶくらいかっこいいじゃん! 気品もあるし王にぴったりだわ!」

「声も渋くて素敵〜!」

「清那! なんでこんなイケメンが担当だって教えてくれなかったのよ!」

「えー……」

 仲の良い踊り子たちが口々に清那に囁いてくる。君たちが黄色い声をあげている相手は自分勝手で傲慢な学会の問題児だぞ、とつい言いたくなるのを堪えた。

「それで、踊りの経験はあるの?」

「お恥ずかしながら経験はないんです。こんな大役を仰せつかってしまい恐縮ですが、ご指導ご鞭撻をお願いしたく存じます。台本はすでに暗記しておりますので、そこはご心配なく」

 あまりにも慇懃な言い回しで白々しさまで感じてしまうが、暗記しているのは事実だろう。こと千夜の習俗のことになると人が変わるのはわかっている。

「うん。体幹もしっかりしているし、声も良い。これは期待できるわね。早速練習を始めましょう」


 少々高砂をみくびっていたかもしれない。

 元々体力があるのはそうだが、全く踊れなかったはずが数日でコツを掴み、客に見せても遜色ない仕上がりになってしまった。普段あんなに無表情なのに、演技になると違和感なく感情を作る。落ち着きのある低音は、歌に乗せると驚くほどの伸びを見せた。これには指導担当もご満悦である。

 学問の分野で天才なのはわかっていたが、あまりにも器用すぎる。素の舐め腐った性格さえ封じれば完璧人間になってしまうのではないか。逆だ、なんでもできるから傲岸不遜なのか。

 今日も深夜まで練習をし、清那たちは休憩室に戻って食事を摂っていた。役者から裏方まで一緒くたになって同じ釜の飯を食らうので、この部屋は一時的に宴会のような状態になる。

 清那は疲れ切っていたので、騒ぐ余裕がなく部屋の隅のソファに腰掛けてスープをすすっていた。暖かいモロヘイヤのスープは、冷える砂漠の夜に温もりをもたらしてくれる。汗をかいた体に、ニンニクの塩辛さが染み入る。

「隣、いいか?」

「どうぞ」

 高砂は静かに腰を下ろした。

 飛び入りの隼はあの薄ら寒い笑みで他の踊り子たちや裏方とも良好な関係を築けているが、流石に常時表情を作るのは疲れるのだろう。夕食になると能面を引っ提げて清那のところに来る。

「なぜ隼なんでしょうね」

 横で汁を口に運ぶ高砂に向けて、ぽつりと思ったことを呟いた。

「千夜の王族は狗族のはずでしょう? 王都で上演するのに無理やり設定を変えたとか?」

 高砂は少し考えた後、言葉を選ぶように語る。

「それもあるかもしれないが、民話や伝説は、要は伝言ゲームだからな。人に伝われば伝わるほど違いが出やすいんだ。それに、ただ亡国という設定を使いたかっただけで後世の創作の可能性の方が高い」

「そりゃそうですよねー」

 清那は愕然と肩を落とした。千夜国には王が二人いた仮説とか面白いな、と薄々思っていたが現実は意外と普通である。

 しかし高砂は自分で否定したにも関わらず、何か訥々と呟いている。

「でもそうか、炎の王は、いや、そんなことは……」

「なんですか?」

「なんでもない」

 論理を組み立てて話す高砂だ。思いついた説に確証がない場合、口には出さないのでそういうことなのだろう。

 しかし、なにを思いついたのだろうか。

 千夜王の名前さえ数人しか知らない清那には見当もつかなかった。

 

 本番の日。

 一週間ほどしかない練習期間だったが、なんとか完成まで漕ぎ着けた。全体を通して興行として見せられる仕上がりになったので、関係者全員でひとまず胸を撫で下ろした。中でも高砂の成長は凄まじく、細かな指先の動きまで完璧に熟せるようになっていた。

 問題はやはり最終幕、二人で踊る部分である。

 各々練習はしたが、合わせる練習は時間の都合上数回しかやっていない。いざ舞台に上がった時、何かやらかさないかと清那は心配でしょうがなかった。しかも、裕都と違い相手は初心者である。万が一の場合こちらがリードしなくてはならない。

 不安を募らせながら、舞台衣装に着替える。

 白冠の舞の特徴は流れるような旋舞だ。衣装もそれに合わせて、空気を含んで腰布がふわりと広がるような構造になっている。地面を踏んだ際音が鳴るように、装飾は金貨のような部品が鈴なりに実ったものだ。やはり夜職の衣装から発展したものではあるので、腹も腕も出ている。貧相な体つきが顕になり、かなり恥ずかしかった。

 舞台袖でソワソワしていると、他の踊り子と共に高砂がやってきた。普段砂で薄汚れた、動きやすさ重視の雑な格好ばかりしている彼だが、化粧をして舞台衣装に身を包むと本当の王族のように見える。男性も舞踏用の衣装は体の線がしっかり出るものになっているため、よく鍛えられた筋肉が浮き上がっていて、清那は柄にもなくどきりとした。

 歩みを進めるたびに、彼の長い帯が揺れる。

 落ち着いた動作は、そのまま王の威厳に繋がる。

 清那に気づいたのか、白髪を後ろで三つ編みにした高砂がこちらを見つめてくる。表情が読めない。

 何か言いたげに近づいてきたので、清那は目を逸らした。

「……どうせ、似合ってないとか、馬子にも衣装とか言うんでしょう?」

「いや、髪を下ろしている姿を初めて見たので少し驚いた」

「はあ」

 確かに普段は邪魔なため、編み込んでバンダナで隠している。

 それにしてもじっと見つめてくるので、清那は本番前のものとは違う意味で嫌に緊張した。

(まさかこの能面男、私に好印象を持っていたりするのか? よく考えたら年もあまり変わらないし、そもそも所帯を持っていないし……)

 ようやく、口を開いた。

「……千夜の巫女は案外こういう感じだったかもな。今度南方砂漠に行ったら絵図でも探してみるか」

「結局研究のことじゃないですか!」

 高砂はきょとんと首を傾けている。

 察しの悪いいつもの隼に、今までの緊張が全て吹き飛んだ。

「不安なのか?」

「今のでどうでも良くなりました」

 ぷりぷり怒りながら言うと、高砂は何が面白いのか、ふ、と一瞬吹き出し、

「心配しなくても、清那君は十分綺麗だよ」

 と、さらりと言ってのけた。

「えっ」

 思いがけない発言に、ギョッとして高砂を見る。黒い瞳はいつもの無表情に戻っていて、舞台の方向を見つめている。察するに、思ったことをそのまま言っただけなのだろう。

(それにしても、調子が狂う……)

 案内役の、通る声が劇場に響き渡る。

『それでは、天狼座太陽祭公演、炎の王と星の巫女を開演いたします』

 緞帳が上がる音がした。


   □


 炎の王と星の巫女最終幕。

 王宮の塔の最上階。炎の王の寝室。

 一番星が輝く頃、巫女は高塔の階段を登り、いつものように扉を叩く。

 照明が明るくなる。

 アーチ型の大きな窓の外には、満天の星が輝いている。

 炎の王は問う。

「星を司る巫女よ、私と踊ってはくれないか」

 炎の王は手を差し出す。勇気を出して人間を信じてみよう、その一心で。

 星の巫女は答える。

「ええ、喜んで」

 星の巫女はその手を取った。孤独な王を信じてみたい、その一心で。

 太鼓の音が空気を刻む。

 舞台袖で掻き鳴らされる弦に合わせ、大地を踏み鳴らす。

 体を揺らすたびに、ふわりと裾が舞い上がる。

 先程まであんなに不安だったのに、音に体を乗せた瞬間、言いようのない高揚感が迸った。

(楽しい)

 相手役と踊るのは苦手なはずなのに。

 自然に手足が動く。あんなに合わせるのに必死だったのに、そんなことは頭のどこからも消えていた。

一緒に踊る相手が高砂だというだけで、なぜか安心感があった。なにがあっても、この人なら静かに受け止めてくれる気がした。

高砂の長い三つ編みが、回るたびにしなる。

 二人で踊る時、大切なのは踊りの技量ではない。相手を信頼する気持ちだ。

 清那はもう知っている。高砂はいつも真摯に物事を捉えていることを。

 清那はもう知っている。高砂は嘘をつかないことを。

 好きなものに対して、決して手を抜かないことを。

 だから、彼の踊りにもそれが滲み出ている。堂々と、自信を持って舞台を踏み締める。

 そんな高砂だから、清那は信じることができた。

(先生が拓く世界を)

(私も一緒に見てみたい)

 完全じゃなくても。

 後世の創作だとしても。

 消されてきた歴史を、砂に埋もれたあの国の姿を。

 今この瞬間に再現しよう。

(貴方となら、それができる気がするから)

 繋ぐ手から体温が伝わる。

 呼吸を重ねて、夢を見る。

 黒い瞳と目線がぶつかる。その眼差しは優しい賢王そのものだった。

『星明りを灯し、炎を灯し、共に千の夜を照らそう』


    □


 緞帳が降りて舞台袖に捌けるなり、母親に抱きしめられた。

「すごく良かったわよ!」

 母の香油の香りに包まれる。緊張が解けてどっと疲れが来た。

「最高だった!」

「清那も高砂さんも、マジで本物見てるみたいだったよ!」

「私泣いちゃった!」

「清那ァーー! よかったぞおおおおー!」

 猪のような勢いで父親が抱きついてくる。

「やめてよ髭が痛い!」

 高砂は関係者にもみくちゃにされる清那を離れて見ていた。

 その目線が少し寂しげに見えたのは、清那の思い違いだろうか。

 そう思ったのも束の間、高砂は一瞬震えたかと思うと右腕を抑えた。

「う……」

 苦しげな唸り声と共に、長身が地面に落ちる。

「高砂先生⁉︎」

 清那は居ても立っても居られなくなり、急いで駆け寄る。

 高砂は呼吸をするのも困難だというようにヒューヒューと浅い息をしている。額には玉のような汗が浮かび、整った顔は苦悶の表情に歪む。

「これ、何……?」

 踊り子の一人が、高砂の腕を見て言った。

 必死で抑えている右腕が、石油のように黒く変色している。みるみるうちにそれは固まり、まるで蛇の鱗のようになっていく。

 変化は指先まで及び、四角い爪は獣のように黒く鋭く尖り、もう明らかに人間のそれではない。

 化け物の、それだ。

 清那は照耀国の神話に出てくる悪神を思い出した。

 千夜の神。王家に取り入り、多くの生贄を欲し、人間を使役し、戦いを引き起こした原因。

 穢れた、黒い蛇。

 千夜の人間が、蔑視される原因。

「すぐ医者を……」

 誰かが言った瞬間、高砂が被さるように叫んだ。

「呼ぶな!」

 今まで聞いたことのないような強い声だった。

 その怒声に周囲は水を打ったように静まり返る。

 流石に分が悪くなったのか、弱い声で、無理やり笑いながら高砂は唇を動かす。

「いや……持病の対処は自分でできますから、おかまいなく」

 最後の力を振り絞ったのだろう。そのまま、眠るように気を失った。

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