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轟音が空気を揺り動かす。
遠くで山が崩れた。
地平線まで砂に塗れた西方砂漠と違い、中央砂漠には岩山で構成された地形も存在する。その起伏に埋もれるようにして千夜国の遺跡が点在しており、この遺跡もその中の一つだった。
栄華を極めていた頃にはさぞ大きな神殿だったのだろう。石灰岩を丁寧に積み上げて作られたその遺跡は狂いのない四角錐を描き、天翔る星の運行に沿うように配置されていた。しかし、そのことを知る者はもう殆どいない。
轟音が神殿を包み込む。
それは一瞬の出来事だった。砂煙が立ったと認識したその次の瞬間、かつて鏡のように磨かれていたであろう白亜の建造物は、見る影もなく礫となった。
轟音が爆風を呼び起こす。
見届ける人々は、爆発という概念を今ここに思い知った。堅牢な神殿でさえ、技術の前には砂上の楼閣である。恐怖でその場に崩れる者さえいた。
眼前の光景はこれでもかと示している。
人間こそが神と。
古の神殿が見渡せる岸壁の上には、隼の青年が立っていた。青年はその柔和な顔つきにおよそそぐわない、無骨な甲冑を纏っている。背には、身長よりも高い槍。
青年には片腕がない。
しかし、そのような「欠け」は欠点にならないほど、青年は完璧を体現していた。黒い肌は傷ひとつなく滑らかで、生命力に満ちている。きっちりと編み込まれた白い髪は、墨を含んだように先が黒く染まっている。
兵士が一人、青年に共をしている。兵士もまた隼の一族だった。
「呆気ないものですね」
目の前で起こっていることの規模に対し、青年はあまりにも無感動だった。
災害の如き轟音にも、眉ひとつ顰めていない。
「まさかこれほどの威力とは……苦労して風早国から仕入れた甲斐がありました」
一方、兵士は爆発の度に身を震わせていた。頬には冷や汗が滴り落ちている。
青年はその様子を憐れむことも呆れることもしなかった。ただ人間はそういうものだと認識しているだけ。
その黒い肌を、熱風が擦り去っていく。
「火薬の作り方は伝わってきていますか?」
「いいえ。流石に国の保有戦力を左右するものですから、製法は無理でした。現在朱鷺書院に解析を依頼しております」
「そうですか。砂漠化の状況は芳しくない。急ぎだと伝えておくように」
「御意」
やがて、爆発は止んだ。
しかし青年は、折り重なった神殿の遺骸から、目を離すことはしなかった。
沈黙に業を煮やしたのか、兵士は青年に問うた。
「隼人将軍」
「なんでしょう」
やっと青年は兵士の顔を見た。
柔和に垂れた目を縁取るように濃紺のアイシャドウが引かれている。砂漠の国の王子という身分に違わぬ顔貌だった。
「砂漠化とこの兵器との関連性が見出せないのですが。近く戦争があるわけでもないでしょう」
「戦争はありません、が。使う予定はあります。聞けば、この兵器はかの国では化物退治に使われているとか」
「化物なんて、空想の産物でしょう。箔を付けるために言ったに違いありません」
「そうですね。私もそう思います」
青年は、張り付いた笑顔で、まるで歌でも歌うように朗々と答える。
「しかし、我が国には事実として脅威があるのです。我々は用意しなければいけません。砂漠を照らす総ての星が揃う前に」
しかしその瞳は塗りつぶしたように黒く、決して笑っているようには見えなかった。
□
清那たちは西方砂漠の調査を終え、朱鷺書院がある王都白冠に戻ってきた。
白冠に着くなり高砂は次の調査の準備にあたると言って研究室に籠ってしまい、以降連絡が途絶えた。放り出された清那は仕方なく教室と寮を往復し論文の書き直しに当たった。高砂は変に学会の主論に寄せず、千夜を主題として論文を書いてもいいとお墨付きをくれたので、その点に関してはありがたかった。
大学側から通知が来たのは、一週間ほど経ってからのことだった。
寮から直で高砂の研究室に向かうと、部屋の主は机の上で頭を抱えていた。
「……やられた」
書物の隙間から呻きが漏れる。
抱えた堅い手を顔まで下ろした。ちょうど頬を覆うように。
カーテンを閉め切った部屋は埃臭く、空気までもが沈澱しているようだった。
清那の記憶の限りでは、高砂は自分の城を一寸のずれもなく整理整頓するタイプの人間だったはずだが、今日に限っては嵐の一過を思わせる様相だった。
「寝不足ですか? 駄目ですよ体に気を遣わなきゃ」
高砂は目線だけ清那にやった。
「俺がそんな不摂生をするわけがないだろう。もし体調を崩すとしたら対外的な理由しかない」
「じゃあなんですか、その向かうところ敵なしの高砂大先生をげっそりさせる程の対外的な理由って」
「中央砂漠の遺跡が破壊された」
上げた額の眉間には、深く皺が刻まれている。
清那は今朝の通学路を思い出した。あまり待遇の良くない女子寮と大学は少し距離があり、日干しレンガの四角い建物を縫って研究棟に向かう。その道中、中央通りの道端には王の触れを民に伝令する使いがいる。今日伝使が叫んでいたのは確かにその件だった。
「ああ、聞きました。確か軍事演習をしたんですよね」
城攻めの演習のために、千夜の城跡を使用したとのことだった。清那も思うところがないわけではないが、王国軍にとって千夜とはその程度の価値しかないのは常々感じているため、慣れてしまい別段取り乱すことでもなかった。
「あれは口実だ。あれは……あんなことしてもしょうがないのに……」
高砂は餌を求める魚のようにぱくぱくと口を開けてつぶやいている。まだ学生の清那などよりもこの系統の憂き目には散々遭っているだろうに。研究分野に関しては思っていたより繊細な人間なのだろうか。
「失ったものを嘆いても現実は変わらないでしょう。それなら一言でも多く話を聞きに行った方が良くないですか。ほら、しゃんとしてください。明日から中央砂漠に……あっ」
向かうのは、例の中央砂漠の遺跡近辺の街ではなかったか。
「君は察しが良いのか悪いのかどちらなんだ」
高砂はため息をつきながらのっそり立ち上がると丸まった背中でカーテンを開けた。
差し込んだ朝の光で、埃が白く浮かび上がる。
それと同時に反対側の戸も開いた。
「ん?」
ノックもなしで入って来たのは、明星だった。
「サゴちゃん元気~? ……はなさそうだね珍しく」
「明星先生! お久しぶりです」
「清那さんは元気そうでよかったよ」
不機嫌極まって逆に能面のようになっている高砂とは裏腹に、明星は朗らかだった。
「何の用だ」
ずけずけと入ってくる背の高い男に、高砂は眉間の皺を深くする。
「一つ、頼まれてくれないかな」
明星は気にした様子もなく、乗り出すように高砂の机に腰をかけた。
「もうすぐ太陽祭だ。今年歴史学部は写本の展示をすることになってね。でもうちの学級の生徒は写本を作るのに手一杯で、肝心の内装が全然出来上がってないんだ。目の前の隼が一匹ほど、砂漠旅行のついでに買い物を済ませてくれたらなんて嬉しいだろうと思ったんだけど……」
そういえばそんな時期だった。
照耀国の暦は威照河の氾濫を基軸に作られている。
増水期を新年として、威照川の水位が下がると播種期、そして作物が実る収穫期の三つの季節で構成されている。
季節が変わるごとに色々な祭りが開催されるが、その中でも一番大きいものは増水期の始まりに開催される太陽祭だ。一年の豊穣を希う祭で、この時期はどこの街でも開催される。
王都である白冠の街は特に太陽祭一色になる。メインの催事として、河向こうの陽射の街から神像を乗せた船神輿が出発し、周辺都市に立ち寄りながら白冠最大の神殿、隼日神殿に到着する太陽船神事が行われる他、各商店やバザールなどがこの時だけの屋台を出店し、劇場や酒場でも特別な公演が行われる。このお祭り騒ぎに乗じて朱鷺書院でも学部ごとに催し物を開催するのが通例なのだ。
白髪の隼は、観察するように巻毛の隼をじっと睨んだあと、顎に手をやって一言発した。
「手伝おう」
「え?」
「何を驚いている。お前から誘ったんだろう」
「いやあ、どうせ断られると踏んでいたから」
「諸事情で調査日程に穴が空いたんだ。やれることはやるよ」
明星は黒目をまん丸にした。
「ありがとう。じゃあ早速バザールの方に買い出しを頼むね。これに買う物が書いてあるから」
満面の笑みで手帳を切り取ると、高砂に突き出した。苦々しげに奪い取る。
明星は、僕は現場監督の仕事があるから、と言って研究室を後にした。なにぶん愛想がいいので仕事が多いのだろう。
「こういうこと嫌がると思っていました」
「相互扶助だ。調査が封じられた以上、どうせ暇だし手伝っておけば借りができるだろう。なんだその目は」
「別に〜」
損得で人間関係を構築するにも程がある。それを丸出しにするのも品がない。そんな風だから老獪たちに嫌われるのだ。
逆にいえば素直なので、常に気を遣って生きている明星のような人間にはないものねだりで好かれるのだろうが。
「清那君」
「はい」
「俺は大学の展示に参加したことがないんだ。教えてくれるか?」
「そこからですか!」
白冠のバザールは周辺諸国でも最大の規模を誇る。
街の中心に位置する巨大なドームの中には、各種商店のほか、劇場や酒場も備えられており、一大遊興施設になっていた。増築が重ねられた建物の中は店がひしめき入り組み迷路のようになっており、薄暗い店内の高い天井からは、色とりどりのランプがぶら下がっているまるで別の世界に入り込んだかのような空間設計だ。流石先代王隼玉王が戦勝記念に手ずから財を投じ作った施設という感慨を抱く。
バザールには貴族、貧民関係なく人が出入りしているほか、明らかに照耀国の出身ではない顔をした人間たちもちらほら見受けられる。各国の貿易の中心でもあるのだ。
清那は明星に突きつけられた買い物メモを睨みながら、商店を吟味する。明らかに俗世に疎そうな高砂よりは物の値段を識っていると考えてのことだった。
椰子の葉のように絨毯が垂れ下がる店の前で、清那は太った男と向かい合っていた。
「大将、もうちょっと頑張れる?」
店主が提示してきた金額は定価より少し高い。展示会場に使うような大きいものになると買う人が限られてくるため、普通より値が張るのだ。
「ここいらじゃこんなもんだよ。今時こんな絨毯買うのはお貴族様くらいだからね。学生さんが買うのは珍しいんだ」
猿の尾の男は潰れた喉で言う。長年呼び込みをし過ぎて枯れたのだろう。
「え〜、本当に無理?」
「これ以上は下げられないね」
「しょうがないなあ」
したり顔で言う赤ら顔の店主を睨みながら渋々財布を出そうとした時、後ろで店内を観察していた高砂が乗り出してきた。
「店主、聞きたいことがあるんだが」
「はいよ」
「この絨毯、純粋な羊毛だけでなく綿が混じっているだろう。これでは目の肥えている貴族には売れないし、混合糸にしては高すぎる。よくわかっていない庶民が来ない限り、在庫として肥やしになるぞ。値段を変えた方が得策ではないか?」
淡々といつもの口調で語る高砂に、店主の顔が青くなっていく。本人は普通に喋っているだけなのだが、こうなっている時の高砂は静かな迫力がある。慣れていないともはや脅しに近い。
「さ、流石学者先生は違いますねえ。ええ、ええ、私も混合糸だとは思っておりませんで、教えてくれたお礼に、そうですね、ええ、半額でご提供いたしますぅ……」
実際ぼったくろうと画策しての値段設定だったのだろう。店主のつるりとした額には玉のような汗が浮かんでいた。
「当然のことを指摘しただけだ。それでもまあ、ありがとう」
一回り小さくなった店主の手に、高砂は先ほどの半分の貨幣を乗せる。丸まった絨毯を抱え、軽く一礼をして店を出た。
店の奥で小さく呻く店主が少しかわいそうだった。
「よく分かりましたね。縦糸と横糸の材質が違うならまだしも、そもそも混合糸の違いなんてパッと見で判断できないです」
「一人暮らしだからな。品の甲乙と値段の交渉くらい自然と身につく」
「えっ……てっきり貴族のおぼっちゃまだと思ってました」
強大なバックボーンがなければ、出世できない学問なんてできるはずないのだ。しかも、そういう家は大抵召使がおり、よほど変人でない限り自力で生活する術など知らない。
「実家には随分前に勘当されたよ。元々政治家の家だから、歴史学に進むなんて許せなかったんだろう」
別になんとも思っていない風に言う。
「まあ、俺のやりたいことは庶民の暮らしを記録することだからな。自分で生計を立てた方が、話者の方たちと同じ目線に立てて良い」
実際それで好きな学問をできているんだから文句がないどころか好都合とは末恐ろしい男である。商人の娘なのに目利き一つできない私の方が少し惨めに感じてきた。
(待って。じゃあその研究費はどこから?)
金にならない学問には、研究費など雀の涙ほどしか落ちないはずだ。
ふと過った疑問でひそめた眉に露ほども気づかず、高砂は翻した。
「今ので少し金が浮いたな。休憩がてら珈琲でも飲みに行こうか」
「あ、ちょっと待ってくださいよ!」
歩き出した高砂を追おうと、整然と敷き詰められた石畳を踵で叩いたその時だった。
にゃあ。
どこからか、猫の鳴き声がした。
「?」
振り向いても薄暗い喧騒が広がっているだけ。
「どうした?」
「いや、気のせいです」
にゃあ。
再び歩き出そうとすると、雑踏を押し除けるようにもう一度鳴く。先ほどよりも強く。
にゃあ、にゃあ。
今度は方角まで判別できた。先ほど出てきた絨毯屋の脇の路地からだ。
呼ばれている、そう思った。
「高砂先生。少し回り道していいですか」
広い背中に投げかけると、くすんだ白髪が翻る。
「構わないが」
清那は居ても立ってもいられず、ずんずんと路地を進んだ。
その間にも、縋るような鳴き声は大きくなっていく。逸る清那に構わず、市場の人々は何もないとでも言うように日常を過ごしている。高砂も怪訝な顔をして後を追う。
垂れ下がった数多の天幕を抜けた先。商店と商店の間に挟まるようにして、小さな祠が踞っていた。
石灰岩の石組みのようだが、不思議なのは並行屋根の上に猫のような耳が生えている。それだけではない、夥しい数の猫の形をした甕が周囲に屹立していた。
ステンドグラスの天窓から差し込んでいるのか、極彩色の光が猫の祠にかかり浮かんだ埃を映し出す。
まるで夢の中のような光景だった。
「見たことない形式の祠ですね」
清那は子供の背丈ほどの祠を撫でた。誰も手入れをしていないのだろう。ところどころ禿げてヒビが入っている。
「これは……猫塚か?」
「猫塚?」
猫の甕を一つ持ち上げて、高砂は言う。
「千夜国では猫を神聖な動物と考えていたんだ。猫が死ぬと、人間と同じように木乃伊にして埋葬する。この甕は木乃伊にするときに不要な内臓を入れるためのものだ。しかしなぜ白冠のバザールの路地裏に……?」
千夜国の遺産が照耀国の建造物の中にあるのは絶対におかしい。千夜国の遺跡をおもちゃのように破壊する王が、わざわざ自分の建てる市場の中に祠を作るはずがないのだ。
清那が目線を下げると、ふと、祠を護るように置いてある一体の猫の像が目に入った。
金色で着飾った黒い猫の像は、片耳が欠けて地面に落ちている。
何気なく手にとる。欠損部分に落ちていた耳をはめた。石の感触は思ったより温もりがあった。
気のせいだが、猫の目が少し細まったような気がした。
ちょうど笑っているかのような。
「清那君。気にはなるがそろそろ時間だ。珈琲を飲む時間がなくなる。行くぞ」
清那が振り向くと、高砂はすでに祠に背を向けていた。
「はい!」
天幕を腕押しする高砂に声を投げる。
清那が立ちあがろうかと思ったそのときだった。祠の方からまた鳴き声が聞こえた。
それは確かに言葉を形成して。
「やっと、みつ、けた」
小さくも力強い声だった。
子供の声に似たそれを、清那は随分と昔から知っているような気がした。