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後日談 さよなら、私の天狼星

 石畳で寝る感覚を、まさか自分が味わうとは思わなかった。


 頬に当たる夜の地面は積もる砂でざらついて、ともすると痛みすら感じる。もはや布としか言いようのなくなったボロボロの外套にくるまり、丸く体を縮める。しっかりと包み込めども長い足を隠すことはできず、皮のむけた褐色の素足は地面に放り出されたまま。

 片方の耳は地に、もう片方は空に。どちらからも響き嫌でも聞こえるのは路地の喧騒。目は閉じられど、耳は閉じられないのだ。


 かつて隼人、と名乗っていた。


 王国の黄金期を彩る「王子様」だった。右腕の欠損ゆえに王位こそ継承していなかったが、前王の造り上げた栄華をそのままに、豊かな国土を舞台として政治を、軍事を、宗教をほしいままにして振る舞った。絶世の美貌は武器だ。男も女も、一度微笑めば自分の手中に簡単に収めることができた。


 そんな折、天災がこの国を襲った。

 隼人は自らの首に刃を落とした。災いの責任を負って退陣、という形で。

 そう、隼人という名の将軍は、天災の名残が薄れていくとともに「死んだ」。


 嘆くことなかれ。それはとうに予測されていたことで、自分にしてみても待ち望んだ解放ではあったのだ。三百年、虚しさと共に賢者の再生を待つ日々の終わり。王であるべき人に王権を渡す、その架け橋を担っただけ。

 元々、自分ではない他人の記憶に支配されて生きてきたのだ。その呪いを解くことになんの感慨も覚えなかった。


 しかし、三百年前の過去の亡霊というくびきを取り除いた「僕」に残ったのは、隼という身分を剥奪された、竜のなり損ないの姿だった。


 つまるところ戻ってきた右腕と引き換えに、鳥族ではなくなってしまったのだった。耳は尖り、腰骨からは蛇の尾が伸びる。特徴的な銀色の髪は黒に染まり、金色の瞳には鋭い瞳孔、犬歯は慣れない牙になった。ともすると合成獣(キメラ)の兄よりありし日の「あのお方」に近いかもしれない。

 鳥から爬虫類への転落。この国の差別は強固で、いまだに爬族は暗殺者集団の末裔だなんて言い方をされる。顔の造形自体は「王子様」の頃と何も変わりがないのに。


 ふと、自分の目の前で足音が止まった気がした。

 目を開けるのも億劫で、眠りに落ちていく意識を止めぬまま体を地面に沈めていった。それがなんだか柔らかい気がしたが、深い眠りが覚めることはなかった。



 ***



 風の音がしない。砂の匂いもしない。

 部屋の中にいる、と思った瞬間に声が降ってきた。


「普段なら道端で伸びてる人間なんて拾わないんだけどね」


 澄んだ女性の声に、慌てて起き上がる。


「……ッ?!」


 そこまで広くない部屋。一つしかない寝台に寝かされていた。どうやら声の主のもののようで、花の香りがする。一晩占領してしまっていたらしい。


(踊り子……)


 一目見てわかった。愛くるしい声の主は豊かな黒髪にまた可愛らしげな顔を持っていた。ずっと伸びた腕には程よく筋肉がついており、貧民街の娼婦にしては品がある。踊り子、の中でも貴族も出入りするような高級劇場の踊り子だろう。


「お、起きた? じゃ、あたしの自己紹介からしちゃおうか。甘夏(あまな)って言うの。知らない? ケッコー有名な踊り子だったんだよ」


 くるくる変わる表情に釣られて、大きな黒犬の耳が動く。間違いなく千夜国にルーツを持つ人間だ。


「だった……?」


「踊れなくなっちゃったの」


 甘夏は犬耳をしゅんと伏せた。


「目標にしてた人が、いなくなっちゃった。ま、そんなことはどうでもいいの。とにかく、碌なもん食べてないでしょ。これ麦粥だから、空腹のお腹にも優しいと思うし」


 ぐい、と匙の入った銅の器を渡してくる。しっかりとした劇場の踊り子にしては簡素な器。ここは稽古小屋ではないようだし、まさか女一人で暮らしているのか。

 何はともあれ、空腹なのも事実だ。深く考えずに器を受け取った。


「ありがとう……ございます」


「君、いいとこの出でしょ。貧民街でちゃんとお礼言える人あんまいないよ」


「……」


 鋭い。やけにキラキラしている瞳からも察するが、頭が回る方らしい。


「話してくれないんだ、まあいいけど」


 少し気まずくなって、麦粥に口をつける。味が薄いが、かすかに塩味を感じる。川魚をほぐしたものが入っているあたりしっかりと手間をかけて作ったものだろう。まさか、僕のためというわけはないと思うが。


 味が薄くてもここ二、三日大した食料を摂取していない腹にはあまりにもごちそうで、品がないのも構わずものの数分でぺろりと平らげてしまった。


「ごちそうさまです」


 ピカピカに空になった食器を返して、部屋の奥の扉に向かう。


「お、行っちゃうの?」


「ずっとお世話になっているのも悪いですし」


 そう言うと甘夏はにい、と笑顔を作った。


「いってらっしゃい!」


 まるで、夫を送り出す妻のように。

 その眩むような輝きに、少し心が躍ったのは表に出さないようにした。



***



 幸い今は農閑期だった。日雇い労働者には良い季節だ。農閑期は威照河(いてるがわ)の水かさが増え田畑が水浸しになる。そこで世話をする作物がない農家の担い手を招集し、大規模な工事を行う現場が増えるのだ。


 今日は隼南王(じゅんなおう)の墓の外壁作りだった。書類をめくって日々を過ごしていた細い体は、肉体労働には向いていない。ひたすら石灰岩を引き、積み上げる作業。何度も倒れそうになったが、なんとか歯を食いしばって耐えた。


 坂の途中、半分ほど積み上げられた正四角錐の建造物を見つめる。

 実の妹の墓を作るというのは不思議な感覚である。前の自分は指揮する側、というか最終決定権を下す側だったんだな、と思った。あの埃ひとつなく磨き上げられた宮殿の中から。


 強い太陽光線に目を細める。

 まさか自分の選択に寂寥感が伴うとは、「王子様」を辞めたときにはゆめゆめ思わなかった。

 岩を引っ張る綱が肩に食い込む。もうあの場所には戻れないということが、いやでも突きつけられた。


 自分で捨てた地位。解放されたくて仕方がなかった地位なのに、その後のことは何も考えていなかったのだ。

 何をすればいい。今はただ、岩を運び続けるしかなかった。



 ***



 掌に乗せた硬貨を、一枚ずつ数える。寝宿を取るには銭が足りず、結局甘夏のところに戻ることになってしまった。

 甘えるのは良くないと自分でも思いつつ。


「申し訳ありません、帰るところがなくて、今夜も……」


「おかえり〜!」


 なんてことはない。甘夏は弾けるような笑顔で迎え入れた。


「これ、バザールで買ったの! すごく美味しいんだよ」


 回転焼きの肉とレタスが皿に盛り付けてある。香辛料の良い香りに自然と腹の音が鳴る。自分が帰ってくるのがわかっていたのか、元々その量買うつもりだったのかわからないが、二人分用意されていた。


「いただきます」


 確かに美味しい。粗雑で癖のある香辛料は、宮廷ではまず食べられない味だった。


「ねえ、いつまでもキミじゃよくないからさ、名前教えてよ」


「名前……」


 口の中でつぶやく。そういえば今まで名乗るような機会がなかった。日雇いも名前の登録はいらないし、そもそも考えていなかった。


「名前なんてありません」


「じゃ、私、つけるよ?」


「どうぞ」


 甘夏はわざとらしく顎に手を当てて考え込む動作をした後、笑顔の花を咲かせた。


高人(たかひと)! たっくんって呼ぶね!」


 先ほどの動作は振りで、前々から考えていたのだろう。やけにはっきりと口に出した。


「そんな、貴族の名前なんて……」


 実際に気にしているところはそこではなかった。


 その語の組み合わせが示すもの。それは彼女が僕の正体及び肉親を確実に知っているということ。


(なぜ、僕を……)


 生きているうちに体表に出てくる種族が変わることがあるなんて話、聞いたこともないはずなのに。


「たっくん、知り合いの学者先生によく似てるからさ、その人から一字頂戴したの」


 そう自慢げに言う甘夏を見つめながら、僕の頬には冷や汗が流れ落ちた。

 歓楽街の踊り子とも深い縁があり、尚且つ彼女らに尊敬されている学者として、思い浮かぶのは一人しかいなかった。


 僕の兄だ。


「似てる?」


 別に長く一緒に暮らしていたわけでもなし、兄と僕が似てると言われたことは一度もない。無骨でそっけない兄は、どちらかといえば華やかな隼人将軍と印象が真逆のはずだ。


「似てるのよ。真面目すぎて融通効かないとことか」


「そんな風に見えますか」


「うん。あと、不器用かな」


 甘いマスクとは裏腹に、冷酷でなんでもそつなく熟す、というのが隼人将軍の評価だった。この評価も外見が変わったから訪れた変化のひとつなのか。いや、そんなわけはない。


「……初めて言われました」


「それは嘘」


 その目線、背中に寒気が走った。


 この女は、僕の、いや隼人将軍の何を知っていると言うのだ。僕と踊り子の接点として考えられるのは半年前の星渡(せと)祭だが、あの時も主催者以外の個人とは特に関わっていないはず。


「前にも言われたことあると思うよ」


 甘夏の謎めいた目線がやけに胸に刺さった。



 結局それから四日ほど、彼女の家に世話になっている。最下層の岩引きに渡される悪銭ではとても暮らしていくことはできない。いや、もとより筋骨が整っている肉体労働者となれば話は別なのだ。僕のように非力だと、裁量労働制という実情、食べていくのがやっとだった。この国では、身分も体力もない者に、真っ当に生きていく資格は与えられないのだ。成り上がろうにもこの現状では、文字を学習する機会すらないだろう。


 しかしそれでも僕は耐えた。帰ると彼女が家で待っていると思うと、仕事に行くのも楽しいように思えた。

 もちろん良くないことだとはわかっている。



***



 今日も明け方ごろ起きて、出立の準備をしていると、甘夏が腰布を引っ張って、布団に引き摺り込んできた。


「ちょっと、何やっているんですか? 早く行かないと……」


「今日は仕事行かない!」


 枕に埋めた顔から、イタズラっぽい笑顔が覗いている。


「なんですか、急に」


 その細められた瞳にぐらりと心が揺らぎそうになるのを必死で止めた。女性の誘惑なんて、すでにもう形骸化されて面白いものでもなんでもなかったはずなのに。


「もう五日も仕事しに行ったでしょ、息抜きしなきゃだめだよ」


「ええ……」


 甘夏は僕の額を指でとんと突いてきた。不意打ちに体が傾く。


「何? こんなふらふらしてるのに、仕事行く気?」


 実際そうだった。槍くらいしか振り回していなかった体に急に岩引きをさせたのだ。腰や肩に留まらず全身が悲鳴を上げている。


「でもそれでは……仮住まいさせていただいているのに……申し訳なく……」


 ゴニョゴニョ濁していると、甘夏は眉をひそめて口を尖らせた。


「そんなことよりさあ、アタシだって、また道端で倒れられたら嫌だよ」


「うっ……」


 甘夏は寝台から飛び起きて、鼻歌と共に部屋の隅に山積みになっている衣服を漁り始める。


「どこかに行くんですか?」


「もちろんアレに決まってるじゃん」


 お気に入りの一着なのだろう。甘夏は白いワンピースを胸に当てながら、くるりとこちらに向き直った。


「太陽祭、行こうよ」



 ***



 太陽祭。この国で一番盛大な新年祭。

 自分も神官として毎年参加していたが、庶民の目線で見たことはなかった。この期間は机上での運営と、儀式の練習に追われ、どちらかというと緊張と憂鬱の中過ごしていた印象がある。


 太陽が高くきらめく中、隼玉王(じゅんぎょくおう)のバザールにやってきていた。僕の父自ら建てた市場であり、王都で一番大きな貿易拠点でもある。


 そちらこちらに屋台が出ていて、身動きが取れないほど人間がひしめいている。強い香辛料の香り、香水や花の甘い香り、そして人間の汗の匂いが混じり合って混沌とした空間を生み出していた。


 甘夏は瞳をキラキラさせながら、アクセサリー屋に走って行った。追いつくのがやっとだ。


「ねえ、たっくん! この髪飾りかわいくない?」


 睡蓮を模した髪飾りを頭に当てた。紫色の大きな睡蓮が、甘夏の強く可愛らしい顔とよく似合っている。


「あっ、えっと……」


 どうしてもしどろもどろになってしまう。


 綺麗です、美しいです、雨上がりの砂漠に咲く華のようです。以前ならすらすら出てきた女性を褒める言葉が、喉の奥につかえて中々口から出てこなかった。口に出した途端、どんな言葉も軽くなってしまうような気がした。


「もー、嘘でも褒めなきゃ凹むよ!」


「そんなことは……甘夏さんに、よく、似合っています」


 今の僕には精一杯の言葉だった。

 このような反応では不十分だろうに、予想に反し甘夏は満足げに微笑んだ。


「店主〜、これください!」


 彼女の屈託ない笑顔に笑顔で返した店主は、手際よく勘定を済ませる。甘夏は早速犬耳の下に花を挟み、スキップしながら店を後にする。


 去り際に店主に背中を叩かれた。甘夏に聞こえないよう、小声で囁かれる。


「頑張れよ、にいちゃん」


「あはは……」


 後ろ手を振る。

 余計なお世話だ、と思いながら苦笑いをした。



 ***



 それからは、盛大な太陽祭を隅から隅までまわった。

 屋台のご馳走。とろけるような甘味。普段より少し値が張るであろう日用品。祭に併せて作られた、護符や装身具。

 いつの間にか、夕闇が迫っていた。

 闇の落ちてきたバザールは、代わりに吊り下げられた大量のランプの光で煌めいていて、幻想的な雰囲気を醸し出していた。


 ふと、思う。

 この祭、果たしてこんなに美しかったであろうか。


「はー、美味しかった!」


 パンパンになったお腹をさすりながら、甘夏は恍惚とした表情を浮かべる。水煙草の煙が燻るレストランの中で、彼女の表情は甘く揺らいで見える。


「いいんですか、こんなにご馳走になってしまって」


「いいのいいの!」


 そもそもこの店に入る前だって目についた屋台飯を手当たり次第食べていたのだ。すでにヒモでしかない自分が言うのも変だが、申し訳がなさすぎる。大体、彼女が大スターだったとしても、現在は無職に近いのだ。


「なぜ、僕にこんなに良くしてくれるんですか」


 その質問に、甘夏は少しだけ眉をひそめて、言いづらそうに口をへにゃりと曲げた。


「ん〜、まあ、そう……そうね……あ! デザート来たよ!」


 上手くかわしたと言うべきか。彼女はやけに大ぶりな動作でマアムール(バタークッキー)を受け取りそそくさと頬張った。


 言いたくない理由など、見当がつかなかった。



 ***



 店を出て、家に帰る途中の路地裏。

 少しだけ開けたそこで、彼女は立ち止まった。


「ねえ、今日なら行ける気がする」


 大通りの明かりが漏れている。

 喧騒が、遠くから聞こえる。

 彼女が何をしようとしているか察して、僕は固唾を飲んだ。


 スラリとした脚が、積もった砂にステップを刻み出す。

 腰をくねらせて、髪を靡かせて。

 音楽はない。

 されどその足運びに、指先に、リズムが乗っている。

 乾いた砂漠に、華が咲く。


 確かに彼女が一世を風靡した踊り子だということが、嫌でもわかった。しかし、何かが足りない。具体的に指摘することはできないが、何か大切なものが欠けている。


 そう感じた瞬間、ふらりと彼女の体が地面に崩れた。咄嗟に受け止める。


 甘夏の顔は蒼白で、脂汗が滲んでいた。


「無理に踊らなくても……」


「私にはこれしかないの!」


 今にも泣き出しそうな表情だった。


「そんなはずないでしょう」


「ないの、ないのよ……私はね。踊りだけしかしてこなかったから、踊りだけしかわからないの……」


 いよいよ涙がこぼれ落ちてくる。褐色の頬をボロボロと濡らしていく。


「隼人将軍が失脚してから、何も、踊れないの」


 息を呑んだ。なぜ、なぜ僕の名前が出てくる。


「ねえ、隼人将軍」


 甘夏は腕でゴシゴシと涙を拭うと、真っ直ぐに僕を見つめた。


 睨むような、目で。


「私の、戦友だったのに、なぜ将軍を、やめたの」



 □



 唐突に思い出した。


 何年前だか、正確には覚えていない。いつかの、太陽祭。毎年宵山に行われる催し、建国神話の再現劇、その最終幕前。千夜国の悪神を和隼王(にぎはやおう)役の僕が倒す、そういった公演だった。


 三百年、同じ日々の繰り返し。


 この祭の劇だって、もう数えきれないほど経験していて、公演の度に精神が削られるような感覚に襲われていた。


 前幕が終わり、少しばかりの休憩時間。僕に許された、あまりにも短い安息。

 舞台裏にひっこんだ僕の前にいたのは、装った踊り子の姿だった。


 目が腫れて、少し舞台化粧が落ちている。何があったのか知らないが、何かから逃げ出して、ここに迷い込んだのだろう。

 イランイランだろうか。甘ったるい香水の香りがする。

 なんとなしに近づくと、踊り子は僕の顔をまじまじと見た。


「貴方はっ……」


 踊り子の背中が跳ねる。僕の正体に気づいたのだろう。

 しいーっ、と口に人差し指を立てる。


「この数分だけ、僕はただの文官です。名前は高人、いいですね?」


 少しだけ興味が湧いた、というか、誰でもいい誰かに、本当のことを喋りたい気分だったのだ、その時は。


 生け垣に座り込んでいる少女の隣に腰を下ろした。踊り子は決まりが悪そうにモゾモゾと足を動かしている。


「ちょっとだけ、話をしてもいいですか?」


 踊り子の肩がもう一度跳ねた。震えた声で、どうぞ、と返ってくる。


「少し、疲れたんです。僕より優秀な人がいるのに、僕はいつ終わるかもわからない日々の中で、ずっと優れた人のふりをなければいけない。偽物の権力者を演じなければならない」


 当代の僕に課された役割。それは偽王だった。


 父、先代の国王が亡くなり、妹に王権は渡されたが、彼女は政治に関わるにはあまりにも幼すぎた。

 しかしここで、野心を抱いた神官や貴族に政治を任せると、いざ彼女が指揮を執れる年齢になったとして、自由に動くなんて芸当はできなくなる。

 だから今のところ中立している僕が、妹が自立するまでの間、代打として政治をやっているのだ。


 正直な気持ち、なぜ僕なんだ、と強く思っている。


 実兄だってそうだ。王になれない理由は多々あれども、そもそも研究者気質の兄はまったく政治に興味がなく、僕を陰から手伝う気すらない。意義があるのは重々わかっているが、成果として論文を送ってこられても、正直手をつけたく無い時もある。

 そんなわけで、この王家の厄介ごとは全部僕に回ってきているのだ。


「ダメですね、弱音なんて」


「ふふ」


「なんで笑うんですか」


「高人さんって本当は不器用なんだ」


 踊り子ははにかみ、照れながら目線を逸らした。


「私も、主役でいることに疲れちゃいました」


 化粧が崩れることも構わず、踊り子は鼻をすすった。


「私より上手い子が、踊りじゃなくて学問を選んだんです。私のライバルでいて欲しかったのに。悔しくて、苦しくて、こんなこと思うのだってよくないのに……あの子の方が圧倒的に主役として適役なのに、私が偽物の主役を張らなきゃいけないんです」


 そして、疲れたように、長いため息をついた。


「似てますね、私たち。どっちも、偽物だ……」


 言い得て妙だった。その言葉に呆気に取られてしまって、僕はしばし口を開けたままだった。

 それに恐れを成したのか、踊り子は慌て始めた。


「あっ、ごめんなさい! 文官様と比べるなんて、失礼いたしました……」


「失礼じゃないですよ」


 踊り子に聞こえないように、小さな声でつぶやく。


「よかった、僕だけじゃない」


 できるだけ声を潜めたけれど、実際は聞こえていたかもしれない。ただ彼女は、じっと僕を見つめていた。犬耳をまっすぐそばだてて。


「甘夏ー? どこー?」


 彼女の名前だろう。遠くから、呼ぶ声が聞こえた。


「あっ、すみません! 私行かなくちゃ」


 踊り子は勢いよく立ち上がると、そそくさとお辞儀を済ませ、路地裏に駆けていく。やがてその背中は、夜闇に紛れて見えなくなる。


 不思議な気持ちに満たされていた。安堵だろうか。どちらにしろ、長らく経験していない感情だった。


 僕にしろ彼女にしろ、偽物なのかもしれない。

 しかし、彼女の体から流れる汗は、紛れもなく本物だったのだ。



 □



 ここで彼女に伝えなければならないのは、僕が失脚した本当の経緯でも、照耀国と千夜国の機密のことでも、ましてや現女王や兄が成した功績のことではない。


 彼女の冷たい指先を取る。


「なんの真似」


 不満そうな顔にめげず、僕は笑顔を作る。彼女を安心させられるような、できる限りの笑顔を。


「甘夏さんを連れて行きたい場所があります」


 僕は空を見据えた。満天の星が輝く、天穹を。

 正確には空ではなく、そのすぐ下。巨大なドーム屋根を擁する王宮を。


「僕が考えうる、最高の舞台です」



 ***



 ゆるく風が吹いている。


 そこは王宮の屋上だった。王宮の抜け道は知り尽くしているので、ここまで辿り着くのはお安いご用だった。この建物より高い建造物は王墓(ピラミッド)くらいなので、太陽祭で浮かれた町が一望できる。


 ランプの灯りで、まるで地上に星屑が撒かれているようだった。


「綺麗」


 甘夏は透かし彫りの施された柵に寄りかかりながら、風に黒髪を靡かせている。うっとりとした横顔が、とても美しかった。


「この時間なら皆太陽祭に出払っていますから、誰も来ません」


 僕は手を差し出す。岩を運ぶにはあまりにも軟弱なその手を。


「踊りましょう、甘夏さん」


 甘夏はこちらを向いて、目を見開いた。


「いくら躓いても大丈夫です。僕がフォローします。演目は何にしましょうか」


 動揺混じりに考えたあと、彼女はきっちりと僕を見据えて言った。


「炎の王と星読みの巫女、最終幕がいい」


 その提案に、少しだけ狼狽える。


 その演目は、彼女の言う「本物の踊り子」が、そして僕の言う「本物の王」が得意とした演目のはずだ。


 半年前の天狼座伝説の公演。その演目だった。


 彼女はあの時、嫌というほど思い知ったはずだ。心の底から信頼し合った天才たちに、僕たち凡人は勝てるはずがないと。

 清那さんと兄様には、到底届かないと。


「……いいんですか、それで」


「いいの。ただ、証明、したいだけだから」


 強い瞳を輝かせて、甘夏は僕の手を取った。



 ***



 踊り疲れて、二人で屋根に倒れ込んだ。


 視界を埋め尽くすのは、深い夜空。


「すごい星だ」


 息を切らしながら、甘夏は呟いた。


「そうですね」


 なんだか可笑しくなって、二人で笑った。


「星とは、天の神の体に描かれた絵という説があります。つまり光としては偽物なんですよ」


 もちろんこれは神官が語る「正史」ではない。神官なら天空を覆う女神の体は水でできており、そこに星の光が散りばめられていると説明するだろう。だからこれは、民間信仰レベルの説でしかない。

 しかし、これは、確かに今必要な俗説だ。


「思うんです。本当は偽物だとしても、輝いて人々を魅了させた時点で、それは本物なんじゃないかと」


 汗で濡れた手を、冷えたその手を、僕は握りしめる。


「今の甘夏さんは、僕にとって、本物の星でした」


「……隼人将軍」


「はい」


「私も、貴方のことを、ずっと本物の星だって思ってました。裏にどんな事情があっても、太陽祭の舞台で優雅に舞う隼人将軍を見るたびにあの日のことを思い出して、私も頑張らなきゃって思えたんです」


 潤んだ瞳。それは確かに希望を映して。


「ずっと、お慕いしております」


「……僕はもう将軍ではありませんが、いいんですか」


「一緒に踊ってわかったの。何も変わらないよ。隼人将軍も、たっくんも。どっちもうっとりするほどかっこよくて、そして、不器用」


 甘夏はこぼれるように、笑った。


「貴方は、いつだって、私の、天狼星です」



 ***



 いつもの天井。昨夜と何も変わらない、天井。


 最悪の目覚めだった。視界がぐらついて、四方八方から圧迫されるような頭痛と吐き気が押し寄せてきた。

 なんとか体を起こすと、甘夏がニヤニヤとこちらを見つめている。


「おはようございます……うぷ。散々踊った後になんであんなに飲めるんですか……」


「たっくんが弱いんだよ〜、あは、ぶちゃいく」


「甘夏さんが酒豪なだけでは……」


 自分で自分の顔は見えないが、どうせパンパンに浮腫んで真っ青に染まっているのだろう。王宮で出回っている、丁寧に醸造された酒しか飲んでこなかった僕に、安酒は早すぎた……というか単に体に合わなかったのだ。


「……幻滅したでしょう。こんな王子様で」


 甘夏はくくく、と笑いを堪えた。


「いやあ? オフのたっくん独占できるの、これから私の特権だしな〜」


「まったくもう……」


 苦笑いをしながら、なぜか心は満たされていた。


 甘夏は寝台から飛び起きて伸びをすると、意気込むように、うん、と言った。


「私、劇場に戻ろうと思って」


 今まで固まっていなかった覚悟が決まったのだろう。真剣な眼差しで、顔を上げた。


「舞台じゃなくてね、支配人を引き継ごうと思うんだ。支配人、もう結構年だし、任せる人がいた方がいいでしょ」


「いいと思います。きっとできますよ、甘夏さんなら」


 彼女の固めた拳の上に、そっと手を置いた。


「たっくんは? どう見ても肉体労働には向いてなさそうだけど……」


 その答えは、ずいぶん前から決めてあった。


「元手を稼いで、学校でもやろうかと思っていまして」


「学校?」


「大学は貴族以外への門戸を開いたというのに、入学するにもこの国はまだまだ識字率が低いですから。そういった意味でも庶民と大学の架け橋になれればいいなと」


 実際に落ちてみてわかった。文字が読めなければ、労働者は労働者のままなのだ。彼女のような特別な境遇の者でもない限り、その現状は変わらない。

 現状を変える手伝いができるなら、それが僕にできることなら、喜んで力になりたかった。


「……いい! すごくいいと思う!」


 甘夏は目を輝かせて、握った拳をブンブン振った。


「どっちも本物にはなれなかったけどさ、一緒にがんばろ」


「はい」


 小さな窓から、光が差し込んでいた。


 朝焼けの空に薄く星が輝いていた。河の氾濫と収穫をもたらすその星は、天狼星と呼ばれる星だった。


 その光は小さくとも、僕達にとっては確かに本物なのだった。

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