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「実験体No.1 砂 日高」

 空間だけ不⾃然に切り取られたような⽩い研究室に、僕と、もう⼀⼈男がいた。

「随分快諾だったね」

 僕が⾔うと、無機質なベンチに座る褐⾊の肌の男が⾔葉を返す。

「すでにこんな世界なんだ。断る理由がないよ。⼈が居なければ⺠俗学者がいる意義もないしな」

 窓の外を⾒て⾔う。

 深く雪が積もったそこは、紛れもなく死の世界だった。

 ⼈がいればこそ⽂化はある。

 しかしこの⼤地には、⽅⾈艦「あかし」の乗組員と、あとやたら⽩い宇宙⼈しかいない。⽂化の研究を残したところで残るかもわからないのだ。

「それでも、誰かの思い出を⼤切にしてくれている⼈がいるのは、素晴らしいことだと思う」

 失われるのは、悲しいことだ。

船⼦(ふなこ)君は優しいな」

 男は⾃嘲気味に笑った。

 ⽩い部屋にはコードが絡まる棺がひとつだけ存在した。正確には棺ではないのだが、⼈の⼈⽣を終わらせ⻑い旅路への船となる意味では棺以外の何物でもなかった。

 そして、⽬の前の男を船へと誘い、引導を渡すのは紛れもなく僕だった。

 おこがましいな、神にでもなったのか。

「融合処理の前に、少しだけ、時間をもらえないか」

「いいよ。いつまでも待つ」

「そんなに時間はかからない。船⼦君に迷惑をかけるのは申し訳ない」

 男は⽩⾐の懐から⼀枚の紙を取り出した。電⼦機器が⽀配する時代に紙を持ち歩いているのはひとえにこの男の性質でもあるのだろう。彼は昔から、スマホもタブレットも使うが⼿帳は必ず紙だった。 覗き込むと、男ともう⼀⼈、明るい髪の⼥性が写っている。

「写真?」

「妻の写真だ」

 男の表情が少しだけ柔らかくなる。

「同じ研究サークルの後輩でな。聡明で明るいひとだった。普段は素朴な感じなんだが、趣味でダンスをやっていたんだ。舞台に⽴っている妻は本当に綺麗だった」

 ⾖の浮いた堅い指が、写真に映る⼥性をなぞった。

「妻と⼀緒に死ねたらとは何度も思ったが、俺が⽣き残ったということは、⽣きて意義を成せと⾔われてる気がするんだ。だから 、」

  まっすぐな⿊い瞳が、僕を⾒つめる。

「船⼦君。俺は君の計画に乗る」

「承知」

 少しだけ、笑いが漏れた。

 彼をよく知らない者は彼のことを捻くれ者だと評価する。彼はこんなにも愚直なのに。

「もし僕のことを覚えてたら、またシミュゲやろうね。アナログのシミュゲ付き合ってくれんの砂くんだけなんだからね。約束だからね」

「ああ。もちろん」

 僕は棺の扉を開ける。 砂⽇⾼(いさごひだか)は⽴ち上がる。

 そして、迷うことなく⻑い眠りに向かっていった。



 ⼭深い槐樹院(かいじゅいん)の庭に、珍しく⾹⾟料の鮮やかな⾹りが漂った。

 藍⾊の⽡屋根の下、執祭部(しっさいぶ)の部⻑室には久しく会わなかった友の顔があった。

「久しぶり、砂くん」

 褐⾊の肌の⻯に向かって、昔と変わらず丁寧に⼿を差し出した。彼も握⼿を返す。僕より少し体温が⾼い。

穂村(ほむら)さん、って⾔うのは慣れないな。船⼦君でいいか?」

「いいよ、好きな⽅で」

 ソファに腰を下ろし、給仕に出された茶をすする。⼋千メートル級の⾼⼭では新鮮な緑茶は中々流通しないため、濃いめのアッサムだ。もうアッサムなんて地名も⻑らくなくなってしまったが。

「ざっと 1000 年ぶりか」

「そうだねー、割と経ってるねえ」

「かなり時間が空いてしまってすまないな。⾊々あって遠出できなかった」

「わかってるって。いつまでも待つよ。アナログのシミュゲ付き合ってくれんの砂くんだけなんだもん ほら、冷凍倉庫から引っ張り出してきたぞ。 Tanks に聯合艦隊、⽂明の曙……」

 ソファの脇に⽤意していたゲームの箱をテーブルに並べた。「⽣前」彼とよくやっていたラインナップである。

 もっとも、怪訝な顔をして今僕を⾒つめているのも彼なのだが。

「何? なんか⾔いたいことあんの」

「これが世界を統べる⻯の王か……」

「世界はオタクが回してるって⾔うでしょ?」

 ふふん、と⿐を鳴らすと、彼はわかりやすくため息をついた。

「ウォーゲームのオタクが⽀配者をやるのは良くないだろう」

「⽀配はしてませ~ん。周りが勝⼿にやってるだけで~す。僕はただここで事務作業してるだけ!」

「まあ、それもそうか」

 ふと、軽い⾜⾳が聞こえた。それとともにバターのいい⾹りが漂ってくる。

 ばたん、と盛⼤な⾳を⽴てて障⼦が開いた。景⾊まで透けるような銀髪の少⼥、いつきが⾃慢げに盆を掲げている。

「穂村―、菓⼦を持ってきてやったぞ!」

 流⽊のテーブルに置かれたのは、バターのたっぷり⼊ったガレット・デ・ロワだった。まだ彼が⻯になる前に好んでいた菓⼦だ。

 いつきは並べられたシミュレーションゲームを⾒て唇を引き攣らせて眉根を寄せる。

「うーわ。お前の友達本当に濃いオタクしか居ないな」

「うるさいよ。いつきだってそうだろ」

「僕は君に付き合ってたらそうなっただけだよ。ラウはどちらかというと……いやオタクだったね。失礼した」

 このやりとりを、砂漠の⻯は⼲渉するでもなく⾒つめていた。僕はその顔になんだか癪に障るニヤつきが浮かんでいるのを⾒逃さなかった。

「……だから、⾔いたいことあるなら⾔いなよ」

「昔は恋⼈いる奴僻んでた船⼦君が……」

「ダーッ、千年経てば伴侶くらいできるだろ! なんでいつも砂くんはジジイ⽬線なんだ!!」

「ははは」

「⼈のことバカにするなら砂くんだって偏屈じゃんか!」

「いや、結婚してるぞ。こないだ猫型ロボットで撮った妻の写真⾒るか?」

 着物の下から⼀枚の紙を取り出してくる。写真なんて槐樹院が封じているオーパーツを惜しげもなく取り出してくるあたりもう⼀回ちゃんと叱ったほうがいいかもしれない。

「おー、美⼈さんだな」

「わ、ああ……」

 覗き込んだ写真には、彼の過去をちらつかせるような⼈物が写っていた。⽝⽿は追加されているが、明るい⾊の髪やはっきりとした顔⽴ちはまさに千年前に⾒たあの写真そのもので。

「この⼈、転⽣体全員⾒つけてるんじゃないの…… ここまで来るとキモいかも……」

「そこまでじゃない。単に相性が良いから毎回惹かれ合うだけだ」

「怖いよ!!」

 僕が叫ぶと同時にまたパタパタと⾜⾳が近づいてくる。写真そのままの⼥性が部屋に⼊ってきた。これは⼆重の意味で。

「すみません! 服着るのに⼿間取っちゃって…… あ!  あなたが穂村さんですね。夫がお世話になっています」

 千年前で⾔うチベットの⺠族⾐装を着た狗族の⼥性は⼀礼すると、砂漠の⻯の隣に腰を下ろした。⽬をキラキラさせて⾒つめてくる⼥性に、⻯は柔らかい⽬線を向ける。

「清那君も⼀緒にやろう」

「なんですか? チェス?」

 ⾃然に肩を寄せ合う⼆⼈を⾒ながら、僕は少し複雑な気持ちになった。



 散々遊んで、⼣闇も落ちる頃。

 背中を⾒せ⿊い尾を揺らす⻯に、僕は⾔葉を投げかける。

「炎の王」

「うん?」

 炎の王は振り向いた。彼に追随して尾の先の炎がちろちろと燃えている。

「此度の戦、⼤義でありました」

「ああ」

 多⾯的な意味を孕んだ⾔葉に、しかし⻯は短く返す。

「時々時間が空いたら来るよ。⻯の王とゲームをするのは楽しいからな」

 炎の王、いや、砂⽇⾼はふ、と微笑みを漏らした。千年前、ただの⼀介の⺠俗学者だった頃と同じように。

「いつでも来てよ。僕はここで待ってるから」

 誰がなんと⾔おうと、彼は紛れもなく、僕の友人のひとりなのだった。

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