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公演は大盛況のまま幕を下ろした。
隼日神殿という大舞台でアイテルをふんだんに使用した劇は今までにないもので、新しい劇の形を作り出したとして、天狼座の評判はうなぎのぼりになった。
天狼座にはあの主演を務めた二人は誰かと問い合わせが殺到したが、オーナーや座員はわからない、と口を濁らすだけだという。
劇を盛り上げるかのように起きた天災は街に爪痕を残したが、人間にはほとんど被害がでていない。これは隼南王が起こした奇跡、と賛美されたが、隼南王自身は負傷で左手を失った。その完璧な体はもう元には戻ってこないが、隼南王は退位の考えはないという。障害があっても、女であっても、王として君臨できることを表明していく所存だと彼女は語る。逆に隼人将軍は天災の責任を取り、一切の肩書を放棄した。その後人々の前に一切姿を見せていないが、姿を変えて市井で生きている、という噂がまことしやかに流れている。
隼南王といえば、もう一つ伝聞がある。
婿を娶ったのだ。相手は千夜王の末裔で、狗族の年下の男だという。隼以外が王家に入ることも、それが旧千夜国出身なのも初めての例なので政略結婚ではないか、との噂もあるが、それに対し隼南王は「どんな身分であれ、本当に愛する人と結婚していいということを、自分から発信していきたい」と語ったという。
白冠の復興に際し、臨時で作業員が収集された。
作業員は、経験者でなくとも腕に覚えがある者を収集した、と人材配置担当の井威は語った。現場の総監督には忍塚という設計技師が当たっているが、この者も身許が定かではなく、監督を不安視する声もある。「マメだし、気が利くし、めちゃくちゃ仕事できんのになんで肩書きがないんすかね~、鳥族だからどっかの貴族出身だとは思うんすけど~、奥さんも若すぎるし、謎っすよね~」と作業員は語る。
本日午後、隼南王の結婚パレードが行われる。
昼頃、婿である黒夜様の出身である阿鼻土から、使節団が到着する。千夜王家より宝石類が献上され、今回の謁見次第では阿鼻土の宝石職人たちと正式に貿易が始まる予定だ。その影響で、今まで封鎖となっていた赤冠への調査員の立ち入りが始まり、朱鷺書院の研究団はまもなく白冠を出発する。新たな発見で、歴史が変わることもあるかもしれない。
周辺各国からも、照耀国の今後の発展に期待が寄せられている。
□
数か月後、朱鷺書院研究室棟。
変わらず埃臭いこの部屋は、朝の光で満たされている。教員用の机を挟んで、清那と高砂は向かい合っていた。高砂はふかふかの椅子に座り、束ねられた書類を捲っている。
緊張した面持ちで、清那は目の前の教員の言葉を待った。
清那が唾を飲んだ、その時。
「卒論、通ったぞ」
「おっしゃー!」
清那は思わず、拳を天に突き上げた。
「はあ~! 一時はどうなることかと思いましたよ」
「俺は別に心配していなかったよ。そもそも最初に渡された時点で軸がしっかりしていたから、あとは少し題材を広げるだけでよかった」
高砂はくすりと笑った。
「先生がいなきゃ、広がりませんでしたよ」
「まあそうだろうな」
とまた大胆不敵に言い放つので、清那は頬を膨らませた。
「そういうところですよ? そういうところがいけないんですよ?」
ねちねち言うのを無視して、高砂は書類の山を片付け始めた。その行動に、やはり清那はげっそりとして肩を落とした。
高砂の尻尾は、鳥には戻らなかった。
どれだけ戻そうとしても、黒い竜の尻尾はそのままだった。いくら熱くないとはいえ常時燃えているのも危ないので、今は尾の先を飾りで覆って火を消している。数少ない元に戻らなかったもののひとつだった。
本人はまったく気にしていないので、別にいいと言えばいいのだが。
「ところで清那君、今週末西方砂漠に調査に行こうと思っているんだが、一緒に行かないか?」
清那はバッグから手帳を取り出し、書かれた文字を追う。その日程に、少し眉を顰めた。
「え、卒業式の次の日じゃないですか」
「ああ」
「ああじゃないですよ。飲み会あるんですよ」
「行かないのか?」
目の前の隼は、不思議そうに首を傾げた。
「行きますけどー……」
自分が酒に弱いことはこの教員もわかっているだろうに。
うんざりした顔とは裏腹に、清那の尻尾はふわふわ揺れていた。
星が強く瞬いている。
結局砂漠のど真ん中、相変わらず二人で野宿になった。てとは連れてきているが、見回りで今は出払っていた。
焚火を囲んで、携帯用の肉を噛む。
「こうして野宿するのも久しぶりですね」
「ああ、もはや懐かしいかもな」
踊り子だったのがもう遠い昔のようだ。あの公演が終わったあと、清那たちは朱鷺書院に戻り、何事もなかったかのように研究に没頭していたから、全てが非現実のように感じる。
あのあと、一時的に明星は拘束された。
しかし拘束することで、彼の中の砂の王をまた蘇らせるかもしれないと危惧した王家は、結局彼を朱鷺書院の教員として戻す判断を下した。今度は暴走しないよう、制御用の首輪をつけた状態で出勤している。彼自身自分の行いを恥じており、反省の色が強かった。砂の王を宿らせているのに、今回の件で人死にが出なかったのは、ひとえに彼が砂の王を抑え込んでいたのもあるという。
高砂は、乳白色の川を仰いだ。
「自分の、人生を生きる、か」
白い息が、吐いたそばから空気中に消えていく。
「どうしたんですか。急に感傷的になって」
「いや、今まで使命感に駆られて生きていたから、どうしたものかと最近思い悩んでいてな」
「やりたいこととかないんですか?」
「研究」
間髪入れず、高砂は言った。
「それはそうでしょうけど」
「他に思いつかないんだが……ただ、清那君と一緒だったら、人生も面白いだろうな」
「え? なんで急に」
清那は空気がよくわからなくなって一瞬固まった。先ほどから論旨が取っ散らかっているのが尚更おかしい。
高砂を見やると、焚火の炎で半分顔を照らしながら、彼は真っすぐこちらを見ていた。
「清那君、結婚しよう」
(ああ、なんとなく察しはついたけど)
今の清那と高砂は、生徒と教師でもなんでもないのだ。というか高砂も、清那が卒業するのを待ってくれていたのだろう。
「……告白の時とかもそうなんですが、高砂さんってムードとか考えたことあります?」
「星空の下二人きり、以上のシチュエーションはないと思うが」
「そういうことじゃないんだよなー……」
会話を始めた時から妙にぎこちなかったし、高砂なりに考えて場を用意してくれたのは清那にもわかっているのだが。
ため息をつく清那をよそに、高砂は身を乗り出してきた。
そのまま顎を掴まれ、強引に唇を奪われる。
「ん⁉」
体重がかかり、砂の山がはらはらと沈む。
あまりの展開の早さというかせっかちさにどぎまぎしていると、高砂は名残惜しそうに唇を離した。
「結婚しよう」
その褐色の肌に、柔らかい笑みが宿る。
「……はい」
苦笑いをこぼしながら、広い胸に飛び込んだ。
少し薪の匂いがする、その胸に。
布の感触と体温を頬に感じながら、清那は目を閉じる。
(壮大な話なんて、なくていい)
数多の星が集まり、物語になる。
だから、星の輝き一つ一つに、確かな価値がある。
この温もりを繋いでいくことこそ、歴史を作るということなのだ。
永遠とは停滞ではなく。
物語を繋げようという行為にこそある。
あまりにも泥臭い、その足掻きに。
だからこそ、人は歌う。
だからこそ、人は祈り、遺すのだ。
満天の星は、ただそれを見守っている。
ひどく不器用な、愛という名の温もりを。




