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砂の王と千夜の唄  作者: 回向田よぱち
第七夜 『新釈 炎の王と星読みの巫女』
21/23

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 隼人の指示により、一行は再び書架の塔に戻ってきていた。通常白冠(はっかん)に向かうには月単位で時間がかかるが、塔の中にはそれを省略できるものがあるらしい。

 先導する隼の尻尾を追い、松明で照らしながらやってきたのは地下室だった。

 円形の広間に、石灰石で法陣が描かれている。

「転送装置です。大人数は無理ですが、座標を設定すればその場所に飛ぶことができます」

 隼人が触れると、床の幾何学模様は脈打つように青緑色に発光した。落ちていた石灰石を拾い、陣の中心になにか書き足そうと向かう。

「摂理に関わる法術なので通常使用するときは槐樹院(かいじゅいん)の許可が必要なんですが、今回は非常事態なので特別です。えーっと、ここに座標を書き込んで……あれ?」

 隼人はそれこそ隼のように首を傾げた。

「すでに設定してありますね。これは、白冠の……王宮の中です」

「そこまで予言してたんですかね、来楽(らいら)姫」

「いや、そんなことあるはずが……」

「おい、時間がないんだ。早く飛ぶぞ」

 ぶつぶつ呟く隼人に、高砂(たかさご)は眉間に皺を寄せて急かす。竜の尻尾が窮屈そうに揺れている。

「確かにここで考えていても仕様がないですね。承知しました」

 隼人は片腕で器用に背中の槍を抜き、槍の尻で陣の中心を叩いた。

 文様に血が廻るように、陣が青白く波打つ。

「わあ」

 書架の塔の白壁に波打つ青が反射して、幻想的な空間が浮かび上がる。

 ふと、黒夜(こくや)が声を上げた。

「あれ、兄貴」

 黒夜の目線の先を辿ると、陣の外にぽつんと赤夜(せきや)が突っ立っていた。目を細めて、こちらに微笑んでいる。どう見ても一緒に行かないという意思表示だった。

 急いで駆け寄る黒夜の頭を、赤夜は撫でる。黒夜はくすぐったそうに顔をしかめた。

「私は南方砂漠にいるすべての人間を守る責務がありますので。あっちは頼みましたよ、黒」

 そう言いながら、赤夜は大きな犬耳を伏せた。

「……わかった」

 黒夜は答えると、一度だけ頷いて陣の中に戻った。顔には出さないが、今まで期待と緊張で上がっていたであろう尻尾が、力なく垂れ下がっていた。

「隼人将軍。弟をよろしくお願いいたします」

「はい」

 深く頭を下げる赤夜に、隼人は短く返した。

「では行きましょう。地脈接続。開錠。絨毯浮遊」

 ぐわり、と世界が回る。

 浮遊感が襲う。清那(せな)は方向感覚を失い倒れそうになるも、叩きつけられるべき地面はそこになかった。

 ほんの一瞬。

 水の中に落とされたような揺らぎと鼓膜の圧迫を感じた後、目を開けるとそこはやはり本の海だった。

「図書館?」

 ここも荘厳な図書館ではあったが、赤冠とは違う造り、あくまで砂壁で囲まれている。石造りのあの白い城よりも、清那には見慣れたものであった。

 白い帆布が張られた天井から、朝の太陽光が降り注いでいる。

「なぜ宮廷図書館に……」

 隼人がつぶやく。

 凛とした声が、本棚に反響する。

「葬祭殿の関係者が、繋いでくれたのよ」

 本の影から現れたのは、この国の王その人だった。

隼南(じゅんな)!」

「ええ」

 隼南は日光に照らされた黒髪をかき分けた。強い花の香りがする。香油だろうが、市場で出回っているものと違い嫌な甘さみたいなものはない。気品のある香りだった。

 純白の衣。

 瑞々しい褐色の肌。

 間違いなく戦場の中に身を置いているのに、隼南は女王としての姿を完璧に整えていた。それは武人が鎧を着込むのと同じくらい、彼女にとっては武装であるのだろう。

「今のところ阿鼻土(あびど)坂羅(さから)の王族墓地全域に広がっている。すでに各地に散っていた王国軍を招集し、聖火を焚いて攻撃を行っているわ。今のところは安定してる」

 金の耳飾りを揺らしながら、淀むことなく女王は言う。

「隼南、いつの間に」

 隼人の言葉には、隼南が行動したということに対する驚きも含まれていた。

「わたくしはもう、お兄様が思っているようなか弱い女じゃないの」

 隼南は鋭くアイシャドウが引かれた吊り目を見開いて、ぴしゃりと言葉を叩きつけた。

「わかりました。僕はサポートに回ります。指揮は隼南王に一任いたします」

「ええ。任されたわ」

 隼人の声に嬉しさが滲んでいたのは、気のせいではないだろう。

「隼砂お兄様と清那さんは聖火を直に扱えるから、直接坂羅へ向かって加勢をお願い。今は隼玉王の葬祭殿が敵の根城よ」

「はい」

「承知した」

「てとも、いく!」

 小さい影はぴょんと跳ねた。

「私は隼日(じゅんじつ)神殿で指揮を執るわ。あそこは白冠でも良い地脈の上にあるもの。千夜の王子は……」

 隼南は初めてまみえる敵国の王家をまじまじと見て、その真っ直ぐな瞳に一筋だけ影を落とした。

 腕を組んで本棚に寄りかかっていた黒夜はつまらなさそうにこちらを睨んだ。

「俺は作戦司令部にいる。阿鼻土のことに関してはそこの顔だけの隼より三百年分俺の方がよく知っている」

「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」

 隼人は黒夜に一礼をした。感謝の言葉を返されると思っていなかったのだろう。黒夜は少しだけ灰色の目を見開いて、またすぐに顔を伏せた。

「ふん」

 尻尾が小刻みに震えている。

 ここに赤夜がいたら、素直じゃないですねえ! とか言いながらまた頭を撫でるのだろうな、と清那は思った。

照耀(しょうよう)王国軍。追撃開始よ」

 隼南はその瞳に宿る太陽と月を輝かせた。



 黒い。

 それが坂羅を見た第一印象だった。阿鼻土とは認識を狂わすような極彩色の印象が清那にはあったが、いつでも視界の端で悠々と天を仰いでいた王墓たちは、今や黒雲に覆い尽くされていた。

 清那たちが前線基地に着くと、先に到着していた井威が天幕から顔を出した。付けた夜の民の面から鳥の羽が飛び出している。はたとあたりを見回すと、種族に関わらず皆犬の面をつけて警戒を敷いていた。

「形態は黒い雲ですが、あれの実態は阿鼻土と全く同じです。狂気を誘い、人を汚染します」

「あの中に、明星(みょうじょう)はいるのか」

「はい。昨晩突然隼玉王(じゅんぎょくおう)の葬祭殿に現れ、呪文を唱え出したと、現場にいた神官は申しておりました」

 明星の家は葬祭殿神官を排出する家だ。清那に地図を渡してくれたように、自ら侵入するのなどやろうと思えば簡単にできる。

 その枷となる倫理観さえ超えられれば。

 そして明星には、その枷を外すだけの理由が確かにあった。

 それは王家への疑念。

 千夜国への憧憬。

(でも、明星先生が本当にそんなことをするようには思えない)

 清那にはわからなかった。

 柔和で信頼に足る人物。それが明星だったはずなのに。

 黒雲は空へ伸びる一本の柱のように、口随一の粋を集めた墓地を隠す。

「行こう」

 高砂は簡潔に言った。

 基地の外に出て、広い砂漠に足を踏み入れる。

 篝火(かがりび)に生ける炎を燃やし続ける兵士たちを横目に通り過ぎながら、黒雲の始まる地点の前まで清那たちは進んだ。

 砂丘に足を埋める。

「ここにしよう」

 高砂は言うなり、手に炎を灯した。

「明星!」

 当代の炎の王は、力強く吠えた。

 尾の先が、激しく燃え上がる。

 空中にいくつもの火の玉が浮かび上がる。酸素を吸い込み顔と同じくらいの大きさになると、それは黒雲に向かって身を投げ出して行った。

「支援します」

 清那は比較的硬い地面を裸足で踏みしめた。

 指先に力を込め、炎の王を讃える舞に繋げていく。

 聖火は谷中の空気をかき集めながら、次々黒雲へと尾を引き飛んでいく。

 その姿はまるで流星。

 しかしそれも無駄だというように、黒雲は形を変える気配もなかった。

「チッ、まるで効き目がないな」

 高砂は両手を前に突き出すと、手の先の炎を一段階、二段階と大きくしていく。

 褐色の肌が、炎に包み込まれていく。

 やがてそれは、鱗に覆われた黒い尾も飲み込み、高砂の姿を完全に隠した。

(まさか、竜体に……?)

「だめだ、清那君」

 その声と共に、何事もなかったかのようにしゅん、と炎が弾け去る。

 炎の影から、仁王立ちした高砂が現れる。

「竜の体に、なれない」

 眉間に皺を寄せ、不満そうに唇をつきだした。



 数時間後、隼日神殿の談話室。

 壁画が壮麗に施された部屋の中、一堂は卓を囲み、頭を抱えていた。もうすっかり日も暮れ、松明の灯りが小さな空間を照らす時分である。

「自分の無力を嘆くことになるとは」

 高砂は深くため息をついた。

「炎の王の力が完全に戻ってないんですかね」

 清那は犬耳の裏を掻いて、尻尾を下げた。

 炎を扱う高砂の姿は圧倒されるものがあったが、最盛期の緋砂(ひさご)のように鱗の生えた怪物の姿になることはできなかった。書架の塔の最上階で、砂の王を喰らい汚染された緋砂の肉体を、完全に浄化したはずなのに、高砂は全く竜になる気配がなかった。

 煌びやかな細工が施された卓を、人差し指でトントンと叩きながら、隼人は言う。

「阿鼻土が発生した遺跡群は逐一破壊していたんですが……」

「それって何か関係があるんですか?」

「砂の王の権能である阿鼻土が発生するということは、砂の王を覚えている者がそこにいる可能性があるのです。もちろん確率は低いですが」

 隼人は以前、中央砂漠の遺跡を破壊していたことを思い出した。軍事演習という名目だったが、実際は阿鼻土対策という事情もあったのだろう。高砂を執拗に追って殺そうとしてきたのも、今思えば阿鼻土が発生する原因を断つためだったのだ。

「竜の体になる要領は感覚でわかっている。だが火力が足りない」

 高砂は自分の中の炎を確かめるように、心臓のあたりをさすった。

「アイテルが足りないんじゃないか?」

 やはり一人で壁に寄りかかっている黒夜が言う。夜の民一人、会話に入ってきにくいというよりかは一匹狼の性分なのだろう。

 隼南は思いため息をついた。

「使用できるアイテル槽は全て稼働済みだわ。聖火を焚くのにもアイテルは必要だし。砂の王たちに動きがないのが幸いだけど、直接攻撃されるとなると足りるかどうか……」

 アイテルは有限である。

 アイテルとは地下から突然湧き出すものだ。見つかれば幸運、程度しか算出されない資源だった。そもそもアイテルと接続できる巫術や魔術の素養がある人間しか使わないので、万が一のために備蓄している照耀国の方が珍しいのだという。

和隼(にぎはや)王の墓のアイテル槽は使えたりしますか?」

「難しいでしょう。坂羅のはずれとはいえ、あの墓は敵の本拠地の地下です。回路を繋げてくるにも危なすぎる。噴出地点を新たに探すという手もありますが、白冠の地下は一般市民の墓地が無節操に掘られていて、どうなっているかわからないんです。民間墓地に詳しい人間でもいなければ……」

 隼人が唸ったその時だった。

「呼んだ?」

 くぐもった声が、床下から聞こえた。

「誰だ!」

 反射的に黒夜が槌矛を構えると、ヤシで作られた床板の一枚ががたがたと音を立てながらめくれ上がる。

 あっという間に、床にぽっかりと穴が開く。

「んふふ、魔女は遅れてやってくる!」

 誇らしげな少女の声と共に、見覚えのある牛の角が飛び出してきた。

「イシさん!」

「久しぶり、清那」

 よいしょ、とパピルスの茎のように細い腕に力を入れて、イシが穴からはい出てくる。

 体を全部地上に上げると、白い麻の衣の汚れをはたいた。

 また違う声が、地下から響いてくる。

「おい! イシ! 急にトンネル掘れとか抜かして、自分は先に行くんじゃない! 独断専行は危ないからやめろって言ってるだろ! なんなんだよ、もう……」

 文句を垂れながら、深い緑髪の男が続けて頭を出した。耳の後ろのダチョウの羽に塵が沢山ついている。

「オシさんも!」

「え? ありゃ? 巫のネエちゃんじゃねえか」

 オシは床に傷だらけの肘をつきながら、不意を突かれたようにぽかんと口を開けた。

 イシは黒曜石のような髪を垂らしながら、黒目がちな瞳を細めた。

「オシに特別に教えてあげる。ここは隼日神殿の談話室だよ。あの方は隼南王、あの方は隼人将軍で、あの方は……」

「あ、へえ……?」

 オシは口の端を引き攣らせて空笑いをした。

 王がいる。つまり、犯罪者にとっては、敵地。

 一斉に注がれた視線に、オシは冷や汗を垂らした。

 この場から逃げようと脱兎のごとき速さで頭を引っ込めたオシの腕を、すかさずイシが掴む。

「逃げない」

 少し爪が食い込んでいる。あれはかなり痛いんじゃないか。

「はあ……」

 諦めたのだろう。いそいそとオシも穴をよじ登ってきた。

 イシはその場で身なりを整えると、卓を囲む清那たちに向かってほほ笑んだ。

「失礼いたしました。私は第七代魔女。炎の王の窮地と聞き参上仕りました」

「えー、っと。忍塚(おしづか)です。うーん、穴を掘って……」

 奥歯に衣を着せる物言いが気に入らないのか、イシはオシの腕をつねる。突如襲った痛みにオシは歯を食いしばった。

「こちらは元王墓設計技師にして世界一の墓泥棒、忍塚です」

 イシは自信満々に鼻を鳴らした。

「白冠の地下のことなら、私たちにお任せください」


「これは、すごいわ」

 ただでさえ輝く瞳を一層きらめかせながら、隼南は言った。興奮が隠し切れず、頬が上気している。

 卓には一枚の地図が広げられていた。

 オシが持参した白冠にある地下墓地の分布図だった。オシが手ずから仕事用に作ったものだ。流石元設計技師といったところか、精緻に描かれた地図は隼日神殿の壁画と並ぶくらいの美しさだった。大量のメモが書き込まれており、見た目に反してかなりまめな性格だということが製図に露呈している。

 驚くべきはそこだけではない。この地図によると、白冠の地下墓地というのは碁盤の目のように区画整理されているのが見受けられるのだ。

「貧民街にゃあ民間の墓掘り委託業者ってのがいましてね。各々の縄張りとかの関係で、割と意識的に墓が配置されてるんですよ」

 オシは腰に釣った道具入れから赤い墨壺と羽ペンを取り出すと、描かれた墓地に丸を付けた。

「丸を付けた箇所は隼玉王崩御前一年の間に作られた主要な貴族墓地です。これらは全て、同じ阿鼻土出身の墓掘りによって掘られていますが、彼はもう亡くなっています」

 その配置は清那が覗き込んでも全く見当がつかなかったが、高砂と隼人は思い当たる節があったようで、二人して息を飲んだ。

「千夜国の主要な都市の配置と同じじゃないか……まさか、法陣を描いているのか?」

 高砂の発言に、オシは生真面目な顔で頷いた。

「そうです。これは間違いなく星渡(せと)祭の祭祀法陣だ」

(各都市を星に見立て、星を模した煉瓦の上を走り抜ける……)

 オシが捕まった原因の祭祀ではないか。

 隼人は地図を凝視しながら再び唸った。

「星渡祭は王の即位三十年記念祭に当たりますが、肉体が衰えた王と都市が狂気に飲まれないよう厄を祓う祭りでもあるんです。隼玉王は晩年千夜国の呪いに固執していましたから、星渡祭のときは特に張り切って準備をしていた印象がありますが……」

 オシは地図上の一地点を指さした。

「この法陣の中心にあるのは隼玉王のバザールです。彼の王は単に愚王というわけじゃあ、なさそうですね」



 バザールの喧騒は、普段と何も変わらなかった。

 墓が闇に覆われる中でも気にせず日常を過ごす人々を追い抜かし、数多の天幕を抜ける。商店と商店の間を通り過ぎ、この市場の最奥へと向かう。

「ここだ」

 ここには一度来たことがあった。

 雑踏からその空間だけ切り取られたように、静寂が包み込んでいる。

 ステンドグラスから差し込む色とりどりの光が、小さな祠を照らしている。

「てとがいた、猫塚?」

 てとはぶんぶんと面を上下に振った。振りすぎてちぎれそうである。

 猫塚には先客がいた。

「お久しぶり、高砂君、清那さん」

 祠の後ろから出てきたのは、柔和な目をした初老の隼だった。

「師匠?」

「ああ。そうだよ」

 諸橋(もろはし)は皺が刻まれ乾燥した手を祠の上に置いた。

「よくぞ辿り着きました」

 明星とよく似た笑みが、彼の顔に浮かび上がった。

 清那は高砂をちらりと見る。

 高砂らしくない、縋るような目を諸星に向けていた。両の拳は堅く握られている。

「師匠、なぜ」

 言いたいことがありすぎてまとまらないのだろう。それはそうだ。長い時間、疑問を抱きながら生きてきたのだ。憧れと悔恨を心に込めながら生きてきたのだ。高砂にとって諸橋は、尊敬する師匠であり、父親代わりでもあったのかもしれない。

 諸橋は隼の瞳に憂いを滲ませた。

「せっかくだ。最初から説明しようか。

 私は元々葬祭殿の神官だった。葬祭殿では数年に一回、千夜王墓の視察がある。神官の中でも優秀な者を南方砂漠にある千夜国の遺跡に送り、その構造を研究するんだ。

 私が参加した回では、墓を廻るのに星の民が案内役を務めてくれた。その中で私に良くしてくれた女性がいてね。そのひとと恋仲になった。

 やがて私は星の民の女性と子供を作った。それが明星だ。星の民の掟で、血族になったものには炎の王や竜の秘密を共有するというものがある。それに基づき、私はその存在も知ることになった。掟により、本来の諸橋という名も当時は諸星と言われていたね。

 明星は鳥族だったし、星の民の中では浮いてしまう。結局、黒狗から離れて白冠に連れ帰ることにした。しかし千夜の血が混じっているとほかの者に知られると危険が及ぶかもしれない。甥という名目で育てることにした。

 あの子の名目上の父親である私の弟は、他の兄弟よりもあの子に厳しくしていたらしくてね。私も立場上あの子に愛情を注いでやれなかった。

 あの子には、千夜王家の血が間違いなく混じっているんだよ。

 つまり、砂の王の触媒足り得るということだ。

 もし彼が私を恨んでことを起こしているのなら、今回の騒動は、私が原因だと言っても過言ではない」

 諸星は猫塚の猫の耳部分に手を這わせた。

「じゃあ、師匠はなぜ、俺たちの前から姿を消したんですか」

 高砂の声はわなわなと震えていた。

「炎の王を継ぐ者に、千夜に関する情報を伝えるのは重罪なんだ。不用意に知識を与えてしまうと、認識の鳥の権能で砂の王の力を強めてしまう可能性があるからね。

 私はそのことをよくわかっていなかった。単純に、君の力になりたいという気持ちで竜のことをしゃべってしまった。

 触媒を産んでしまったことにしろ、君をけしかけたことにしろ、許されることではないよ」

 一人の男の懺悔は淡々としていた。水を失ったオアシスのように、涙が溜まってから随分経って、乾いてしまったような悲しみがそこにはあった。

 清那は胸に手を当てて、目の前の老いた隼を見つめた。

「諸橋さんが動かなくても復活の予言は当たっていたでしょうし、諸橋さんがいたからこそ高砂先生の血の呪いの意味がわかったんです。貴方が動かなければ私だって、死体屋に殺されてたかもしれない」

 清那は腹に力を込めて言った。

「諸橋さん。貴方はここで、何をしようとしていたんですか」

 当代の星の巫様は強いな、と諸橋はこぼした。

 少しだけだが、羨望も込められていたように清那は感じた。

「私が動く理由は昔から変わらないよ。炎の王の力になりたかったんだ。自動人形の燃料はアイテル、それはわかるね。この猫塚は、隼玉王が作ったアイテル槽の堰だ」

「そ!」

 てとは足をバネのようにして、清那の腰くらいまで勢いよく跳ねた。

「じゅんぎょく、お、てと、みつける、はっかん、じょうか、せとさい、かなめ!」

「隼玉王は放置されていたてとを見つけて、大掛かりな星渡祭を行おうとしていたのか」

 相変わらずてとが喋っていることは清那にはよくわからなかったが、高砂には自明のことらしい。

「そう。ここは阿鼻土を憂いだ隼玉王が作った。白冠の浄化装置といったところかな」

「じゃあなぜ、てとが」

「それは君たちに賭けたんだろうね」

 諸橋は祠を越えて清那と高砂の前に出てくると、二人の肩にぽんと手を置いた。

「てとの起動は巫自らの解錠でないと行うことができないように設定されていた。隼玉王が敢えて猫塚を堰にしたということは、君たちが解錠してくれることを信じてたんだと思う。隼玉王だって、次の代が予言の竜だってわかっていただろうから」

 諸橋は両人の肩から手を離す。

「君たちは竜の力の解放方法を聞きに来たんだよね。それなら簡単だよ。君たちはもう、ちゃんと布石を敷いてきたじゃないか」

 隼の吟遊詩人は、背負っていたウードを肩にかけて、弦をはじいた。



 一日後、隼日神殿。

「夕刻より、隼南王協賛天狼(てんろう)座特別公演「新釈 炎の王と星読みの巫女」を開演いたします」

 千夜国の遺物である拡声器を通して、甘夏(あまな)の晴れた日の朝のように透き通る声が、神殿の広場に響き渡る。声が低い部類の清那は、甘夏のかわいげのある声にずっと憧れていた。自分には歌の才能がないと、強く思い込んでいた。踊り子一本の道を選ばなかったのも、そういう理由があった。

 しかし、運命は奇特なもので、今公演においては清那以外の主役は認められない。

 一体なんだ、と街ゆく人が広場に集まってくる。無料で白冠一の舞台が見れるとあらかじめ伝使にお願いしてあったのもあり、隼日神殿は一時的に太陽祭の宵山のようにごった返していた。

 清那の父親にも協力を願った。隊商宿に来る者にあの砂漠を渡る踊り子二人組が白冠で公演をやると言いふらしてくれ、と頼んだのである。砂漠の商人たちは耳ざとい。中には清那たちがオアシスの酒場で踊るのを見たことがある者もいるだろう。その者たちは宿に駱駝を置き本場での公演を楽しみに集まってくる。

 炎の王は、人に知られることによって強くなる。

 それが悪い方向に働いて、腹の中の砂の王の力を増幅させることもあれば、いい方向に働くこともある。

 今の炎の王は、もはや砂の王の支配下にはない。

 ならば人の声を借り、認識の鳥の権能を存分に発揮するのが力を得る近道だ。

 昨日、諸橋を隼日神殿に連れてきた清那と高砂は急いで公演の準備に取り掛かった。

 天狼座を収集し、新作の舞台をやるとけしかけた。新作といえどベースは「炎の王と星読みの巫女」であるので、敢えて練習する部分を減らせたのは幸いだった。新たな脚本は清那が手ずから執筆し、高砂の千夜の習俗知識をふんだんに盛り込んだ。

 全ては、炎の王の行いを知らしめるために。

 亡き国の真実を、この場に再現するために。

「随分な客入りだな」

 隼日神殿大舞台の脇にある楽屋から、高砂は広場を覗き見た。

「君たちが真面目に公演してきたからだよ」

 諸橋は彫刻が施された椅子に座り、ウードを調律している。今回の公演は吟遊詩人の語り形式で行うので、彼は司会を務めるようなものだ。

 視界の隅では、暗雲が空を覆い始めている。

 まるで炎の王の完全復活を懸念するように。

 舞台袖に降りてきた甘夏は髪をかき上げながら清那を見る。

「清那、そろそろ始めちゃう?」

 甘夏は親指を突き立てて舞台を指差した。

 隼日神殿の大舞台は夕焼けの中に暮れ、橙色に燃え上がっている。

 良い時分だ。

「うん、やろっか」

 清那は気合いを入れるために、ペシペシと頬を叩いた。

「お願いします」

 隼南王と隼人将軍、黒夜は同時に頭を下げた。

「任せてください。この二国に、最高の舞を捧げます」

「俺たちは舞台装置をやる」

「イシたちのサプライズ、楽しみにしててね」

 墓泥棒二人組はにやりと笑った。

 改めて、よく似ている二人だと感じた。

「期待しています」

 清那ははにかむと、楽屋に背を向けた。

「やるぞ、清那君」

 高砂の流し目には、いつも自信が宿っている。

 炎が、宿っている。

「はい!」


 □


『これより語るは、砂漠に埋もれし国の物語。狂気に飲まれし国の物語。愛と絶望と、希望の物語』

 舞台に躍り出た吟遊詩人は、高らかな声で口上を述べる。

『そして今を生きる僕らの、物語』

 語り部は、豆だらけの指で、ウードを弾いた。



 一幕は、炎の王と星読みの巫女と同じ展開だ。ただひとつだけ違うところがある。炎の王は怪物という設定で出てくるのだ。高砂は半分竜の姿で舞台に立った。

 変わらず王は人間を嫌い、巫女は千夜にかけて物語を語った。

 問題が起こったのは、一幕の最後だった。

 舞台上に作られた書架の塔。その寝台の上で、炎の王と星の巫女は手を取った。

「星の巫女よ、私と踊ってはくれないか」

「ええ、喜んで」

 安堵とともに台詞を言い終わった瞬間、平原を駆ける獣のような速さで暗雲があたりいったいに立ちこめた。

 夜が降りてきた舞台には、月明かりさえも降り注ぐことは無くなった。

 不安が伝染する。観衆たちがざわざわうごめき出すのが清那には見えた。

 しかし、ここで止めるわけにはいかない。

(暗雲さえも、舞台装置にしてみせる。はじめからそういう目的で始めたんだ)

 聖火が照らす舞台を、諸橋が横切る。

『王国を脅かす影が、都を包み込みました』

 諸橋のアドリブのおかげで、滑らかに台詞が繋がる。

 無貎(むげい)の獣が厚い雲から生まれ出でて、空から落ちてくる。

 控えていた兵士たちが、夜が凝縮された化け物を、聖火を灯した弓で射る。

 苦しみ喘ぎながら顔のない獣たちが次々と倒れていく。

 高砂はその手を高く掲げて、激しい炎を灯す。

 赤き星を落とし、獣を焼き、(ほふ)る。

『私は、炎の王として、人ならざる神として、国を守る義務がある』


 □


 白冠のはるか上空で、雲の上に乗る男の姿があった。

 男は鳥族の体を持った上で、背中に黒い羽根を生やしていた。男の隼の部分も闇を煮詰めたような黒に染まっている。男は雲の上で片膝を立て、地上を悠々と見下ろしていた。

 男の横に、雲が集まり出した。そう感じた瞬間、それは人の形を成した。それは三百年前の千夜王を思わせる姿形。

 砂の王は、明星の体にまとわりついて、つまらなさそうに地上を見る。

「呑気に舞台なんてやっちゃって。自分に酔ってるのかな。せっかくこの僕が攻めているというのに、真面目にやって欲しいな〜」

 あちらに意識があるかないかはわからないが、雲の上の明星を、高砂がちらりと睨んだ気がした。

 明星は腑が煮え繰り返る心地がした。いつもそうだった。彼は存分に持てる者なのに、それを自慢もせず庶民のことばかり考えていた。強者が弱者のふりをする行為は、どんな時だって驕りがある。

 怒りのままに次の獣の軍団を作り出そうとした明星の手がふと止まる。

 明星だって砂の王から渡された知識で知っている。彼の権能。知識の王としての最強の権能。

 人に知られて、強くなる。

「駄目だ、そんなことさせちゃ……」

「ん、なんだい?」

 砂の王は明星の頬をふにふに押した。

 明星の顔から、血の気がなくなる。

「サゴちゃんが、知られてしまう」


 □


 公演は続く。

 吟遊詩人は朗々と語る。

『砂の王は顔のない獣で炎の王の王国を攻め入りました。炎の王は獣を追い払うと、また次の攻撃が始まります。その繰り返しでした』

 巨人の形の、一際大きい獣が雲から降りてくる。白冠の中で見るは顔のない巨人は、雄大な阿鼻土渓谷の山々に囲まれていた時よりも一層大きく見えた。

 次に舞台に飛び乗ったのは、鎧に身を包んだ隼人将軍だった。

 生暖かい風が吹き、隼人の長い三つ編みをはためかせる。舞台下に降りてきた高砂が炎を操り、隼人にだけ当たるように灯りを調整した。

 太陽の王子様が、暗闇で輝くように浮かび上がる。

 そのぞっとするような美しさに、観客席から黄色い声が次々上がる。

「点火!」

 隼人が命令したその時、広場の外で準備をしていた王国兵が、一斉にダイナマイトに聖火を灯した。

 巨人の脚元で、ダイナマイトが爆発する。

 巨人の脚に炎が燃え移り、立っていられなくなった。なんとか消化しようと、巨人は千鳥足を踏むが、その炎の赤さに身を焼かれる方が早かった。

 巨人の姿は、砂漠の明かりに跡形もなく消えていく。


 □


 一方、隼日神殿の正門、物見櫓。

「はあっ」

 舞台に出る予定がない隼南と黒夜は、神殿内にいる人間に危害が及ばないよう、獣を追い払う役割を担っていた。

 黒夜は生ける炎が灯る矢を番え、遅い来る獣たちを射る。隼南も先頭に立ち、王国兵の指揮を行っていた。

 櫓の上に立つ隼南目掛けて、一匹の山犬の獣が飛び込んできた。

「隼南王!」

 黒夜は弓を捨てて素早く槌矛に持ち替えた。四方に焚かれている聖火の松明に矛先をかざし、火をつけ獣に突き刺す。獣は太陽が昇り闇が消えるように、その姿を溶かしていった。

「おい、怪我は」

 膝をつく隼南に、黒夜は言う。

「大丈夫」

 隼南は苦しそうに笑った。

「女王だもの、立って、前に出なきゃ」

 直接攻撃は受けていないが、やはり恐怖はあった。それは訳のわからない獣に蹂躙される屈辱でもあり、安泰だった自分の国が揺るがされている現状であった。

 しかしそんなことで挫ける女王など、この世にいていいはずがない、と隼南は思っていた。

(わたくしが、国を背負っているのだから)

「屈辱でしょう、敵国の女王を護るという行為は。黒夜は故郷の大切な人をたくさん失ったのよね。そしてその原因はわたくしの国にもある。わたくしに戦争の責任はある」

 自分の体を両腕で抱えながら、隼南は黒夜に問うた。

 憎らしいほど柔らかい、女の体を抱えながら。

「わたくしが憎いでしょう。その矛で、刺しても構わないわ」

「ふん、馬鹿らしい」

 黒夜は眉ひとつ動かさないで、視界を掠めた獣を燃える刃で振り払った。


 数刻も経たないうちに、攻撃は一層強いものになっていた。

 そこらじゅう獣が徘徊し、兵士たちは爪に、阿鼻土の侵食に、倒れていく。

 隼南もそうだった。王とはいえ強靭な肉体を持っているわけではない。先ほどかすった鉤爪の跡から緑色が侵食し、肌を焦がしていた。

 それでも、物見櫓から決して降りようとはしなかった。

 民が倒れる前に、民を庇って自分が倒れるのが先。それが、隼南が思い描く理想の王だった。

「女王、だから、立つの、前に、立って……」

 左手の甲を緑色に腐らせながら、女王は言う。

 玉のような汗を滲ませながら。

(わたくしは、完璧でなければならない)

 民を背負うのだもの。

 少しくらいの苦難など、飲み込まなければならない。

 わたくしが女である前に王であるということを証明しなければならない。

 王になるの、女だからって誰にも馬鹿にされず、誰にも見下されないように。

 私の美しい顔を、柔い体を、それだけで判断されないように。

 それだけが私の価値じゃない。

 それだけが私の価値じゃない。

 それだけが、

「さっきからごちゃごちゃとうるさいな!」

 黒夜の突然の咆哮に隼南はびくりと体を震わせた。

「お前、ここが戦場だってわかっているのか!」

「でも、私は女王だから、民の前に立って……守られるなんて、恥……」

「くだらない!」

 夜の国の王子は、昼の国の女王の体を、物見櫓の床に叩きつけた。

「女王だろうと奴隷だろうと、矛で刺されれば死ぬし矢で射られれば死ぬんだ! 誇りだなんだの前に、お前は傷を負っているひとりの人間だろうが! そんな命の価値もわかってない奴に民の命なんて預けたくはないな!」

 灰色の瞳が、隼南を見下ろしている。

 心臓が、馬鹿みたいに跳ねている。

 今の感情は恐怖、いや悔しさか。

 建前上護られてはいたが、敵国の王子に助けられることなど屈辱でしかない。しかしこの戦場の中では、彼の国でずっと矛を振るってきたこの少年の方が優れていた。

(なにより、悔しいのは)

 少年の方が、命の扱い方をよく知っていて。

 少年の方が、王たるものに相応しい佇まいだった。

(初めてだわ)

 隼南を王や女といった枠組みで括ることはなく、単純に一人の人間として扱い、その上で護ってくれる者。

 隼南を、価値で判断しない者。

 目の前にいるのは、自分より年下の敵国の王子様。そう分類していたのは、隼南の方だ。

「……俺はお前を許せないが、この言葉を言っている間に、お前を十回は殺せたぞ。この意味がわかるな?」

 灰色の風が、砂塵を吸い込みながら黒夜の黒髪を巻き上げていく。

「ありがとう」

 自然と言葉が出た。黒夜は頷くと、夜が閉じ込められた獣を見据えながら、また矢を番えた。

 隼南は体をゆっくりと持ち上げて、兵士に支えられながら物見櫓を降りていった。


 □


 湿気を含んだ、生暖かい風が吹いている。

 砂漠ではめったに吹くことのない、嵐を引き起こす風だった。

『砂の王との戦争は段々熾烈になっていきます』

 吟遊詩人は語る。その優しい声音は隼日神殿に集まった民衆を物語の中に封じ、なだめるのにぴったりだった。

『私は人間ならざるもの。人ならざる者の責務として、全てを飲み込む。砂の王を、この腹に収める』

「新釈 炎の王と星読みの巫女」最終幕。書架の塔で清那たちが見たあの記憶の再現が新釈の部分だった。台本を書くのに時間もあまりないため、清那たちは大きなあらすじだけ決めて、あとは即興劇として講演する形式をとっていた。

『そんな悲しいこと、言わないでください!』

 寝室が再現された舞台の上で、清那が悲痛に叫んだその時だった。

「ねえ! 話半分で戦わないでくれないかな!」

 嘲るような少年の声が、神殿に響き渡った。

 人々は声の聞こえた方を、空を見る。

 隼玉王の墓を覆っていたあの雲が、強い結界が張られているはずの隼日神殿の上まで迫ってきていた。

「あはは! 砂の王、こーうりん!」

 気が狂った笑い声と共に、ガラス細工が割れるような甲高い音が、神殿を包み込む。

 黒い瞳を狂気の中に埋めた男が、空から舞い降りてきた。

 背中には黒い羽根。

 もうそこには、穏やかな明星はいない。

 高砂は仮設の寝台から降りて、舞台を踏み締める。

 そして、黒い後光を散らしながらはばたく天使に向かって、少しだけ口元を上げた。

「生半可な気持ちでお前と戦えると思うか?」

 高砂の周りに、火の玉が集っていく。

 天使の方も、それを見てにっこりと笑った。

「それは、上等」

 天使は黒い砂を纏わせた。

 清那は下で控える天狼座の楽団に身振りで指示を出した。客星の舞。千夜国で柩神を降ろす儀式に使われていた旋律が、会場内を包み込む。

 流星を思わせる激情を表すかのような曲調は、巫女を陶酔状態に引き込む。

 清那は合わせるように爪先で大地を叩いた。

 甘夏を含む、旧千夜国出身の踊り子たちが舞台に上がってくる。舞台上で舞い上がる白い衣。

 まるでそれは、天の川のように。

 炎の王を、讃える。

 高砂は昨日のように火を操り、炎を体に纏わせる。

 旋回しながら清那が盗み見ると、高砂の額には大量の汗が滲んでいた。

 その様子を俯瞰で見下ろしていた明星、および砂の王は、気持ちよさそうに高笑いをする。

「あは、竜になれないんでしょ。三百年の眠りは甘かったかな? やっぱり君は勝てないみたいだね、サゴちゃん」

 その声は、砂の王のものではなく、しっかりと明星から発せられたもので。

 これこそが明星という男の本質だ、と誰にでもわかるような声音だった。

「明星……」

 驚きというよりはもっと深い感情が込められた瞳で、高砂は目の前の天使を見た。

 明星は空気を集め、雷を纏った槍を空から取り出した。

 自らの上に鎮座する黒雲に狙いを定め、雷の槍を投擲する。

 槍は空気を切り裂きながら、立ち上る積乱雲の中に消えていった。

 空を震わすような、轟音。

 柩神が、来迎する音。

 この白冠で一生を過ごす民たちは、人生で遭遇し得ないその音を確かに聞いた。

 空が、光った。

「ますたー、伏せて!」

 てとの言葉に、清那は頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 木々を薙ぎ倒すような乾いた音と共に、地面に衝撃が走る。

 思わず閉じた瞼を、そっと開けると、清那が先程までいた地面が黒く焼けこげていた。

「え……」

 呟いたのも束の間、その光は地面に次々と落ちていく。

 砂漠を渡る流浪の民は知っているだろう。しかしこの土地にはあまりにも縁遠いもの。

 それは雷と呼ばれるもの。

 会場内がパニックに包まれる。

「はははは、いい気味」

 黒い男は、明星の声そのままで、醜く笑った。

 一方、高砂は至って冷静に明星だけを見つめていた。

「……君は本当に面白くないね」

 明星は地面すれすれまで滑空してくると、痩せた腕で清那の体を持ち上げた。

「え?」

 一瞬の出来事だった。清那の体は宙に浮き、明星に抱えられている。

「ほら、愛しの清那君はここだよ。憎い憎い砂の王を殺したいとは思わないのかい?」

 人質に取られる清那には一瞥もくれず、高砂はまっすぐに明星の黒い瞳を睨んでいる。

「俺は、別にお前を憎いとは思っていない」

「は?」

「それに今お前のところに飛び込むのは上策ではないな。明らかに罠だろう」

 高砂は炎を引っ込めながら、いつもの顎に手を当てる仕草をした。

 明星は明らかに動揺した。

「いや、いやいやいや、いつもの君なら突っ込んでくるだろう、ここで。だって僕の知るサゴちゃんは、思慮深い割に短気で、自分より他人を選択して、それにやたら暑苦しいはずだ」

「そうかもしれないな」

 不敵に笑ったその時だった。

 高砂の体を、一本の黒い槍が貫いた。

 反動で舞台の後方まで飛ばされる。竜の尻尾は、今にも炎が消えそうだった。

「ふざけッ……」

 明星に抱き抱えられたままの清那にはわかった。明星の鼓動は早く、体からは汗が吹き出している。

(余裕がない?)

「はは、舐められたものだ」

 高砂は刺さった槍を握ると、息を止めて一気に引き抜いた。

 舞台に囚われたままの観客から、歓声が漏れる。

「今は清那君に、いや、皆に期待されているからな。そんな粗末な命の使い方はしない」

 覚めよ、覚めよ、竜の子よ。

 楽隊の演奏が変わる。

 それは語り継がれた子守唄であり。

 炎の王の復活を祈る歌。

 我らの王の歌。

 歓声は波のように、肌を焦がす熱い風のように。

「俺は俺自身の価値を、もう二度と間違えたりはしない」

 高砂の体から、炎が噴き出した。

 炎の王! 炎の王! 炎の王!

 歓声が大きくなっていく。

『人の声が私を呼ぶ限り、私が負けることはない!』

 槍で空いた傷が、金色の光を纏いながら塞がっていく。

 炎の王! 炎の王!

「燃えろ!」

 高砂は空に咆哮した。

 黒雲を、一筋の光が切り裂いた。


 それが空を飛ぶ姿は、遠く阿鼻土を守る彼の王家の末裔の目にも入った。

 この国にいる誰もが、その姿を見た。

 それは閃光。

 砂漠を照らす光。


 その時。

 人は皆、認識した。

 あれこそが物語に語られる、「竜」だと。


 竜の体を得た炎の王は、生ける炎を伴に、黒い天使へ飛んでいく。

「なんで……」

 天使は泣きそうな顔で、苦しげに声を絞り出す。

 全身から力が抜け、その腕の束縛から清那が離れた。地面に向かって一直線に落ちていく清那を、炎を纏った竜が拾った。

 清那は温かい竜の体にへばりつき、顔を埋めた。言葉はないが、胸が苦しいほどのその熱に一度触れ、上体を持ち上げて、竜になれなかった天使を見た。

 伏せた顔。苦悶の表情を隠すように手で覆っている。

 黒雲はやがて湿気を巻き上げ、白冠全体を闇に落とす。

 雷鳴。

 咆哮。

「なんで君には、人がついていくんだ!」

 黒い砂が、天使を包み込んだ。

 大きな雨粒が、ひとつ、ふたつと砂の城を叩いた。

 雨が降る、土砂降りの雨が。

 巻き起こる嵐は、明星の心情を表しているかのようだった。

 それは悲痛な叫びだった。

 都市を見張るように周遊する炎の竜は、清めの炎をまき散らしながら翼をはばたかせた。

「清那君、聞こえるか?」

「はい、聞こえます」

「俺はこれから、星渡祭を行おうと思う。せっかくの父の遺産だ。存分に使わせてもらう」

 高砂のことだから、地図は頭に入っているのだろう。

 あとは隼玉王が創建したであろう墓の巡礼を行うだけ。

「代わりに、清那君には明星の対応をしてほしい」

「明星先生の?」

「ああ。君を今から明星の思念と繋ぐ。君はアイテルが通りやすい体だ。明星が考えていることが見えるだろう。それに……」

 竜は少し口ごもった。

「あいつは俺の話は聞かないだろうし」

 やけに自信なさげに言うので、清那は思わずくすりと笑ってしまった。

「高砂先生にもできないことってあるんですね」

「それはそうだろう。人の気持ちはいつまでたってもわからないよ」

 やさぐれた様子で言う竜が、なんだかすごく愛おしく感じた。

「わかりました」

 頬に風を感じる。

 吹き抜けていく突風に、小麦色の髪をなびかせて、清那は言う。

「行きましょう」

 明星の体はもはや雲と一体になってしまい、なにも見えない。

 竜と巫女は、その雷を孕む雨雲に、突っ込んでいった。


 □


「兄に比べて、君はなんて出来が悪いんだ」

 父は言った。

「申し訳ありません」

 僕は返した。毎日のことだから、別にたいしたことじゃないけど、でもちゃんと心をこめないと怒られるから、なんとなく声を震わせてみた。

「もういい」

 父はその場を去った。

 兄さんが怒られているところを、僕は見たことがない。怒られるのはいつも僕の領分だった。

 無駄に大きい屋敷は人が住むには広すぎて、父が去った夜の廊下はしんと冷えている。

 僕はフードを被り直して、自室に向かった。


 部屋に戻ると、諸橋おじさんがいた。

 諸橋おじさんは、自分じゃ言わないけれど、僕の本当の父親だ。明らかに僕と似ているし、そういう話を盗み聞きしたことがある。秘密にするにはいつも詰めが甘いなと思ってるけど、おじさんは僕に唯一優しくしてくれるから、僕は好きだった。

 でも、今日の話はつまらなかった。

「高砂君って、言うんだけど、宮廷図書館に毎日来てくれる子がいてね。侍女長の連れ子で、大変優秀なんだ。将来は朱鷺(とき)書院の教授も夢じゃないな」

「へえ」

 僕じゃない誰かの話だった。別にほかの人の話なんてどうでもいい。諸橋おじさんは僕とその子が友達になって欲しいんだろうけど、そんなのはいい迷惑だった。

 だって、おじさんを独り占めできなくなるから。

 おじさんはもう、僕に興味は無くなったのかな。

「ねえ、諸橋おじさん」

「なんだい?」

 僕を見るおじさんの目は優しい。僕はほっとした。まだ僕を見てくれている。

「なんでもない」

 僕が朱鷺書院に入れたら、諸橋おじさんもちゃんと、僕だけを見てくれるかな。

 つまらない研究だけじゃなくて、僕といっぱい遊んでくれるかな。



 家の廊下を、僕は駆けていた。

 長い廊下がうらめしい。小さい家だったら、すぐにおじさんに会いに行けたのに。

「諸橋おじさん! 僕朱鷺書院の入試に受かっ……」

 おじさんの部屋の前には、人だかりができていた。

 王国軍の制服の人たちが、家具とか、雑貨とか、おじさんの私物を運び込んでいる。

「おじさん?」

 僕がつぶやくと、肩を叩く人がいた。

 義理の、父親だった。

「あれは罪を犯した」

「罪って、どんな」

「金の使い込みだそうだ」

 父はそれだけ言った。冷たかった。この人はいつも、おじさんを馬鹿にしてた。馬鹿にしてたというか、どちらかというとそれは、父の方が劣っているが故のやっかみに近かった。

 僕のおじさんが、そんなことするはずがない。

 だって、僕のおじさんは世界一やさしくて、あったかくて。

「あの、僕、入試に受かって」

 小さく言うと、父は興味がなさそうに言った。

「うちの家の者なら、それくらいできて当然だ」

 当然。

 それはそうだ。僕の家はこの国で一番偉い神官を輩出する家だ。最高学府の入試に受かるなど些末なこと。

(でも、僕は)

 血の滲むような勉強をしたのに。

 元の素材の悪さは、どうしようもなかった。

 廊下に人が通らなくなっても、僕は遠くから、おじさんの部屋を見つめていた。

「みじめだね」

 ふと、声が聞こえた。

「え?」

 振り返ると、ただ影があった。

 それは狗族の人の形を取っていたけど、目を凝らしても詳しくはわからなかった。

「ねえ、僕と一緒に遊ばない?」

 その日から少年の影は、僕の友達になった。



 朱鷺書院に入った僕が、四年の時だった。問題の男が同じ学部に入学したと風の噂で聞いた。

「君が、高砂君?」

 白い髪をきつく後ろで縛った、まだあどけなさが抜けない少年に話しかける。しかし何も聞こえなかったかのように、少年は砂漠用のブーツの紐を結んでいた。

「ねえ、無視?」

 口をとがらせて聞くと、やっと少年は口を開いた。

「俺の邪魔をする気配がしたから会話をしないだけだ」

「邪魔?」

「気に入らないからって、研究の邪魔をする者は数多いる。そういった輩とつるんでいる暇はない」

 そう言って立ち上がり、重そうな背嚢を背負ったので、思わず聞いてしまう。

「何やってるの」

「これから南方砂漠に調査に行く」

「え? あっちには千夜国の遺構しかないと思うけど」

 少年は振り向いた。

 僕は初めて、その顔を見た。

 鋭い目つきは、確かに頭の回転が速そうだった。それよりも、強く感じたもの。

 その、真っすぐな、黒い瞳に。

 僕には到底及ばない、その心の純朴さを、感じ取ってしまった。

「人がいるだろう」

 別に不思議なことはない、とでも言うように。

「人がいる限り、歴史はある」

 僕は理解してしまったのだ。

 諸橋は、僕よりこの子を気に入るだろうな、と。



 朱鷺書院のタイルが敷かれた廊下を、小麦色の髪の少女が駆けて行った。

「すごいなあ、山犬の女の子が」

 彼女は僕の担当だった。初めての女性の担当に緊張はしたが、彼女は気丈でなにより聡明だった。

 自分の影から、いつもの黒雲が昇ってくる。

「ニャル、書院で出てきちゃだめだよ」

「君の妹をちゃんと見ておこうと思ったんだよね」

「……妹? いた覚えがないけど」

「あの犬の女だよ。君を裏切った男が、砂漠の果てでもう一人作っていたのを知らないの?」

 雲はニヤニヤ笑っている。この雲は唯一の友達ではあるが、性格はけっこう悪い。そんなところも好きではあった。

 僕の弱さを、赦してくれるような気がするから。

「諸橋おじさんのこと言ってる?」

「当たり前じゃないか。まあ彼女は君とは違って、義理の両親に随分と愛されているみたいだね」

 それは部外者の僕でさえわかることだった。神官になれるわけでも貴族に嫁げるわけでもないのに、こんな学費がかかる場所に娘を通わせるだなんて親馬鹿がすぎる。

 胸の奥が、ずきんと痛んだ。

 ニャルの話が本当であれば、彼女は僕と同じ境遇なはずなのに。

 彼女はとても幸せそうだった。

 あの高砂とかいう男も清那さんも、楽しそうに研究していた。強い人間たち。

 瞳を輝かせる、人たち。

 僕にとって研究とは、生きるための手段で。

「なんで」

 なんで、僕だけがこんな目に遭わないといけないんだろう。



 そして僕は、諸橋が固執していた千夜研究に手を出した。

「炎の王?」

 諸橋の手記に残されていた一説が、妙に気にかかった。

「おお、やっとみつけてくれたね」

 ニャルが僕の影から出てくる。

「気づいてるかもしれないけど、僕は柩神なんだ。で、その炎の王ってのが、僕を弱体化させて、千夜国を滅ぼした原因」

 彼の語る真実の歴史は興味深く、認識がひっくり返される心地がした。照耀国の歴史では隠されていた事実。その整合性のしっかりとれた語り口に、僕は胸が躍った。

「君は、炎の王の復活を止めるためにいるんだ」

「え? 僕が? そんなことできるわけないよ」

「この柩神が直々に選んだんだ。間違いない」

 自信満々に黒雲が言うものだから、僕もなんとなくいい気分になった。

「で、どうすればいいの」

「高砂っているだろ、君の後輩」

「うん」

「あいつは僕にとっての君と同じく、炎の王が憑依する先なんだ。あいつを殺すんだよ」

「……サゴちゃんを?」

 確かに高砂のことは憎いと思っていたが、最近はそれ以上に、僕には到底敵わない輝きみたいなものを感じ始めていた。

 あの人間に、僕なんかが届いていいものなのか。

「大丈夫だよ。僕の言うとおりにすればいい。そうしたら君は、世界を救う英雄になれる。誰もが君を、認めてくれる」

 なんて甘美な響きなのだろう。

 僕はまだ、誰にも認められたことなど、なかった。

 父も諸橋も高砂も、清那さんも。

 誰も。

 誰かに認められたい。

 誰にも嫌われたくない。

 誰かに、愛されたい。

 誰かに、僕だけを、見ていて欲しい。

 その思いは僕を強く突き動かした。


 気づいたらもう手遅れで。

 気づいたら僕が悪者になっていて。

 だから、とにかく。

 この不条理な世界を壊すことしか。

 僕のせいだった。

 僕のせいで。


 □


 ただ、闇が広がっていた。

 暗闇の中、少年の姿の明星が膝を抱えていた。

「僕のことなんて、わかる、わけないでしょ」

 膝に顔を埋めながら、少年の明星は言った。

「仰る通りです。私は貴方の痛みを想像することしかできません」

 清那は明星に向かって歩いた。

 静かに、ゆっくりと。

「でも、これだけは言えます。貴方は自分自身の価値を低く見積りすぎです。貴方を慕っている生徒は沢山いるし、私もその一人です。忍塚さんだって、高砂先生だって、明星先生の優しさを信頼していました」

 清那はしゃがんで、うずくまる少年と目線を合わせた。

「誰に何を言われようと、自分自身の価値を決められるのは、自分しかいないんです。どうせ決めるのは自分。だったら、少しくらい価値を盛ったっていいじゃないですか」

 少年に、手を差し出す。

「人と比べることだけが正義じゃありません。だって、星の瞬きに、ひとつとして同じものはないでしょう?」

 少年は、覗き見るように顔を少しだけ上げ、清那を見た。

 清那は、ほほ笑む。

「笑われたって、かっこ悪くたって、自分だけは、自分を誇っていいんです」

 清那は泣きはらした少年を、思い切り抱きしめた。


 □


 竜は巡礼した。

 星の運行に合わせて、白冠に散らばった墓を廻った。

 火の粉をまき散らしながら、黒い雲に覆われた街を清めながら。

 夜は終わりに近づいていた。

 黒雲は、晴れていく。


 □


 やがて、黎明が訪れる。

 空は灼けるように燃え上がり、やがて白んでいく。

 雨上がりの濡れた地面が、きらきらと輝いている。

 その街の一角。

「オシ、やるよ」

「ああ、任された」

 緑髪の男は、いつの間にやら魔女が地下に巡らせた法陣に向かって、拳を振り下ろした。

 地脈が、その拳に反応する。

 砂漠に打ち捨てられた種たちが、一斉に成長を促された。

 誰も知らない、その路地裏で。

「んふふ、あなたにあまりある豊穣と、祝福を」

 魔女、否、大地の女神のつぶやきは、まだ冷たい朝の空気に溶けていった。


 □


 隼日神殿の舞台に舞い降りた清那たちは、信じられない光景を見た。

「花畑……」

 地面に埋まっていた植物が、大雨で一気に芽吹いたのだった。

 もはや白冠は、花の都と言っても差支えがなかった。

 一夜を共に過ごした観客たちは、予想外の演出に歓喜していた。

 砂漠は緑に覆われ、葦の原は黄金色に揺れる。

 舞台に再び戻ってきた諸橋が、犬耳に耳打ちをする。

「清那さん、そろそろ幕を下ろさなきゃ」

 その言葉に、自分は今舞台に立っているということをやっと思い出した。

 竜の姿から人間に戻った高砂を見やる。

 高砂は清那に気づくと、微笑んで両手を広げた。

 草原になった舞台を、裸足で踏みしめる。

 むっとするような青臭い香りが、あたりを包み込んでいる。足を進めるたびに、水滴が肌を湿らす。

 清那はその大好きな胸に、自ら飛び込んでいった。



『国を救った炎の王と星読みの巫女は、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。おしまい』

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