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砂の王と千夜の唄  作者: 回向田よぱち
第一夜 地の色は黒
2/22

 照耀国は建国より三百年の歴史を持つ。

 三百年前の当時、大陸を支配していたのは千夜国という大国だった。巨大な都市を築き川の恵みを操り田畑を潤したその基には強固な奴隷制が敷かれていた。最も主流な歴史書によると、月のない夜のように黒い山犬の耳と尾を持つ千夜国王家は悪神と契約をしており、大量の生贄を求めては星を読み私服を肥やしていた。悪政の上に成り立つ王国だったのである。

 照耀国の初代王、和隼王は千夜国北部、現在でいう白冠(はっかん)の地方豪族の家に生まれたが、その実は金と青の目と褐色の肌、青灰色の隼の羽を持つ太陽神の生まれ変わりだった。飢饉が起こった年を境に国政が悪化したのを機に、彼は神の力をもって圧政に苦しめられる民を解放し、千夜国の神殿に巣食う悪神と対峙する。戦いは一千夜にも及び、数々の謀略と数多の犠牲を払いながら、夜明けと共に和隼王は悪神とその王家を打ち倒した。戦いの果てに千夜国は荒れ果てて砂漠と化した。

 和隼王は民に約束する。神である自らの一族が民衆を守護すると。絶対的な太陽の一族である清き隼が豊かで美しい国を作ると。

 かくして現在の繁栄は作られた。

 太陽を讃えよ、蒼穹を泳ぐ隼を讃えよ。

 我らの平穏は照耀王なくして存在しないのだから。


    □


 昨晩は村唯一の宿屋に泊まった。

 砂漠のど真ん中ということもあって、いわゆる良い宿ではなかったが、駱駝移動と野宿を強いられた数日間を経験しているため、寝台で休めるだけでもありがたかった。布団に身を横たえた瞬間に寝落ちていて、思いの外ぐっすり眠ってしまった。

 申し訳程度の小さな窓から差し込んだ朝日が頬を刺す。その眩しさで起きた。

階下の食堂に向かう。既に高砂は食卓につき、粉でざらついた珈琲を飲んでいた。清那に気づくと、おはよう、と短く言った。

 手には紙の束を持っている。昨日あらかじめ渡しておいた書きかけの卒業論文である。

「君の論文は読んだよ」

高砂は珈琲を飲み干した。表情が変わらないので美味しくなさそうに見える。

「もう読んだんですか⁉」

「ああ。そんなに驚くことか?」

 面倒だとか言っておいて、頼まれたことはやるらしい。意外と良い人なのかと思いそうになったが、初対面が酷いから良い人の閾値が下がっていることを忘れてはいけない。

「確かに明星の奴の手に負えないものだな。一見すると照耀の歴史を主題にしようとしているが、本当に知りたいのは、比較対象として挙げられている千夜のことだろう。実に巧妙だ」

 ばれている。

 鬼才というだけある。昨日今日でさらっと読んだ論文の肝を一瞬で見抜いた。

 教師を騙すような論文を書く自分も自分だが、千夜国の研究は下に見られがちなのだ。迷走していたというのはここに原因がある。評価者にとって価値のないものを提出したところで、評価されないのだ。

 怒られる、と思った。

 しかし予想に反し、高砂はそのまま言葉を続けた。

「となると、君の論題である千夜国の伝説の類を、文字資料から探そうとするのは悪手だ」

 清那の論文を褒めることも貶すこともしなかった。

 歴史学は代々の書記官が記す資料が根拠になる。確かな学のある人間が書いた文字資料でないと信用できないからだ。

 それを悪手とは学会に歯向かうような暴論である。

「他に方法があるんですか?」

「沢山あるよ」

 思い浮かばない。文字以上に頼りになる論拠などあるだろうか。それこそあのオベリスクしかないだろう。

「そうは言っても、千夜国の文字は読めないんですが……」

「文字資料は駄目と言ったのが聞こえなかったのか。まあいい。君の糧にもなるだろうし、今日は一緒に回ろう」

 高砂は席を立つと、台所に立つ女将に向かってご馳走様でした、と言った。広い砂漠にいた時は気にならなかったが、建物の中に入ると姿勢が良く上背があるのが目立つので、威圧感がある。

「この辺に資料があるとは思えませんが……」

「言っただろう。資料ならそこらじゅうに転がっている」

 高砂は得意げに口角を上げた。

 清那が見た初めての表情だった。


 高砂が向かったのは、なんてことない日干し煉瓦造りの民家だった。オアシスを取り囲むように存在する家々は、湖畔横のかろうじて取れる程度の畑で自給自足しているらしく、その家の脇にも畑があったが、決して裕福な家ではない。

 こんな場所に、論拠となるようなものがあるのだろうか。まさか、千夜の生き残りの、身分が高い人間が住んでいたりして。

「失礼します。高砂です」

 高砂が傾いた木戸を叩くと、中から老婆が出てきた。白髪交じりの驢馬耳に、目じりには深く皺が刻まれている。

「ああ! 高砂先生! 待っていたよ。年寄りには世間話くらいしか楽しみがなくてね」

「俺なんかが相手になれるなら光栄です」

 清那はふと、高砂の顔を見る。その表情に少しだけぎょっとする。

 この二日間見せたことのないような、柔らかい顔をしていた。普段なら底なし沼を思わせる黒い瞳に、光が通っている。なんだこの差は。

 老婆は皺をくしゃりと笑わせる。

「今日は彼女さんも一緒かい?」

「いいえ。こちらは助手の、えーっと……」

 名前すら覚えていないのか。

「清那です。よろしくお願いします」

「よろしくね。あたしゃ麦だ。気軽に麦ばあと呼んでくれ」

 清那は差し出された手を握った。優しくて芯のある女性という所感だ。

「麦ばあさんは村の取りまとめを長くやっていらっしゃったんだ。この村に関することなら誰より知っている」

 麦ばあは曲がった腰から首を突き出した。

「学者先生みたいな知識はないけど、いいのかい?」

「それが、いいんですよ」

 高砂は目を細めた。昨日の高砂を知っている清那からすれば随分白々しく映った。

 家の中に案内され、ささくれの目立つ椅子に座った。出されたお茶は山羊の乳から煮詰めたもので、ストレートで飲む習慣のある北部王都ではまず見かけない。

 高砂は、研究の主題を聞くというよりかは、本当におばあさんと世間話をしているだけだった。高砂特有の、低い声でゆっくり語りかけるような喋り方が功を奏しているのだろう。麦ばあの方もすっかり安心して話している。清那は手帳を取り出していたが、何を記録していいのかわからず、ただペンを持ったままになっていた。

 ふと、高砂は、竈の方を見やる。

 竈には十字と円を組み合わせたアンクと呼ばれる飾りがかかっている。生命力の象徴で、厄除けや豊穣のお守りとして使われるものだ。木を彫りだして色を塗ったものであり、小さなものは携帯用のお守りとしても売っている。

「へえ、アンクが黒いんですね」

「ああ、この辺じゃみんなあの色だよ。王都じゃ違うのかい?」

「ええ。色には地域差がありますね。王都周辺は白が多かった気がします」

 確かに、清那の実家にあるアンクも白かった。太陽祭の出店で毎年買うが、黒いものは並んでいた記憶がない。

「これは祭りか何かで買ったものですか?」

「いいや、村の太陽祭のときに一年の豊穣を願って皆で作るんだよ。そういうしきたりになっている」

 高砂は満足げな表情を浮かべ、手帳にペンを走らせた。

「なるほど。参考になりました」

 

 麦ばあの家を出て、村にある家を何件か回った。高砂はそこでも、収穫作業に出ていないお年寄りを見つけては、世間話をしてなにか必死に書きつけていた。清那は何が何だかわからず、世間話に相槌を打つことしかできなかった。

 宿に戻ってきた時には、もう日が暮れかけていた。

 高砂は調査結果が好調だったようで、やはり無表情だがなんとなしに浮ついているような雰囲気を纏っていた。

「予想した通りだったな。これならまとめることができる、うん」

 夕食の食卓でも、なにかぶつぶつ独り言をつぶやいている。

「ご老人の世間話なんて信用できるんですか?」

 正直、清那はあきれ果てていた。今日話を聞いた人たちは皆、一線を退いた老人たちである。農業で生計を立ててきた庶民であり、歴史学とは遠くかけ離れた者たちだった。本はおろか、文字が読めるような人はいない。

「できる、できないじゃない。信用するんだ」

「でも文字で書かれてないと出典として信用が……」

「君がやりたいことは、そういうことなのか?」

「どういう意味ですか」

「だから、君の研究対象は書物に載っているのか? 文字の読み書きを学べるのは富裕層だけだろう。つまり書物でも石板でも、刻むのは王に与する者たちだ。しかし君の研究対象は、今は亡き敵国の話だろう。王の信奉者がそれを記録するのか?」

 高砂が言ったことはもっともだった。

 清那の論文は照耀国と千夜国の神話、伝説を比較するというものだった。しかししっかりとした編纂資料がある照耀国に対し、千夜国のことを書いた資料はほとんどない。書く者がいない歴史は存在しないも同じなのだ。

 そんなことは、わかっている。

「しかし、他の先生は皆、文字資料という論拠がなくては信用に足らないと」

 高砂は、拳で机を叩いた。

 思わず体が跳ねた。この石のような男も感情的になることがあるのか。

「なにが論拠だ」

「へ?」

「頭のぼやけた選民に捩じ曲げられたものに、論拠もクソもない」

 これでもかと眉間に皺を寄せ、吐き捨てた。

「でも、先生が貶すその人たちが、私の論文を評価するんですよ」

「そんなの気にするな。整合性のある論文を書いたら、いやでも評価せざるを得ない」

 詭弁だ。

 それができるなら、私だってやっている。

 でも現実は、そんなに甘くない。

「先生は……」

 腹の底から湧き出したのは、黒い感情だった。

「恵まれているからわからないんでしょう。暴論を叩きつけて学会から白い目で見られても、頭が良くて実家が太いから自由にしていられるんでしょう。でも私は女で、豪商とはいえ狗族の庶民の出身だ。教員に逆らうことなどできないんです。いくら心の広い学者だって、身分の低い、馬鹿な女の書いた論文を色眼鏡なしで読んでくれることはない。だから、どんなにやりたいことと離れていても、形式では従うしかないんです」

 女に、生まれなければ、よかったのに。

 貴族に生まれていたなら、こんなに苦しむことはなかったのに。

「先生とは、境遇が違うんです」

 いつの間にか、息が切れていた。

 頭に血が上って、手足が冷えている。

 八つ当たりでしかないことは自分でもわかっていた。しかし、男の社会でやっていくには、清那にはあまりにも、力がなさ過ぎた。

 高砂は清那に詰められている間、ただじっと耳を傾けていた。そう、それは聞き入るように。表情は違えども、老人たちと話す時と同じだった。

 清那が息を切らして言葉を止めると、高砂は考えこむように顎に手を当てた。

「言いたいことは色々あるが……」

 顎に当てていた手を離す。

「俺は清那君のことを、馬鹿な女と思ったことは一度もない」

 黒い瞳は、清那から視線をそらすことはしなかった。


 気まずくなって食堂から逃げて、どれくらい経っただろうか。

 なんとなく部屋に戻りたくなくて、毛布片手に屋上に上がってきていた。壁に寄りかかって、ぼうっと空を見る。

 これでもかと星が瞬いている。

 それは黒い空を横切るように、乳白色の大河を描いている。

 夜風が体に沁みる。

 清那は毛布に包んだ体を縮めた。

それでも夜が好きだった。騒がしい昼と違って、星明りは清那を包み込んでくれているような気持ちになった。

「ねむれねむれ~、ひとのこよ~」

 いつのまにか歌を歌っていた。小さなころから、辛くなったら屋上に登ってこの歌を歌うのが習慣になっていた。清那はひとりだが、星辰の下では決して孤独じゃなかった。

 歌いながら、涙が頬を伝う。

「ほしはおち~、ららら、らららら~」

 歌詞はよく覚えていなかった。いろいろな人に尋ねてみたが、清那以外にこの歌を知っている人はいなかった。家族でさえも。

(私の、本当のお母さんの歌)

 母の花の香りを思い出して、目を閉じた。

 夜空を写し取ったような黒く大きな犬耳も、豊かな巻き髪も。年月と共に記憶はかすれていく。それでもとどめておきたかった。

 どこからか、歌が聞こえてくる。

「眠れ眠れ、人の子よ、星は落ち砂に埋もれど、夜は明け鳥が鳴けども、優しき君のともし火は、永久に砂漠を照らしうる……」

「え⁉」

 振り向くと、いつの間にか盆を持った高砂が立っていた。

「夜食だ。女将が心配して作ってくれた」

シャワルマ(平たいパンの中に野菜と鶏肉を詰めたサンドイッチ)が乗った皿と、乳が入った熱い茶をぞんざいに置いた。

 用は済んだとでも言うように立ち去ろうとしたので、必死に背中を止める。

「待って」

 泣き疲れていたため、かすれた声が出た。

「この歌のこと、知っているんですか」

 高砂は一瞬立ち止まると、引き返して清那の隣に腰を下ろした。

「ライラの唄。主に南方砂漠で歌われている子守唄だな。調査に入ったときに聞いたことがある」

「ライラの唄……」

 名前を聞くのは初めてだった。二十年以上知ることはなかったのに、その名前がしっくりくるような気がした。

「知っている人、初めてです」

「民謡を蒐集するのも俺の研究に繋がる。ライラの唄は子守唄だが、千夜国は永遠だと隠喩している歌詞なんだ。王都で聞かないのも道理だろう」

「……それでも覚えていてくれる人が、いたんだ」

 高砂に聞こえていたかどうかはわからない。聞こえないほどのつぶやきだった。

 高砂はそれ以上なにも言わなかった。

 ただ、満天の星を見上げていた。

 二つの白い息が、大気に溶けていく。

気まずいはずなのに、清那はなぜか心地よさを感じていた。

 不思議な感覚だ。胸が締め付けられるような郷愁と、相反する安心感を同時に抱いていた。

 また、涙が溢れる。

「先ほどは本当に申し訳ありませんでした」

「別に怒ってはいないよ。学問の世界が庶民と女性に厳しいのは事実だ」

 ただそう言って、村の遠景をじっと見つめた。

「私、黒狗(くろいぬ)の戦いの戦争孤児なんです」

 千夜国の生き残りによる、最後の反乱と言われている戦いだった。旧千夜国と照耀国の国境地帯、砂漠化で今にも埋もれそうな黒狗の街でそれは起こった。千夜の残党が領主の館を焼き払ったことから始まったとされる紛争。当時三歳だった清那はよくわからないまま目の前で人が、母親が殺されるのを見た。必死で逃げて、逃げて、街道の縁で疲れ果てて倒れていたところを、当時行商で砂漠を回っていた両親に拾われた。

「この歌は亡くなってしまった本当の母親がよく歌ってくれたものなんです。歌っていると、母親が泣くなって言ってくれているような気がして、勇気がもらえるんです」

 清那は手の甲で涙を拭った。

「ずっと、私の本当の故郷のことを、知りたいと思って生きてきました。今の父母は行商で来ていただけで詳しくは知らないと言うし、勉強すればなにかわかるかと思って、周りの女子が次々と結婚していく中学問の道に進みました。でもそもそも千夜国に価値があると思って研究している先達はいなかった。わからなくなりました。どんなに努力しても馬鹿にされて、疲れ果てて、いつしか波風立てず卒業をするために、照輝国の歴史を学ぶようになりました。よしんばそれで卒業できたとしても、こんな頭でっかちな、嫁き遅れ女、嫁にもらいたいと思う人はいません。やりたいことができなくて、女として正しい道も歩めなくて、こんな、こんな人生……」

 いつの間にか子供のように泣きじゃくっていた。

 高砂は寄り添うでもなく、やはり淡々と語る。

「人生の価値を他人の基準に委ねるのは愚かだよ。価値を決めるのは自分自身以外ない。研究対象だって、君がこだわる論拠だってそうだ。君が価値があると思えば、他人にどう言われようとそれには確かに価値が存在する」

 黒い目を伏せた。長いまつ毛が褐色の肌に影を作る。まじまじと見たことはなかったが、こう見るとしっかりと整った顔立ちだった。

「俺は、黒は、死の色だと思っていた」

 言葉を吟味するように一拍置いた後、白い息に乗せるように、ゆっくりと語りだした。

「黒色は不吉だと、照耀の人は毛嫌いする。しかし、南方砂漠では、装飾品や祭具にも黒い色が使われている。君の故郷の黒狗の街だってそうだろう。しかし照耀にはそんなことを書いた文献はない。途方に暮れた俺は、参考資料が無いなら現物をあたろうと、聞き込み調査を開始した。会話の端々に滲む話者の感覚、家の中にある何気ない調度品、それらを細かく観察して黒色に対する証言を得られた地域を地図に落としてみた」

 砂の積もった屋上の床に、指で大陸の地図を描いた。南半分に、線が引かれ、丸で囲まれる。

「好意的な証言が得られた地域は旧千夜国のオアシス地帯、砂漠化前は肥沃な農耕地だった地域と重なった。それが判明したことで簡単な仮説が立った。しかしより立体的な論を組み立てるにはもう少し材料が必要だ」

 丸の中の、現在の河畔や小規模なオアシスになっている地域に斜線が引かれる。

「そこで俺は、最後に千夜国の遺産である壁画に目をつけた。昨日石塔に上って確認したんだが、壁画に書かれた地面が黒く塗られていた。普通は地面を赤い染料で書くのに、だ。つまり、旧千夜の人間にとって、黒は水の染みた土壌の色であり、豊穣の証なんだ。死の色も、場所が変われば、生の色になる。価値のあるものになる」

 こんな研究方法は聞いたことがなかった。

 ただ人の世間話も、集めれば大きな力となり、論を動かす説得力になる。筆を持たぬ人にも、人生という名の歴史があるのは同じなのだ。

「存在しないものの歴史を、真実にする……」

 明星が言っていたのは、この事だったのか。

「郷土料理、仕事道具、流行歌、村祭の舞、何気なく使っている言葉。どれを取ってもその裏には人の人生、想いがある。俺はそれを探すのが楽しい。だから自分の足で歩いて、何者でもない誰かの話を聞く。そこに出世や学会なんて関係ない。それで金が尽きて野垂れ死んだとて、その時はその時だろう」

 他人から見て、この世に価値がなくったって。

 目に映る世界に価値を見出すのは、自分以外誰もいないのだ。言い換えれば、自分の心の中で強く価値を信じながらも、俯瞰的に切り崩し構築すればそれは、誰かにとっても確かな実感のある価値となる。

 だから、自分の判断に、自信を持って行動する。

 それが高砂の生き方なのだ。

「ライラの唄も、高砂先生には価値がありますか」

 冷えた爪先に、暖かさが戻ってきていた。

「無論だ」

 清那を見つめる高砂の口端は、少しだけ角度が上がっていた。

 冷たい夜風は、いつの間にか止んでいた。

 清那は天を仰ぐ。

 幾千の星は永遠の安らぎを歌うように瞬いている。

「眠れ眠れ、人の子よ」

 千夜の唄を唇に乗せる。

 この唄を歌う者は、もうひとりではない。

 今日はいつもより、夜空が明るいような気がした。

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