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砂の王と千夜の唄  作者: 回向田よぱち
第五夜 無貌の獣よ、緋色の鳥よ
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 娘は毎夜、塔の上に棲む青年に物語を語った。

 ある時は海を跨ぐ男の冒険譚を。

 ある時は盗賊を騙して宝物を得た男の話を。

 ある時は魔法のランプを手に入れた少年の話を。

 魔神の話を、魔法の話を、そして、人間の話を。

「内容、十夜前と同じじゃないか」

 不機嫌そうに怪物の青年は眉を潜める。

「わかってないですねえ緋砂様。この怪物の色が北部では黒、南部では赤になっている意味、解りますか?」

 ニヤニヤと頬を釣り上げなから、犬耳の娘は返す。

「話が伝わる過程で変わっただけだろう」

 青年は寝台に寝転がって口を尖らせた。興味が失せたとわざと娘に思わせるように、枕元に転がっていた書物を開き文字に目を這わす。

「違いますよ。北部は沼地が多いんです。沼地とはつまり死に直結する場所。沼地は黒いでしょう? だから黒が忌まれるんです。逆にこちらでは赤は厄を祓う炎の色であると共に砂漠の色です。強い力を持った色として扱われるんですよ」

 娘は青年の腰から生える尾に目をやった。黒い鱗から尾先に視線を滑らすと、赤い炎が灯っている。生きているかのように踊る炎が。

「このように怪物の色ひとつとっても、人々の暮らしが隠されているんです」

「それは興味深……」

「お、私の勝ちですか?」

 娘の強気な翠玉の瞳に、青年は言いかけた言葉をつぐんだ。

「いや、それだけのことだろう。別に面白くもない」

 その様子に娘はくすくすと笑った。

 青年は分が悪くなり、ますます不機嫌そうに眉間の皺を深くして、娘と反対方向に体を曲げた。

「緋砂様は頑固ですね」

「君の方がわからない。なぜ私に構うんだ」

「それは、千夜を超えるまで秘密です」

 青年の尖った耳に、衣擦れの音が入る。どうやら寝台から降りたらしい。そしてそのままそれは螺旋階段を金靴で下る音になった。

「あと、数夜……」

 青年は娘には聞こえないほどのつぶやきを、夜闇に向かって吐いた。



 星が強く瞬いている。

 塔の外は全くの晴れ空で、夜半の月は赤冠の都を包み込むように照らしている。

「最後の夜ですね」

 書架の塔の最上階。炎の王の寝室。

 一人の娘が、小麦色の巻き髪を揺らした。

「今日語るのは、ある一人の娘の物語です」

 娘は星の宮の装束を纏っている。巫女装束はそのまま、神に捧げる舞踏衣装だった。ふんわりとした夜の色の衣から、すらりと脚が伸びている。

「彼女は王の二十四番目の娘でした。娘は器量が悪く、母は美しいほかの兄弟たちの世話に忙しくしていて、半ば放っておかれて育ちました。

 やがて娘は姫としての価値はないと判断され、星の宮に入らされ巫女にされましたが、自分を不幸にする神の存在など一切信じられなかったので、毎日退屈に過ごしていました。

 そんなある日、不思議な塔に迷い込んだのです」

 娘は瞳を潤ませた。

「娘は塔には恐ろしい怪物が棲んでいると聞かされて育ちましたが、実際の怪物は、とてもたくさんの知識を持つただの孤独な少年でした。少年は娘を能力や地位で邪険にすることはなく、純粋にひとりの人間として扱ってくれました。娘は初めて、自分を真正面から見てくれる者に出会ったのです。

 少年はいつも憂鬱でした。娘はいつしか、この少年を楽しませたいと思うようになりました。娘は少年でも知らないような知識を求め、国中を歩き回りました。そしてその経験を、少年に九百九十九夜をかけて語って聞かせたのです。

 神を信じられなかった巫女の娘は、少年と日々を過ごすうちに、いつしか他人を信じることを理解し始めました、そして千夜目に、自分が巫女として本当に舞を捧げる相手が、わかったのです」

 娘は月の形に手を掲げた。

 腰をくねらせて、衣を揺らす。

 長いまつ毛を伏せて、足を一歩踏み出した。

 回る、回る。娘はステップを軽快に踏み鳴らし、一心に舞った。

 激しく、情熱的に。

 ただ目の前の貴方に届くように。

 この瞬間。それは星の宮のどの巫女でも到達できない、心から神に捧げる舞を、娘は踊った。

 やがて、旋舞はなだらかに収束を向かえ、娘は動きを止めた。

 娘は息を切らしながら、言う。

「千夜の賭けに付き合ってくださり、ありがとうございました」

 青年は苦笑いをした。

「興味が湧かないな」

 娘も眉を八の字にして笑う。

「やっぱり七百年の人間嫌いは治せませんでしたね」

 賭けに負けたというのに、娘はすっきりとした表情をしていた。

「本当は、勝ちでも負けでもどうでもよくて、ただ緋砂様のおそばにいたかっただけなんです」

 娘は笑みを浮かべながらそれでも、頬に涙を伝わせていた。

 今夜が最後。

 娘のような末端の巫女が、この怪物に会いに行くことを許されているだけでも奇跡なのだ。

 抑えようとしていた涙が溢れだし、娘はしゃくりあげて泣き始めた。この夜が終われば、この塔に通っていた口実が消えてしまう。ただのできそこないの巫女の一角として、つまらない日々に戻るのだ。

 嫌だ、と強く思った。

 本能で感じていた。これは恋心だと。ずっとあなたの隣にいたい。隠してきた感情が濁流となり押し寄せる。

 青年はのそりと立ち上がる。

「え、ちょ」

 少し、焚火の匂いがする。

 きつく抱きしめられて、娘は動揺した。

「なんですか、緋砂様らしくない」

「あと一話だけ追加してもいいか」

「……どうぞ」

 青年はため息を吐くと、娘を抱いたまま語りだす。

「あるところに男がいました。

 男は人と少し違いました。男は死ぬと燃え上がり灰になり、またその灰から生まれてくるという化け物でした。男に生と死はありますが、その流転は永遠も同じでした。男は魔法も力も使えたので、なおさら人々から恐れられていました。

 ある日、初めて友達ができました。星渡という、ただ喧嘩が好きな男でした。星渡も人とは違うことができました。その身に神を降ろすことができたのです。星渡は男と一緒に国を作ろうと言いました。男は承諾し、星渡と共に国を作りました。

 ずいぶん経ったある日のこと、年老いた星渡は神を降ろせなくなってしまいました。男の影響力が強まるのを恐れた星渡は、男を塔に閉じ込めました。男もそんなことで国が平和になるのなら、と自ら塔に入りました。

 星渡が亡くなった後も、人々は男を恐れ敬う一方で、道具のように男を使いました。男の力を戦争に使い、政治に使い。それは何年も、何百年も続きました。男は人間が大嫌いになりました」

 青年は娘を離した。

 そして、慈しむように指先で頬を撫でた。

「ある日、一人の巫女が男の前に現れました」

 二人の間には、柔らかく月光が射し込んでいる。

「巫女は他の人間と違い、好奇心を持って男に話しかけました。男は、最初はどうせすぐ興味を無くすだろうと適当にあしらっていました。しかし、巫女の語る人間の話は興味深く、なにより毎日楽しそうに話しかけてくる巫女に対して、長年忘れ去っていた感情が芽生えてきました。

 それは遠い遠い昔、まだ男が化け物ではなかった頃、誰かを愛したことがあったあの時と同じものでした。男は巫女と千夜の契約を結んでいましたが、その契約が終わるのがいつしか恐ろしくなってしまいました」

 すがるような目で、青年は娘を見つめる。

「この夜を、最後の夜にしたくないんだ」

 苦しく吐き出すような言葉だった。

「君に手伝ってもらわなくても、本当はこんな塔、すぐに出られたんだ。鍵は自分で設定した。アルフ・ライラ・ワ・ライラ。君の名前と同じ。千の夜を廻る逸話集の名前だ」

 青年は立ち上がり、娘の手を取る。

「来楽君」

「……はい」

「君と一緒に踊ってみたい」

 青年は、久方ぶりに、心から破顔した。

 書架の塔の大きな格子窓から風が入り、二人の髪をなびかせて抜けていく。

 娘は涙を拭いながら、満面の笑みを浮かべた。

「はい!」

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