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砂の王と千夜の唄  作者: 回向田よぱち
第五夜 無貌の獣よ、緋色の鳥よ
14/23

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  書架の塔、最上階。

 青年は楼閣の天蓋を抱く寝室に戻ってくるなり、一人で寝るには大きすぎる寝台に倒れ込んだ。

 金糸の刺繍を凝らしたクッションにうずめた顔から、うめき声が漏れる。

「人間なんて、嫌いだ」

 青年の(くび)には腫れた跡が付いている。その赤い筋が一本走る場所には、今の今まで首枷が嵌められていた。

 まだ日は高く、赤い崖は太陽の光を反射している。

 窓の外を見下ろすと、城下町が広がっている。円形の城壁からは街道が伸び、渓谷の川に沿って平地へと繋がっている。

 その一地点。赤く炎が立ち上る箇所があった。

 今さっき青年が「燃やした」場所だった。青年はこの塔から出ずに暴動を煽ることができる個体だった。その結果が金色の瞳に映っている。

 赤い、炎が。

 青年は寝台から起きることなく、ただその炎を見つめていた。

 ととと、と軽い足音が階下から聞こえてくる。

「やっと見つけた!」

 塔の内壁を這うように付けられた螺旋階段から、犬耳の娘が現れた。駆けてきたのだろう。少しだけ息が切れている。

「探されるようなことはしていない」

「それでも探すんです。書架の塔って迷路みたいじゃないですか。地下にも地上にもよくわからない部屋があって……」

 娘はふらつきながらヤシを切り出して作った椅子に座った。部屋の主は簡素なものを好むにしても、椅子ひとつでさえも富をふんだんに使ったことがわかるような精巧な作りのものだった。

「狭いよ。狭すぎる」

 青年は目もくれず、つまらなそうに言う。

 そのつれない態度に、娘は頬を膨らませた。

「緋砂様の唯一の友人が三年ぶりに戻ってきたのに、なんですかその態度は」

「三年なんて、大した年月じゃないよ」

「そりゃ、緋砂様にとってはそうかもしれませんが。私にとっては人生の五分の一より少し長いくらいの時間ですからね。挨拶くらいはしてもいいんじゃないですか」

 青年は銀色の前髪の隙間から、三年ぶりに娘の姿を見た。

 あどけなかった丸い頬はほっそりとして、体つきも女性らしいものになっていた。小麦色にたゆたう髪は、遠い昔に見た穏やかな波を思わせた。

 青年は太陽でも見たかのように、眩しそうに目を細めた。

「人の成長は早いな」

「老人みたいなこと言わないでください。それを言うなら緋砂様だって……」

 娘は頬を赤らめた。その意味がよくわからなくて、青年は首を傾げた。

 永遠の時を歩む青年には年月など感慨のあるものではなく。

「来楽君も、どうせすぐ去るだろう」

「また悲観的なことを言う!」

 娘は身を乗り出した。

「どうしたんです? 今日は一段とアンニュイじゃないですか」

 青年はため息をひとつ吐いて、気怠そうに目蓋を閉じた。

「街道で小競り合いをしていた部族がいただろう。今日はあれを焼いた。王命だ」

「緋砂様くらいの方なら、それくらい突っぱねればいいでしょう」

「できないよ。そういう契約だ」

 青年は自らの頸を撫でた。

「人間はすぐ死ぬし、すぐ裏切る。他人を駒にし、隣人に拳を振るう。自らの愚かさを自覚せず、飽きもせず戦を起こす。つくづく気持ちが悪い生き物だな」

「目の前に人間がいるのにそれ言います?」

「来楽君は人間の中でもまだ理性があると思ったからそばに置いているだけだ」

 娘の瞳の中にふつふつと何かが湧き上がっていたが、青年は気づかなかった。

 沈黙が帳を下ろしてしばらく経った時、娘は言った。

「賭けをしませんか?」

 青年はやっと娘の存在に気付いたかのように、のそりと体を起こした。

「賭け?」

「はい。緋砂様は私が三年間、何をしてきたかご存じですか?」

「知らない。人間の事情など興味はない」

「そう言うと思いました。三年前、星の宮の修行を落第した私は、ひとりで巡礼の旅に出たんです。そこで沢山の物事を目にして、たくさんの経験を得ました。それこそ緋砂様の本の山を全部読んだとしても、得られないような経験を」

「ふん、くだらない」

「ええ、緋砂様にとってはそうでしょうね。だから賭けをするんです。私は今日から毎夜、お勤め後にこの部屋に通い、三年の旅で見聞きした民衆の話を緋砂様に語ります。千夜を超えるまでに緋砂様が人間に興味を持ったら私の勝ち。興味を持てなかったら緋砂様の勝ち。私が勝ったら、緋砂様を縛るその枷を解いて差し上げあげましょう」

 青年は無意識に頸を撫でた。

 塔に棲みつく化け物である青年は、数百年前の出来事により、この塔に閉じ込められていた。国家ぐるみで堅く閉ざしているその塔の扉を開くなんて、目の前にいる身分の低い姫巫女に成せることでは到底ない。それこそ、命がけの行為だ。

「……それは、君が損するばかりで賭けになっていないじゃないか」

「損なんて、していません」

 娘はいたずらっぽく、にい、と笑った。

「どこが」

「秘密です。さあ、乗りますか? 乗りませんか?」

 窓からは強い日射が射し込み、娘を逆光で切り取っている。

 緑の瞳は挑戦的に光り、口元には値踏みするような笑みが浮かんでいる。

 青年はその姿を数秒観察し、娘の思惑は何かと思考を巡らせたが、特段思い当たらなかった。

「乗ってやろう。退屈しのぎにはなりそうだ」

 千夜など、青年には瞬きほどの時間でしかない。

 娘が封印を解けるとは思えない。

 だが、どうせ塔に縛られて過ごすのだ。浅はかな人間の余興に乗ってみるのも悪くはないかと、それだけのことだった。

C105でこの小説の製本版を頒布いたします。詳しくは作者のSNSをご確認ください。

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