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砂の王と千夜の唄  作者: 回向田よぱち
第四夜 阿鼻土の死体屋
11/23

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 少女が一人、薄闇の回廊を渡っている。

 深い夜に亜麻布のカーテンが揺らめいている。よく磨かれた大理石の床にペタペタと裸足の跡がつく。王宮の中庭は果てが見えないほどに広大だ。千年もの間増改築を重ねた城内は迷宮のようになっている。半球型の屋根を擁す塔が林立する様子は、ともすれば砂漠の渓谷に突如現れた森のようでもあった。赤い砂の中にあってされど白い城壁は、月明かりを反射して薄く発光しているようだった。

 星が強く瞬いている。

 少女は分厚い本をその胸に抱えて、月光から逃げるように東の塔の影に入った。ここは王宮の中でも特に人の出入りが少ない区画で、ここまで逃げ込めば追手もついてこないと計算してのことだった。

 少女を出迎えたのは、建物を覆いつくすようなアラベスクのタイルと、おびただしい数の書籍の山。

 ここは書架の塔。

 この国で一番恐ろしい怪物が棲む場所だ。

 ――先人曰く、巫女は知識をつけてはいけない。

 巫術以外の見識を拡げてしまうと、霊力が「濁る」と言われている。盲目的に信じ込むことが降霊に繋がるのなら、神への疑いを生むような行為は避けるべきという思想が強くあるのだ。そのため知識の宝庫である書架の塔は近寄るべからず、というのは当然の帰結だった。そもそもここはあのお方の居城なのだ。一般の人間は立ち入りが堅く禁じられている。

 塔と一口に言えど、その広さは王宮の大広間ほどもある。少女は一歩足を踏み入れた瞬間に、その埃臭さで少しむせそうになった。

 少女は本の森を、俯きながらとぼとぼ歩く。

 今日は星渡(せと)祭だった。今頃星の宮では、神を降ろす大規模祭祀が行われているだろう。巫女たちは皆恍惚の表情を浮かべ、舞を捧げ、王の永遠の治世を祈っている。その様子は毎年のもので、まだ十二を過ぎたばかりの少女でも簡単に想像できた。

 しかし少女はその風景に、違和感を感じていた。

 狂信的なその様子に対して、ある種の気持ち悪さが生じていた。自分があの中の一握の砂になるのは嫌だった。

 疑いは信仰心の欠如。信じればこそ、巫術は道を示す。

 つまり、少女には巫女になる才能がなかった。

(巫女なんて、代わりはいくらでもいる)

少女は巫女になれと育てられてきたが、ただ慣例に従い星を読む行為はつまらなくてしょうがなかった。ならば木っ端の巫女ひとり、城のどこに消えても何も問題はないだろう。少女は小麦色の尻尾をだらりと垂らして、行く当てもなく歩みを進める。

棚に収まりきらなくなり床に積まれた本に、小指が躓く。

 ため息を吐いたその時だった。

何か、布のような、柔らかいものに衝突する。

「も、申し訳ございません!」

 とっさに謝って、その小さな面を上げた。

 少女の緑眼に映ったのは、長身の少年だった。

緋砂(ひさご)様……」

 少女が声を震わせると、少年は黄金の瞳を細めた。褐色の肌に腰まで垂れる白い髪、耳の後ろからは赤い羽が生えている。歳の頃は少女より数歳上かどうかという外見なのに、妙な貫禄と威圧感があった。一見鳥族だというのに、その腰から生える長い尾は蛇のもの。尾の先を覆うように、金の飾りが揺れている。

「星の宮の者か」

「か、勝手に入ってすみませんでした!」

 少女はひれ伏すように体を折り曲げた。

 この少年こそ、怪物と呼ばれるその人だった。

 見た目こそ幼いが、その戦力は王国中の軍人を結集させても太刀打ちできないと恐れられる怪物。

 幾人もの賢者がその知恵を頼り、幾人もの軍人がその差配を賜り、幾人もの神官がその魔術を学んだ、圧倒的存在。

書架の塔に棲む、ただ人ではない者。

「怖がらなくて良い。別に怒ってはいない。ただ自らここに飛び込んでくる人間は少ないから驚いただけだ」

 少年は何ともない風に言う。その相貌に似合わぬ落ち着いた動作で、思考に耽るように顎に手を当てた。

 金色の瞳が、じっと、少女を見つめる。観察するようなその動作に、少女は体をこわばらせた。

「本が好きなのか?」

「え? いや……そもそもあまり読んだことがなくて」

 少女が抱えているものも本の形をしてはいるが、ただ星図とその読み方が描かれた実用書だ。職業柄必要なだけなので、好き嫌いの基準で読んだことなどなかった。少女は俯き、目を泳がせた。

「うん。そうか。それは僥倖(ぎょうこう)だ。まだ読んでいない書物がたくさんあるなんて、うらやましさすら感じる」

 少年は顔色一つ変えず、羊毛のローブの下を探って一枚の札を取り出した。札はパピルスや羊皮紙でできているものではなく、金属光沢のある硬い板だった。

「これは?」

「書架の塔の鍵だ。ここの本はいつでも解放している。好きな時に来なさい」

 それは、悪魔の誘いでもあった。

 この鍵を受け取ってしまったら、普通の巫女には戻れない。知識とは残酷にも不可逆なものだと、少女は無意識のうちに感じていた。

「あの、ありがたいお話なのは承知の上ですが……皆は巫女に知識は必要ないと……」

 少女が手に取るのを渋っていると、少年は眉を(ひそ)めた。

「その言い分こそが人間を衆愚たらしめる。知識は本来万民に開かれるものだ。知識はそれを扱う者次第で、厄災を跳ね退ける灯火になる。巫女だからといって知識を停滞させるのは私の本意ではない。だが君は巫女の立場にあって、私の塔に自ら飛び込んできた。書を避けることはせず、知識を求めに来た。その勇気に敬意を示した。それはその証だ」

 少女には少年の小難しい言い回しの半分もわからなかった。まだ現実を理解するような見識は持ち合わせていなかった。

 だから、自らの常識に当てはめて、少年の言葉を理解しようとした。人類の中にあり、異物でしかない怪物の言葉を。

「あの、つまり、えっと」

 月光を照り返す板を、まだ柔らかい手で受け取る。

 札は思ったより軽く、金属のような冷たさもなかった。

 自信なさげに垂れていた犬耳を、ピンと張る。

「緋砂様は、私と友達になってくれるんですか?」

「……友達?」

 少年は目を見開いた。鱗に覆われた黒と白の尻尾が戸惑うように揺れる。

「友達、友達か」

 そして少し懐かしむように苦笑した。

「うん。嫌いじゃないな。いいだろう、友達になろう」

 その表情に、少女はほっと胸を撫で下ろした。

 よく考えてみたら、国の明日を左右できるような人物に友達の誘いをしたのだ。この場で殺されても文句は言えない申し出だった。

「君、名は何と言うんだ」

「あ……秋星(あきぼし)です」

 あまり好きな名ではなかった。あの男の子供は何十人もいて、法則に従って名がつけられるだけだった。市井の人間のように、我が子への祈りが込められた名前ではない。

「フォーマルハウトか。個人的には好きだが、君自身はその名が好きではないのだな」

「そんなことは! お父様に授かった名前ですし……」

 あまりにも慌てていたので、すでに嘘だとバレているだろう。少女は居心地が悪くなって白絹の法衣をきゅっと握りしめた。

 頭半分高い少年は、ふ、と笑う。

「ならばこうしよう。私が君を呼ぶ名をつけていいか?」

「は、はい……緋砂様にいただけるのならどんな名でも……」

「そう恐縮するな。嫌だったらすぐに否定してくれて構わない。うん。決めた」

 書架の並ぶ円形の大広間に月の光が差し込み、浮かぶ埃を反射した。犬耳の少女と異形の少年を、暗闇から幽玄に浮かび上がらせている。

 書架にタイル貼りされたアラベスクが、きらきらと輝いている。

来楽(らいら)はどうだ。古代語で夜の意だがそれだけではない。アルフ・ライラ・ワ・ライラ。偉大な種族が遺した、終わりなき物語の名だ。これから広い知識をつけていく、新時代の巫女としては良い名だろう」

「来楽……」

 口の中でその響きを確かめた。思ったよりも悪くはない。

「ありがとうございます」

少女がほほ笑むと、少年は満足げに鼻を鳴らした。

天井に描かれた星図から、天体を模したオブジェが垂れさがっている。それはまるで、二人が宇宙の中心にいるような錯覚すら起こした。

「せっかくできた友だ。もう少し語らいたいところだが、今日はもう遅い。そろそろ星の宮に帰った方がいいんじゃないか」

 いつの間にか、祭りの喧騒は止んでいた。そもそも長居するつもりではなかったのだ。いくら人気がない塔とはいえ、このままここにいたら祭祀を抜け出したのが見つかってしまう。

 少女は慌てて白いフードを被りなおす。

「あの、また来ます。時間を見つけて」

「ああ。いつでも来るといい」

 王宮の方へ駆けだす少女を目で追う少年の尾は、控えめだが確かに嬉しそうに揺れていた。

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