没落貴族の令嬢は、平民として自由に生きることを選ぶ
エレナ・ド・モンテールは、王宮の壮麗な大理石の柱を見上げながら、深いため息をついた。きらびやかなシャンデリアの光が、彼女の金色の髪を照らし出す。 「また、こんな華やかな舞踏会。まるで私の心を映していないわ」
心の中で呟くエレナ。金糸で縁取られたドレスを身にまとい、髪を高く結い上げているが、その表情は晴れやかというよりは憂いを帯びていた。
舞踏会場を見渡せば、貴族たちが笑顔で談笑している。しかし、その笑顔の裏に隠された野心と欲望を、エレナは感じずにはいられなかった。
婚約者である王子リチャードの変化にも、エレナは違和感を覚えていた。
「リチャード、あなた最近様子が違うわ。私に何か問題でも?」
「何でもない。気にするな」
リチャードの冷たい返事に、エレナは戸惑いを隠せなかった。
かつて、リチャードはエレナに優しく接し、彼女の意見に耳を傾けてくれた。二人は馬に乗って王都を散策し、貧しい人々を助ける方法について語り合ったものだ。エレナはリチャードの慈悲深さと正義感に惹かれ、いつしか彼を愛するようになっていた。
しかし、ここ最近のリチャードは以前とは別人のようだ。冷たく無表情な顔で、エレナを突き放すばかり。その瞳には、かつてのような愛情の輝きは見られない。エレナは胸に手を当て、不安に駆られる心臓の鼓動を感じた。
王宮の図書室で過ごす時間が増えていたエレナは、国の歴史や政治について学ぶうちに、現状の身分制度や貴族の在り方に疑問を抱くようになっていた。
「私たちは豊かさを享受している一方で、貧しい人々は苦しんでいる。これでいいのかしら…」
分厚い本に目を通すエレナ。そのページには、貧富の格差と民衆の苦しみが赤裸々に記されていた。
そんなある日、謁見の場でエレナは貧しい農民の嘆願を耳にした。
「陛下、どうか私たちを助けてください!貴族の重税と過酷な労働に、もう耐えられません」
農民の代表が震える声で訴える。その服は所々破れ、痩せこけた体からは苦しみが滲み出ていた。
「ふん、怠惰な農民が。恥を知れ!」
貴族の一人が農民を罵倒する。高飛車な態度で農民を見下す貴族。その横柄な態度に、エレナは思わず拳を握りしめた。
(こんな不当な扱いは看過できない…!でも、私には何もできない…。私はただの令嬢で、発言力もない…)
エレナは心の中で叫ぶが、現状を変える力のない自分に無力感を感じるばかりだった。
そしてその夜、リチャードから衝撃の言葉が告げられたのだ。
「エレナ、婚約を破棄する。君には愛想が尽きた」
「どうして!?私はあなたを愛しているのに…」
エレナは食い下がった。リチャードの優しさに惹かれ、彼と共に生きていきたいと願ってきた。それなのに、なぜ? しかし、リチャードは冷たく背を向けるだけだった。
「いちいち農民ごときで躍起になるのもそうだけど、君のそういうところが重いんだよ。」
エレナは涙を流しながらリチャードの部屋を後にする。 廊下を駆ける足音。窓ガラスに映る自分の姿に、エレナは立ち止まった。
(私は、本当にリチャードを愛していたの…?それとも、ただの憧れだったの…?)
エレナは部屋で泣き崩れた。
リチャードとの思い出が走馬灯のように駆け巡る。
優しく微笑むリチャードの顔。二人で馬に乗った日々。貧しい人々のために何かしたいと語り合ったあの時間。
(リチャード…、あなたを愛していたのに…。私には、あなたの何がわからなくなってしまったの…?)
エレナは呆然と天井を見つめ、ただ涙を流し続けた。
そんなエレナの前に、しばらくして父が現れた。その表情は深刻そのものだった。
「エレナ、我が家は莫大な借金を抱えている。このままでは没落は免れん」
「借金…?父上、一体どういうことですの?」
エレナは信じられないという顔で父を見つめた。モンテール家は代々栄えてきた名家のはず。
それが、どうして借金などを?
「詳しいことは言えんが…。この借金を返済できなければ、我が家は破産じゃ。身分も家も、全てを失ってしまう…」
父は絶望に暮れた様子で肩を落とす。 エレナはショックを受けながらも、必死に冷静さを保とうとした。
(借金の原因…。どうして今になって…?そんなに簡単に借金なんてできるはずない…。何かがある…!真相を突き止めなくては…!)
「お父様、私はこの借金の真相を突き止めます!私たちを没落から救うために!」
エレナは強い決意を宿した瞳で父を見つめた。父は驚きつつも、娘の覚悟を感じ取っているようだった。
エレナの目的は、ただ一つ。借金の原因を探ることで、モンテール家を没落から救うこと。
王子の婚約破棄、そして愛する家の危機。
エレナの人生は、大きな転換点を迎えていた。
しかし彼女は、真実を追求することを決意したのだった。
借金の真相を探るため、エレナは城下町を訪れていた。
村を訪れるたびに、エレナは貧富の格差と身分制度の弊害を目の当たりにした。
「私たちは土地を奪われ、路頭に迷っています」
ある農民の嘆きに、エレナは言葉を失った。 農民たちが肩を寄せ合って暮らす、粗末な小屋。その光景は、エレナの心を深く揺さぶった。
「こんな不条理が、まかり通っていたなんて…」
エレナは拳を握りしめる。この現状を、何としても変えなければ。
ある日、エレナは村はずれの井戸端で、一人の青年と出会った。 青年は旅の途中で立ち寄ったようで、水を汲みながら村人と談笑している。 その飾らない笑顔と、誠実そうな佇まいに、エレナは思わず声をかけていた。
「初めまして。私はエレナと申します。あなたは旅の方ですか?」
「ああ、そうだよ。俺はトーマス。この村には用事があって立ち寄ったんだ」
トーマスと名乗る青年は、爽やかな笑顔でエレナの問いかけに答える。
村人たちとの会話の中で、トーマスが国の状況に詳しいことを知ったエレナは、彼に自分の悩みを打ち明けることにした。 モンテール家の借金問題、そして真相を探るために旅をしていること。エレナは包み隠さずトーマスに語った。
「借金の原因を探るため、各地を旅しているんだね。それは大変な試練だ」
トーマスは真剣な眼差しでエレナの話に耳を傾ける。
「実は俺も、国の貧富の差や身分制度には疑問を感じていたんだ。だから、エレナの話には共感できるよ」
トーマスは自身の経験を語り始めた。彼もまた、身分の低い人々が不当な扱いを受ける姿を見てきたのだ。
「ひょっとしたら、その借金問題も、王宮の汚職と関わりがあるのかもしれない」
トーマスの推察に、エレナは息を呑んだ。
「王宮の…汚職?」
「ああ。俺が旅する中で耳にした話では、王族や貴族たちが税金を横領していたり、賄賂を受け取っていたりするらしい」
トーマスは苦々しい表情で語る。
「もしそれが本当なら、きっとモンテール家の借金問題にも関係があるはずだ」
エレナは愕然とした。まさか王宮の汚職が、借金問題に関わっているとは。 しかし、その可能性は十分にありえる。だとしたら、真相を暴かなければ。
「トーマス、あなたの話を聞いて、私は確信したわ。この国を変えるためには、真実を明らかにするしかない」
「そうだね。でも、それは簡単なことじゃない。王族や貴族と戦うことになるだろう」 トーマスの言葉に、エレナは覚悟を決めた。
「私一人では無理かもしれない。でも、あなたと一緒なら…」
「俺も、エレナの意志に賛同する。共に戦おう、真実のために」 トーマスとエレナは固く手を握り合った。
こうして、エレナとトーマスによる真実の追求の旅が始まった。 国中を巡り、人々の証言を集める。少しずつ、王宮の汚職の全容が明らかになっていく。
だが、真実に近づけば近づくほど、二人は危険に晒されることとなる。
ある日、宿場町で休息をとっていた二人は、謎の集団に襲撃された。
「エレナ、気をつけろ!」 トーマスが身を挺してエレナを守る。
刃と刃がぶつかり合い、火花が散る。
「私も戦う!」 エレナは持ち前の剣術で応戦する。攻撃をかいくぐり、敵の急所を狙う。
「くっ、王宮の差し金か…!」
「負けないわ!真実を暴くまでは…!」 激しい戦闘の末、エレナとトーマスは敵を退けることに成功した。
「無事でよかった…」
「君が守ってくれたおかげだ。ありがとう、エレナ」 二人は額の汗を拭い、安堵の笑みを浮かべる。
命がけで戦った経験は、互いへの信頼を一層深いものにした。
さらなる手がかりを求め、エレナとトーマスは旅を続ける。
途中、人けのない森の中で野営する夜、篝火に照らされるトーマスの横顔を、エレナは見つめていた。
(トーマス…。あなたは本当に頼もしい。優しくて、強くて…私、トーマスのことが…。いえ、今はそれどころじゃない!真実を追求することが先よ!)
そんな中、二人はついに王宮の汚職の決定的証拠を掴んだ。
「これは…、税金の横領を示す帳簿!」
「よくもこんな不正を…!許せない!」
エレナとトーマスは興奮を隠しきれない。真実は、もうすぐそこまで来ている。
しかしその時、王子の部下と思しき一団が現れた。
「そこまでだ!証拠は渡さん!」 森の中で、激しい攻防が繰り広げられる。
エレナとトーマスは背中合わせになり、次々と襲いかかる敵を切り払っていく。
「くっ…、数が多すぎる!」
「諦めるな!真実を伝えるまでは、死ねない!」
二人は必死に戦うが、力尽きかけていた。 その時、エレナの心に、ある覚悟が芽生える。
(こんなところで終わるわけにはいかない…。トーマス、あなたを守るために、私は…!)
しかし、その直後、王宮の衛兵たちが現れ、エレナとトーマスを取り囲んだ。
「そこまでだ!おとなしくしろ」 衛兵たちは容赦なく二人に迫る。
「くっ…、まずいな。捕まるわけにはいかない!」
「トーマス、私たちで何とかするしかないわ」
エレナとトーマスは背中合わせになり、剣を構えた。
圧倒的不利な状況の中、二人は必死に戦った。 幾人もの衛兵を倒すが、あまりの数の多さに徐々に劣勢になっていく。
「はぁ…はぁ…、くそっ、きりがない…!」
「トーマス、私はもう…限界かも…」
トーマスを守るために盾となったエレナは、いくつもの傷を負っていた。
「エレナ、すまない…。俺のせいで…」
「いいえ、私の方こそ…。あなたを巻き込んで…」 二人は絶望的な表情で見つめ合う。
これが最期かもしれない。そう覚悟した時だった。
「やめろ!その者たちを捕らえるな!」
突如、衛兵たちに怒号が響き渡る。 振り返ると、そこには一人の老人の姿があった。
「ジークフリート様!どういうことですか!?」 衛兵たちが慌てて恭しく頭を下げる。
「フン、『証拠』とやらを隠滅しようったって、無駄なことよ」 ジークフリートと呼ばれた老人が、不敵な笑みを浮かべて言う。
「私はかつて王に仕えた宰相。王宮の腐敗を見過ごすつもりはない」
「し、しかし…」
「黙れ!貴様らのような腐った者たちに、国を委ねるわけにはいかん!」 ジークフリートの一喝に、衛兵たちは怯んでしまう。
「あなたがた、よくぞ真実を追求してくれた」 ジークフリートはエレナとトーマスに優しく語りかける。
「私一人では、どうにもできなかった。だが、若い力があれば、この国を変えられる」
「ジークフリート様…」
「さぁ、共に国王の下へ行こう。真実を明らかにするのだ」 ジークフリートに導かれ、エレナとトーマスは王宮へと向かった。
国王の謁見の間。
ジークフリートに付き添われ、エレナとトーマスは国王の前に立っていた。
「陛下、どうかお聞き届けください」 エレナは畏まって口を開く。
「これは…、まさか我が息子がそのような…」 国王は愕然とするが、証拠の前に真実を認めざるを得なかった。
「陛下、私は身分を捨て、正義のために戦ってまいりました」 エレナは涙ながらに、自分の決意を語る。
「民を苦しめる不正を見過ごすことはできません。たとえ、王族であろうとも」 その言葉に、国王は深く頷いた。
「よくぞ真実を明らかにしてくれた。エレナ、トーマス。私は二人の勇気ある行動を称えよう」
国王は王子を処罰し、二人に国の改革を任せると宣言した。
「エレナ、トーマス。共に、この国を導いてほしい」
「陛下…。ありがとうございます」 エレナは感激の涙を流した。
「しかしながら陛下、実はもう一つお願いがあるのです。私はトーマスを心から愛しております。どうか、私たちの結婚を認めてください」
「....ふむ、よかろう。二人の愛を祝福しよう」 国王の言葉に、エレナとトーマスは歓喜した。
こうして、没落令嬢と平民の青年は、身分を超えた真実の愛で結ばれた。 国王の後押しもあり、二人は晴れて結婚。新たな時代を切り拓く、改革の旗手となったのである。
「トーマス、あなたと出会えたことが、私の人生最大の幸せよ」
「エレナ、君と共に生きていけることが、俺の夢だった」 二人は強く手を握りしめ、キスを交わした。
あれから月日は流れ、エレナとトーマスによる改革は大きな成果を上げていた。 身分制度の撤廃、貧富の差の是正。国民は二人を新時代の創造者と呼び、敬愛の念を抱いていた。
「ねえ、エレナ様のお話をもう一度聞かせて!」 子供たちに囲まれ、エレナは優しく微笑む。
「私は特別な存在じゃなかったのよ。ただ、信じる道を進んだだけ」 その言葉に、子供たちの瞳がきらきらと輝いた。
「エレナ、あの時君を愛すると決めて、本当に良かった」 トーマスが隣に寄り添い、しわの増えたエレナの頬に口づける。
「私もよ、トーマス。あなたと歩んだ人生は、何にも代えがたい宝物だわ」
時は流れ、エレナとトーマスの物語は民衆の間で語り継がれるようになっていた。 かつての没落令嬢が、真実の愛と正義の心で国を変えた伝説の英雄として。
「私の物語が、誰かの心に希望の灯をともしますように…」 晩年のエレナは、そう静かに語るのだった。