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エピローグ:救済の聖女②

 青い屋根の礼拝堂の建物の前に、祈りを捧げる女性の姿を模した儚げな雰囲気の銅像が立っていた。昔、読んだ絵本に載っていた神セレーデの像かとイーシュは一瞬思ったが、その相貌は明らかに彼がよく知る女性のものに酷似していた。

 銅像の横に佇む石碑の文字をイーシュは目でなぞっていく。

『奇跡の力をもって人々を救済し”暁の聖女”リスル・フレンツァ、この地に眠る』

 『紅の魔女』などという忌まわしい通り名はもちろん、『暁の聖女』などという仰々しい呼び名も生前の彼女はきっと望んでいなかっただろうとイーシュは思った。彼女は常に正しく、自分のすべきことをしようとしていただけだった。

「私たちを恨みますか? イーシュ君」

 背後から男の声に名前を呼ばれ、イーシュは振り返る。五年分の年月をその身に刻んだ中年の男が、記憶にあるよりも高価そうで凝った装飾の法衣を纏って立っていた。

「レイモン神父……お久しぶりです。いえ、今は大司教様とお呼びするべきでしたね」

 イーシュの言葉にレイモンは苦笑する。

「ええ、お久しぶりですね、イーシュ君。確かに私は今や大司教の身ではありますが、所詮は派閥争いの過程で体のいいスケープゴートに便宜上与えられた地位に過ぎませんし、そう畏まることはありませんよ。私自身は今もただの田舎暮らしの神父のつもりです」

 皆に神の教えを説き、薬を作りながらのんびり暮らしながら一生を終えたかったんですが、などとにこやかに宣いながらレイモンはイーシュの横に並び立つ。

「きっと、シスター・リスルはこのように祀り上げられたくて、異能で人々を癒やして回っていたわけでもなければ、村長やあなたの命を救ったわけではないとわかっています。だけど、私たちはこうするしかなかったのです。彼女に報いるためにも、イーシュ君のように異能を持つ人々のためにも。イーシュ君、彼女が最期まで何を願っていたか、覚えていますか?」

 ええ、とイーシュは小さく頷いた。

 リスルは最期まで、イーシュが生きる未来を望んでいた。彼が生きていくこの先の未来に希望を抱いて、自らの命と引き換えに、最後の力を振り絞って、死の淵から引き戻してくれた。

「あのころ、当時の教皇聖下に連なる強硬派が教会組織を牛耳っていて、内部の腐敗はひどいものでした。強硬派の目に余る横暴に対する問題提起のため、私たちには絶対的な聖人が必要でした。教会が排除しようとしている『悪魔の力』は必ずしも何かを害するためのものではないと、そして神聖騎士団の悪行がどのような結果を招いたか、わかりやすい形で知らしめるため、彼女をこうした形で祀り上げるしかなかったのです」

 レイモンは懺悔するように言葉を紡いでいった。しかし、イーシュは彼を責める気にはなれなかった。

 ここ最近、普通に生活する分には随分と暮らしやすくなったのは、レイモンの尽力による部分があったのだと知ってしまった。純粋にリスルやイーシュのためだけではなく、教会内部における思惑が絡んだものであったとしても、イーシュはその事実が嬉しかった。

「ありがとうございます。……俺は、何も知らなかったんですね。誰のおかげで、今、こうして過ごせているのか」

「私は、シスター・リスルの高潔さを汚しただけで、結局、何ができたわけではありません」

 イーシュが礼を述べると、レイモンは首を横に振る。それでも、とイーシュは言葉を重ねる。

「どういう形であれ、リスルさんの思いを覚えていてくれて、俺たちを取り巻く状況を変えるきっかけを作ってくれたのは間違いないじゃないですか。俺はそれで充分です」

「イーシュ君……」

 レイモンはイーシュの顔を見、微笑んだ。

「イーシュ君、あなたは変わりましたね。単に大きくなったというだけでなく、人として良い方向に。とてもいい顔をするようになりました」

「……それはどうも」

 イーシュは居心地の悪さを感じて、レイモンから視線を逸らす。当時の自分は、生きることに絶望した無力な子供だった。もし、イーシュがあのころと比べて変われたというなら、この村で過ごした日々と何よりもリスルのおかげだ。

 それよりも、とイーシュは銅像を見上げながら話題を変える。

「……あれ、似てないですね。リスルさんはあんな感じじゃないですよ」

 銅像の女性の顔立ちはリスルに酷似していた。しかし、似ているようで身に纏う雰囲気は全然似ていないととイーシュは思う。

「リスルさんはもっとこう……強くて、優しくて、格好良くて、綺麗な人でした」

 例えるならこんな感じです、とイーシュは手の中の小さな花束をレイモンへと見せる。厳しい冬の寒さのような逆境にも決して屈することなく、気高く強く正しくあろうとする、凛と咲く花のような人だった。

「イーシュ君には、シスター・リスルのことがそう見えていたんですね」

 よく見ていたんですね、とレイモンはしみじみと言う。イーシュは恥ずかしさで焦げ茶の瞳を宙に彷徨わせながら、ぼそぼそと言う。

「そりゃ……あのころの俺はあの人に憧れて、追いつきたくて、ずっとあの人のことを見てましたから。それにたぶん……あの人は俺の初恋でしたから」

 あのころ、リスルの側にいることで、イーシュは彼女のようになりたいと憧れた。彼女のように強い人間になりたいという思いが前を向いて生きる活力を与えてくれたのだとイーシュは思っている。

 いつだって強く正しく気高いけれど、女の人らしく弱く儚い部分もある彼女の近くにいるうちに、男として彼女を守れるくらい強くなりたいと思うようになっていた。さほど長い間ではなかったけれど、一緒にいて、彼女のことを知るほどに大切な人になっていった。

 姉のユーフェと離れ離れになったことによる年上の女性への憧憬と思慕の念を履き違えていただけだったかもしれないけれど、あのころのイーシュは彼女のことが好きだった。その気持ちは今も変わらずにイーシュの中にあって、多感な少年期の幼い思い出として割り切るにはまだ時間がかかりそうだった。

 それをわかっていたのかいなかったのか、今になってはわからないが、リスルはイーシュを異性として扱うことはなく、弟のような存在として接していた。お互いに抱く”大切”という感情がついに一度も噛み合うことがなかったことにイーシュはほろ苦さを感じる。

 イーシュは彼女を模した銅像の足元に膝を折ってしゃがみこむと、手にしていた花束をそっと置いた。冷たい風に緑色のリボンが揺れる。イーシュは目を閉じ、そっと両手を合わせた。

「リスルさん……」

 伝えたいことはいくらでもあった。本当は彼女が生きているうちに伝えたかったこともあるし、今のイーシュだからこそ伝えられることもある。

 けれど、リスルが最期まで願っていたことを思えば、まず最初に何を伝えるべきかは明白だった。

 リスルさん。あなたのおかげで、俺は今、生きてここにいます。あなたが願った未来を、今、俺は生きています。

 そう心の中で言葉を紡いでいくイーシュに、記憶の中の彼女が微笑みかけた気がした。

 イーシュが彼女と初めて出会った季節と同じ色の日差しが彼らの上を照らしていた。

 

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