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第六章:奇跡の終焉⑤

 負担がかかりすぎないように何回かに分けてイーシュは力を使い、辺りに生えていた木を薙ぎ払った。周囲の木々をあらかた切り倒し終えるころには、イーシュも何となく力の制御の仕方がわかるようになってきていた。

 イーシュの様子に注意を払いつつも、シャベルで地面を掘り進めていたリスルは、

「ありがとう。木はもうこのくらいで良さそうよ。イーシュのおかげで助かったわ」

 少し休んでいて、と言ってリスルはシャベルを動かす速度を上げようとする。しかし、その腕の動きは重かった。彼女の細腕が悲鳴を上げている。

「リスルさん、俺代わりますよ。リスルさんのほうこそ休んでいてください」

 慣れない力の制御でだいぶ疲れてはいたが、それを表面に出さないように気をつけながら、イーシュはリスルの手からシャベルを奪い取る。錆びついたシャベルには水分を多く含んだ泥がこびりついていて重かった。

 イーシュは腰を入れて重いシャベルで地面を掘り返していきながら、先程、レイモンと別れたときのことをぽつりと口にした。

「リスルさん。先程、神父様と何を話していたんですか?」

「……え?」

 イーシュが切り倒した木の残骸の上に腰を下ろしていたリスルの顔が一瞬強張った。彼女は慌てて取り繕うように、

「何でもないわ、気にしないで」

「何でもないって顔じゃなかったですよ、神父様。もしかしなくても……死ぬ気ですか、リスルさん」

「山火事の起きている山に立ち入るんだもの、その可能性は充分にあるでしょう? わたしに何かあったときに、あなたが無事に逃げ延びられるように、手助けはしなくてもいいから見逃してあげてほしいってお願いいしただけよ」

「……」

 いまいち納得のいかない顔でイーシュはリスルを見やった。

 リスルよりも若い自分に彼女がなるべく負担をかけまいと配慮してくれているのはわかる。しかし、リスルは何かを隠しているような気がした。

 彼女に助けてもらい、守ってもらうことしかできないのが心苦しい。自分がもっと年齢を重ねた大人の男で、こんなふうに何もかもが未熟ではなければとイーシュは思う。けれど、今の自分は彼女にとって足手まとい以外の何物でもないに違いなかった。

 リスルは切り株に腰を下ろしたまま目を閉じ、ほんの少し力を解放した。彼女の髪が紅に染まっていく。感覚を研ぎ澄まし、自然の中に宿る”モノ”の声に耳を傾ける。

 ふいにふらりとリスルの体から力が抜けた。すぐに腹の底に力を込め、体勢を整えたが遅い。

「……あっ」

 山を焼く炎の流れを探るだけのつもりだった力がリスルの体を逆流し、暴発した。彼女の華奢な身体が赤い光を伴って明滅する。轟々と音を立てて風が荒れ狂う。暴風に煽られた炎が火の粉を盛大に撒き散らしながら、東へと流されていく。

「……村が!」

 そう叫んでリスルは立ち上がる。風に嬲られる髪は元の茶色に戻っていた。

「このままじゃヴェレーンが焼ける……!」

 わたしのせいで、と悲壮な顔で声に出さずに呟いたリスルの手を、イーシュはシャベルから手を離して握った。何ができるわけでもないけれど、思わず出た動作だった。

「リスルさん、もしかして……」

 これまで毅然と振る舞っていたリスルの顔は、寒さのせいだけでなく青白い。イーシュが握ったその手は微かに震えていた。

 彼女の余命が幾許もないことは知っていた。しかし、彼女の異能――《レーヴェン・スルス》の代償がこれほどまでに彼女を蝕んでいるとは想像できていなかった。

「言わないで。大丈夫、わたしは大丈夫だから。それよりも今は……」

 リスルは首を横に振り、そう言った。大丈夫というその言葉はまるで彼女自身に言い聞かせているかのようだった。イーシュにはそれが何だか痛々しく見えた。

「全然、大丈夫じゃないですよ。たぶん、俺が思うよりもずっと、リスルさんの身体はぼろぼろなんじゃないですか?

 俺は……そんな人を村に向かわせられません。リスルさんはどこか安全な場所で休んでいてください。村には俺一人で戻ります。もしかしたら、こんな俺でも何かできることがあるかもしれない」

「いいえ、わたしも行くわ。この事態を招いたのはわたしだもの。たとえ、石を投げられようと、唾を吐きかけられようと、責任は取らないといけないわ。せめて、最期に……一人でも多くの命を救いたいの」

 リスルは自嘲するように笑う。最期って、とイーシュは目を見開いた。

「責任、責任って、なんでリスルさんはそうやってすぐ自分で背負い込もうとするんですか! それになんでそうやって最初から生きることを諦めちゃうんですか! この力のせいで絶望して、死にたいって思い詰めていた俺を掬い上げてくれたリスルさんはどこにいっちゃったんですか!」

 ぽろりとイーシュの昂った感情に呼応するかのように双眸から透明な雫が滴り落ちた。鼻の奥がつんとして塩辛い。しかし、イーシュの口から溢れ出る言葉は止まらない。

「なんでそうやって、いつもいつも正しくあろうとして、自分の身を削るようなことをしちゃうんですか! 俺はたとえ正しくなくても、『聖女』なんかじゃなくても、リスルさんがリスルさんのままでそこにいてくれたらそれでいいんです! だから……」

 イーシュの顔がぐしゃりと歪んだ。リスルはそっとイーシュの肩へ手を置く。

「……ごめんね。だけど、わたしはやっぱりこうすることしか選べないみたい。

 それにこのまま、あの村を見捨てて逃げれば、ただでさえ教会から追われる身のわたしたちの立場はより悪いものとなるわ。悪魔の祝福を受け、災いを齎す、って。わたしは……あなたの未来を守りたい」

 俺の未来、とイーシュは濡れた目を紺色だったダッフルコートの袖口で乱暴に拭いながら怪訝そうに聞き返す。そうよ、とリスルは頷いた。

「きっと、いつまでもこんな時代は続かない。わたしは、あなたが人並みに幸せに生きていくための、その糸口を作りたい。

 だから、わたしは行くわ。わたしにできる精一杯のことをしに行くの。だから……」

 リスルはもう、イーシュが共に来ることを拒む言葉は言えなかった。この少年と交わした約束をなるべくなら破るような真似はしたくなかった。

「一緒に来て、イーシュ」

 ずるいですよ、と泣き笑いのような表情を浮かべたイーシュにリスルは敢えて軽口を叩く。

「大人なんてそんなものよ、覚えておきなさい」

 とにかく時間がない。今はただ村への道を急ぐしかできなかった。

「村に戻りましょう、イーシュ」

 そう言って大股に踏み出しかけたリスルの体がよろけて傾いだ。イーシュはそっと背に手をあてがって彼女の体を支える。服越しに伝わる体温がひどく熱かった。彼女が無理を押してそれでも動こうとしていることを改めて突きつけられ、イーシュはひどく苦しく思った。

 どうしてそんなに強くいられるのか。その問いを押し殺して、イーシュはリスルの腕を取り、焦らないように気をつけながら可能な限り早足で歩き始めた。


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