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第六章:奇跡の終焉①

 ヴェレーンはこの季節、雪に閉ざされる山間の辺境の村である。村の東の外れにある墓地の裏手には滝があり、ラーウェ川へと流れ込んでいる。氷のように冷たい川の流れの先はシュオレ湖に繋がっていた。

 湖畔には木造の風車小屋が佇んでいるが、湖面が凍ってしまっている今は、本来の役目を果たすことなく、雪解けの季節を待ちながら眠りについていた。

 埃っぽい匂いのする黒いウールのカーテンが閉じられた風車小屋の室内で、ちらちらと赤い炎が揺れる暖炉にあたりながら、イーシュは不安げに溜息をついた。

「リスルさん……一旦は逃げ切れたってことでいいんでしょうか。村のほうから教会の追手がくる様子もないですし」

 リスルとイーシュは、昨日の夕刻に神聖騎士団の僧兵たちと一悶着あった後、村の東の外れにある滝の裏の洞窟でしばらく息を潜めていた。ほっそりとした弧を描く白い月が空の一番高い場所に上ったころ、二人は滝下を流れる心臓が止まりそうなほどに冷たいラーウェ川へと飛び込んだ。そのまま、何時間かかけて河口を目指して、水の中を歩いてきた結果、二人は身を凍えさせながらここに辿り着いた。

「こんな場所、見つかるならとっくに見つかっているわよ。それがこの時間まで追っ手も何もきていないんだから、何日かの間、しばらく身を隠すくらいはどうにかなるんじゃないかと思うわ」

「微妙に怖いこと言いますね……」

 要所要所で追手を誤魔化すための小細工をいくつか仕掛けてきてあったが、もしリスルの意図した通りに相手が騙されてくれていなければと思うと、イーシュはぞっとした。教会から派遣された捜索部隊に見つからないで逃げ切れるかどうかも、ただでさえ万全でない体調の自分たちが逃げ切るだけの体力が残されているかどうかも賭けで、すべてが危うい綱渡りの上で成立していた。

 自分たちを逃してくれた神父たちはどうなっただろうか。教会から指名手配されている自分たちを庇い、親切にしてくれたあの人々は酷い目に遭っていないだろうか。あの荒くれ者揃いで悪名高い連中のことだ、彼らに乱暴を働いていない保証などどこにもない。

 イーシュは、村に残してきてしまった優しい人々の身を案じながら、ゆらゆらと揺れる暖炉の炎を見つめる。憂いを帯びた濃茶の瞳を認めると、リスルは言った。

「イーシュ。今は身体を休めることを第一に考えなさい。元々疲れが溜まっていたところにこんな無茶をしたんだもの、もういい加減に体はぼろぼろよ。わたしもあなたも、ね」

「でも……」

「いいから。ね?」

 リスルは強引にイーシュを埃の匂いがするベッドへと追いやった。戸棚にあった毛布を出してくると、リスルはその足元に腰を下ろして毛布に包まった。何だかこんなやりとりは久々な気がして、こんなときだというのにリスルの口元が自然と綻ぶ。生きていたころの弟の年よりイーシュのほうがいくつか上で容姿も特に似てはいないが、自分が普通の人間で、あんな事件さえなければ、こんな時間が今でも続いていたのかもしれない。

「リスルさん……?」

 不審げにイーシュの声が投げかけられる。ああ、ごめんね、とリスルは彼を振り返り、

「弟のことをね、思い出していたのよ。イーシュよりいくつか年下だったんだけどね」

「弟さんって……」

 きっと『アルクスの大火』で亡くなったのであろうリスルの家族のことを詳しく聞くのは憚られた。人の命を奪うことの重さをイーシュは身をもって知っている。それが大切な相手であれば、その苦しみは相当なものであることは想像に難くない。

「あの子はもう、とっくにこの世にはいないのだけれど……いいえ、違うわね……わたしがあの子を殺してしまったのよ」

「……」

 自嘲気味に呟くリスルから、イーシュは気まずげに視線を外す。ごめんなさい、とリスルは黙り込んでしまったイーシュへと詫びる。あれは能力を制御できずに暴発させてしまった自分のせいなのだから、彼にこんなふうに気を遣わせることではない。それにどのみち、あの事件がなくとも、病弱な弟は大人になるまで生きていられたかわからないし、長年、異能を酷使し続けたせいでリスル自身の命も今や風前の灯だ。もし違う人生を歩んでいたとしても、今も誰一人欠けることなく家族と一緒にいられた可能性は低かった。

 リスルはイーシュの灰色の髪をそっと撫でる。十四歳という難しい年頃の少年は少し気恥ずかしそうにしていたが、抵抗することはなく大人しくしていた。

 イーシュがどんな感情をリスルに抱いているかも知らずに、こうやって年の離れた弟のように扱ってくることに関しては物申したくはあるが、イーシュとしてはこうやって彼女に触れられることは嫌いではなかった。こんなときだというのに、心臓がそわそわと騒ぎ出す。

「そうね、せっかくだから寝物語に昔話でもしましょうか」

 リスルは過去を懐かしむように、穏やかな目でイーシュを見つめた。今ならば、これまで触れることのできなかった古傷を純粋な思い出として振り返ることができる気がした。イーシュは早くなった鼓動を悟られないように気をつけつつ、こくりと頷いた。彼女の綺麗な新緑の双眸に写った自身の姿が少し挙動不審気味に彼を見ていた。


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