第五章:贖罪と烙印③
恐らく、あれから半刻も経っていなかった。リスルはイーシュよりも少し早く意識を取り戻すと、洞窟の外へ出た。薪にできそうな枝を集めてくると、リスルは疲労を押してもう一度だけ《ヴィサス・ヴァルテン》の力を行使して火をおこし、暖をとっていた。
「リスル……さん……?」
意識を取り戻したイーシュが、リスルの名を呼びながら身じろぎをした。彼は焦げ茶色の目を開くと、恐る恐るといったふうに起き上がる。異能の暴走により、消耗はしていそうだが、命に別状はなさそうだった。全身の傷もリスルによって止血されており、裂かれたシスター服の裾と思しき黒い布が巻かれていた。
今は茶色の巻毛とグリーンの双眸に戻った彼女に対し、彼はばつが悪そうに俯いた。暴走状態で何も覚えていなかったとはいえ、恐らく自分はリスルのことも傷つけ、殺そうとした。それにも関わらず、こうして甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる彼女に合わせる顔がなかった。
自分のことを家に置いてくれている村長夫妻にしたってそうだ。事情を明かすことはできないとはいえ、度々傷だらけになる自分を口うるさく案じながらも世話を焼いてくれる彼らに後ろめたさを覚えていた。
「イーシュ」
イーシュの思考が負のスパイラルに陥ろうとしていたとき、彼女が彼の名を呼んだ。彼女は柔らかく華奢な腕でイーシュの身体を包み込んだ。その感触と女の人特有の甘い匂いに少しどきりとしながらも、イーシュは抗いはしなかった。
「どうして……」
「あなたを助けるのに理由なんて必要ないわ。ただ、力が暴走した結果とはいえ、あなたがあなた自身を傷つけている様を見ていられなかったし、同胞の暴走をどうにか止めてあげたかった」
イーシュによってリスル自身だって傷つけられ、悪くすれば死んでしまう危険だってあったはずなのに、この人はとんでもないお人好しだ。それなのに、彼女はイーシュを救ってくれた。彼は自分の手で故郷を滅ぼしてしまったあの日以来、初めて涙を流した。心はずっと己を責め続け、泣き続けていたはずだった。
「怖かったね。辛かったね。イーシュが自分を恐れて許せなくなってしまう気持ちもわかるわ。だけどね、あなたはまだ、守られるべき子供なの。だから――どうか、一人で抱え込んで思い詰めないで。怖いって、辛いって、苦しいって言っていいの。誰かに助けてって言っていいのよ。わたしがここにいて、受け止めてあげる」
抱きしめてくれるリスルの身体と言葉が暖かくて、イーシュは彼女の肩口に顔を埋めた。リスルの手が彼の頭をぽんぽんと撫でた。
(この人は優しくて、強い……)
どうしたらこうして教会から追われる身でありながら、こんなに強く優しく生きることができるのだろう。どうすれば、彼女のようになれるのだろう。
そんなことを考えるイーシュの焦げ茶の双眸からはそれまでのような投げやりさが薄れ、ほんの少し意思の光が灯り始めていた。
日没が近づき、東の空に夜の藍色が滲み始めると、リスルは火の始末をし、下山の準備を始めた。二人とも異能を行使した後で、身体に疲労が残っているとはいえ、これ以上雪山に留まり続けるのは危険だと彼女は判断した。
無言のまま、二人が雪に足を取られつつも、慎重に下山を続ける中、リスルのよく知る声が近くで聞こえた。錫杖を携えた金髪に青い目の壮年の男が雪まみれの姿でそこに立っていた。
「シスター・リスル。イーシュ君。無事でよかった。先程、あなたたちを探して、村にレシェールから派遣された神殿騎士団の捜索部隊が来ました」
「な……」
リスルはイーシュを庇うようにして、レイモンの前に立ちはだかった。わざわざ探しに来たということは、この人は何も話していないにも関わらず、恐らく自分たちの抱える事情に気づいている――その事実がリスルの頭の中で警鐘を鳴らしていた。このまま、レイモンによって神聖騎士団に自分たちの身柄を引き渡されるようなことになれば、最悪の場合、リスルがアルクスで体験した悪夢がヴェレーンで再現されることになる。
イーシュが目を伏せる。その灰色の髪には静かに雪が降り積もっていく。
無理もない、とリスルは寒さでかさついた唇を噛んだ。イーシュがこうも頻繁に異能を暴走させていれば、教会になにも嗅ぎ付けられないほうがおかしい。
「それで、レイモン神父。こんなところまでわたしたちをわざわざ探しに来てどうするおつもりですか。捜索部隊に引き渡すおつもりで?」
彼は少し躊躇うように目を伏せると、リスルの言葉を否定した。
「捜索部隊には地方の自治権を理由にお帰りいただきました。そのような者がいれば、このような田舎では目立ちますし、すぐに気づかないはずはありませんから、と。とにかく現状心当たりはありませんが、何か気付き次第、ご連絡差し上げるとのことでご納得いただきました」
「それで、結局この子とわたしをどうなさるおつもりですか、レイモン神父? わたしたちの事情について、ご存知なのでしょう?」
リスルは険しい視線と声音で上司であるレイモンを問いただす。そんなに警戒しないでください、とレイモンは苦笑しながら、
「失礼ながら、お二人の素性については私とシスター・アイリスとで調べさせていただきました。あなたたちは『悪魔の力』をその身に宿した異能者――『紅の魔女』と『災いの子』ですね。……しかし、私にはとてもあなたたちが聖典に記載されているような危険な存在だとは思えなかったのです。なので、私はあなたたちがこの村に危害を与えない限りは静観することにしました。
私は神聖騎士団を追い返した後、村長ご夫妻とイーシュ君の事情と今後について話をさせていただき、私の権限において、礼拝堂で匿うことで合意を得ました。シスター・リスル、あなたにしても私の大事な部下ですから、上司としてそう易々と捜索部隊に引き渡したりなどしませんよ」
「……わかりました」
リスルは頷いた。捜索部隊に見つかる危険を冒し、リスルとイーシュを探しに来て、状況を伝えてくれたレイモンの善良さを少なくとも今は信じてもいいと彼女は思った。
「それでは、お二人とも村に戻るとしましょう。ただ、まだこの辺りに捜索部隊がいる可能性もありますので、私についてきてください。村の外から礼拝堂の地下へ続く緊急用の通路があちらのほうにありますから」
レイモンは二人を先導して歩き出した。今は彼について行くことが最善と判断したリスルとイーシュは黙って彼の後ろを追った。




