第五章:贖罪と烙印①
リスルがヴェレーンを訪れてから、一つの季節が巡った。この季節になると、道すらも埋もれてしまうほどの豪雪に襲われるのだと、彼女が身を寄せることになったこの村の礼拝堂の神父が言っていた。
この寒村を秋口に訪れてから、リスルはしばらくの間は宿に滞在していたが、神父に薬草類を含む植物の知識を見込まれ、見習いシスターとして礼拝堂で住み込みで働くようになっていた。
この村の礼拝堂はレシェールに総本山を置く聖セレーデ教会に連なる施設である。しかし、強硬派の影響はこのような辺境の地にまで及んでいることはなく、人事権についても現地の責任者である神父に一任されているような状態だった。
リスルも最初は自分を害する教会に連なる施設に籍を置くことを躊躇ったが、この村の礼拝堂は互助組織的な側面が強く、差し当たっては危害を加えられる可能性も低いと判断した。
自分に残された時間は少ないとはいえ、衣食住を確保する必要があったし、イーシュの様子も気にはなっていた。
この村に来てすぐのころに出会って以来、身を寄せている村長の家から出てくることが少なく、リスルはイーシュとあまり顔を合わせてはいない。あれから一体、どう過ごしているのかわからないが、思いつめて自らを追い詰めていなければいいとリスルは思う。彼自身の自らを責める感情が募ってしまえば、また異能を暴走させてしまう可能性が高い。それが教会の捜索部隊に居所を掴まれるきっかけにもなり得るし、そうなればその余波がリスルにも及ぶことは想像に難くなかった。できることならば、もう自分たちを追い回す教会の追手などとは関わることなく、残り少ない余命を穏やかなに過ごすことをリスルは渇望していた。リスルはここでの生活は自分の素性が露見するか、自身の生命が尽きるまでの最後のモラトリアムにしようと決めていた。
黒のロングドレスに白の高い詰め襟、長い茶色の緩やかな巻毛を覆う黒のベール――シスターの装束もなんとなく板についてきたリスルは与えられた部屋でせっせと調薬に励んでいた。元からある程度の植物に対する知識はあったものの、この礼拝堂の一角で寝起きするようになってから、神父のレイモンによって調薬や医療の知識をリスルは仕込まれていた。それらを学ぶことはリスルにとっては思いの外、楽しかった。未だに聖典の一節すらも諳んじられないことについては、レイモンにもこの礼拝堂に所属するもう一人のシスター――リスルの先輩であり、同僚であるアイリスには日々溜息を吐かれているが、そもそもリスルには信じる神などいない。もしも神がいるのであれば、人と酷似した異なる存在など創り給うはずはないし、このような異能者に対する迫害など起こったはずがない。『紅の魔女』などという通り名で蔑まれた身で異能者の弾劾を指導する組織の末端にその身を連ねているなど、因果というものに彼女は嘲りの念を覚えないでもなかった。
そんなことを考えながら、凍傷の薬や風邪薬といったこれからの季節を見据えた薬品を彼女は調合すべく、手を動かしていた。冬の季節が長いこの村においては、これらの薬は絶対に切らしてはならない必需品なのだとレイモンが言っていた。リスルが匙でとろみのある毒々しい紫色の液体をかき混ぜていると、腰まである長い黒髪に菫色の瞳のシスター服姿の娘――アイリスが部屋に入ってきた。
「シスター・リスル、あなたにお客様です。村長ご夫妻がいらっしゃっています」
「村長ご夫妻が……?」
「ええ。村長ご夫妻の元に身を寄せているという少年のことについて、あなたに相談があるとのことです。緊急の用件とのことですので、こちらにお通しします」
アイリスに誘われ、七十歳ほどの男女二人――村長のゼエンとその妻のハンナが部屋へ入ってきた。泣きそうな顔でハンナは開口一番に、
「イーシュ君を見ていないかしら? 朝から姿が見えなくて……」
あの子のことを気にかけてくださっていたから何かご存じないかと思って、と彼女は言った。
「それは……いなくなったということですか? 少しどこかに出かけたというわけではなく?」
嫌な予感を覚えながらリスルがそう問うと、ゼエンは首を横に振り、
「ああ、村の中は探すだけ探したんだが、どこにもいないんだ。今日はこの通りの天気だから心配している」
恐らく、あの少年はまた自分で自分のことを追い詰めてしまって、自ら姿を消したのだろうとリスルは思った。自分の中の負の感情を抑えきれなくなって、どこかでまた彼は異能を暴走させているかもしれない。
「あの子はいつだって傷だらけでした。あの子の事情はわかりませんけれど、たぶんあの子は自分で自分のことを傷つけているんだと思うんです。刃物だとは思うんですが、何かで傷つけた跡が全身にあって……。心配はしていたのですが、あの状態のあの子にどう声をかければいいのか、どうしてあげるべきだったのかわからないんです。ただ、今あの子がどこかで早まったことをしているんじゃないかと思うと、気が気じゃなくって……」
老女の口からぽつぽつとこぼれ出る言葉が次第に涙で湿り気を帯びていく。ハンナの目から涙が溢れ出し、彼女は声を上げて泣き崩れた。
少々誤解があるとはいえ、イーシュに死んでほしくないのはリスルとて同じだった。彼らのために、自分のために、何よりもイーシュ自身のために、あの少年を見つけ出して連れ戻そうとリスルは思った。
「わたし、イーシュを探してきます。村の外はまだ探していないでしょう?」
リスルは真摯な光をグリーンの双眸に宿し、そう宣言した。
「ですが、シスター・リスル……有り難いお申し出ではありますが、外はこの大雪、危険では……」
リスルの身を案じる村長の妻に、神に仕え、万人に親愛と施しを齎す作りもののシスターのとしての優しげな微笑を浮かべる。
「ご心配ありがとうございます。ですが、旅暮らしが長かった身ですし、こういった天候にも慣れていますから」
「そうですか……ですが、どうか、お気をつけて……」
ハンナに礼を述べると、リスルは上着を羽織る間も惜しんで、シスター服のまま部屋を飛び出した。箒を手に礼拝堂の掃除をしていた神父に何事か呼び止められた気がしたが、リスルは無視をした。




