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プロローグ:殺戮の魔女

 何もない荒野を一人の女が旅していた。彼女の緩やかな曲線を描く茶色の巻毛を吹き抜ける風が揺らしていく。うっすらと浮いた額の汗を彼女は手の甲で拭う。この辺りの夏は相変わらず蒸し暑い。

(十年ぶりか……)

 彼女は燦々と輝く白日の太陽にグリーンの目を細めた。

 この辺りは今でこそ吹きっさらしの荒野となってしまっているが、十年前――彼女がこの地に住んでいたころは葡萄栽培やワインの醸造が盛んな朴訥とした田舎町があった。

 この場所に町があったころ、ある一人の少女がいた。少女は、悪魔の祝福を受けた眷族が手にするという人智を超えた力をその身に宿した咎で教会により火刑に処せられることとなった。西の宗教都市で教皇の代替わりが行なわれ、教会の方針として『悪魔の力』に関する取り締まりが強化され始めた時期のことだった。

 教会関係者により、心身ともに痛めつけられ、極限状態に追いやられた少女は己の異能を行使し、一夜にして町や人々を炎で包み、殺戮の限りを尽くした。焼け跡には灰しか残らなかった。

 少女はこの騒ぎに紛れて姿を消した。『紅の魔女』――赤い髪と瞳に因んでつけられた通り名と共に少女は各地を転々としているという。

 その少女は十年分年を重ね、生きることに疲れ切った二十代後半の女となっていた。

 自らの手で滅ぼしたこの地に彼女が足を伸ばしたのにはさしたる理由はない。十年という節目のタイミングに何となく足が向いたというだけのことだった。

 彼女は小高い丘の上に立ち、かつて町があった方角に目をやる。十年前の処刑の日の夜にも、彼女はこの場所で町を眺めていた。

 十年前に見たものは焼けた町の残骸に揺れる炎の姿だった。しかし、今、彼女の網膜に映っているのは生い茂った雑草の群れだった。

(案外、何も思わないものね……)

 昔とは異なる姿の故郷に彼女は淡々とそう思った。純粋に故郷を懐かしむにはいろいろあり過ぎ、かといって自分のしたことを考えれば、忘れてしまうこともできなかった。年月だけは重ねたけれど、記憶の蓋を開ける気になれるほどまだ過去にできておらず、感傷にも感慨にも浸れない。

 彼女は冬が来る前に北へ向かうつもりだった。しばらく、国内東部を転々としていたが、最近、『悪魔の力』を持つ能力者についての噂をしばしば耳にするようになっていた。幸い、それは彼女自身についてのものではなく、誰とも知れない年若い少年を探しているものではあったが、用心のために彼女は別の土地へ移ることを決めた。見知らぬ哀れな少年には悪いが、巻き込まれるつもりはなかった。

 彼女は己の死期が近いことを悟っていた。これから北へ向かってしまえば、きっともう二度と故郷の土を踏むことはないだろう。

 彼女はこの十年、己の持つ異能を用いて贖罪を重ねてきた。しかし、その力が彼女の身を蝕み、命を削っていた。

 彼女はその力で奇跡を起こし、数多くの人々を救ってきた。どこからともなく現れては、死に瀕した病人や怪我人を癒やして姿を消すというその所業により、聖女などと噂されていたりもする。しかし、その聖女と教会によって指名手配されている殺戮者が同一人物であることは誰も知らない。教会から追われる身である『紅の魔女』が聖女扱いなど、皮肉以外の何物でもない。

 彼女は目を閉じると、かつて一夜にして自身が滅した故郷へと向けて両手を合わせた。それが彼女ができる唯一のことだった。せめてこの地に眠る数多の魂が安らかであるようにと、信じてもいない神へと祈った。

 彼女は顔を上げると、最後に町のあった場所へ一瞥をくれ、北へ向かって歩き始めた。

 夏空の下、荒野を吹き抜ける風が、この地に眠る数多の死者たちの怨嗟を奏でていた。

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