第15話 あの子が水着に着替えたら えくすとらすてーじ! その1
「ねぇ大樹」
「ん~、何だ?」
「ちょっと聞きたいことがあって。えっと……これ。このカメラなんだけど」
寄り添いあってひとしきり泣き合って。
ふたり揃って落ち着きを取り戻した頃合いを見計らって、綾乃は大樹から身体を離した。
甘やかな体臭と温もりが消えて一抹の寂しさを覚える大樹の目に、背中を向けた恋人――綾乃の姿が飛び込んできた。
お尻。
控えめに過ぎる面積の水着に収まりきらず大胆にはみ出た柔らかな肌と曲線が、すぐ手に届く距離にあると言う現実を正確に認識し、無防備に過ぎる綾乃に苛立ちを覚えつつ心の中で感謝の合掌をささげた。
矛盾していると思いはするが、どうにもならない。
綾乃を恋して愛して大切にしたい理性と感情と。
綾乃に触れて、彼女の肢体を求める欲望と。
どちらも等しく大樹の中に存在していて――
「大樹、どこ見てるの?」
「どこって……いや、何も見てない」
「えっち」
「だからなにも見てないって言ってるだろ!」
「はぁ!? アンタ、私をバカにしてるわけ?」
「どうしてそうなる!?」
「こ~んなセクシーな水着しか着てない私とふたりっきりなのよ。もっと興奮しなさいよ」
「お前なぁ……はぁ、その話は後でしようぜ。俺も色々言いたいことあるし。それで、何だって?」
「……そうね。私も言いたいことたくさんあるけど……その前に、これ」
綾乃がバッグから取り出したのは、見覚えのあるカメラだった。
……と言うか、大樹が今日の撮影会に持参したカメラだった。
「これ、俺のカメラ?」
「そう、アンタのカメラ」
大樹の疑問を肯定して見せはしたものの、綾乃はとてもご機嫌斜めだった。
わかりやすすぎる感情表現にホッとさせられる。
つい先ほどまで心を推し量るために四苦八苦していた身としては、特に。
しかし、それはそれとして――
「あれ、何で綾乃がそれを持ってるんだ?」
「アンタが忘れて行ったから届けに来たの。気づいてなかったの?」
わざとらしく肩を竦めて、これ見よがしにため息をついた。
そのまま大樹の横に勢いをつけて腰を下ろす。
ベッドが揺れた。綾乃の胸も揺れた。
本能的に深い胸の谷間と豊か過ぎる双丘に目が引き寄せられる。
「大樹?」
「あ、いや、なんでもない。何でもないったら何でもない」
「はいはい、そういうことにしておいてあげるから」
「その言い草イラつくんだが……いや、そうじゃなくって、全然気づいてなかった……」
手渡されたカメラを掲げ角度を変えてしげしげと見つめる。
つい先日購入したばかりで、テストを除けば実際に使用したのは今日が初めて。
『俺の』と言いはしたものの……実際のところ、このカメラが自分のものという実感は湧いていなかった。
「ばか、ばか、ば~か」
いきなり詰られた。
声に嫌味は感じられなかったが、責める意思はあからさまだった。
「そ、そんなに言うほどのことかよ」
理不尽だと言い返したかった。
確かに自分は買ったばかりのカメラを置き忘れてしまった。
でも、それは大樹自身の問題であって、綾乃に揶揄われたり説教されたりする謂れはないと思ったから。
「言うほどのことよ。私の記憶に間違いがなければ、大樹にもご両親にもカメラの趣味なんてなかったよね?」
「ないな」
「じゃあ、そのカメラどうしたの?」
「買った」
何を当たり前のことを。
即答した声の裏には、そんな副音声が隠れている。
隣に座っていた綾乃には、ちゃんと聞こえているはずだ。
「やっぱり。ねぇ……それ、高かったんじゃないの?」
ドキリとした。
彼女が不機嫌な理由に思い当たってしまった。
あまり聞かれたくない話題に、直球で踏み込んでこられた。
「値段とか、どうでもよくないか?」
「どうでもよくないから。ワザワザはぐらかすってことは、高かったのよね?」
疑問の形式を装っているが、それは確認の文言に他ならず。
綾乃は確信していることを隠そうとしていない。
単に大樹の口から直接聞きたがっているだけだ。
そこまで察していて、なお大樹は一縷の望みに賭けた。
ただの悪あがきとも言う。
「……綾乃、お前ひょっとして結構カメラとか詳しかったりするのか?」
「ま、それなりには。プロのカメラマンと話すことあるし、撮影会で凄いの持ってくる人もいるから気になるし。それで、気になったら調べちゃうし」
「そういうとこ、お前らしいな」
わからないことそのままにしておかない。
ごく自然に疑問を解消し、知識として吸収する癖。
勉強なんて嫌いと本音をぶちまけはしたが、勉強によって得られたものは確かに綾乃の中に根付いている。
それを本人に言うのは……もう少し時間が経ってからの方がいいと思った。
なお、綾乃はそんな大樹の胸中を慮ってはくれなかった。
「話を逸らさないで。そのカメラ、とっっっても高いよね?」
「ま、まぁ……それなりには……」
つつ……とこめかみから一筋、冷たい汗が流れ落ちた。
言いたくなかったが、ごまかしきれる状況ではなかった。
「具体的にはおいくら万円ぐらいするの? 言ってみなさい」
「……」
「大樹!」
「えっと、その……〇0万くらい?」
観念して白状した。
渋々、本当に渋々だった。
嘘をついているわけでもないのに、口の中がやたらと苦い。
「……それで、あなた、そのカメラをどうしたのかしら?」
「置き忘れました」
「〇0万円のカメラを置き忘れた。そうよね?」
「……はい」
要約すると、〇0万円を放置しておいたようなものだ。
綾乃に責められるまでもなく迂闊であることは自覚している。
単に、つい今しがたまで撮影会だの告白だのショックが大きすぎて意識できなかっただけで。
綾乃と思いを確かめ合って、ホッとひと息ついて……現実を見たらえらいことになっていた。
「ばか、ば~か、ほんとばかなの、アンタ? 私がいなかったらどうなってたと思うの?」
「どうなってたんだ?」
「参加申し込みした時に住所登録もされてるから、麻里さんが送ってくれたわよ」
「だったら別にいいじゃねーか」
何もそこまでブチブチ言わなくても。
大樹の声に不満が滲み、綾乃の眼差しが剣呑な光を帯びた。
ついでに声も鋭さを増した。
そんな声も魅力的だと感動したが、この状況で口にする勇気はなかった。
「よくないから。今回はたまたまスタッフのところに親切な人が届けてくれたから戻ってきただけだから。どこかの誰かに持ち去られてても文句言えないからね、それ」
「お、おう」
「はぁ……それにしても、何でわざわざそんな高いカメラ買ったの? 大樹、アンタそんなにお金持ってたの?」
「バイトで貯めた金、全部突っ込んだ」
「ばか、ばか、ほんと大ばか。アンタねぇ……」
ばかばか言うわりには、声に先ほどまでの怒りを感じない。
思いっきり呆れられているようではあった。
「いや、だってさ」
「だっても何もないから」
「せっかく綾乃の撮影会に参加するんだから、みっともないことできないだろ?」
ひと息に言い切ると、狭い室内に沈黙が降りた。
大樹の顔は真っ赤になって熱を帯びていたし、隣の綾乃は急にそわそわし始めた。
お互いに、物凄く居心地が悪かった。
「えっと……それはその、授業参観的な発想な気がするんだけど」
「言われてみると、そんな感じだな」
「アンタは私のお父さんか」
「彼氏だろ」
正確には少し違う。
彼氏になったのはついさっき。
撮影会はその前。
だから、『彼氏だろ』と切り返すのは間違っている。
それでも、綾乃はその過ちを訂正しようとはしなかった。
もちろん大樹の側から訂正しようとは思わなかった。
「……はいはい、そうですねー」
「なんだよ、その言い草。さっきまであれだけわんわん泣いてたくせに」
「うるさいなぁ……しかも〇0万も出してカメラ買ったくせに写真全然撮らないとか、ほんとばか」
「それはその、お前が悪い」
つい口が滑った。
慌ててぎゅっと唇に力を込めたが……綾乃が隣からのぞき込んできた。
「何で私のせいになるわけ?」
上目遣いがあざといし、ストリングレスのチューブトップブラは綾乃自慢のバストをこれ以上ないほどに強調して見せていて……とてもではないが健全な思春期男子な大樹では対抗しきれるものではない。
「今日の綾乃、可愛すぎる。あとめっちゃエロかった。あんな姿を見せられたら頭が真っ白になるって」
「……ッ」
覚悟を決めて言い放った本音に綾乃は身体を震わせ、言葉を失った。
それでも――綾乃は大樹を見つめ続ける。身体を隠そうとはしない。
体勢は変わらない。凝り固まって動けないという感じではなかった。
「なんだよ」
しばしの見つめ合いの末に綾乃の視線が逸れ――ひと目でわかるほどに剣呑さを増した。
眉を顰める大樹を余所に身体をずらした綾乃は、ベッドを横切るように腕を伸ばし、本棚から一冊の雑誌を抜き出した。
「あ」
大樹の背筋を戦慄が駆け抜けた。
猛烈に嫌な予感がした。
表情が抜け落ちた綾乃がペラペラとめくっているその雑誌は――
「ねぇ、大樹」
「な、なんでしょう?」
「何、これ?」
「何ってそれは……」
雑誌である。
『週刊少年マシンガン』である。
ここ最近になって『黛 あやの』が巻頭を飾ったものではない。
バックナンバーだ。
ふたりが高校受験を目前に控えていた頃に発売されたもので、かつてコンビニでグラビアを見ていたら綾乃に咎められた、いわくつきの一冊でもある。
表紙には今や国民的女優となった某美少女が笑顔で――
「ふん」
綾乃はノールックで雑誌を背後に投げた。
雑誌は放物線を描き、寸分たがわずゴミ箱に落ちた。
不器用なうえに運動神経ゼロのくせに――と心の中で唸った瞬間、大樹の脳裏が奇妙な閃きを得た。
「なぁ、綾乃」
「何?」
「お前がグラビアアイドルになったのってさ……」
「……だから、何?」
「ひょっとして……ヤキモチとか入ってたりするのか?」
「……ッ」
大樹の問いに綾乃は身体を震わせた。
これは間違いない時の反応だ。
おかしいとは思っていた。
彼女がスカウトされた時の話、今はマネージャーとなった先輩に連れられて喫茶店に入ったくだりに引っかかりを覚えていた。
マネージャーが綾乃の人生を示唆する話をして、綾乃がその言葉に感じ入って。
とても考えさせられる流れではあったが……それ以前の問題として『知らない人に付いて行っちゃいけません』的な、ごくごく当たり前の常識が立ちはだかるはずなのだ。
有耶無耶にされたまま何となく頷いていた部分に、ようやく答えが見えた。
「そうよ……悪い?」
ぷーっと頬を膨らませたまま。
プイっと横を向いたまま。
綾乃は肯定を口にした。
「お、お前な……そんなことで人生決めて大丈夫なのか」
「結果オーライだから。あと、大樹のことは私的にとても大切なことなので『そんなこと』って言わないで」
「言うわ。何考えてんだ、お前は?」
「うるさい、大樹うるさい」
呆れつつも面映ゆい。
あの堅物だった綾乃がグラビアに見惚れる自分に嫉妬して、正確には大樹が見惚れるグラビアアイドルに嫉妬して、自らもその道に身を投じるなんて。
いったい何をどう考えたらそんな結論に達するのか。
隣に腰を下ろす少女をじっと見つめてしまった。
綾乃はじーっと大樹を見つめ返してくる。
お互いに至近距離で睨み合い、そして――
「ね、大樹……今から写真撮らない?」
綾乃は……とんでもないことを言い出した。
本当に、何から何までわけがわからなかった。




