心と脳の不調和
センチメンタルの酣。
ストレスに対する防衛本能は、アイデアの淵叢を萌す。
感情や思考を司る、作動が常では不可視な矮小。それは、運動器官をも傀儡とする。
嗜好は不思議。共感力や経験が生み出す防衛作用で嫌悪はある程度決定するが、好きは何故あるか判然とはしていない。だが、推察するならば、恐らく感覚器官や脳の報酬系の作動に因るものであろう。
以上でわかるのは、好き嫌いや(心と思われていた)感情と言うものは、心身の構成・経歴で培われた防衛作用に依って形成されているという事。
なら、心とは何か? それに関しての自論を展開したい。
ー突飛譚ー
私は、自分や親睦が深い人達以外の人間を幻像と思っている。
その理由は、生来の依怙と自分に差す雨露である。
心緒が繊細で相手を想見する露命。気遣えるが思惟が足りない、好きな物への否定を悪と見做す多数。気遣いを弱者の戯事と俯瞰する、驕慢の長寿。
そして、これらを荏苒にて認める、時代の精美に抱かれている自分。
全てが、嫌だった。
自分の眼界の外で、窮境を嘆かない嬰児。を想見し、不憫を萌す自分の心理。
嫌だった。だから、都合の良い煉獄の試練を考えた。
煉獄の試練とは何か。
簡単である。
苦しんでいるのは自分や自分に近しい人達であって、赤の他人は棘に繞られている幻像。その様に考え生まれた化育の一つという欺瞞である。
私は、自分に不理解を示す様になった。体と心の不調和、しかし脳は体を動かしている。
そこで私は、心という抽象をなるべく明瞭に近づけようと図った。
ー妄想ー
私の顔は布で覆われている。感覚器官には、色んな感覚を与える針が刺さっている。
その様な状態でいる私の体は、霊界にて横臥している。
自分の意思を反映している訳では勿論ない、あらゆる現象。
脳が私に与える空腹・睡魔は生命維持に必要。いつ食べるか・眠るかを、私は脳に与える。
脳と体は夢寐の中。私は布の裏側に。
恐らく、私の求めていた答えはこれだ。
ー推察ー
心とは感情ではない。体に刻まれた摂理に抗おうと思えば抗える、従順と造反の種である。
帰一は有れど、思考の脈絡に有る選択の方途・経過の記憶は完し同一ではない。恐らくこれは個性であり、その人特有の能力で有る。
心とは、我儘と咫尺な、最終決断でも有る。
ー結果ー
私にとっての、心について。
・従順と造反の種
・その人にしか出来ない、最終決断
以上である。