リーゼンvs暗殺者
闇が空を覆い、街の殆どが寝静まった夜。
フリーの暗殺者であるリチャードは、元老院の娘が住む屋敷の近くを歩いていた。
偶々耳に入った噂話。この国で大きな権力を持つベルン商会が、元老院の娘を殺したがっていると言うのを小耳に挟んだ彼は、その噂を頼りにベルルンと接触。
そして依頼を受けた。
報酬も破格であり、元老院の娘を殺すと言うリスクに見合う金額。
下調べを済ませたリチャードは、暫く仕事をしなくてもいいなと思いつつ人目につかないように屋敷に入り込む。
彼も暗殺者として仕事をしている以上、視線には敏感だ。
しかし、彼よりもさらなる上位者の視線に気づけない。
この時点で、彼の運命は決まってしまった。
「金持ちの屋敷は相変わらずデカイねぇ。さて、注意するべきはサリナと言う護衛とタルバスって奴か。どちらも金級冒険者以上の戦力を有しているらしい。流石の俺でも、逃げ切ることは可能でも同時に相手すれば死んでしまうからな」
仕入れてきた情報を復習するかのように、小さく口に出して唱えるリチャードは隠れられる場所を見つけると気配を完全に消して潜伏する。
ターゲットが眠っていると思われる部屋の明かりは既に消えており、以下にして向こうに気づかれないように屋敷に入り込むか。
それが重要だった。
「家の壁でも登るか。音を立てなければ、バレることは──────────」
ここでリチャードの言葉は止まり、視界に入ってきた主を見て目を見開く。
庭に出てきたのはターゲットであるリーゼン。護衛すら付けず、呑気に庭を歩いていた。
リチャードは素早く身を屈め、己の幸運を祝った。
(ラッキーだ。獲物が向こうからやってきたぞ)
息を殺し、隙を伺う。
彼はまだ気づいていなかった。これが罠だということに。
蛇が口を大きく開け、獲物が飛び込んでくるのを待っている事に。
獲物は自分だと言うことに。
(今だ!!)
何も知らないリチャードは、影から飛び出してリーゼンの首を狩り取らんと走り出す。
これがただの令嬢ならば、なすすべも無く殺られていただろう。
だがしかし。相手は世界最強の傭兵を師事した教え子。
強さだけで言えば、金級冒険者すらも上回るお転婆令嬢だ。
「来ると思っていたわ。私の勘は当たるのよ」
するどく突き出されたナイフをリーゼンは半歩ズレることでかわすと、軽く足を掛けてリチャードを転ばせる。
普段ならば絶対に引っかからない攻撃だったが、反応された事、当たり前のように避けたことに驚いてしまったリチャードは反応が遅れてしまった。
庭の芝生に転んだリチャードは、素早く立ち上がるとナイフを構えてリーゼンを見る。
リーゼンの顔は、余裕に満ち溢れていた。
(世界最強の傭兵団を師事しているとは聞いたが、まさか反応されるとは。金持ちの娯楽として遊んでいるだけかと思ったぜ)
「お邪魔しますも無しに人の屋敷に上がり込むとは、随分と常識が無いんじゃなくて?」
「はっ、そもそも俺は暗殺者だ。常識を問うんじゃねぇよ。お嬢様」
「........それもそうね。で?そんな常識知らずの暗殺者さんが私になんの用かしら?」
分かりきった質問。
リチャードは2つの選択肢がある。
1つはこのまま戦う事。最初の一撃を反応し躱した事には驚いたが、勝算はまだ高いと考えていた。
もう1つは、逃走。任務は失敗となるが、その時はこの国から逃げればいい。
が、リチャードは何となく逃げ切れる気がしなかった。
逃げるならば、ベルン商会を囮にしなければダメだと本能が言っている。
幸い、周囲に人の気配は無い。殺してからでも遅くはないと、リチャードは判断した。
「んー、貴方は要らないわ。私の勘に触れないもの」
「何を言ってるのか知らんが、死んでもらうぞ」
リチャードは先程よりも速くリーゼンに近づく。
リーゼンの死角に入るように動き、相手からすれば一瞬消えたように見えるだろう。
「見えてるわよ」
「?!」
リーゼンは、死角から放たれたナイフを軽く受け止める。
人差し指と中指のあいだで掴まれたナイフは、そこからビクとも動かなかった。
「........バケモンか?!」
「仮にも年頃の少女に酷いことを言うわね。悲しくなるわ」
パキンと、ナイフをへし折ったリーゼンは、お返しとばかりにこぶしを無造作に振るう。
洗礼された無駄のない魔力操作と拳の動き。多少なりとも強いリチャードは、ここでようやく自分の相手の強さを見誤ったことに気づいた。
(こいつ滅茶苦茶強ぇじゃねーか!!情報屋の野郎、こんなに強いなら教えろよ!!)
勿論、情報屋もリーゼンの強さなど知らない。
学園で上位に入る強さということぐらいしか知らなかった。
これは無理だと本能的に感じたリチャードは、即座に逃げる判断をしてその場を離れようとする。
逃げれないと何となく感じていたが、逃げる以外に今は選択肢がない。
「逃がさないわよ。貴方は重要な証拠なんだから」
リーゼンは、逃げ始めたリチャードに肉薄する。
(速っ!!)
リチャードが反応するよりも早く振るわれたリーゼンの右足が、リチャードの右足を砕いた。
的確に関節を狙った一撃。人が歩くには絶対に必要な部分をへし折ったリーゼンは、倒れ込むリチャードの頭を掴んで地面に叩きつける。
ゴン!!と鈍い音が響き、リチャードの意識はここで途絶えた。
死にはしていない。が、彼は今から死ぬほど痛い目に会うことだろう。
「ふぅ、こんなもんね。想像よりも弱かったわ。だから、勘が余裕で勝てるって言ってたのね」
ひれ伏したリチャードの頭に足を置きつつ、リーゼンは家の屋上で待機していた者達に視線を送る。
屋上から降りてきたのは、漆黒のローブに身を包んだ世界最強の傭兵。
自分の師匠であるその者に、リーゼンは明るい笑顔で語りかけた。
「どうだったかしら?」
「満点だ。サリナはずっとハラハラしてたけどな」
「寧ろ、ハラハラしない方がおかしいです。主人も貴方も何を考えてるんですか?暗殺者を相手に主人1人で戦うなんて」
サリナはそう言うと、リーゼンの身体をベタベタと触って傷が無いかを確認する。
万が一の際は、介入するつもりだった。が、心配が勝るサリナはリーゼンが動く度に介入しようとして仁に止められていたのだ。
ここに来て心配が溢れ出し、リーゼンに傷がないと分かると思いっきり抱きしめる。
「ちょっとサリナ。苦しいわよ」
「少しは苦しんでください。私達、使用人達の心情ですから」
「........もう。主人ガ好きすぎる使用人と言うのも考えものね」
リーゼンはそう言うと、サリナの背中に手を回して優しく背中を撫でる。
ふと、自分の師匠の気配がないと思い辺りを見渡すが、そこに仁の姿はなかった。
「弟子の成長を喜んでくれてもいいのに」
「喜んでましたよ。あの馬鹿野郎は」
「そう」
リーゼンはそう言うと、大きく欠伸をしてサリナにもたれ掛かる。
「眠いからこのままベッドまで運んで頂戴」
「えぇ、仰せのままに」
尚、サリナがリーゼンを抱えて屋敷に戻ってきたことにより、使用人達から心配されるのだが、それはまた別のお話。
これにて第四部3章はおしまいです。




