イスの学園生活⑥
翌朝。イスは仁達に見送られながら家を出る。
仁達の顔は明らかに疲れており、夜中まで起きていたのだと容易に推測できるが、イスはそこには触れなかった。
イスも出来れば手伝ってあげたかったが、仁は間違いなくイスに傭兵団としての仕事である報告書の確認をやらせない。
大人顔負けの頭脳を持つとは言え、仁達にとってイスは子供なのだ。
夜遅くまでつまらない報告書を読ませるなんて事は、間違ってもしなかった。
「今日はリーゼンちゃんが居ないからヒマなの」
イスはそんな事を呟きながら、学園へと続く道を歩く。
昨日はリーゼンと一緒に歩いた道も独りだとどこか寂しさを覚えたが、これも経験かとイスは思いつつ小さく欠伸をするのだった。
学園に辿り着き自身の教室に入ると、教室内が僅かに静かになる。
昨日起こした2つの騒ぎ。
1つは同じクラスのグスタルとの絡み。もう1つは上級生であるベルルン達との絡み。
この二つ、とくに後者の方は学園内でも話題になっていた。
ベルン商会の御曹司との喧嘩。主に対応したのはリーゼンであるが、リーゼンと一緒に居たイスも同罪と見られている。
平民出身の生徒からすれば、誰もが聞いたことのあるベルン商会に喧嘩を売るなど考えられなかった。
(やっぱり目立ち過ぎたの。もう少し大人しくするべきだったかなぁ........)
イスからすれば、なんてことは無いやり取りではあった上に、リーゼンという権力の塊がいた為特に気にしてはいないが、生徒たちから見れば大事だ。
リーゼンが元老院の娘という事を知っている者が少なく、自己紹介でも自分の名前しか言わなかったリーゼンと、どこからどう見ても親の権力を盾に好き勝手するベルルン。
さらに、人々の生活において結びつきが強い商会というのもあって、何も知らない生徒達からすれば後者の方が敵に回すのは恐ろしい。
イスは世界最強の傭兵団の娘である事はクラスメイトには知られているが、それでもベルン商会を敵に回す方が恐ろしかった。
「おい、聞いたぞ。ベルン商会の御曹司と揉めたそうだな」
イスが席に座ってリーゼンを待っていると、何を思ったのかグスタルが態々席を立って話しかけて来る。
イスは“また絡んでくるのか”とウンザリしながらも、相手に悪意がないことに気づいて言葉を返した。
「揉めたらしいの」
「........なんでそんなに他人事なんだよ。ベルン商会と言えば、この国で2番目に大きな商会だぞ?敵に回せば厄介なんてもんじゃない。少しは焦ったらどうだ?」
「んー?どうして焦るの?」
あまりにも能天気すぎるイスの返事に、グスタルは頭を抱える。
彼は根が優しい。父親好きをこじらせてはいるが、困っている人を助けたり、迷子の子供を親が見つかるまで探してあげたりと、騎士としての精神は既に出来上がっていた。
気に入らないやつとは言え、イスはクラスメイトであり守るべき国民。
だからこそ、ベルン商会の御曹司と揉めたイスが心配なのだ。
「........お前なぁ。幾ら世界最強の傭兵団とは言えど、それはあくまでも戦争中の話だろ?傭兵団も人間の集まり。つまり、人間社会で生きてかなきゃいけない。アゼル共和国を拠点に置いてるなら、買い物はアゼル共和国でするだろ?」
「するね。バルサルの串焼きは美味しいの」
「お、おう。それは知らんが、ベルン商会ともなれば、お前達に1歳買い物をさせなくすることもできるんだぞ?商人のつながりは広い。人声かければ、国中の店がお前を出禁にする可能性だって有り得る」
「........???メリットがないの。それに、そんな事したらベルン商会が滅ぶの」
「あん?」
グスタルの言っていることもあながち間違いではない。だが、それは相手が単なる平民の話であり、世界最強の傭兵団をその基準で話してはならなかった。
グスタルは世界最強の傭兵団の肩書きを甘くみている。国に抑止力となる化け物がいるというのは、たかが一介の商人とは比べ物にならない価値があるのだ。
「私達“揺レ動ク者”は、世界最強の傭兵団なの。わかる?世界最強なの。そのベルン商会は替えがきくけど、私達は1つしかないの。一国家を相手しても尚勝てるだけの戦力なんて、アゼル共和国がよほど馬鹿じゃない限り手放すわけないでしょ?居るだけで抑止力になり、この国の平和を守ってるんだから」
「........」
「それに、ベルン商会もそこまで馬鹿じゃないの........多分。相手は所詮御曹司。ベルン商会を動かせるだけの権限を持っていないんだから、泣きつくのは親なの。で、ベルン商会の会長?社長?はこんな事も考えれない馬鹿なの?子供の喧嘩にお屋が介入してきたなんて知れたら、ベルン商会の信用は地に落ちるの」
「........」
イスの反論を受け、グスタルは黙り込む。
イスの言ったことの方が正しく思えたからだ。
世界最強の傭兵団と国内二番目の商会。
どちらも居なくなれば国として打撃を受けるが、国としてどちらの被害が大きいかと言われれば前者のように思える。
替えのきかない歯車と替えのきく歯車。
失って困るのは前者だ。
「イスちゃんの言う通りよ。それに、私がその気になればベルン商会を潰せるわよ?」
「リーゼンちゃんおはようなのー」
「おはよう、イスちゃん。朝から面倒なやつに絡まれて大変ね」
グスタルが考え込んでいると、後ろからリーゼンがやってくる。
周りの事を見ていなかったグスタルは少し前ビクッと身体を震わせつつも、それがバレないように取り繕った。
「お前にベルン商会が潰せると?」
「余裕........とまでは行かないけど、やろうと思えばね。国に不利益を被る連中を叩き出すのは元老院の仕事でしょ?」
「........!!ツテがあるのか」
「勉強不足にも程があるわね。私の父親は元老院よ」
リーゼンは、後半の部分だけ声を小さくしてグスタルの耳元で囁く。
グスタルは驚き声を上げようとしたが、リーゼンによって強引に口を手で塞がれた。
「ブルーノ・ガル・ローゼンヘイス。それが私の父よ。私、親の力を見てへりくだる人とか大っ嫌いなの。だから、言いふらさないでね?」
「わ、分かった。騎士の精神に掛けて誓おう」
有無を言わさない鋭い眼光にグスタルは僅かに怯える。
自分の父である騎士団長に睨まれた時よりも、彼はリーゼンの眼光が恐ろしく感じた。
「ま、まぁ、何か困ったことがあれば俺も頼ってくれて構わない。ベルルンの取り巻きに居るやつの1人が騎士団隊長の息子なんだ。騎士道精神の欠けらも無い、強いやつに媚びる奴で事ある毎に自分の父親の名前を出すヤツなんだ。家では真面目を装ってるらしいけど。告げ口をすれば、多分好き勝手はできなくなるぞ」
「おー、それはいいの」
「そうね。それはいいわね」
“お前も父親の名前をよく出してるだろ”とイスとリーゼンは思いつつも、口には出さない。
彼の場合は威張るためではなく、誇りを持っている。
その取り巻きと同じ扱いをすれば怒るだろう。
イスとリーゼンは、グスタルの事を少しだけ見直しつつも“ファザコン馬鹿”と言う評価を変えることは無いのだった。




