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 何とか3時間走りきったリーゼンお嬢様は、今にも死にそうな顔をしながらメイドが持ってきた水で喉を潤す。


 俺たちについて来れたのは最初の15分だけだったが、その後も休むこと無く根性で走り続けたのは流石と言えるだろう。


 俺が11歳の時に同じ事をやれと言われても、絶対に無理だ。


 走り終えた俺達もメイドから水を貰った後、芝生に腰を下ろしてクールダウンを始める。


 もちろん、それを見たリーゼンお嬢様も俺達の真似をした。


 「これも、お母様に、背中を、押されるのかしら?」


 まだ呼吸が整っておらず、ぶつ切りの話し方だ。


 俺はお嬢様の呼吸が整うのを待ってから、言葉を返す。


 「いや、クールダウンは無理をする必要は無い。ゆっくりと身体を倒して、痛気持ちいいぐらいでやめておけばいい」

 「痛気持ちいい........このぐらいかしら」


 全くといっていいほど、身体が倒れていない。


 これが少しづつ、前に倒れて行けるように頑張ってくれ。


 ゆっくりとクールダウンをするが、基本的にクールダウンは黙々とやるものでは無い。


 自然と色々な事についての会話に話は逸れていく。


 「先生、次の訓練はいつになるのかしら?」

 「迷惑じゃなければ、最初の1週間ぐらいは面倒を見てやるよ。金は要らんぞ。サービスってやつだ」

 「本当?!なら一週間のスケジュールを開けておかなきゃいけないわね!!」


 嬉しそうに顔を輝かせて、早速スケジュール調整をし始めるリーゼンお嬢様を見て、俺は慌てて止めに入る。


 「別に無理しなくていいんだぞ?忙しい日があるならそっちを優先してくれ。一応、毎日やるべき事について纏めた紙があるから、それをやれば問題ない」

 「嫌よ!!私の予定はいつでもできるけど、先生達との訓練はいつでも出来るわけじゃないもの。できる時にやっておかなきゃ損だわ!!」


 そん思ってくれるのは嬉しいが、基本的にやることは変わらないぞ。


 もちろん、毎日走るだけではつまらないので多少の工夫はするつもりだが、結局やっていることは体力作りだ。


 ハッキリ言ってつまらない。


 俺は少し不安を覚えながら、リーゼンお嬢様に聞いてみた。


 「今日は楽しかったか?」

 「えぇ!!とっても!!」


 その笑顔は、お世辞や社交辞令ではなく、心の底から言っているものだと言うのが伝わってくる。


 彼女のこの明るさが、色々な人を惹きつける要因なのだろうと俺は1人で納得るすると、明日は何を教えようかと考える。


 なるべく飽きさせないように工夫するって難しいな。


 「ところで、先生はどこに泊まっているのかしら?何かあった時連絡が取れるように、場所は知っておきたいわ」

 「んーエリーちゃんの宿なんだが、分かるか?」

 「エリーちゃん........あの面白い店主がいるところかしら?」

 「メイド服着たオッサンが店主の宿だ」

 「あそこね!!私も偶に遊びに行くのよ!!先生、今日は私もそこに行って夕飯を食べるわ!!」


 エリーちゃんを知ってるのかと驚くと同時に、あれほど面白い店主をこのお嬢様が見つけてない訳が無いと妙に納得する俺だった。


 ━━━━━━━━━━━━━━━


 天使。それは人々を導く神の使いであり、天使の言葉は神の言伝と言われている。


 その中でも大天使と呼ばれる7柱の天使たちは、七大天使(グレゴリウス)と呼ばれ、人々からも天使からも崇拝される存在であった。


 時に人々を導き、時に人々を危機から救い出し、時に人々に奇跡を与える。


 それが天使であり、それが天使の役目である。


 「........はぁ」


 その大天使の名を持つ異世界人である黒百合朱那は、その天使について甚だ疑問を持っていた。


 大魔王アザトースがこの世界を支配していた時、天使たちは人々を助けようとしたのか否か。


 これ程わかりやすい人々の危機に対して、天使達は一切姿を見せていない。


 黒百合朱那が、人々から聞いた天使の像ならば、勇者と一緒になって魔王を倒すなんてことがあってもいいはずだ。


 しかし、いくら調べてもそのような記述は一切見当たらない。


 その全ては、勇者とその仲間たちによって大魔王を倒したとしか書かれていなかった。


 「天使ってなんなんだろう........みんな私が天使だからって言って気を使うけど、私は何かをなした訳じゃない。そんなに人から尊敬されることはしてないのに」


 黒百合朱那は、そう呟きながら本のページを捲る。


 何度も見た同じような文章。どれもが予定調和のように勇者の功績のみを書いている。


 確かに勇者の功績は素晴らしいかもしれない。だが、どの世の中にも客観的に、もしくは反対方向から物事を見るものはいるのだ。


 勇者に対して批判的な事が書いてある文献が一つや二つ出てきても不思議ではない。


 統一されすぎて不自然に感じる。この世界の住民は当たり前だと感じるかもしれないが、別の価値観を持つ黒百合にとってこの不自然さはどうやっても目につく。


 そして案の定、天使については何も書かれていなかった。


 黒百合朱那は、1人で小さくため息をつくとその本を少し乱暴に閉じる。


 「アイリス団長やシンナス副団長は根っからの信徒。天使や勇者の事柄に聞いても主観が入りすぎてる。

 光司君は色々忙しいし、何より少しイージス教に染まりつつある。龍二君には聞いてみたけど、何もわからずじまい。結局、私自身で調べるしかないのかな........」


 龍二も光司も勇者の中では最高戦力。魔王が復活を始めた今、慌ただしく動いている。


 黒百合がこうして自室でゆっくりと調べ物ができるのは、彼女が大天使としての名を持っていると言うのが大きな要因だ。


 その気になれば、彼女の一言でこの世界を混沌に落とすことすらできてしまう。


 それほどまでに天使とは大きな力を持っているのだ。


 教皇や枢機卿がどれだけ彼女に気を使っているのかが、よく分かる。


 「こういう時、仁君や花音さんがいればなぁ........」


 今はもういない友人達を思い出し、彼女は少し涙ぐむ。


 異世界に来てからしか関わったことは無い。だが、たった2ヶ月の間だけでも黒百合にとってはとても刺激的で面白い人物だった。


 恐らく、天使や勇者についての話をすれば彼らは面白可笑しく乗ってくれただろう。


 “楽しそう”“面白そう”と言って、色々と手伝ってくれたはずだ。


 忙しい合間を縫って、馬鹿らしい話を混ぜながらこの話に向き合ってくれただろう。


 「もっと早く、それこそ、この世界に来る前から話しておけばよかったなぁ........」


 静かにつぶやく彼女の声に、誰も答えない。


 だが、この言葉は間違いなく影に潜むもの達には届いていた。


 そして、ほんの僅かに蠢く黒に、黒百合朱那は気づかない。

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