それでは、さようなら
救いはないので苦手な方はバックでお願いします
「本当に君には申し訳ないと思っている。」
目の前で婚約者が頭を下げた。
キレイな金色の髪がさらりと落ちる。
「だけど赦してほしい。私は彼女と添い遂げたいんだ。彼女への想いを知ってしまった以上、私はこのまま君と婚姻を結ぶことはできない。」
顔を上げたその人の強い眼差しを受けて、私はゆっくりと肺の中の空気を吐き出した。
「…殿下、お話はわかりましたわ。私との婚約を解消したいということですわね?この件について陛下や私の父はなんと?」
私の言葉に殿下は悔しさを滲ませた顔をする。
「陛下は…君とよく話し合うように、と。君の父君にはまだ話していない。まずは君に赦してもらうのが筋だと思って。」
「では陛下から許可はおりていないのですね?」
「しかし君が是と言えば陛下だって!」
私の言葉に被せるように声を荒げる殿下に、どうしようもなく虚しさが襲う。
「…殿下。私と貴方は互いが8歳の頃に婚約を結びました。もちろんそこに私たちの意思は関係ありませんでしたが、それでも10年です。10年間、私は貴方の婚約者として、未来の王太子妃、ひいては王妃になるべく邁進してまいりました。」
「…あぁ、わかってる。」
「…わかっていらっしゃっても、私への情はありませんのね。」
「君のことは、大切だと思ってる。私も君と歩く未来を描いていたさ!ただ出会ってしまったんだよ、君より大切な人に。」
「だから、仕方がない、と?」
「君だって君のことを想う誰かと添い遂げた方が幸せになれるだろう?」
「っ、ふ、ふふふ、あははは!」
突然笑い出した私を殿下は化け物でも見るような目で見ているけれど、笑いたくもなる。
笑わないでいられるわけがない。
「何がおかしいんだ!」
わけがわからないながらも自分が笑われているのはわかるのか、殿下が怒りの形相を浮かべる。
「ふふ、失礼しました。あまりにも殿下が面白いことを仰るので、我慢できませんでしたわ。」
こんなに大声で笑ったのはいつぶりかしら?
「殿下、貴方はもう少しご自分の地位の高さを御自覚されるべきですわ。」
「…王子は人を好きになることもできないと言うのか。」
「好きになるな、とは申しませんわ。御心のままに行動するべきではないと申し上げているのです。」
「だから好きな相手がいるのに、私には彼女がいるのに、それでも君と婚姻を結べということか!?」
「…殿下。好きな人と婚姻を結べないのは、何も貴方だけではありませんのよ。この際だから正直に申し上げれば、私とて殿下を殿方としてお慕いしているわけではございませんわ。」
「な、に?」
「私にも想う方はいます。もちろん殿下と婚約をしている以上、節度を持った距離を保っていましたし、気持ちを伝えたこともございませんが。」
貴方と違って、と暗に含まれた言葉に気付いて眉を寄せた殿下に、にっこりと淑女らしい笑みを向ける。
「恋愛結婚が増えてきたとはいえ、未だ政略結婚が多い我が国では報われない想いを抱く方々なんて少なくありませんわ。ましてや私は国からの縁談。否やという選択肢はありませんでしたし。」
「…それなら君もそいつと婚約を結び直せばいいだろう。」
「ご自分の地位の高さを御自覚されるべきと申し上げたこと、お忘れになりまして?」
「どういう意味だ。」
「妃になるための教育はほぼ終わっております。今年学園を卒業すればすぐに婚姻式を行う予定でしたので。」
「それがどうした。」
「ほぼ終わっているんですよ、殿下。」
「だからなんだと言うのだ!」
「妃教育には国の暗部に関わる事柄も含まれます。そんな機密事項を知ってしまっている私が、婚約を解消したとしてその後自由な生活を送れると、本気で思っておいでですか?」
「っ、」
「貴方が想う方と結ばれるように、私が想う方と結ばれる未来があると?」
殿下は何かを言おうと口を開くが、言葉は出てこない。
「ですから私は申し上げました。私に情はありませんのね、と。」
「いや、違うんだ…、」
「良くて幽閉ですが、私はきっと殺されるでしょう。貴方だって習ってきた筈です。そうやって殺された方々がいたということを。それでも貴方は彼女との婚姻を望むのですから、一臣下である私に否やはございません。私なりに幕引きをさせていただきます。」
「ちょっと待ってくれ…、」
蒼白になる殿下の目の前で妃教育を終えた際に賜った指輪を指から抜き取る。
「お父様は私を愛してくださっていますから、今回の件で貴方の陣営からは抜けることになるでしょう。第二王子殿下の陣営に加わるかもしれませんし…陛下がお止めにならなかったことを知れば離叛も考えられますが…何にしろ貴方の立太子は遠のくことと思います。」
指輪についている宝石を押し上げれば、中から白い顆粒が出てくる。
「それでも貴方は愛した人と添い遂げられるのですから、羨ましい限りですわ。」
その顆粒をじっと見つめながらぽろりと零れた。
「私には望めない未来ですわね。」
「待て、それはなんだ…その指輪は…」
「この指輪は自害用の物ですわ。国に不利になるようなことが私の身に起きた場合は、この毒を飲んで自害せよ、と王家から賜りましたの。」
「なん、で…そんなもの…」
「本当になんでなのかしら。王子である貴方には与えられないのに理不尽だと思いませんこと?…貴方の愛した彼女もきっと近い将来毒入りの装飾品を身に着けさせられると思いますわ。お気の毒に。」
でも私と違って愛し愛された彼女なら、喜んで身に着けるのかしら?
「待て、それをどうするつもりだ!解消後も君に最大限配慮してもらうように交渉するから落ち着いてくれ!」
「まぁおかしな殿下。これは貴方が望んだことでしてよ。私、殺されるのはもちろん、幽閉されるのも嫌ですの。それなら自分で幕を引きますわ。きっと王家の暗部を担う者達がそろそろ陛下の命を持って戻ってくる頃ですし、彼らの手に落ちる前にね。」
「待ってくれ!そんなこと私は望んでいない!」
「いいえ、殿下。確かに貴方が望んだことですわ。貴方の愛した彼女とどうぞお幸せになってくださいましね。」
「待っ…」
それでは、さようなら―――