とある彫刻家と非日常
丹念に粘土を練る。
仕事は朝から。
規則正しく起き、朝食を食べ、ドリップした珈琲をカップに注ぐとそれを手にし、男は仕事場に向かう。
作業を始めると、時間の感覚が飛んでしまうので、太陽光が頼りだ。朝の光は生命を唱う様にきらめき、木々を照らし静かにそしてやさしく微笑み包み込む。何処かで鳥が囀ずるが、まだぎこちなく、甘えて聞こえる。
湯気を揺らす珈琲に口をつけ、テーブルにカップを置くと、作業着のつなぎのボタンを外す。程よく筋肉のついた肩を抜いて腰の位置で結ぶと半袖になって少し肌寒いが、粘土を練るにはちょうどいい。
男は粘土入れから抱えるほどの量を取り出すと板の上に、
ビタン。っと乗せ、ちからを込めて練り始める。
すらりとした体躯に程よい筋肉。自身が彫刻かと見紛うようなバランスのとれた姿を折り曲げ、上体を大きく動かしながら床に置かれた粘土をグニャリ、グニャリと規則的に動かす。額に鬱陶しげな、少し赤茶けたクセのある前髪がかかり、僅かに浮かんだ汗で貼り付く。
「....相変わらず、美しいですね....。」
声はするが、姿は見えない。
開け放たれた扉とそれに面した庭。仕事場は男の自宅の庭の先。小さな離れにある。鳥のさえずりはあるが、人影はない。
「もう1週間経ちましたか.....」
見えない声は続ける。
「人間の観念を失ってからは、日にちとういものに縛られないのですが、自分の生きている時間も失ってしまう様で、少し怖いですね。」
男は作業も止めずに視線も動かさずに答える。
「俺はむしろ、時間を失ってしまうことを、望むけれどね。」
男の声に呼応するように、一匹のカラスが庭先に舞い降り、室内に入ってくる。
男は僅かに顔を上げ視線をそちらに向けると、ニヤリっと意地悪く笑うと手を止めた。
「腹が減ってんるだろ?」
男の視線を受け、カラスはふいっとそっぽをむくと、湯気のたつ珈琲を覗きながら、くちばしを開く。
「中々。獲物を捕まえると言うのは、難しいんですね。人間の様に金銭でやり取りできれば違うでしょうが。あなたも私のようになればきっと苦労すると思いますよ。そもそも、このなりでは調理すらできませんから。」
カラスは、男を美しいと言った。
しかし、カップを覗く黒くしなやかな姿のほうが、男は美しいと思った。
目の前で、華奢で赤めの瞳の黒髪の男子生徒の姿が、カラスに変貌していく姿も美しかったが。
「ゴミ。仲間たちと漁れば、調理済みだろ?」
くつくつと意地の悪い笑みがこぼれる。
「そこは矜持が邪魔をしてると言うかですね。もはや、死に直結です。無理だったなぁ」
カラスは表情があるのかないのかわからないが、口調で、どことなく諦めを感じさせた。
「だから言ったろ。俺のペットになればいいって。」
男はにやにやしながらバケットにハムとサラダを挟んだサンドイッチをテーブルに置くと椅子に座る。
「先生。意地が悪いな。教師だとは思えない。」
そう言うとカラスはバケットからハムをついばむとペロッと飲み込んだ。