表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼岸花  作者: 七瀬渚
3/4



「最近痩せたんじゃないか?」


 炎天下のもとで伯父さんがそう言った。ミニトマトを収穫していた僕は腕で日差しを遮りながら「そう?」と返す。心当たりがない訳ではなかったが、僕は動揺を相手に感じさせずに振る舞うことに割と慣れているんじゃないかと思う。


「あ〜あ〜、こんな細い腕して。ただでさえ痩せ型なのによぉ。もっとちゃんと食わねえと」


 伯父さんの汗ばんだ手がやや荒々しい手つきで僕の腕をさする。改めて見ると確かに骨と皮みたいだ。やれ、どうしようか。


「夏は痩せやすいからね。ありがとう。気を付けるよ」


 とりあえずは笑ってそう言っておいた。そろそろ各地で熱中症に警戒するよう呼びかけられるだろう。そんな七月下旬。実際、体力が落ちるというのも特に珍しい現象ではない。


「二人ともお疲れ様。ちょっと麦茶でも飲みなさいな」


 ベランダの窓から伯母さんが声をかけてくれた。チリンと風鈴の音がした。



 今日の貰い物はこれまた凄い。自転車の前カゴをまるまる占領するくらいの大玉スイカだ。昔から思っていたけど何故年配の人というのはこんなに気前が良いのか。一人でこんなに食べれるんだろうか。何当分に切り分けてどれくらいのペースで……そんなことを考えていたらもうアパートは目の前にあった。


 玄関のドアを開けて再び閉める。するとむわっと鼻腔へ流れ込む独特のにおい。蒸れたような酸っぱいようなそれが、今日はやけに気になった。


 廊下を歩いて部屋に着き、荷物を下ろしてまた疑問に思う。

 僕こんなに散らかし癖あっただろうか? 生活感が出てきたとか正直そういうレベルじゃないような気がする。それとも一人暮らしになるとこんなもんなのかな? まだ四ヶ月しか経ってないのになぁ。お母さんに見られたらさすがに怒られるかも知れない。


 とりあえず何かお昼を食べなくては。そう考えながら手洗いうがいをし、今度はキッチンへ行って冷蔵庫の野菜室を開けた。

 ビニール袋に入れたトマトに触れたらグチャッと潰れるような不快な感触がした。


「まただ」


 また、食材が駄目になっている。よく見ると胡瓜の方も変な汁が出ている。帰宅したときに感じた嫌なにおいはもしかしたらこのせいか? 最近似たようなことがよく起こっていて僕は困惑していた。食べようとしても先に食材が腐るのだ。腐っていると気付けばまだいい。この間なんて気付かずに食べてしまって、のたうちまわって苦しむくらい大変な目に遭った。


 冷房だって使ってる。冷蔵庫だって壊れている様子はない。普通に生活しているだけのつもりが何故か上手くいかない。

 でもこのことは両親にも伯父さんにも知られたくないと思った。まだ慣れてないだけだ。ここで生活していけると思いたい。全部は上手くいかなくたってここは呼吸がしやすい。

 電気ケトルに水を入れたところで僕なりに気持ちを切り替えた。



 僕はパソコンを起動させた。あのSNSにログインする。


 今回の新作絵への反応は153件。一時期は200以上いったんだけどな。最近少しずつ減ってきているのが気になってしまう。


 そして他の絵師さんへの反応を見て思う。何千、何万と反応をもらっている人たちがいる。もはや雲の上の存在だ。何故僕と繋がりを持っていてくれるんだろうと疑問に思うくらい。

 そして強く憧れる。想像するだけで身体の芯が熱くなる。これほど多くの人の心に響く作品が作れたらどんなに素晴らしいだろう。どんなにやりがいがあるだろうと。

 それだけで生きていけるような気さえする。


 僕の絵に寄せられるコメントは大多数が好意的なものだけど、どちらなのかわからないようなものも時々ある。例えば「夢に出そう」とか。一方でこういう言葉にこそ何故かゾクリとくるものがあった。

「嫌いじゃないけど前の作品の色使いの方が好き」とか「遠近感がわかりづらい。遠くの景色はもっとぼかした方がいい」などという率直な意見もあった。その度に僕はもっと魅力的な作品になるよう努力した。

 だけど人の興味というのは移り変わる。熱はやがて冷める。僕がどんなに情熱を燃やし続けても。それが現実だと近頃は認めざるを得ない。



 翌日は少し遅く目が覚めた。だいたい午前九時半くらいだ。


 散らかった部屋の中でも絵だけは大事に保管している。今日は一日休みだから、思う存分制作に時間を使える。あとは細かな仕上げくらいだから今日中には完成するだろう。


 僕はいつものようにパソコンを起動させた。そのときマウスを操作する手に何かが当たった。

 それはカップラーメンの容器だった。買ってきたとき置きっぱなしにしちゃったのかな? そう思って持ち上げるとやけに重かった。そこで気が付いた。蓋が開いている。

 中身の麺は汁気を完全に吸っている。たぶんお湯を入れただけであって箸をつけたような跡さえない。鼻を近付けてみると嫌なにおいがして気持ち悪くなった。


 言い知れぬ不安が胸を占め、悪寒が背中を駆け登る。


 何故。いつからここにあった?

 僕以外の誰かがこの部屋を使っている? そんなまさか。僕は仕事もしてない。留守にしているのなんて伯父さんちに行っているときくらい。午前中くらいだ。物色されてる形跡もない。ほとんどずっとこの部屋にいるんだぞ。そんなことが本当にあるなら今の今まで気付かない訳がない。


 不可解な現象が初めてじゃないだけに、このままだと混乱は更に酷くなりそうだった。気持ちを落ち着かせようと絵の制作に取りかかったけど、動揺は作品にもあらわれてしまったように思う。



 それでもなんとか仕上がって。

 一呼吸ついた僕は作品を写真におさめた。反省点はあっても“失敗作”という概念は僕にはない。


 そして今回もみんなに見てもらう。マウスをクリックした。

 描くのは何日とかかるのに、載せるのは一瞬だ。改めてそんなことを思った。


 絵を載せた瞬間から反応は一気に5件ほどついた。それからまたぽつり、ぽつり、と増えていく。時間帯が悪かったのだろうか、この間より伸びるペースが遅いのが気になる。

 コメントも、まだ来ない。ちらりとパソコンの右下を見た。もう十五分くらいは経ったと思う。他のみんなは僕の投稿に気付いてないんだろうか。何処に行ってるんだろうか。いま何を見ているんだろうか。


 でも途中で気が付いた。凄く自分勝手なことを考えていることに。

 みんなにはみんなの都合があるんだ。それに反応くれた人もいる。見てもらえるだけでありがたいんだ。僕もいい加減気持ちを切り替えよう。


 だけど正直何をしたらいいのかもわからなくて、ただソワソワするばかりで、結局僕はベッドに横になった。



 目を覚ましたとき部屋はもう薄暗くなっていた。窓の外は燃えるように赤い。かたわらにはスマホが投げ出されている。いつの間にか眠ってしまったみたいだ。


 パソコンもつけっぱなしだった。再びSNSを開いてみたとき通知が来ているのがわかって、ようやくはっきり目が覚めた。生き返ったような気分だった。


 でも僕はすぐに奈落の底に突き落とされた。


 そのコメントは、今まで話したことのない人からだった。

 辛辣などという一言では言い表せない文字の羅列だった。それは僕の作品を全否定するような内容。魅力が一つもないとその人は思ったそうだ。批判は僕の感性やセンスにまで及んだ。これを見て誰が良い気分になる? 趣味が悪い。人間性を疑う、と。そして僕に描くことをやめるよう促すような言葉で一方的に締め括られていた。


「何故」


 作品は万人に受け入れられる訳ではない。それくらいはわかっていた。好みに合わないこともあるだろう。才能がないと思う人もいるだろう。それは仕方がない。

 だけど「やめろ」とは?

 何故ここでその言葉が出てくるのか理解できない。それは他人が決めることか? 作者自身の意思で描いているのだから決めるのも作者であろう。僕は間違っているのか?

 僕は、僕には夢があった。画家になることだ。このSNSでも公式アカウントを持っているような彼らのようになりたかった。広い世界を知りたかった。

 だけど夢は絶たれた。幼い頃、既に。

 小さな町の中で嫌われ、孤立し、幽霊などと呼ばれ、行きたかった高校にも大学にも行けなかった。僕はもっと技術や知識が欲しかったのに精神の衰弱がそれを許さなかった。家族以外とは話すこともままならない。誰かに握り潰されるばかりの人生だった。そんな僕の唯一の生き甲斐。生きるすべ。呼吸をするようなものだ。呼吸をやめろと言うのか。死ねというのか。何が悪い。生きる為に呼吸をして何が悪い。何故あなたに決められなくてはならない。


「何が悪い!!」



 しん、と再び静寂が戻ってから、僕は信じられないような気持ちになった。

 今のは僕の声か? こんなの聞いたことがない。

 身体の内側でぐつぐつと煮え滾っている、粘度の高いマグマのようなもの。こんな感情、知らなかった。



 僕の中で何が目覚めてしまったのだろう。静寂に慣れた器の身体はこのままでは壊れてしまう。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ