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彼岸花  作者: 七瀬渚
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 僕は結局不登校のまま中学時代を終えた。卒業式にも出席しなかった。

 高校受験も出来なかった。家ではある程度勉強していたけど、やっぱり先生がいないのでは限界があったと思うし、そもそも僕はそんなに勉強が出来る方じゃない。


 でもお父さんは他にも方法はあると言った。また気持ちが落ち着いて元気が戻ってきたら通信の高校を受けてもいいじゃないかと。それまで好きなことをして過ごしなさいと言ってくれた。


 好きなことと言ったらやっぱり絵だった。だけどこの頃にはもう、ただ好きというだけではなく使命感のようなものが芽生えていた。

 この手段がある限り希望は消えないのだ。皆から嫌われた僕でも何か役に立てるかも知れないという希望が。


 お母さんは僕が割と元気のあるときを見計らってはいろんな場所へ連れて行ってくれた。水族館や花畑、牧場や博物館。静かで優しい雰囲気の場所ばかりだった。

 お出かけした翌日は必ず絵を描いた。イルカの親子や向日葵畑の絵を見せたらお母さんは凄く喜んでくれた。

 これでいい。こういう絵をもっと描いていこうと思った。


 でも町の中にいるときは居心地が悪かった。自分が生まれ育った場所なのに、まるで町そのものに拒絶されているような気分だった。

 痩せっぽちだけどもうだいぶ身長は伸びていた。こんな身体をしていつもお母さんの後を着いていってる姿は滑稽だったのかも知れない。みんな笑顔で挨拶するけど、すれ違った後はヒソヒソと何か話していた。


 いつか彼岸花を見た川沿いの土手。

 僕の本音がついに零れた。二十歳ハタチを迎える年の春だった。


「この町を出たい」


 乳歯が抜けたときみたいな、そんな感じだった。痛みは多分前からあったのに気付かないフリをしていたんだと思う。

 振り返ったお母さんは目を見張り、眉をぎゅっと中央に寄せた。僕は途中でうつむいてしまった。



「いいんじゃないか? 大きな街に出てみた方が却って自由に過ごせるし世界も広がるかも知れない」


 家に帰ってからもう一度口にした僕の気持ち。後ろめたい思いだった。だけどお父さんはむしろ好意的な受け止め方をした。


「大きな街と言ってもいきなり大都会ではハードルが高いだろう。ちょっと待ってなさい」


 お父さんはスマホを操作しながら立ち上がった。「あなた」と不安そうな声を零したお母さんに「まぁ、ちょっと確認するだけだから」などと言いながら廊下へと出て行った。


 はっきりとは聞き取れなかったけど、誰かと話しているような声がしばらく続いた。

 再び部屋に戻ってきたお父さんはノートパソコンを手にしていた。


「やっぱり。伯父さんまだアパートの管理人やってたよ。空いている部屋もあるそうだ。まだ決まった訳じゃないけど、どれ、参考までに……っと」


 お父さんはインターネットに接続し、例のアパートの周辺地図や写真を見せてくれた。


「父さんも行ったことあるんだが、それなりに自然のあるのどかな場所だ。だけどこっちとは違って飲食店とかコンビニとか大抵の店が歩いて行ける範囲にある。自転車を一台置いておけばだいぶ便利だろう。駅も多分そんなに遠くないな。都心へのアクセスもしやすい」


 のどかな場所とは言われても、小さな田舎しか知らない僕からしたら十分都会の風景に見えた。そして小さな期待が心の奥に灯った。ここなら、この街なら、僕を受け入れてくれるだろうか。特別な優しさとかではなくていいから、空気のように受け入れてほしい。


「家族みんなで引っ越すとなるとやはり簡単ではない。相当時間がかかるだろう。それにどんな場所が住みやすいかまだわからない。でも伯父さんがすぐ近くにいるような場所だったらいくらか安心できるんじゃないかな」


 僕が小さく頷くと、父さんは柔らかく微笑んだ。


「合わなかったら帰ってくればいい。父さんたちはここに居るから。まぁゆっくり考えてみなさい」



 三人で話している間はお母さんも表情が和らいでいったように思えた。その後の晩ご飯のときも、テレビを見ながら時々笑っていた。


 だけどお風呂と歯磨きを済ませて自分の部屋へ向かおうとしたとき、廊下でお母さんと鉢合わせた。ギシ、と床が軋む音と同時にお母さんの表情が悲しそうに崩れた。


「ごめんね。ずっと我慢していたのね」


「おかあさ……」


「ごめんね」


 僕は、なんて声をかけようとしたんだろう。気が付いたらお母さんはもう立ち去った後だった。

 僕は何処まで自分の気持ちを言っていいのかわからなくなっていた。



 それから約二ヶ月後。

 タンスも机もベッドも僕の部屋からなくなった。全部例のアパートへ送ったのだ。

 本来は二年契約だけどまずは一年様子を見ようかと伯父さんも電話で言ってくれた。生活はしばらく実家からの仕送りでやっていくことになった。


 電車のボックスシートからずっと窓の外を眺めていた。今までの僕自身のことをぼんやりと考えていた。

 反抗期とかよくわからなかったな。女の子を可愛いと思うこともあったけど、だからどうなりたいとかはなかった。

 僕を見送ってくれたお父さんとお母さんの笑顔の残像は直視するには切なくて、耐えきれず頭の奥へとそっと沈めた。



 こうして新しい街での生活が始まった。

 両親との約束。病院には必ず行くこと。食事は三食きちんと食べること。週に二回は伯父さんのところに顔を出すこと。体調が悪いなどの事情があったら一回でもいいけど連絡はちゃんとすること。


 だけど実際はそんな心配はいらないというくらい僕は伯父さんのところに足を運んだ。週に三回くらいだ。あまり行っては迷惑になるんじゃないかと最初は思ったけど、伯父さんも伯母さんもとても寛容な人で僕が来るのを歓迎してくれた。

 伯父さんの家は家庭菜園をやっていた。いつか働けるようになったときの練習になるかも知れないと言われて僕も手伝うようになった。そのお礼にとよく野菜やお菓子を貰って帰った。


 たまに寄るコンビニには綺麗な女性の店員さんがいた。僕がいつも同じものばかり買うからなのかその人は僕のことを覚えてくれたらしく、会計をしている間に話しかけてくれることもあった。僕は「はい」とか「そうですね」とか答えるのが精一杯だったと思う。

 挙動不審になってなかっただろうか? 家族以外の人との会話にはまだ慣れてない。都心に遊びにいくなんてまだ当分先の話になりそうだった。


 そしてアパートにいるとき。僕がするのはやはり絵を描くことだった。持っている絵の具の数は決して多くはないけれど、もうこの色で表現することに慣れていた。

 過去に見た景色、その日出会った美しい光景、そのときのインスピレーションをキッカケにひたすら描いて、描いて、気が付くといつも日が暮れている。本当はそのまま続けていたいけど生活を疎かにしたら両親との約束を破ることになるから、しぶしぶ切り上げて夕食の準備をするという流れだった。


 地元にいた頃、インターネットをすることはあまりなかったけど、一人暮らしを始めてから見る頻度が増えた。というのも、好きな画家やイラストレーターのホームページに興味があったからだ。展示会情報とかが知りたかった。いますぐではないとしても、そういった会場に向かうことだって出来る場所にいるのだ。


 やがてその画家やイラストレーターたちがSNSをやっていることを知った。最初はちょっと躊躇ちゅうちょしたけど、見る為専用のアカウントとして僕も登録してみることにした。万が一、地元と人にバレるようなことがあったら嫌だから、ハンドルネームもちゃんと決めて公開する情報も最小限にした。

 そう、別に誰かと話さなくてもいい。みんながみんなコミュニケーションの為にやってる訳じゃないのだからそれでいいじゃないかと。



 だけどその一歩は僕の中で眠っていた何かを目覚めさせることとなった。


 SNSの世界で僕は数々の絵を目にした。それはプロのものばかりではない、プロを目指す人、趣味として楽しんでいる人、きっといろいろだ。


 特に僕が惹かれたアカウントがあった。その人の絵はいつもモノトーンでえがかれている。おそらくアナログだ。薄墨で描いたものやペンで描いたもの。そして特徴は何処かグロテスク。欠損した人体や肉を突き破って育つ植物。生々しい音まで聞こえてきそうなくらいの迫力。それでいて繊細な描写と引き立て合い耽美を感じさせる。

 プロフィールは短くあっさりとしたものだった。だけど大学生と書いてあった。多分だけど僕と年齢が近いんだろう。


 胸の奥の高鳴りは日に日に強くなった。

 もしかすると、もしかすると。

 いても立ってもいられなくなったある日、僕は新しい作品の制作に取りかかった。

 作業は深夜までかかった。食事をとるのも忘れた。誰にも知られることのない一人の空間、だけど僕は初めて両親との約束を破った。



 後日、伯父さんの家から戻ってきた僕は改めてSNSの世界と向き合った。

 まだちょっと恐れはあった。だからまずは今まで描いた絵を公開してみることにした。

 ほんの何人かとは繋がったけど、ちゃんと会話をしたことなんてない。反応なんてすぐには来ないだろうと思っていた。


 でも反応はぽつり、ぽつり、と増え、三日後には5件になっていた。ちょうどその日に新しい作品が完成した。

 僕はそれを写真に撮った。指先が震えた。


 そして意を決して全世界へと放った。



 その夜、僕は反応を見ることなくベッドに潜り込んだ。今までと違うことをしたから怖かったのだ。

 自分のすることに誇りを持たなかった報いなのか、寝入りばなに金縛りに遭いそのまま悪夢に飲み込まれた。


 鳴り止まない雑音。気がおかしくなりそうな。

 暗闇の中、僕は頭を抱えて謝り続けた。


「ごめんなさい」


「ごめんなさい」


「気持ち悪い絵でごめんなさい」


 だけどそれが僕の生きるすべなら、僕は一体、どうすれば良かったのだろう。


 自問したところで目が覚めた。僕は涙を流していた。



 朝から疲れ果てたせいで食事を用意する元気もなかった。青汁とバナナでいいだろうか。そんなことを考えながら着替えをした。ぼんやりしながらカーテンを開けた。いつもと順序が逆だ。


 ちらりとパソコンの方を見た。考えないようにしようとしてもやはり気にはなっている。

 そうだよね、逃げていたって解決にはならない。早くスッキリしてしまおうと決意を固めた僕はあのSNSにログインした。



「……え?」



 思わず声が漏れた。見間違いではないかと思った。だけど何度見てもこれは僕の載せた絵だ。

 反応が80件になっている。スクロールしていくと知らない人たちからのコメントが次々と現れた。


『切なくて美しい! 凄く好きです!』


『私の性癖に刺さりました。鳥肌』


『薄暗くジメッとした雰囲気がなんともエモい』


 エモいってなんだろう。でも悪いことを言われている訳ではなさそうだ。調べてみるとそれは「エモーショナル」から来ている言葉だとわかって僕の心は震えた。


「い、いいの?」


 視線を横へと移行した。壁に立てかけておいた絵が窓から射し込む日の光を浴びていた。僕の仄暗い世界を際立たせていた。



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