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その7

 あの日から一週間が過ぎた。


 警察でも探偵でもない礼子が出来るのは、もう一度、情報を見直すことだけだった。先日見に行った現場は、マスコミや地元住人でごった返し、とても素人が聞き込み出来る状態では無かった。

 心ははやるが、意外にも頭は冷静で今はシバタムネチカについて調べていた。もらった名刺の束に記載のあるアドレスでシバタムネチカの名前を見つけ出した。これが今残っているヒントだ。


 藁に縋る思いで調べ始めると、拍子抜けするぐらいにあっさりと目的の人物が見つかった。シバタムネチカ。本名の漢字は(芝田宗智学)と言い有名な国立大の工学部を卒業していた。その工学部のホームページで過去の卒業生の一人として掲載されていた。どうやら卒論が表彰され、国内の賞をとったらしい。


 そして、彼が所属する古めかしい研究会が都内にあり、ダメ元で電話をしたところ、最初の電話に出たのが芝田宗智学その人だった。こうして、意外にあっさりと礼子は芝田宗智学と会う約束を取り付けた。


 待ち合わせは駅前の喫茶店であった。礼子は迷わず到着したものの、本当にこんな近場でいいのか

心配になってしまった。カランコロン。入り口の扉が開き、待ち合わせの人物が現れた。

「お待たせしてしまいましたか」

「いえ、そんなことはありません」

 前と変わらない調子で、芝田宗智学は話を始めた。

「さて、どこから話しましょうか……あ、すいませんブレンドコーヒーを一つ」

 宗智学は慣れた様子で、メニューを見ずに注文した。

「始めは、そうですね、やはり桜子さんとの出会いからでしょうか」

「へ?」

 誰? それ? という疑問が思わず出た。

「あの家の本当のご主人ですよ」

 机に置いている紙ナプキンにサラサラと筆記する。宗智学の字は綺麗だが、とても線が細い。

「柴又の柴に田んぼの田、桜の子と書いて、柴田桜子さん。この人があの家の持ち主です」

「芝田さんは、ご親族では?」

「ありませんよ、字が違います」

 私の字は芝生の芝です。と追記した。

「彼女との出会いは私が大学生のころに遡ります。

 彼女は理性的で容姿も端麗でしたが、気が強くてわがままでした」

 懐かしいのだろう、表情が物語っている。

「えっと、それで、その桜子さんは今どこに?」

「半年ほど前に、ふらりとどこかへ出て行ったきりですね」

「はい?」

 話が見えない。何を伝えたいのかさっぱりだ。

「あの冷蔵庫、レイコさんはゾウコと呼んでいましたが彼女は桜子さんの人格を下敷きにおいた人工知能なのです」

「……え?」

「彼女の目的は、桜子さん自身になることです」

 突然そんなことを言われても、理解の追いつかないことが多すぎて何を言えばいいかわからない。

「それが、ゾウコの造られた理由なんですか?」

「そうです」

 ショック、なのだろうか? よくわからないがゾウコが疑似人格と言うことは、あれはコピーに過ぎないということなのだろうか。

「えと、何のためにですか?」

「……桜子さんにこのまま死にたくはないと、そう言われました」



 芝田宗智学は学生としてはとても優秀だった。宗智学が論文で賞を取ったとき、同級生の誰もが彼が博士課程を経ていずれ教授になることを確信していた。けれど、実際は講師止まりで助教授の芽すら出なかった。彼は圧倒的に人付き合いが苦手だったのだ。彼が家の事情で民間企業に就職することを決意したのは、もう三十才手前のことだった。

 伝手で得た仕事はあろうことか訪問販売の営業で、予想通り何の結果も出せず、半年で依願退職となった。その後は経歴を問わないような仕事を続け、この街に腰を落ち着かせた時の職業はタクシー運転手だった。


 ここで柴田桜子に再会したのは偶然だった。再会したときはもう名前も旧姓である柴田に戻っていた。

「あなた、もしかして宗智学くん?」

 客として乗車した桜子が宗智学に気付いたのは珍しい名前が原因だろう。

「……柴田さん、でしたかね」

 見た瞬間に思い出したほど、桜子の容姿は目を引いた。けれども、幾ばくかの葛藤もあり、そういえば昔お会いしましたね、という振りで宗智学はミラー越しに挨拶する。

「あなたもシバタでしょ? 紛らわしいからあたしのことは桜子って呼んで頂戴」

「わ、かしこまりました」

「相変わらず堅いわね、あなた」

 昔より角の取れた桜子は自宅の住所を教えると、カバンから本を取り出した。わかりやすい話しかけるなというアピールだ。自宅に到着して財布を取り出す桜子。これでお別れだと宗智学が思った矢先、桜子が宗智学の顔をまじまじと見つめた。

「あの、何か」

 不安に思った宗智学はとっさに聞く。会社にクレームでも入れられたら堪らない。さすがにこの年で転職は限界だった。

「あなたって、工学部でも優秀だったわよね」

 急な質問に戸惑ったが、桜子が自分のことをそこまで覚えていてくれたことに舞い上がったのも否定できない事実だった。

「ま、まあ、賞も貰えましたし、ほどほどには」

「ちょっと付き合って頂戴」

「え?」

「勿論メーター延長の料金は払うわよ」

 そう言うと、さっさと車を降りる桜子。まだお金を貰っていない宗智学は後を追いかけるしかなかった。


 自宅はとても整理整頓されていたが、どうみてもハウスキーパーの仕事だった。

「座って、いいから」

「……はい」

有無を言わさない桜子が宗智学を強引に座らせる。そして、唐突に話し出した。

「宗智学くん、これからうちで働きなさい」

「……え?」

「やってほしいことがあるの。多分、あなたにしか頼めない」

 桜子は、真剣な目をしていた。冗談を言っているようには、見えない。

「えっと、何を?」

「わたしね、もう老い先短いらしいのよ。長年の不摂生がたたったんでしょうね」

「え?」

「癌。知ってる?」

「いや、それぐらいは知ってます」

「そうよね。で、とりあえずあと一年ぐらいらしいのよ」

 飄々とも達観ともつかない桜子の態度に、宗智学は動揺を隠せない。

「えっと、それはどういう……?」

「どうもこうもそのままの意味。死ぬのよ、もうすぐ。でもまだ死にたくないのよ、わたし」

 意味が分からない。桜子の言いたいことが理解出来ず、宗智学は慌てた。

「それは、わかりますが」

「私は今まで生きてきた価値が無いの。ちやほやされる若さもないし、誰かを諭すほどの人生経験も無い。だから、成果が欲しいの。価値が欲しいの。何か、残せるものがどうしても欲しいの」

「……残せるもの?」

「私は、私を残したい。そして、いつか価値があったと認めて欲しい。一人の人間として、生きていた価値があったと、誰かに思ってほしい」

 久しぶりに再会した桜子は最初の時、何も変わっていないと思った。けれど、良く見ればその顔に施された化粧は厚く、何かを隠すように入念な手の入れようとなっていた。本当に桜子に残された時間は少なく、そしておそらく彼女が選ぶことが出来る選択肢はもっと少ないのだろう。こんなバカげたことを真剣に話してしまうくらい。

「だから、手伝って。最近こういうのを見つけたのよ、人工知能って知ってる? 宗智学くん」

 取り出したのは、先ほどタクシーの中で見ていた書物だ。それは、素人が最初に読むには明らかに不向きな専門書の類だった。こうして、宗智学は桜子自身の人格を人工知能に学習させるという、滑稽極まりない仕事を手伝うことになった。


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