その6
レイコは最近よく考え込むようになった。理由は分かっている。あの光景が頭を離れないからだ。いくら考えても結論など出ないのに、それでも考え込む。そうして気がつくと、ここで取り留めのない話をするのだった。
《レイコさん、何か考え事でも?》
「え? いや、大丈夫よ」
そう言うとレイコは頭を切り換えた。
「で、今日はどういう趣向の小話なの?」
《検証と言って下さい》
「わかったわかった、検証ね」
最近のレイコはだいぶと打ち解けてきた。
《今日は芸術や文学などについて考えましょう》
「まともね」
《いつもまともですよ。レイコさんは芸術に興味がありますか?》
「いや、そこまでは……」
《しかし、そもそも芸術とは遊びから始まるものですよ》
「遊び?」
《はい、絵画・文学・音楽はては思想・文明などほとんど全ては生きる上での余暇として生まれたものです》
「そうなの?」
《つまり、全ての芸術は遊びからはじまるのです》
「なんかえらくまとめたわね」
《そして遊びの目的とは、モテたいということなのです》
「それは流石に言い過ぎじゃないの!?」
どうしてそうなるのかと思う。
《レイコさん、考えてみてください》
「え? 何を?」
《人類で初めて絵を描いた人は、なぜ描いたのでしょうか?》
「へ? そうね~言葉では、いや、言葉は後か。だとすれば、誰か他の人に伝えるためとか? ほら、大きい熊がでたから気を付けろ、みたいな?」
《ちょっと上手く描けたら褒められてモテたからです》
「ほかにもあるよね! 大事なこと!」
《人類で初めてモノを遠くまで投げた人は、どうして投げたのでしょうか?》
「そりゃ、何か、動物とか、獲物をとるため?」
《ちょっと遠くまで投げたら褒められてモテたからです》
「いや、その場面見てないよね、あなた!」
《人類で初めて歌を歌った人は、どうして歌ったのでしょうか?》
「それは……えっと」
《モテたいからです》
「人類がすごく浅く感じる!」
《昔は、力の強い者が全てを得る時代でした。しかし、力のないその他大勢の人類が、力以外の要件でモテるために、こうした遊び、ひいては文化が生まれたものと推察します》
「いや、そんなことは……」
《では、人類で初めて宗教を「そこまでにしときなさい!」》
やばいことを口走る前にぎりぎり止めたレイコ。
「で、結論、今日は何するのよ!」
《文化的な遊びをしてみたいと思いました》
「最初からそう言いなさいよ!」
知らずにいつもの調子を取り戻したレイコ。ゾウコはいつもの調子で会話を続けた。
《レイコさんは川柳をご存知ですか?》
「えっと、五・七・五のあれ?」
《そうです。ちなみに『和歌』『短歌』は5・7・5・7・7の文字数『俳句』『川柳』は5・7・5・の文字数ですが俳句には季語が必要とされています》
「へえ、そうなんだ」
《では早速詠んでみましょう。Let's try!》
「なんで最後洋風なの? まあ、今日はまともな感じだからいいけど」
《では、レイコさん、何か一句お願いします》
「……え? そういう話だっけ?」
《ハテナ? 私は試験段階のAiなのでまだ自立思考出来ませんが?》
「うん、そうね。そういう設定だったわね。わかった(……ほんとに?)」
心の声で突っ込みつつ、レイコは溜息を吐いた。
《どうですか? 思いつきそうですか?》
ゾウコがせっついてくる。
「いや、あたし芸術系はちょっとね……すぐには思いつかないというか」
《では、テーマを決めてみましょうか》
「テーマ?」
《そうです、たとえば、家族とかどうでしょう?》
「家族?」
《なんでも構いませんよ》
「なんでも、なんでも……?」
しばらくうんうんと唸ったレイコがやっとのことで一句捻り出した。
「朝御飯 食べずに園で 泣く我が子」
《季語がありません 30点》
「判定厳しくない?!」
《もう一句お願いします》
「ええ~……」
しばらくうんうんと唸ったレイコがやっとのことで二句目を捻り出した。
「朝露に 映る自分と にらめっこ」
《良くわかりません 40点》
「だから厳しくない?!」
《やはり難しいものなのですね》
「そらそうでしょう、てゆうか、あたしって今、これする意味あったの?」
《はい、やはりレイコさんは素晴らしいです。私では創ることが出来ませんから》
「そ、そう? まあ、ならいいけど」
《ちょ…………そうですよ》
「いま『ちょろい』っていうつもりだったでしょ!」
《まあまあ。一説によると、言葉を制限することで、伝えるべき言葉をより単純明快に出来るという効果があるようですね》
「伝えるべき、言葉……?」
レイコはふと、あの光景を思い出してしまった。あの時、伝えるべき言葉などあったのだろうかと。
《レイコさん? どうしましたか?》
「あのさ」
ここで聞くべきではないと理性が解っていても、心はそうではない。
「旦那がさ……」
《はい》
「…………浮気してたら、どうしよう」
言ってしまった。言葉に出して、言ってしまった。本来言うべきこと、聞くべきことの相手は他にいるのに、それを聞いてしまった。言った開放感と、言ってしまった罪悪感が同時に胸を一杯にする。
《…………》
ゾウコは何も言わない、恐らく、聞かれた意味が分からないのか、それとも返答を探しているのか。
「ごめんなさい、さっきのこと、やっぱり忘れて」
《レイコさん……》
「大丈夫、もういいから」
《季語がありません 25点》
「なんかうすうす途中で気づいてたわよ!」
考えすぎて、丁度5・7・5・の文字数になっていたようだ。しかも点数も減点されていた。
《レイコさん。そろそろお時間ですので今日はここまでにしましょうか》
「うん、そうね、何か無駄に疲れた」
あの後、妙にすっきりしたレイコは、ぽつりぽつりとゾウコにことのあらましを話した。話しているうちに頭の中が整理され、冷静に考えられるようになった。
考えてみれば、あれだけ人目のある場所で白昼堂々、そんなことをするだろうか。旦那はずる賢いというわけではないが、そんな脇が甘いことをするほど能天気でもない。石橋を叩いて渡るタイプだ。それに、知人は多くないとはいえ、会社の営業エリア内なら誰に見られてもおかしくはない。流石に、あれをみて誰も夫婦とは思わないだろう。それぐらいのリスク管理はするはずだ。
「ちゃんと、聞いてみる」
《そうですね、それが良いです。でも、焼き土下座はやりすぎなので注意が必要です》
「勝手に有罪にしてんじゃないわよ! ……ま、そういうことで、またね」
《はい、お待ちしています》
「ただいま」
「お帰りなさい」
いつもの通り、帰りの遅い洋一郎を迎えた礼子は、改めてその顔を見た。仕事帰りのその顔を。
「……どうしたの?」
「いや、別に」
冷静に見ると、正直いつもと変わらない。馬鹿正直ではないが、洋一郎は嘘の苦手なタイプだ。大それたことを隠しておける豪胆さはないと思う。
しかし、聞き方によっては、たとえ潔白であっても、気分を害することは間違いない。それで夫婦関係や家族にひびが入るのはダメだ。答えは中々出ない。
気が付くと、すでに日曜日の朝だった。
「もう日曜日じゃない……」
「え、そうだけど、何かあったっけ?」
洋一郎が心配そうにのぞき込んでくる。
「いや、別にそういうわけじゃないけど」
「そう? ならいいけど、なにかあったら言ってね」
「うん、わかってる」
布団を片付けながら、礼子は迷っていた。伝えるべき言葉が見つからないからだ。
その日も、昨日と同じ様に色々なことをこなしながら、言葉を探し続けていた。それは夜になっても続き、それでもまだ結論を出すことが出来なかった。陽太が眠った後、普段なら夫婦もまた就寝するのだが、
「今日は飲まない?」と礼子から洋一郎を誘った。
いつもと違う提案にしばらく考えた洋一郎だが、「いいよ」と快く頷いた。
テーブルの上には、スーパーで買ってきた梅酒と缶チューハイがある。おつまみは、スモークチーズと柿の種だ。二人とも飲む方ではないので、家の中に酒類のストックはない。
「今日はどうしたの? 急に。何かあった?」
「いや、何というか……」
「悩み事? あれば何でもいいから言って」
「うん、その……」
賑やかしに付けているテレビだけが煩かった。洋一郎は静かな方が話しやすいかと思い、ついているニュース番組を途中で切り上げるべく、リモコンの電源を押そうとした。その時、礼子はたまたま画面に目がいった。特に意識もしていない。意識はずっと、頭の中をぐるぐる巡っていたからだ。けれど、その画面は全てのモヤモヤを吹き飛ばす衝撃に満ちていた。
『……中継でお伝えします。こちら〇〇市の△△駅からほど近い場所にある一軒の住宅です。普段は閑散としているとのことですが、今はこの様に多くの報道陣、カメラが集まり、現場を騒々しいものとしています。本日未明、こちらの住宅で強盗事件があり、その際、発砲音が鳴り響いたとのことで、朝から警察の鑑識が現場検証を行い、引き続き捜査が続けられているとのことです。えー、手元の資料によりますと、この家は、柴田邸とのことで、このあたり一帯の土地を所有する大地主の方が住んでいたそうです。親族のお話によると最近は交流がなく、現在の状態は正確には把握できていないそうです。ただ、現在家主の方が行方不明となっており、今回の事件に何らかの形で巻き込まれた可能性もあるとして、捜査が進められている模様です』
「これ、ゾウコの家じゃない……」
「え?」
リモコンを奪い取ると、礼子は画面を凝視し始めた。
「え? どうしたの?」
「しっ、静かにして」
普段とは違う雰囲気に洋一郎は息を吞むが、観察しているうちに状況を察してくれたようだ。
「……礼子の知り合いの方が、住んでたの?」
「まあ、そんなとこ……」
しばらく、テレビを見続けたが、先ほどの情報以上のことが分からず、テレビを切ってスマホで検索を始めた。しかし、それほど目ぼしい情報が上がっておらず、礼子は歯噛みしながらタップとフリックを繰り返した。
「礼子?」
「……」
黙々と作業を繰り返す礼子だが、その姿があまりに真剣なので、洋一郎は黙って寝室に引きあげるのだった。
「おやすみなさい」
「……」
記憶が曖昧ながらも、なんとか翌日朝の準備を整えて陽太と洋一郎を送り出すと、礼子はすぐさまゾウコの家へと向かった。道すがら、集めた情報を整理する。
もともと柴田家は武家の家系で、その起こりは戦国時代まで遡るそうだ。明治時代には今より広範囲の土地を保有し、運輸業、賃貸業など手広く商売を行っていたようだ。けれど、戦中の頃の色々で保有する土地はかなり減らされ、事業も縮小を余儀なくされたらしい。以降は政治に進出するようになり、市議会議員、県議会議員、果ては親戚筋になるが国会議員も排出しているらしい。しかし、それも十年ほどまえの情報であり、今現在の状況は知るすべがなかった。
しかし、そこで分かったことが一つあった。あの家の現在の持ち主は女性だということだった。
「……どういうことなの?」
礼子はざわざわする胸の内を抑えられなくなった。