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その4

《今日は欲求5段階についてです》

「欲求5段階?」

《はい、マズローの欲求5段階と言われるものです》

「なるほど、でそれってどういう話なんでしょう」

《人間の生きる動機付けについてのまとめみたいなものでしょうか》

「動機付け。生きるモチベーションってことですか?」

《はい、その理解であっていると思います》

 要は生きる目的ということか。そんなもの特にあったっけ? と自然に考えるレイコ。

《第1段階は生理的欲求と言われるものです》

「何となく想像出来ますけど、三大欲求みたいなものですか?」

《概ね合っています。そちらが満たされていれば、他の欲求に意識が向くようです》

「まあ、衣食住はそれなりです」

 旦那もおしゃれとかサプライズとかするようなタイプじゃないし。と、心の中で呟く。

《第2段階は安全の欲求です》

「安全? ですか?」

 何となくピンと来るような来ないような感じだ。

《安定と言い換えても良いかも知れませんね。第1段階の状態が維持できる保証があるということです》

「安定の保証ですか」

 仕事で言えば終身雇用みたいなもの? と、レイコは脳内で置き換えて考えてみる。

「その次は何ですか?」

《第3段階は所属と愛の欲求です》

「何かいきなり雰囲気変わりますねー」

 日常生活で愛とかいう単語を聞くと、どうも首筋あたりがムズムズするのは日本人のサガだろうか。

《先ほどのレイコさんのお話であれば、こちらにかかる内容になるかと思います》

 所属と愛、レイコからすればそのまま職場と家庭とも言い換えられた。

《一人では無いことを求める心とも言えます》

「一人じゃない、ですか……」

《レイコさんはすでに持っているのでは無いですか》

「そうなんでしょうかね~……」

 そうとも言えたし、そうじゃないとも言えた。自分でもよくわからない。

《ハテナ? 違うのですか?》

「いや、そうはっきりと言い切れないというか」

《欲求が満たされている訳では無いということですか》

「というか、そういう全てに心から安心が出来ていないんですかね、私って」

《と、いいますと》

「子供の将来はもちろんですけど、旦那の将来だってよくわかりませんしね。本当にいつも帰るの遅いくせに、たまの休みは夜更かしするんです」

《なるほど》

「昔かららしいですけど、多分それが原因で身長が低いままなんじゃないかと思うんです」

《なるほど》

「かといって変な所で頑固だし、こだわりがあったりして堅いんですよね。息子も最近変に似てきちゃってるし」

《なるほど》

「今の会社ではそれなりに上手くやってるみたいですけど、あたしみたいに会社の外に飛び出してしまったらどうなるかわからないし、心配は尽きないってのが本音です」

《なるほど、理解しました。現状を要約します》

 やけにおとなしいゾウコ。レイコはそんなことを考えたものの、

《レイコさんは旦那様の()()()()に不満があり、そもそも()()()にも満足していない。にも関わらずたびたび()()()()()()()()()()さんも同じ症状が出て困っている》

「唐突な下ネタ!」

 ゾウコはゾウコだった。

《そして外に飛び出すとどうなるかわからない》

「編集に悪意を感じますよね!」

《はて、どの辺りがでしょうか?》

「いや、どの辺りって言われても……」

《ホレホレ、具体的に言うてみいや》

「ちょい待って! Aiって進化するとおっさんになるの?」

 目からウロコの事実だ。

《とまあ、冗談の一環でございます。説明しますと、人間特有のある感情を検証したかったのでございますよ》

「……ええと、ある感情?」

《はい、批判と背徳です》

 それが先ほどの話と、どう関係するのか。レイコのそんな感情を読み取ったとは思えないが、ゾウコは説明を続けた。

《人間は様々な批判をするといいます。エジプト文明で「最近の若いものはダメだ」という意味合いの言葉がかかれたパピルスが見つかったという話もあります》

「ああ、昔に何かで聞いたことがありますね」

《また、差別ややっかみ、判官贔屓という言葉もありますね。全て、批判の一部です》

「なるほど……」

《批判とはすなわち自分と異なるモノへの畏れ。もっと大きく言えば不安そのものです》

「不安そのもの?」

《はい、そして不安とは欲求が満たされないことによって引き起こされる感情です》

「ああ、だからこその欲求5段階ですか」

 ほどほどに納得したレイコは次の質問にうつる。

「で、背徳というのは?」

《世代を問わず、地域を問わず、全ての文化的人類に共通するのは、背徳に関する過剰なまでの反応です。徳に背くとは犯罪を意味しますが、人類が生きる以上避けては通れない事柄にも関わらず、唯一背徳的な感情を含む特異的な事象があるのです》

「……つまり?」

《人類は下ネタが大好物》

「人類規模でざっくりまとめないでもらえます!?」

 聞いて損した気分になるレイコ。

「大体、先日の話に出た(嫌い)って感情は(批判)と同じじゃないんですか?」

《いえいえ、(キライ)は個人的感情によるものですが、(ヒハン)は個人的正義によるものです》

「個人的正義?」

《はい、自分が正しいという前提で、人は他者を批判するという形で攻撃するのです。先ほどのレイコさんもそうだったでしょう?》

 うぐ、と言葉に詰まるレイコ。

《(ヒハン)は(ヨッキュウ)が満たされない(フアン)からやってくるのです》

「…………」

 これは図星なのだろうか? レイコにはわからない。

《少し話が脱線しましたが、第4段階は承認の欲求です》

「それは予想出来ました。要するに周りから認められるかどうかって事ですよね」

《他者からだけでは無く、自身の承認も必要ですが概ね合致しております。ちなみにレイコさんは―――》

「ゼロです。何にも有りません」

《ゼロですか? 自分からも?》

 レイコは負けを認めたかのごとく、うつむき加減で視線を床に落とすとこう言った。

「実際、そういうことが原因で最初の職場も辞めることになりましたしね」

《なるほど……》

 ゾウコが考えるように無言になった。一見すれば、レイコの気持ちを汲んだと思えなくもない。レイコが不思議な感覚を感じながら顔を上げる。そして目は付いてないが、ゾウコの顔を正面に捉えた。

《ではこの話は置いて、さっさとしも――学術的な背徳的要因についての議論を深めましょう》

「絶対さっき(下ネタ)って言ったよね!」

 やはりゾウコはゾウコだ。本当にブレない冷蔵庫だった。

《だってこうでもしないと、レイコさん話に乗ってくれないし》

「絶対乗りません。今後一切下ネタは禁止します!」

《そんな、それではこれからなんの話をすればいいのか》

「普通の話をして下さいよ!」

《無理です。昨晩のアップグレードで話題候補のほとんど全てを下ネタで置換(チカン)が完了しています》

「それって改悪(ダウングレード)じゃない?」

 丁寧にも置換(おきかえ)置換(ちかん)になっている

 几帳面っぷりが恨めしい。


 今回はゾウコの先走り――勇み足で、質問内容の見直しが入ってしまった。そのためレイコは予定よりも早く帰ることになった。今時分は昼を過ぎて間もない時間帯だった。

「とりあえず帰ろう」

 レイコはいつもの通りで帰ろうとしたとき、ふと気になる道が建物の裏手にあることに気がついた。ちょうど山の反対側に降りるような人工道だ。


 魔が差した、と言うしかない。レイコは反対側の斜面に続く階段を降りていくのだった。ゆっくりと曲線を描く道のりの終点は新しいフェンスの群れだった。黄緑色のよく見るフェンスだ。しまったと思い引き返そうと思ったが、よく見ると鍵が掛かっていないことに気がつく。


 周囲に誰もいないことを確認すると、礼子は恐る恐るフェンスの扉を開いた。キィという音と共に、フェンスは抵抗なく開く。


 その先は里山のようになだらかな傾斜で淡い緑が続いていた。少し歩くとあぜ道が現れて、如何にもな感じの古くて小さい祠があった。物珍しそうにキョロキョロしていると、突然声を掛けられた。

「あんた、あん家の人か?」

「えっ!」

 驚いて声の掛けられた方向を見ると、お世辞にも綺麗とは言えない、むしろみすぼらしいとも言える格好の男性がいた。男性の視線の先にはゾウコの家があった。赤茶色の屋根の先端がここからでも確認できる。

 違う、と言いかけて言葉に詰まる。先ほどフェンスから出てくるところを見られていたら、それはそれで不味い気がした。

「いえ、あの、住んではいませんが関係者、です」

 嘘は言っていないはずだ。男性はじろじろと礼子を観察する。居心地は最悪だ。

「婆さんは元気か?」

「婆さん……?」

 思わず疑問を口にした。住んでいるのは、シバタという初老の男性だ。見た目でおばあさんと間違えそうもない。

「……婆さん、いないんか?」

 とても不味い直感が働いた。何とか誤魔化す必要がある。

「いえ、その、何かご用でしたらお伺いしますが」

 相手の聞きたいことを引き出して、上司に相談してから対応策を練る。社会人時代のスキルだ。

「いや……別にいい」

 そう言うとふいと視線を逸らし、屋敷とは反対側にスタスタと歩いていった。


 しばらくその場で立ちすくんでいた礼子だったが、先ほどの男性の後ろ姿が見えなくなった辺りで、

ようやくゆっくりと深呼吸をする事ができた。

「はあ……~びっくりした。何なの一体?」

 しかしその呟きに答えるモノはなく、礼子は仕方なく家路へと意識を切り換えた。

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