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その3

 礼子には今年で5才になる長男がいる。名前は陽太。そんな陽太は、朝一番が特に煩わしい。

「ママも今日から新しいお仕事だから、ちゃんと手伝ってって昨日約束したでしょ!」

「……」

 新幹線的なロボットアニメに夢中で返事もしない陽太。

「ヨウタァ!!」

 礼子の逆鱗に触れ、雷が落ちる。旦那は朝早くに出勤したので、歯止めをかける存在もない。もっとも、いたところで状況は大して変わらないと礼子は思っていた。

 ちなみに旦那に新しい仕事について聞かれたものの「研究助手みたいな感じかな?」とごまかした。

 見慣れない風景の電車から降りると、坂を上る。目的地を知っている為か、昨日よりも到着するのはあっという間だった。


《早速ですが、はじめてもよろしいですか》

「はい、お願いします」

《今日のテーマは(好き・嫌い)についてです》

「好き嫌い、ですか?」

《はい。好きと嫌いの感情というものは比較的区別がつけやすく、初めのテーマとしてレイコさんの意見を拝聴しやすいと判断しました》

「なるほど」

《それでは準備はよろしいですか》

「はい、お願いします」

 やや緊張しながら、レイコは返事する。

《レイコさんは民主党と共和党どちらが好きですか?》

「……ええっと、アメリカの話はちょっとわからないので……」

《では、自由民主「日本の話もちょっと!」》

 レイコは会話のインターセプトをしながら、穏便な話題に舵を切る。

「最初はもうちょっと軽いところからいきません?」

《ハテナ? と、言いますと》

「例えば、そうですね…食べ物とか動物とか?」

《わかりました。それでは、犬は好きですか?》

「あ、好きです」

《どういった特徴が好きですか?》

「う~ん、人懐っこいところ? ですかね」

《猫は好きですか?》

「まあまあです」

《犬と比べるとどうですか?》

「犬の方が好きですね」

《何故ですか?》

「ええと、猫は自由過ぎるというか」

《嫌いなのですか?》

「いや、嫌いってほどじゃないですあえて言えば苦手ですかね」

《鳥は好きですか?》

「鳥?(インコとか?)ですか。う~ん好きでも嫌いでもないです」

《普通ですか?》

「まあ、生活で接点も無いですし」

《馬は好きですか?》

「馬?(なんだろう競馬の話?)ええと、特に好きとかないです。普通です」

《牛は好きですか?》

「牛?(動物縛りの質問なの?)ええと、あまり興味が無いですね」

《豚は好きですか?》

「いや、ちょっと待って途中からこれ完全に食材の話になっていますよね?」

《いえ、最初から動物かつ食べ物の質問ですが》

「まさかの事実ですよ!」

《総合的に結論づけるとレイコさんは偏食家です》

「違いますよ! 犬とか猫とか食べるわけ無いでしょう!」

《地球では食べる文化圏もありますが》

「日本では食べません! 普通は!」

《ハテナ? 普通とは何でしょうか》

「いや普通っていうのは、世間一般的ってことですよ」

《ハテナ? 一般的の基準とは何でしょうか》

「いやそれは……半分以上の人が賛成してる……ってことですかね……自信無いですけど」

 改めて詰問されると、答えに窮してしまう。レイコは何とか話題を変えるべく、思いついたことを口にした。

「それじゃあ、好きな芸能人とかどうですか?」

 レイコは適当な話題を振った。

《芸能人とは芸事の能力に秀でている人物のことで間違い無いでしょうか?》

「えっと、多分合ってます」

《ではレイコさんの好きな芸能人を教えて下さい》

「えっと、そうですね……八幡ケイジさんとかですかね」

《どのような人物なのでしょうか》

「確か、高校生でテニスのインターハイに出てそれから藝大でイラストを勉強して、声楽なんかも独学で勉強したとか言ってました。今は歌ったりバラエティとかドラマに出てますね」

《なるほど、いましがた検索確認をいたしましたところ、特に芸事に秀でていたという実績に乏しい為、芸能人ではないという判断にいたりました》

「厳しく無いですか!? そこそこ人気有りますよ!」

《しかし、事実ですので》

「いや、もうそこは芸能事務所所属ならよしとしてくださいよ!」

《わかりました。ではどこが好きなのですか?》

「いや、まあ、イケメンなので、見た目です」

《なるほど、ではレイコさんの旦那様もイケメンなのですね》

「いや、何でそうなるんですか?」

《ハテナ? 違うのですか?》

「旦那は、普通ですよ。イケメンじゃないです」

 何故か心がチクリとくるレイコ。

《それでは、何故レイコさんはその方と結婚したのですか?》

「えっと、それは……成り行きというか」


 レイコは微妙なエピソードをかいつまんで必要なポイントだけを話した。

《なるほど、要約すると昔の同級生とばったり再開して付き合うことになり、結婚したということですね》

「まあ、そうです」

 単純にそういうわけでも無いのだが、客観的に見ればそう言うしかなかったのも事実だった。

《エピソードとしては普通ですね》

「……そう言われると何故か反論したくなりますね」

《各分野のストーリーラインと比較して、一般的に受け入れ易いと判断したまでです》

「いや、ドラマとか小説とかと比べられてもですね」

《階段から転落して意識が入れ替わるよりも現実的です》

「ファンタジーを含むのは反則でしょう!」

《ラベンダーの香りで時間を「だから駄目ですって!」》

 何か凄く疲れる、と感じながら一応の反論をする。

「ストーリー的にはありふれているかも知れませんけれども、運命的な再会だったと私は思っていますよ」

《なるほど、レイコさんの主観はそうなのですね》

 意外とすんなり納得するゾウコ。

《では、旦那様はイケメンではないけれども好きということですね》

「まあ、そうですね……」

《ではその、イケてない旦那様のどこが好きで結婚したのでしょうか?》

「イケてないは言い過ぎでしょうよ!」

《ハテナ? 情報の齟齬が見つかりません》

「わかりました! もうそれでいいのでさっさと話を進めましょうね!」

《旦那様はどういう方なのですか?》

「まあ、私と違って社交的ですかね」

 いろんな意味を含めた言い方だった。

《嫌いなところは無いのですか?》

「いや、嫌いってほどじゃ無いですけど困るところはありますかね」

《例えば何でしょうか?》

「そうですね、仕事ばっかりで休みも少ないことと有給は取らないのに、そのくせ部下や後輩は好きに休ませるとことか、休日なのに出勤するところ。あとは……子供の面倒を頼んでもすぐお菓子とかおもちゃとか買うとか、そのくせお風呂とか歯磨きとか全然ちゃんと出来ないとか、子供からは下に見られてるとかすぐに困ったらユーチューブ見せるとか、危ないことしても注意しないとか、一緒に遊んでるし、でもまあ…………いい人なんですよ?」

《情報分析の結果、プラス要素は5パーセントでした》

「いや、まあ、今の内容だとそりゃそうですが……」

 何故か途中から愚痴っぽくなってしまった。

《しかし、では何故レイコさんは旦那様と結婚したのでしょうか?》

「いや、その」

 どう言えばいいのかわからないレイコはもどかしげに言葉に詰まる。

《しかし、ワタシは実はその答えにすでにたどり着いているのです》

「……何でしょう?」

《世の中にはこういう言葉もあります。嫌よ嫌よも好きのうち》

 がっくりとうなだれるレイコ。

「それって、何というかモテない男の常套句ですよね」

《ハテナ? そうなのですか》

「嫌がる素振りも照れ隠しみたいなニュアンスかと思いますが今時は普通に好きってアピールするもんじゃないですか?」

《なるほど、では先程普通に好きとアピールしなかったレイコさんは普通ではないと》

「え?」

《イコール、レイコさんはアブノーマルということになりますね》

「ええ?」

《質問もアブノーマル前提に調整しなければ》

「ちょっと待って下さい!」

 とても不本意な評価になりそうでレイコは慌てて押し留めた。

《では、旦那様のことはどう思っているのですか?》

「好きです好き好き、洋ちゃん大好き!」

 束の間の静寂。

《……レイコさん、一つ言い忘れていましたが》

「……何です?」

《この会話は録音されています》

「今更何を言ってるんですかぁ! 消去! デリート! ハリアップお願いします!」

《それよりも気になることがあります》

 まさかのスルーだった。

《ムスコさんはヨウタ、というお名前でしたが、旦那様はヨウチャンという名前なのですか?》

「いや、それよりも削除を」

《では、不要な部分を削除します。再生します。(好きです好き好き、:ピー:大好き!)》

「何でそんないかがわしくするんですかぁ?!」

《今はこれがせいいっぱいです》

「だったら消さない方がましですよ!」

《わかりました、では先程の質問ですが》

「ええ~……もう、えっと、名前ですよね? 旦那は洋一郎……太平洋の洋に一郎、次郎の一郎って書きますが、子供は陽太、太陽の陽に太いで陽太」

《紛らわしいですね》

「……まあ、たまに言われますね」

《ではヨウタくんの好きなところはどこでしょうか?》

「え、そうですね~」

 何故かちょっと嬉しそうなレイコ。

《あ、顔以外で良いですよ》

「うちの子はイケメンですって!」

《……科学的に不可解です》

「ええ、もう、いいです。……そうですね、ヨウタはいつも挨拶がちゃんと出来て、近所のおじいちゃんやおばあちゃんとすごい仲が良いんです。あと、手先も器用だし、物覚えも凄く良くって、ひらがなとカタカナ、あとアルファベットもマスターしちゃってるんです」

《なるほど、可愛い盛りというやつですね》

「……何か凄く親バカと言われている気がしますが」

《気のせいです。嫌いなところは無いのですか?》

「嫌いというよりも、困ってるって感じなんですが、最近は結構ぼ~っとしてることが多かったりかんしゃく起こしたり、言うこと聞かないとか、夜なかなか寝ない時もありますかね」

《なるほど、よく聞くお話ですね》

「……そう言われると何かもやもやしますね」

《と、いいますと?》

「いや、そう単純なものじゃ無いというか……結構大変なんですよ?」

《なるほど、わかりました。では、レイコさん自身はいかがでしょうか?》

「……? それって、どういう意味ですか?」

《レイコさんは自分自身のどこが好きですか?》

「……」

《ハテナ? レイコさん? 聞こえませんでしたか?》

「大丈夫です。聞こえていますよ」

《では、どこが好きですか?》

「……無い、です」

《無いのですか?》

「はい、有りません」

《では、嫌いなところは?》

「……自分のことを棚に上げて、人のことばっかり悪く言うところ、ですかね」

 すっかり意気消沈してしまうレイコ。先程までペラペラ並べ立てた言葉が嘘みたいに虚しく感じられた。

《大丈夫。レイコさん。ワタシは今日、レイコさんの良いところを一つ発見するに至りました》

「……どこですか?」

《ツッコミ役が似合ってますね》

「…………どうもありがとうございます」

 人生で一番心のこもらない感謝の言葉だった。


-チャーラチャーラチャーラチャラララ-

 突然レイコのスマホが鳴ったのはその時だ。一昔前に流行ったドラマ曲。

「す、すいません!」

 慌てて切ろうとするレイコだったが、その表示を見て止まる。陽太の通う保育園からの通知だった。

《どうぞ、出て下さい》

 ゾウコに促され、レイコは画面をフリックする。

「はい、川田礼子です」

「……さん、お世話……ます、……保育園の坂本です。陽太くんの……………落ちちゃって、今は駅前の鴨田医院で

診てもらっています。お仕事………なら、早めに…………もらえますか?」

 電波状況が悪いのか、ところどころ聞き取りにくいが陽太が怪我したことは間違いなさそうだった。早めに切り上げて向かう旨を伝え、電話を切った。

「あの、初日から大変申し訳ありませんが――」

《はい、わかっていますよ。どうぞお帰り下さい。今からなら、15分の各駅停車に間に合いますし》

「いいんですか?」

《はい、充分有意義な時間でしたので。あ、そうだ、これをどうぞ》

 カション、という効果音とともに製氷室らしき引き出しが出てきた。中にはカセットテープぐらいの大きさの紙箱が入っていた。

「何ですか、これ」

《名刺のようなものです。どうぞ》

 名刺にしては大きいが、取り敢えずカバンに入れると会釈をしてレイコは玄関へ向かった。


 晩御飯の最中、陽太の右肘に捲かれた包帯をチラリと見ながら、礼子は改めて尋ねた。

「ねえ、陽太? どうして雲梯(うんてい)で立ち上がったりしたの?」

 極めて優しく言ったつもりだったが、陽太は黙ったままだった。そして一言

「なんでもない」

 と言った。

 その言葉にカチンとくる礼子だが、いつものように叱りつけるのを思い止まり、ふと考えた。何か理由があるのだろう、と。

「ねえ、陽太。ママがずっと前に怪我した時のこと、覚えてる?」

 そう言われて、陽太の視線が礼子に向く。コクリと頷く陽太。

「あのとき、陽太はママのこと心配してくれた?」

 再びコクリと頷く陽太。

「それじゃあ、陽太が小さいとき入院したの、覚えてる?」

 少し待って、陽太は首を横に振る。

「陽太が1歳のとき、丁度初めて立った頃かな。肺炎……スゴく大変な風邪で、入院したの。その時はちゃんと掛かり付けの病院には通ってたけど、良くならなくてね。気づいたら入院する事になっちゃったの。それで、陽太が点滴されてるのを見て、どうしてもっと陽太のことをみてあげられ無かったのかなって後悔したの」

 陽太は黙って聞いている。

「ママはいつも怒ってるかもしれないけど、陽太が心配で言っていることも多いんだよ。ママは心配で、不安なの」

 いつからかは覚えてもいないが、こうやって陽太ときちんと話すのは随分と久しぶりな気がした。

「だから、ね、教えて欲しいんだ。陽太が雲梯(うんてい)」で立ち上がろうと思ったのはどうしてだろうって」

 しばらくの間、部屋の中は時計のコチコチと鳴る音だけが響いていた。

「……ピンクが咲いてたから」

「うん?」

「きれいなの、あげたかったから」

「……あ」

 そういえば、あの公園には色々な樹木が植わっていたはずだ。あの雲梯(うんてい)の近くにもあった。花の名前はわからないが、キレイな花だったことは覚えている。確かに陽太と一緒に眺めているときに

キレイな花だと言ったことはあった。

「それ、採ろうとしてくれたの?」

 小さくコクリと頷く陽太。

「そっかぁ……ママのために?」

「ママ……元気にしたかったから」

「……そっかぁ」

 うっすら涙を浮かべる目尻をさっと拭くと、礼子は満面の笑みを見せた。

「ありがとう、陽太。それじゃあ今度は、ママと一緒に採りにいこうね」

「……うん!」

「じゃあ、冷めちゃう前に食べようか」

「うん…………ママ?」

「? どうしたの?」

「食べたら、………… ユーチューブ見ていい?」

「いや、それとこれとは話が別でしょ!」

 陽太の落ち込んだ本当の原因を察し、礼子は苦笑した。どうやら怒られたことで、ユーチューブが見られなくなることにしょげていたらしい。

「いいから、食べなさい」

 その晩、礼子が9時まで見てもいいという約束を守らなかった陽太に雷を落とすまで、川田家は平和に過ごしたのだった。




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