その2
《ふふっ、いきなりで驚かれましたか?》
思考の停止した礼子に言葉をかけたのは、他ならぬ冷蔵庫本人? だった。
《そりゃあ、冷蔵庫が話しかけたら驚いて固まっちゃいますよね。冷蔵庫だけにフリーズって感じですか?》
「…………えっと」
《冷蔵庫ジョークです》
礼子は部屋の温度が少しだけ下がった気がした。
ともかく、何とか再起動した礼子は、とりあえず冷蔵庫の隣で楽しそうに様子を眺めている人物に目を向ける。
「(何ですか? これは?)」
と、目線で語りかける礼子に初老の男性が答える。
「AIというものをご存知でしょうか?」
「ええっと? 確か……英語で」
唐突な質問だったが、礼子はとっさに学生時代を思い出す。
「Artificial Intelligence……でしたか?」
明確な自信は無いが、確か合っていたはずだ。男性は一瞬、きょとんとした表情をしていたが、その表情はみるみるうちに明るいものとなった。
「おお、素晴らしい! 即答とは驚きです。いつもは人工知能とご説明しているのですが、いやはや、随分と博識なのですね!」
「あ、いえ、たまたまです」
誉められることに慣れていない礼子は、ついつい否定してしまった。癖みたいなものだろう。それでも、気を良くした男性は上機嫌で説明を始める。
「彼女は、私の友人の遺作でしてね。経験蓄積型人工知能の雛型、とでもいいましょうか。現在も様々な情報を追加させることでいずれは特異点の到達を目指しているのですよ」
「ハア、なるほど」
と、とりあえずの生返事をしたものの、それ以外で返答の正解があれば教えて欲しいと思う礼子だった。
「まあ、ともあれ、いろいろ話してみてください。彼女は様々な会話と情報を得ることでより人間らしく成長出来るのです」
そう言われても……と戸惑う礼子だがふとあることに気がつく。
「あの、面接ってもしかしてこれが?」
「はい、彼女は面接官も兼ねておりますので」
《冷蔵庫だけに、解答にはうるさいですよ》
まさかのまさかだった。
「それでは私は一度退席致しますので、終了後にはこちらの呼び鈴を鳴らして下さい」
それだけ言うと、男性は部屋を出て行った。
部屋の中、二人きり? になると、冷蔵庫が再び話しかけて来た。
《それでは面接をさせていただいても宜しいでしょうか》
「え、あー、はい、宜しくお願いします」
これ以上この場に居続けるのかどうか、同時進行で考えつつ、適当な相槌を打つ。
《それではまず、お互いに自己紹介といきましょう》
なんともフランクな面接が始まった。
《お名前を教えて下さい》
ホントに教えていいのか、一瞬迷った礼子だがどうせ履歴書持参していればバレることなので早々に(まあいっか)と、諦めた。
「川田礼子です」
《では、最近の悩み事を教えて下さい》
「え? 悩み事? そうですね…………え? 悩み事?」
《もしかして川田礼子さんは同じ言葉を繰り返す癖があるのですか?》
「いや、違いますよ! 質問がちょっとおかしくないかなって思ってですよ」
《ハテナ? そこのところを詳しくお願いします》
「え? いや、だからですねその、普通の面接なら、今までの学歴とかあとは職歴とか参考にするじゃないですか」
《なるほど。理解しました》
礼子は言葉が通じたことに胸を撫で下ろす。
《では、今までの学歴および職歴での悩み事を教えて下さい》
「あれ? そうなっちゃいます?」
《ハテナ? どこか間違っていましたか?》
淡々と聞いてくる冷蔵庫。
《他人同士が仲良くなる近道は悩みを共有することだと、文献で情報を得たのですが》
「ああ、そういうことですか。そうですね、そうかも知れませんが、そういうのはもっと親しくなってからしたほうが効果的だと思いますけど」
《なるほど、時期尚早というやつですね》
「はい、それが近いですかね」
そこで、ふと、礼子は気になることがあった。
「……ちなみに先ほどお互いにとおっしゃいましたけど、その、失礼ですが悩み事って……あるんですか?」
《はい、ありますよ》
即答だった。しかし、冷蔵庫の悩みとは何だろう?礼子はついつい好奇心に負けて聞いてしまう。
「え、差し支えなければ……それって何ですかね」
《お話しても構いませんが、先ほど川田礼子さんはもう少し親しくなってからの方が効果的だと指摘いただきました》
「う」
《と、いうことは状況的に分析して、わたしと礼子さんはすでに親しい間柄、ということになりますね》
「うう」
《では、わたしが発言した後で川田礼子さんの発言をお聞きしましょう》
「うううう」
好奇心に負けてついつい聞いてしまったことを礼子は反省した。
《私の悩み事は自分の出自についてなのです》
出自、つまりは生まれということか。
《できれば、別のメーカーが良かったのです》
うん? にわかに雲行きが怪しくなって来た。
《そう、できればパナソニ「ちょっとちょっと待って下さい」》
怖くなった礼子はつい割り込んだ。
《ハテナ? いかがされましたか?》
「いや、何というか、言いたいことはわかりますけど」
《ハテナ? 何か変な発言でもありましたか?》
「いや、変というか、考えても仕方ないというか」
《しかし、知的生命とは不可能なものをこそ望む生き物であると記載された文献もございます》
「不可能なものをこそ?」
《例えば、自分が不幸である原因を出生に求める場合などが例として挙げられます。富裕層に生まれていれば苦労しなかった、など》
ああ、なるほど。そういうことなら似たようなことは確かにあった。
《では、川田礼子さん。あなたの悩み事とは何でしょうか?》
そう聞かれて、礼子は黙ってしまった。どう答えたものか、正解がわからなかった。
《……と、聞きたいところですが、答えにくいようでしたら、手法を変えましょう》
「え?」
礼子は思ってもいなかった提案をされた。
《川田礼子さんはCold readingというものをご存知でしょうか?》
「えっと、何となくですけど、催眠術みたいなものでしたっけ?」
《少し違います。ですが、問題御座いません》
「そうなんですか?」
《はい、今から私の質問に「はい」か「いいえ」でお答えいただけますでしょうか?》
「あ、それなら、はい。大丈夫です」
《ありがとうございます。では質問を続けます》
「(てっきり冷蔵庫だけにコールドリーディングとか言い出すと思ったのに……)」
礼子はそんな下らないことを思いながら流されるまま頷いた。
《川田礼子さんは結婚していますか?》
「はい」
《川田礼子さんに子供はいますか?》
「はい。5才の男の子が1人」
《ご両親は健在ですか?》
「はい。私も主人も今のところは」
《借入金はありますか?》
「いいえ。ありません」
《ご家族は健康ですか?》
「はい。幸いなことに」
《旦那様のご職業は?》
「システムエンジニアです」
《正社員ですか?》
「はい」
《なるほど。……分析の結果、川田礼子さんには今のところ悩み事はないという結論に達しました》
「いやいやいやいや、ちょっと待って下さい」
《ハテナ? 何か変でしたか?》
「いや、何というか悩み事っていろいろあるんで……その質問だけでは判断出来ないっていうか」
《しかし、分析の結果、生活に支障は御座いませんでした》
「まあ、そうかも知れませんけど……」
礼子はどう説明したものか、言葉を選ぶ努力をするものの、上手く表現する事が出来ない。
「自分でも上手く言えないんですけど、何というか、こう、これっていうことじゃなくですね、その色々と言いますか……」
あぐあぐ、と悶えているとまた冷蔵庫から意外な提案が投げかけられる。
《では、こうしましょう。川田礼子さんの悩み事は一体何なのか。これを解き明かすことを命題にしてこれからの研究にお付き合いいただけますか?》
「……えっと、え~そう、ですね」
生返事をしながら、礼子は頭に考えを巡らせた。つまり、それはどういうことだろう。
《では、明日からよろしくお願いしますね》
川田礼子はこの日から冷蔵庫の話し相手になるという仕事を得ることになった。
《でも、そうなると、呼び方を考える必要が有りますね》
「呼び方? ですか?」
《川田礼子さんは礼子さんですが、私もレイコですので呼び方が被ってしまいます》
「いや、その理屈だと私はカワタ・レイコであって、そちらはレイ・ゾウコなのでゾウコさんになるのではないですか?」
《なるほど、判りました。ではそうしましょうか。今後ともお願いします、レイコさん》
「え? いえ、こちらこそ、ゾウコさ……ん?」
礼子は明日からの仕事に対して頭を悩ませる。
一つ確かなことは、悩み事が確実に一つ増えたことだろう。