その1
投稿用に書きましたが。ご意見あればよろしくお願いします。
川田礼子は、いま一枚の募集広告を真剣に見ていた。
時給・1500円
時間・応相談(時間合算方式)
期間・応相談(成果終了方式)
資格・不問(大卒以上優遇・社会人経験者優遇)
仕事内容・研究助手
正直、この内容に嘘偽りが無いのであればかなり魅力的な募集だった。大学の学部は文学部で、英文学科専攻していた礼子は密かに研究者になりたかった時期があった。しかし、いくらなんでも胡散臭すぎる。それが理由で、礼子は悩んでいた。ネットで調べてみても、シンプルなホームページ以上の情報は上がって来ない。
面接場所と勤務先は礼子の自宅から三駅分しか離れていないのでアクセスは悪くない。多分、駅から山の手方面に歩くのだろうけど、距離も問題はなさそうだった。電車の方向的には都心から離れる方向になっていることも良い。出来れば、この前に辞めたパート先のスタッフには顔を合わせたくないと思っていたからだ。
ひとしきり悩んだあと、意を決して、応募するために電話をかけた。
―プルルルルル―
スマホのコール音が耳を打っている間、軽く咳き込みながら声を整える。
7回ほどのコールのあと、相手方が受話器を取った。
「はい、もしもし?」
「あ、もしもし、恐れ入ります。求人の広告を見てお電話させていただいた者ですが、まだこちらの募集は行っておられますか?」
「ああ、えっと、助手の募集のあれですか?」
「ええっと、はい、多分それかと思いますが…」
「あ~、えっとですね~…」
どうも歯切れが悪い。募集が終わったのだろうか。相手は男性で、多分年齢は上だと思われた。
「あ、あのもし、募集が終了しているようなら、結構ですので」
礼子が助け舟を出す。どうせ駄目元だったので、特に残念でもない。
「ああ、いえ、そういうわけではなく、なんといいますか募集内容に誤りがあったようで」
その言葉を受け礼子は理解した。なるほど、確かに条件が優遇し過ぎだった。
「どの、条件でしょうか?」
「えっと、確か~そうそう、研究助手ではなくモニターと明記しなければいけなかったようです」
そこなのか? と、礼子は肩透かしにあった。
「他に変更は無いのでしょうか?」
「ええ、ありません。あ、面接の日付を決めないとですね」
「よ、宜しいのでしょうか?」
「はい、ちなみに今日などはいかがでしょうか?」
「え、今日ですか?」
「はい」
男性は特に気にする風でもない様子だ。
「すみません、まだ履歴書が書けておりませんので…」
「ああ、いいですよ。無しで」
「ええ? いいんですか?」
「はい、面接時にお話し下されば結構ですので」
よく理解出来ないが、研究業界のしきたりなのか面接重視? らしかった。本当に履歴書は要らないらしい。
「それでは、15時にお待ちしておりますので」
「は、はい、かしこまりました」
腑に落ちない点も多々あるが、電話での感触としては誠実そうな声だった。信用し過ぎるのも問題だが、
詐欺のような気配は感じなかった。
以前のパート先とは反対の方向に流れる風景を漫然と眺めながら、礼子は面接での質疑応答を頭の中で想像する。やはり、学生時代の研究課題を細かく聞き取りされたりするのだろうか? それとも、社会人経験の方だろうか? 気持ちの半分以上を不安が占める中、気がつくと面接場所の駅に着いていた。
バタバタと降車するが、同じ車両で降りたのは礼子だけだった。この駅は両端に改札口があるようで
真ん中の車両から降りるような新参者はこうなる運命のようだ。北口から改札を出ると、緩やかな坂道が続いており、地図からするとその上に面接場所の建物があるようだ。
長い踏切を渡り、田舎の神社を彷彿とさせる木々の間を抜けゆっくりと坂道を登る。これが夏場なら、汗がダクダクと噴き出ていたことだろう。
10分ほどの登山で、目的の建物が視界に入ってくる。いかにも年代を感じさせる、趣深い旧家が佇んでいた。心なしか、少し涼しく感じる。
少し深呼吸をして、持ってきたお茶を口に含む。
礼子は覚悟を決めて玄関前に足を踏み出す。思った通り玄関の呼び鈴も古めかしく、ボタンだけが飛び出ているような形で押し込むとジリリリリリと黒電話のような音がした。
一度目の呼び鈴では返答が無く、少し迷ったあと礼子は再度呼び鈴を鳴らした。二度目の呼び掛けには、直ぐに反応があった。
「はいはい、ちょっとお待ち下さい!」
家の奥から張り上げた声が聞こえる。がなっている訳では無く、遠くまで届けるような声だ。パタパタとスリッパの足音が近付いて来て、玄関の扉がガチャリと開いた。出て来たのは、初老の男性だった。
「どうも、お待たせしました」
「いえ、こちらこそ早く着きすぎたようで失礼しました」
「面接希望の方、でお間違い無いでしょうか?」
「はい、本日は宜しくお願いします」
「こちらこそ、宜しくお願い致します」
日本人らしいやり取りの後で、家主と思しきその男性は礼子を家の中へと案内する。玄関は広く開放的だった。
「そちらの履き物をどうぞお使い下さい」
「あ、はい、ありがとうございます」
勧められた高級そうなスリッパのふかふか具合を感じながら、礼子は家の造りをまじまじと見る。
上手い表現は思いつかないが、昔のお金持ちが住んでいそうな建物だ。いや、実際住んでいるのだろうけどちょっと現実味が沸かない。
「こちらの部屋でお待ち下さい」
「わかりました」
居間だろうか? 洋風の部屋で、ソファーがまた高級そうな見た目をしている。隣の部屋からガタゴトと音がするが、片付けでもしているのだろうか? 座るのも気が引けるので、礼子は呼ばれるまで部屋の真ん中で佇んでいた。
「準備が出来ましたので、どうぞ」
「はい、失礼します」
扉を開けると、冷蔵庫がそこにいた。
「…………」
「どうぞ、お座り下さい」
冷蔵庫の真向かいに椅子があった。一番高そうな見た目だ。
「…………」
無言で椅子に座る礼子の目には立派な冷蔵庫がそびえ立っていた。初老の男性はその隣に立っている。
「あなたに、この子の話し相手となって欲しいのです」
礼子はただただ冷蔵庫を見つめるのだった。