57話 アーシユルの商才
騎士団。これは、地球で言うところの警察や軍隊に当たる。
前回りり達が交戦したのは軍隊に当たる方。
一方、今回やって来たのは警察に当たる方だ。武器こそ持っているが、鉄鎧などという仰々しい物は身につけていない。
「もう一度聞く。何があった?」
騎士の1人が群衆に向かって問いかけるが、誰も答えない。と、言うよりも答えることが出来ていない。
滑空に見える単独飛行に、泥棒を倒してしまった説明のつかない現象。
人々は、神ですらできやしないソレを、魔人がたった1人でやってのけたのを見ている。見てはいるのだが、それをうまく飲み込めずに、誰もが口を噤んだのだった。
「……何だ、何が起こったのだ。おい、そこの赤髪の子と……お前は……魔人だな?」
「……はい」
露骨に警戒を顕にする騎士に問われ、数多の視線が刺さる中、当事者たる魔人はおどおどとしながら返事をする。
誰一人としてこの場から離脱していない。皆、興味があるのだ。魔人に、魔法に、顔の違う異国人に。
騎士は、その視線の一端を感じながら、剣の柄を握りしめ問いかける。
「何があった」
「……泥棒を退治しました。大事な物を取られて、逃げられたので……大胆な事もしたので、皆それで驚いているだけだと思います」
僅かな沈黙が流れる。
りりは、ヒトにとっての空想上の天敵[魔人]だ。
人々は、その力の一端を目にし、やや遠巻きになっていたのだが、りりの説明に、魔人が治安維持に貢献したのだということに気づくと、戸惑いも見せ始めた。もしかしたら案外怖くない奴なのかも……と。
ただでさえ小柄なりりが怯えていることによって、余計に幼く見えたというのも無関係ではないだろう。
だが、ボクスワの騎士がどういう目にあったのかを伝え聞いている騎士達は話が違う。警戒は解かない。
「具体的には何をしたのだ?」
「人混みの中に逃げられたので、空を滑って追いかけたら、皆ビックリしたので、その隙に泥棒を……」
「……武器は何を? 何も持っていないように見えるが」
「魔法だぜ。騎士様」
そこで、ようやくアーシユルが割って入る。騎士達が魔法と聞いて表情を険しくした瞬間だ。
「魔法……やはり噂は本当だった……と言うことか……」
「勘違いをしないでくれ。騎士様の言うところの噂っていうのは、魔人が騎士達を攻撃したっていう話じゃないか? それなら、もうボクスワの神が許しを出したぜ。フラベルタ様だって知っている」
騎士達は顔を見合わせ、全員が全員、知らないと首を横に振る。
「そのような報告は聞いていないな」
「そりゃあそうだ。まだこのこと自体はボクスワの神すら知らないはずだからな」
「……どういうことか説明してもらおうか」
騎士達は話が判らない人種ではないようで、アーシユルの話に耳を傾ける。
だが、構えは解かない。治安部隊としての正しい対応だ。
「聞いてもらえるのか。感謝するぜ」
アーシユルは、りりが魔人だという点を一切否定することなく、ボクスワの騎士達に関しては自己防衛だという説明をした。「ボクスワの騎士達は気性が荒いのは知ってるだろう?」という煽りも加えてだ。
その上で、自己防衛とは言え罪は罪とし、それに関する罰は既に受け、実際に海原に放り出され、シャチに殺されそうになったという話もする。
アーシユルを始めとするヒト達にとっては、海とは無法地帯且つ処刑場のような場所という共通認識があったので、強がりつつも少しだけ震えるアーシユルには同情の視線が投げかけられた。
アーシユル達が海から来たというのも、2人してシャチに殺されかけたのも、既にゼーヴィル中が知っている事なので、疑われる余地はない。
「で、罪は許されたんだが、それは約束事のようなものだから、まだボクスワの神はこの事を知らないって訳だ」
「つまり、現時点では確認のしようがない事だな?」
「そうなるな」
情報の行き違い。
それは通信設備の整っている "現代" ならば起こりにくい事だが、遠方と情報をやり取りするには手紙を使うくらいしか方法の無いこの世界では往々にして起こりうる問題だ。
つまり、それが起これば、大体の場合は現場の判断に委ねられる。
説明を受け、騎士はチラと魔人を見る。
そこに映るのは、容姿が逸脱しているだけで、騎士という名の、我が身を害する力に怯えている少女の姿。
騎士達は、職業柄、敵意に対して敏感だ。
その経験を持ってして、赤髪に庇われ呼吸を浅くしているびしょ濡れ少女が、自分達に敵意を持っているとは思えなかった。
騎士達は、しばしりりを観察した後、これはただ怯えているだけだと結論づけ、手前2名だけが構えを問いた。もう2人は変わらずだ。
その行動に、アーシユルはホッとしてりりを肘で小突く。
「りり。もう大丈夫だ。安心していいぞ」
「……まだ構えてるけど」
「あれは伏兵とかが居た場合に備えてそういう連携をとってるだけだ。気にしなくていい。誰相手にだってああするんだ」
「本当? ……よかったぁー」
そう言われ、りりは大きなため息を吐いて、ようやく肩から力を抜いた。
その行動に力が抜けたのは騎士達も同じだったようで、同じく、小さくだが鼻で笑ってため息を吐いた。
「それで、その泥棒とやらはなぜ気絶……いや、魔法でだったな」
「そうなる。具体的な事はあたしもまだ聞いていないから答えられない」
と、ここまで言って、アーシユルは口元を歪めて不敵な笑みを浮かべる。
「……が、教える気はない」
「……どういう事だ?」
騎士達の表情が険しくなり、一気に戦闘が起きかねない雰囲気に逆戻りする。
一触即発の空気の中、口を開こうとした騎士に先んじて、タイミングを図ったかのように口を開くのはアーシユルだ。
「買わないか……と、そう言ってるんだ。」
「……何をだ」
「情報と安心をだ」
思いもよらぬ提案に、意味がわからないと、騎士達は困惑の表情を浮かべる。
「まさにこれが泥棒に取られかけたやつなんだが……これ魔人研究メモなんだよ。どうだ? 世界に1冊しかない超貴重品だぜ? "今なら" 金貨10枚だ」
「っ……阿呆かお前! そんな金額が払えるわけないだろう! そもそも、たかがメモ帳にそんな価値が……」
「ある! あるとも」
そう言って、アーシユルはメモ帳をりりに渡し、騎士の元にまで歩み寄り耳打ちをする。
「いいか? あのメモには魔人の文化や生態のみならず、未知であった魔法の使い方まで書いてある。そして憶測ではあるが、あたしらヒトの、いや、人類の常識を覆すような重篤なものまである……言っただろ。今はまだ14ページしかないメモを金貨10枚と言っているんだ。完成したら50……いや、100は取れる代物になること間違いなしだ」
騎士は歯噛みし、呼吸を荒くする。
興奮からではない。のしかかる重圧からだ。
「あたしはこれを王都アルカで売ろうとしてたんだが、この段階で売っても良い……ただし、今説明した通りの代物だ。今後、もっと値が上がる」
騎士とて馬鹿ではない。王都から離れているため、現場の判断で動く事には慣れている。
が、今回のこれは一介の騎士が決めるには事が大きすぎる。動くに動けない。
未だ正体不明の魔人に、その真偽不明の研究メモ。
情報である以上、先に確認してから払うというのは通らない。知るなら、言われたとおりに金貨10枚を払うしかない。
無理やり奪って見る事もできるが、その場合、国民からの信用を損ねる上、情報屋という職業のお株を奪うことになるのでリスクが大きい。
況して、相手は人類の天敵[魔人]なのだ。
防衛であるならば攻撃することを厭わないのを騎士は知っている。
「今買っておけば、魔人研究のソレの栄誉が手に入るぜ? あたしの欲しいのは金であって栄誉じゃない。これはセットでくれてやるぜ? さあ、どうする?」
「……一介の騎士には決められん」
「因みにリミットは今日中だと思うぜ。明日にはもう発つ予定だからな。安心しな。ボクスワ方面じゃないからそっちには売らないぜ?」
騎士は少しだけ悩む素振りを見せたが、直ぐに答えは出たようで、ムッとした顔をしてアーシユルに向き直った。
「つまり、その研究メモを買わなければ、我々はその泥棒を捕縛すれば良いだけ……ということだな?」
「王が何か言ってくるまで、貴重な種族を野放しにするっていう事でもあるな」
騎士は、若干の不満を込めてニィと笑い、アーシユルも同じように返す。
「……良いだろう。対等に扱ってやろうじゃないか赤髪ぃ」
「いくじなしめ……だが助かるぜ」
交渉していた2人はお互いの手をパンと叩いて背を向けた。これは、交渉終了のサインだ。
「おい!倒れている男だけ連れて行け」
「「「ハッ!」」」
騎士達は、気絶している泥棒を手際よく縄でくくって連れていってしまった。
「おかえり……あれなんだったの?」
「んー……ま、無理やり認めさせたんだよ。魔人も亜人の一種として扱うようにってな」
「どういう事?」
りりが状況を理解できずにいたのを察し、アーシユルは顎をさすりながら答える。
「メモ帳を買えば魔人の事が解るだろ? じゃあ、意味不明ではあるけど敵ではないって判るだろ? そうなれば、シャチも治った今、もう完全に[人間]という種族の亜人だって認めるしかないわけだ。シャチっていう魔人の実例もあるからな」
「うん」
「で、メモ帳を買わない場合、あたし達はこれをアルカに持っていくって言ってるから……まぁ、敵意は無いっていうことをアピールしているんだよ。で、これを買わないって事は、理解を放棄した上で敵じゃない奴のアルカ行きを認める事に繋がるから……あたしらは晴れてただの商人になる」
「……なる……ほど?」
りりは話している半分くらいしか理解できなかったが、アーシユルが自身のために頭を使ってくれたというのは理解し、微笑んで礼をする。
「ありがとうアーシユル」
「……おう。いや、だが出世欲が無い奴相手だったから稼ぎ損ねたぜ」
アーシユルは、やや顔を赤くして、誤魔化すかのように騎士をにらみつけるのだった。




