2話 ハローパラレルワールド
りりは窓から差し込む日差しで目を覚ます。
陽気の中、少々質の悪い掛け布団を蹴飛ばし、ぐっと伸びとあくびをして、寝ぼけながら胸ポケットからスマートフォンを取り出した。
時刻は16時27分。窓より届く日差しに似つかわしくない表示だ。
「嘘やん! 寝すぎた!?」
寝ぼけが一気に吹き飛ぶ。
今日は平日。仕事のある日。
この時間なら、遅刻どころか無断欠席だ。
焦りつつ上司からのメールを確認しようとするが、スマートフォンのアンテナは圏外を示していた。メールも一通も届いていない。
来ていない上に圏外。連絡が取れない以上何も出来ない。
とりあえずスマートフォンを胸ポケットにしまって起き上がり……そこで、ようやくここがいつもの自室でないことに気づいた。
目尻を擦って、部屋を見渡す。
灰色のレンガブロックで作られた壁に、重厚そうな木製の床。
壁際には簡単な作りの木製の一脚の丸テーブルと椅子。その上にはランタンが吊るされている。
他には何もない。
タンスやクローゼットも無ければ、テレビや冷蔵庫も無い。
一言で言うなら、それは物置部屋にベッドとテーブルセットだけ置かれたような部屋だった。
木枠の窓ガラス越しに外を見ると、この部屋と同じ様な灰色を始め、赤、青、緑、茶といった、比較的淡い色で組まれたレンガブロックの建物が並ぶ。
多くが1階建てで、たまに2階建てが見える。背の高い建物は1つだって存在しない。
その町並みは、意識を手放す前に見た城と同じく、まず日本では見られないものだった。
「あー……そうか。ここ外国だったんだ……」
昨日の出来事を思い出す。
仕事を終えた帰り道で交通事故に合いそうになり、そこから命からがら逃げおおせた事。
これらはハッキリと覚えている上、ガラスを踏んでじわりと痛む足が昨日の出来事は夢ではないと確信させた。
とりあえず充電をと思い、コンセントを探すが見つからない。
ふと、そもそも充電ケーブルが無いと充電できないと思い至り、それを入れてある鞄を探すが……鞄自体が見当たらない。
記憶をたどる。
帰り道。スマートフォンの電子決済にて改札を通る前。既にその手は何も持っていなかった。
早い話が、鞄ごと会社に忘れていたのだ。
車に轢かれそうになっただとか、爆発事故の云々とは全く関係なくだ。
これにて、りりの現在の持ち物は、着の身着のままとスマートフォンのみとなった。
「ハァーッ! なんやそれ疲れすぎか! なんか途中から楽やなぁ思ったわー!」
標準語を忘れて奇声に似たツッコミを入れながら、重い体を再び布団に落としジタバタする。軽くホコリが舞い上がった。
間抜けな1人ツッコミを聞き、部屋へとノックもなしにエプロン姿の女性が入って来た。昨晩りりを抱きとめた人物だ。
隣りにいたはずの赤髪は居ない。
女性は180センチはあるがっちりとした体格で、30代前半くらいに見える外見。
ごわごわとした金髪を後ろで束ねており、曇りのない薄く青い瞳を輝かせ、柔らかな笑みを浮かべていた。
ただでさえ大きな身長は、153センチとやや小柄なりりからすればもはや巨人に映る。ベッドに寝転んで見上げていたので体感は余計にだ。
りりは失礼と思い慌てて起き上がると、反応を見て、女性はハツラツと話しかける……が。
「──? ─────。────────?」
聞き取れない。
相変わらず りりにはこれが何語かすら判らなかった。
「あ、あいきゃんのっとすぴーくいんぐりっしゅ! ごめんなさい! っていうか日本語しか無理です!」
英語ですら理解できないのに、その英語で返してしまうくらいには、りりは他言語に対して免疫がない。
2~3言の応酬を繰り広げた後、女性は「待ってろ」のジェスチャーをして部屋を出てゆき……1分足らずで帰ってきた。
手には、反った円錐状の1対の鉱物のような物質。それがりりへと手渡される。
硬そうな見た目に反し、圧を加えると弾力を伴い僅かに変形する謎の鉱物のような何か。
それは、変形させても時間と共に元に戻ってゆく形状記憶性を持ち合わせた物だった。
正体が全く掴めぬまま、掌の上にのせて、色々な角度から眺める。
女性はりりが何も把握していないと察し、それを取り上げ、りりの前髪を捲って、平面の部分を額の左右に貼り付けた。
粘着性などなかったというのに、それは見事に額に張り付いていて落ちる気配を見せない。
張り付いた2つの円錐状の物質……それは、まるでりりを2本角の鬼のような様相に見せるのだが……付けている者が付けている者なので、そこに迫力はまるで付随しない。
りりが不思議そうにしていると、女性も同じものを取り出して自らの額に貼り付けて話し出した。今度はジェスチャー付きだ。
「────────? 『私』─『声』、『言葉』──────? 『わかる?』───『動き』──『言葉』」
本来喋っている女性の声からわずかに遅れ、頭の中に日本語で翻訳された言葉が浸透する。
とはいえ、二重に聞こえているので聞きづらい。
拾えている言葉は、ジェスチャーと共に発せられた判りやすい部分のみだ。他や接続詞までは拾えないので、流暢な片言というような妙な聞こえ方になる。
ともあれ、額に張り付いた物のおかげで、ジェスチャーを付ければなんとか会話ができる様になった。
返事をする。
「えーと……ここ、どこ? 助け、感謝」
どうせ接続詞は拾えないからと、りりは初めから片言風に話す。
言葉は通じたようで、「『ここは』『狩人』『集まり』──『足』─『平気?』」と、そんな言葉が帰って来た。
狩人の集まりということは、ここは狩猟民族、またはそれを行う集団のたまり場のような場所なのだと意訳する。
足、平気? は、考えるまでもなく足の怪我の話だ。足の裏を確認する。
小さく傷は出来ていたが、僅かな出血があったことが確認できる程度。ガラス片は残っていない。
自身の足を指さ、女性に介抱してくれたことの感謝をして礼をする。
女性はそんなりりの肩を叩いて笑った。言わんとするのは気にするな……だ。
少しやり取りをして自己紹介をする。
しかし、自己紹介に関わるようなジェスチャーが思いつかない。
それを必死に伝えると、女性から人差し指を立てられ「もう一度」と、ジェスチャー付きで帰ってきた。
言い直させられ少し恥ずかしい思いをしつつ、なんとか簡単な自己紹介を終える。
女性の名はクリアメ。ここ、[ハンターギルド]の責任者。
りりには彼女がどこの国の人なのか判らないので、聞いたことのないタイプの名前だとは思えても、そもそもそれが変わった名前なのかどうかの判断がつかなかった。
年齢は31歳。見た目通りだ。
逆に、クリアメは りりの自己紹介を聞いて「『ツキミヤマ』────『貴族は知らない』」と返してきた。
名が2つある事が貴族階級である証とのことで、りりはそれを全力で否定した。
ここで、僅かではあるが接続詞も聞き取れるようになってきている事に気付き、驚愕する。
音声変換器は、これらのやり取りをリアルタイムで学習し、精度を上げつつ変換していたのだ。
「え、なにこれすごい!?」
握って引っ張ると簡単に取り外せた。
途端、クリアメの言葉が聞き取れなくなる。これがなければ言語コミュニケーションは取れない。
りりは、こちらに居る限りこれが必須アイテムだと知る。
食事を貰いつつそのまましばらく会話した後、クリアメはアルカイックスマイルを崩さないまま部屋を出ていった。
りりは、クリアメはポーカーが強そうだという感想を抱き、再びベッドへ寝転んだ。
1人になったことで、非現実的だとは思いつつも情報を整理する。
ここは外国……ではなく[空間の歪み]を越えた先にあるパラレルワールド。
言語が通じないどころか、オーパーツじみた鉱物のような音声変換器が出てきては、ここが自身の常識の通じる所ではないと信じざるを得なかった。
だが、地球ではなく異星かと言われればそれもピンとこない。
少なくとも呼吸は出来るので酸素はある。人間に見える人達も居る。
オーパーツはあるものの、科学の発展していないように見える部屋と町並みだ。その雰囲気と城を鑑みれば、中世前後のヨーロッパ付近の様な世界観に思える。
現に部屋にはコンセントは無いし、クリアメも電子機器らしき物を身に着けていなかった。
単純に電気が来ていないだけという可能性も考えたが、外を見ると馬車が走っているような風景が広がっていたので、これもおそらくないだろうと当たりをつける。
こうなってしまえば帰るのも難しい。なにせ違う世界だ。
仕事に行かなくても良い。と、少し喜んで気を紛らわせてみるものの、普通に職場の人に申し訳ないという気持ちや、週末に泊まりに来ると言っていた友達への連絡の取りようがない事から、どうしようもない不安が這い寄ってくる。
なにより、このままでは月一程度で連絡を取り合っている親が心配してしまう。
と、そこまで考えて頭を切り替える。
帰るという目的を定めるものの、せっかくのパラレルワールドだ。少しの間見て回ってからでも悪くはない。
うつ伏せになり、足をパタパタとさせながら、クリアメから教えてもらったあれやこれやをスマートフォンのメモ帳に打ち込んでゆく。
「数字は十進法だろうなぁ多分……もし二進法や十六進法とか、もっと別のならそれこそクリアメさんが変な年齢になっちゃうしなぁ……」
一通り打ち込むと、再び布団に潜り込む。
ずっと頭をフル回転させていたせいか、目を閉じればあっという間に眠りへと落ちたのだった。