表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/20

小学校にいたお爺さん

 前回は、個人の生き方の悩みについて言及した。

 自分のしたいことをすることが重要だと述べた。他人からの承認ではなく、自分の承認を求める生き方が、きっと自分を満足させるのではないか、と。

 

 一つ、実例をあげたい。それは、あるお爺さんの話である。

 それは僕が小学生のときの話である。そのお爺さんは、僕の友達のお爺さんで、白髪混じりで、細くか弱い体型の人だった。自分から話をするのが好きではない寡黙な人だった。

 そのお爺さんは、いつも小学校の掃除をしていた。小学生が掃除をしないような学校周囲の枯葉や、砂をあつめていた。だから、いつもお爺さんは、細長いホウキをもち、学校をうろついていた。


 みんなもお爺さんのことを知っていた。いつも朝から掃除をする、掃除好きのお爺さん。そんなところである。

 あるとき、校長先生がそのお爺さんを呼び、全校生徒の前で感謝の気持ちを伝えた。お爺さんは、気恥ずかしくしていた。僕が思うに、お爺さんは、誰かに感謝をしてもらいたくて掃除をしていたのではなかった。

 お爺さんは、「掃除をしたいからしていた」のであろう。それがなぜ家の掃除ではなく、学校の掃除でないといけないのかはよくわからない。ただ、それをしたかった。だから、夏になって暑くなっても、冬で寒くなっても、お爺さんは毎日のように掃除をしていた。


 いまもお爺さんは元気だろうか。その友達は、僕が中学生になったときに引っ越しをした。お爺さんも引っ越しをしたのだろう。新天地でいまも掃除をしているのだろうか。

あのとき、あの小学校を毎日のように掃除をしていたのは、「あのお爺さん」しかいなかった。そこに凄みが生まれ、オリジナルな存在となった。別に何かに優勝したわけでもない。お金がもらえるわけでもない。ただ、「したかったから、していた」。それだけである。そこに凄みがある生まれる。凄みは、自己目的的である。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ