Episode:1
日傘の女性はTシャツの襟をつまみ上げ、額に流れる汗を拭う。健康的な色の肩が覗き、サラリーマンは早足で日陰を渡る。蝉の声が嫌に響く中、茉莉は全開にした窓からぼーっと街を眺めていた。これらビル群の壁がどれほどの熱を帯びているか、コンクリート道路を見れば、揺らめく蜃気楼が一気に眩暈を引き起こす。慰め程度に植えられた街路樹も大した日陰は作らず、彩りは目に良いが、かえって視界が狭まってこれまた暑い。
「あああ!だめ!限界扇風機!」
窓を開けているのに風が全く入ってこないとはどういう事だ。きっと祖母の家なら、周りの山の木々や土草が心地よい風を運んでくれるというのに。
―ピロン・・・
通知音が聞こえ、携帯電話の画面を開くと1通のメールが届いていた。
『今年はこっちに来ないの?』
茉莉は返信もせず、画面を閉じてベッドに倒れ込んだ。
毎年夏、学校が長期休暇に入ると家族で田舎の祖母の家に行っていた。
だがしかし、今年は行かなかった。
故意に避けた訳では無いが、行きたくないと思っていたのは確かだった。
祖母の家の近所には茉莉と同じ年の男の子が住んでいて、祖母の家に行く時はいつも一緒に遊んでいる。当然昨年も遊んでいたが、その年はいつもと彼の雰囲気が違った。やけに目をそらすし、話しかける度方をビクつかせて焦ったようだった。何かしてしまったのだろうか、と考え込んでしまう茉莉だったが、茉莉が田舎から帰る日の前日、小さな事件が発生した。
「花火をやろう!」
そう言った彼の手には、スーパーで売られている手持ち花火のパックが握られていた。茉莉は喜んで頷いた。
普段住んでいるビル群の中では、花火なんてできる場所は存在しない。危険すぎるから、という理由は茉莉も知っていたために、この田舎に来て花火をするのが毎年の楽しみだった。
薄暗くなるまで待ち、再び呼びに来た少年とともに茉莉は川辺に出かけた。岩で支えて蝋燭を立て、慣れた手つきでライターを使って火をつける。小さな火が、ぼぅっと大きくなっていく。
「よし、いいよ」
火に被せると、紙が燃えていき、勢いよく光線が飛び出した。
「ついたー!」
茉莉に続いて少年も火をつける。ケラケラ笑いながら、光で線を描いた。煙と少年の匂いが鼻から全身をめぐる。
最後の2本、線香花火に同時に火をつける。
パチパチと音を立て、火の玉に手足が生えていく。
「あぁ、今年ももう終わりかぁ」
すっかり暗くなった川辺に、小さく火花が飛び散り、見つめるうちに残像が重なっていく。
「なあ」
「ん?何?花火消えちゃうんだけど・・・」
「来年も花火しようぜ」
「いいよ」
「・・・」
少年の頬は花火のせいじゃなく、赤みを帯びていた。
「どうしたの?熱でもある?」
茉莉がそっと手を伸ばすと少年は驚いて後ろにひっくり返った。持っていた花火が落ち、石の上で暴れたものの、夜風にさらわれて煙だけを残した。
「え・・・」
「お・・・お前・・・!何すんだよいきなり!!」
「何って顔が赤いから・・・」
「ほっとけ!」
茉莉の線香花火はバチバチとした音に変わり、光の半径は大きく膨れ上がった。それぞれの枝がまるで稲光のように枝を分ける。
「・・・茉莉」
「ん?」
「1度しか言わないからよく聞いとけよ」
「えぇ?何それ」
「好きなんだ」
「何が?」
「茉莉のことが」
「・・・え」
手元の音が無くなると同時に花火を持つ手が軽くなる。蝋燭の光が柔く2人を照らしている。普段茶色く見える少年の目は、夜空の如く深い深い黒で、蝋燭の火を助けに茉莉だけを映す。
「俺の彼女になってもらえませんか?」
茉莉は、伸びてくる手を叩き、何も言わず少年に背を向け走り去った。
翌日の朝、普段なら見送りに来る少年の姿が見えないまま、茉莉が乗った車は祖母の家をあとにした。
あれから1年、茉莉は高校最後の年を迎えた。