4(ウォーレン視点)
魔人だと思っていた相手がただの人間だった。
それが分かった時、俺は思わず拳を握り締めていた。
魔人召喚の場から救い出した少女はサヤと名乗り、好奇心丸出しでやって来た騎士団長のアラディンと魔術師団長のチェスター、俺の副官のデリックが同席して事情を聞いた。
そこで判明したのはサヤが異世界から召喚されて来たという事。
サヤは何となく察していたようだったが、これに食いついたのが魔術師団長のチェスターだ。
これまで召喚術で異世界から何かを呼び出した例はなく、魔術師の中でそれを研究している者たちも多い。だから異世界から召喚された初めての例であるサヤを研究対象として欲しがるのは当然だった。
さらに厄介だったのは騎士団長のアラディンがサヤを気遣う振りをしてその細い肩を抱き、黒い内面を隠した爽やかな笑顔を貼り付けた顔を近づけた瞬間、サヤがアラディンの手を掴みその身をグルッと回転させたと思ったらアラディンは腕を捻り上げられ呆気なく背中を取られていた。「痴漢撲滅」と小さく呟いた声は部屋の中にいた全員に聞こえただろう。
いくら油断していたとはいえ、こんな華奢な少女に見た事もない体術を使い押さえ込まれたアラディン。貼り付けた笑顔は剥がれ落ち、女遊びは激しいがその実、女の好みにはうるさい奴の目に本気の色が差したのを俺は見落とさなかった。
そして俺はそんな二人の反応に何故が物凄い焦りを感じた。
何故俺はこんな気持ちになっているのか不思議に思っているとサヤの年齢が聞こえてきた。
少女の年齢だと思っていた彼女が実際は二十四歳の大人の女性であると知り、それを聞いた途端モヤモヤと燻っていた気持ちの正体に気づいた。
これは嫉妬だ。
サヤは俺が最初に見つけたんだ。誰も近づくな。そんな獲物を狙う目でサヤを見るな。
未成年かもしれないと思っていたサヤが、俺が手を出しても問題のない年齢だと分かり無意識に踏み止まっていたタガが外れたようだ。
自覚したらあとは落ちていくだけだった。
いや、たぶん初めてサヤを見た瞬間から落ちていた。その証拠に俺は魔人召喚の現場からずっと、手の届く距離からサヤの傍を離れず、一時もサヤから視線を外していなかった事に今更気づいた。
俺が密かにサヤへの愛を自覚していると、話はサヤの今後の話になっていた。チェスターとアラディンが今にも囲い込もうとしているのは手に取る様に分かった。
だから仕事が欲しいと言ったサヤに屋敷のメイドとして雇いたいと申し出て彼女の了承が得られ、みんなの目から隠すように急いで連れて帰った。
部屋を出る間際、奴らがニヤけた顔で意味ありげに見送ってきたがあれは俺がサヤに惚れて全力で手に入れようとしているのが分かった顔だ。だが隙あらば掻っ攫う気満々なのも透けて見える。サヤは絶対に渡さない。
連れて帰って来たサヤは心ここに在らずといった様子だった。
無理もない。突然異世界にやって来たのだ。疲れが出てもおかしくない。
俺は急ぎ客間を整えゆっくり休むように言って部屋を後にした。他の事は追々やって行けばいい。
だが先ほどのサヤの様子が気になり、俺はもしサヤが起きているなら少しだけ話でもと誘うつもりで部屋の前まで行ったが、そこで聞こえてきたのは押し殺したような泣き声。
俺は何も分かっていなかった。
世界を跨いでこちらの世界にやって来たという事が。
頼る者も、信頼出来る者もいない異なる世界でたった独りという事が。
平気なわけがない。
辛くないわけがない。
不安にならないわけがない。
気の利いた事は何一つ言ってやれなかったが、俺はただサヤの隣にいた。すると次第に泣き声が大きくなり、興奮してきたサヤは何故自分を召喚なんかしたんだと、それまで溜め込んでいたものを吐き出すように声を荒らげた。
当然の罵倒だと俺は黙ってその全てを受け止めていたが、どう責任取るつもりだと言われ俺の頭に「結婚」の文字が浮かぶ。
そうだ。もはや俺にサヤから離れる選択肢はないし、サヤを他の男に渡すつもりもない。
なら行き着く先は結婚しかないのでは…?
そう考えたら深く考えるより先に結婚の申し込みをしていた。
サヤが目を丸くして驚いていたが(そんな顔も可愛い)さすがに性急すぎたと慌てて言い訳のような告白をしてしまい、重なる失態に俺は脳内の自分を思いっきり殴り倒した。
会ったばかりでいきなり求婚する奴がいるか!
しかもこんな、なし崩し的に告白する事になるとは。
違う。本当はもっと慎重に、でも確実にその心が俺に向くようにしてから想いを告げるつもりだったんだ。
これでは住み込みのメイドすら断られるかもしれない。いや、普通は断る。
……そう。絶対に断られると思ったんだ。
だから我が家でのメイドが無理なら聖騎士隊で何とか雇えないか。間違ってもアラディンやチェスターの所へは行かせない。と考えたところでやっぱり駄目だこんな可愛いサヤを一人暮らしでもさせたらすぐ誰かに持っていかれる。嫌がるサヤを無理やり奪う奴もいるかもしれない。そんな事は絶対許さん皆殺しだやはり俺がしっかり見張ってないと。という結論が出たのでサヤには予定通りうちで暮らしてもらうために必死で口説き落とした。
必死になりすぎてうっかり押し倒してしまったが、サヤからの抵抗もなかったのが嬉しくてつい調子に乗ってそのまま据え膳を美味しくいただいてしまった。
翌朝、幸せな余韻に浸りながらも冷静になった頭で婚姻に必要な書類に何が必要だったか思案する。
サヤは恐らく当分起きてこないだろう。一晩中放す事が出来なかったし、眠りについたのもついさっきだ。
この隙に書類を騎士団に提出し、一刻も早くサヤと夫婦になろう。
「おま、昨日の今日で結婚って……。 どうやって言いくるめたんだ」
早々に騎士団長のアラディンに見つかってしまい舌打ちしたい気分になったが、逆に牽制するいい機会だった。
「人聞きの悪い言い方をするな。 きちんと本人の了承は取ってある」
寝台の中ではあるが、キッチリ言質は取った。
「お前……それは合法な手段で得たものだろうな」
「ああ」
多少強引に迫ったのは否定出来ないが、本気で嫌がれば俺だって無理に結婚をしようとは思わなかった。だがサヤの反応は嫌がると言うより照れて戸惑っているという感じだった。
それなら。嫌がってないのなら、まず結婚でサヤを縛り、徐々に俺を好きになってくれたらいい。
そうして俺は結婚証明書を握りしめてサヤの元に帰った。
サヤは起きたばかりのようで、気怠い様子で寝台の上に寝転んだまま俺に視線を寄越した。
俺は婚姻が成った事を証明書を見せながら話すとサヤの気怠げで隠微な空気が霧散し、ポカンと口を開けて目を丸くしていた。しばらくモゴモゴと口の中で何か言っていたが、瞬きを数回した後サヤが身体を起こし寝台の上に突っ伏し「不束者ではありますが宜しくお願いします」と言った。
何をしているのか分からず固まった俺に、これはサヤの故郷で婚姻の際にする挨拶なのだと言われた。
ーー婚姻の挨拶。
それをするという事は、サヤもこの結婚を受け入れてくれたのだろうか。
じわりと俺の胸に歓喜が湧く。
いくら了承を取ったとはいえ寝て起きたら結婚していたなど、さすがに許してくれないだろうと恐怖していた。その場合二人の関係はマイナスから始まり、信用を得るのは相当時間がかかると思われた。もしかしたら一生許してくれないかもしれないとも思った。
それなのにサヤは、はにかむ様な顔を俺に向けてくれた。これは自惚れではなくサヤも俺を憎からず想ってくれているんだと思ったら嬉しさにサヤを力任せに抱き締めその勢いのまま押し倒してしまった。
驚いてはいるがやはり抵抗がない事が嬉しくて、俺は再びサヤの唇を奪い至福の時間を過ごした。
あれから数ヶ月。
サヤもこちらの生活にだいぶ馴染んできた。
たまに元の世界との違いに戸惑う事もあるようだが、概ね順調に暮らしている。
今日は休日を使って二人でピクニックだ。
心地よい風が吹き今が見ごろの花畑を見ながら地面にブランケットを敷きサヤの膝枕で横になる。なんとも贅沢な時間だ。
「ねえ、ウォーレン」
サヤが俺の頭を撫でながら優しく話し出す。
「私がこの世界に初めて来たとき、なんで自分がこんな理不尽な目にあわなきゃいけないんだろうって思ったの」
優しい声音とは裏腹に、責められている様な内容に俺はビクリと身体を震わせた。
「ウォーレンから隠れて泣いた事も結構あったんだけど……って、そんな顔しないで。今はそんな事ないから。もちろん今だってあっちの世界を懐かしく思うけど、帰りたいかって聞かれたら多分そうじゃないんだよね」
サヤの台詞に心臓の鼓動が速くなる。そんな俺を宥める様に頭を撫でていた手が今度は頬を撫で始める。
「私ね、ウォーレンが好き。だから、もう元の世界に帰れなくてもいいの」
ひゅっと喉が鳴った。
俺は今、信じられない物を見る目になっているだろう。
毎日毎夜、俺はサヤへの愛を囁いている。
だがサヤから何か言われた事はない。恐らく好意を持ってくれているだろうとは思うが、その好意が男としてか、友人に対するものか分からなかった。……毎晩のように抱かれているのだから男としてだと信じたかった。
それが今、ハッキリと俺が好きだと言ってくれた。
いつか聞きたいと思っていた言葉をいざ言われ、俺は言葉に詰まりサヤの顔を見つめる事しか出来ずにいると、
「ウォーレンを好きだって自覚したのは結構最初の頃だったんだけど、今更どのタイミングで言ったらいいのか分からなくなっちゃって……」
待たせてごめんと言うサヤの言葉が時間をかけて脳に届いた瞬間、俺は腕で顔を隠し身体ごと横を向いてサヤの視線から逃れた。
ずっと聞きたかった言葉。
ずっと知りたかった気持ち。
形式上夫婦ではあるが本当の意味で夫婦ではなかった俺たちが、今やっと夫婦になれたと思った瞬間だった。
嬉しくてたまらない。
きっと腕で隠した顔は酷い顔をしているだろう。
「ウォーレン、大丈夫……? 」
俺の態度にサヤから心配する声がかけられる。
大丈夫だ。大丈夫だから、今はちょっと待ってくれ。
やけにハッキリと心臓の音が聞こえる。
顔も異常に熱い。
どうすればこの異常事態が元に戻るんだ。
嬉しすぎてパニックを起こしている俺に、何を思ったのかサヤが俺の耳に口づけを落とした。
「……ふふ。 耳真っ赤」
耳元で囁く様に呟かれたその言葉に、俺の中の何かが切れた。
「うわっ! ウォ、ウォーレンっ? 」
俺は素早く起き上がるとサヤを抱き上げ、ブランケットと弁当の入ったバスケットを引っ掴み来た道を辿る。
「ちょっと、どうしたの? 」
驚いてはいるが大人しく俺の腕に収まってくれているサヤから確かな信頼を感じ、俺はどうしても顔が緩むのを止められない。
とにかく急いで家に戻ってサヤと愛を交わしたいと思っていたが、途中で訳知り顔のアラディンに捕まり何故かそのまま騎士団で新人たちの剣の稽古の相手をさせられた。
結局夕方まで付き合わされ、サヤを愛でる時間が大幅に減った。
時間は減ったが密度は今までにないほど濃密な夜を過ごせたので、これはこれで良かった。アラディンには五倍返しはやめて三倍返しくらいにしておこう。
「サヤ、愛してる」
「私も。愛してるわ、ウォーレン」
二つの重なる影を横目に見ながら、俺はこれ以上の幸せはないと噛み締めていた。
「ねぇ、あのね……」
だが幸せに上限はないのだと、サヤに新しい家族の存在を知らされ、涙で滲む視界で腹に手を当て微笑む彼女を見ながら思った。
「幸せだね。ウォーレン」
幸せだ。あの日の出会いはサヤにとっては不幸に突き落とされる出来事であっただろうが、俺にとってはサヤという運命に出会えた大事な日だ。
俺はサヤと、これから生まれてくる子どもを何があっても守り抜くと心に誓い、もう一度サヤの唇にそっと口づけを落とすのだった。
本編はこれにて完結です。お付き合いいただきありがとうございました!