月雪と姫君の探し人
ジャンルがよくわからず『童話』にしてしまったのですが、これで良いのか……悩み中です。
「ねぇ、貴方は一体どこへ行ってしまったの?」
「このままずっと会えないなんて寂しい、寂しいよ……」
――・――・――・――
びゅうびゅうと吹き付ける木枯らしが、激しく窓を叩いている。
そのたびにどこからかひんやりとした隙間風が入り込んでくるのは、ここが古ぼけたいわゆる日本家屋であるからなのであろう。
日に焼けて黄色く変色した畳の部屋には、大きなクマのぬいぐるみが置かれ、カラフルな箱の中には大量のままごとセットが入れられている。
親からのお下がりとも思えるほど年季の入った勉強机には『さんすう』や『こくご』といった教科書や、分厚い少女漫画、真っ赤なランドセルが置かれていた。
そんな、幼い少女のものと思われるこの部屋にいるのは、見るからに場違いな奇妙な青年。
透き通るような白い肌に漆黒の髪。糸のように細い切れ長の目をし、おかしいことがあるわけでもないのに微笑みを絶やさない不思議な男。
少女の部屋に青年がいて立ちつくしている。その時点でじゅうぶん奇妙なのに、さらにおかしなことに彼は洋服ではなく、時代に逆行したかのような藍色の着流しと深緑色の羽織をまとっていた。
突如、部屋を包む空気がずしりと重くなっていった。
何らかの存在を感知したのか、青年は視線だけ動かし部屋全体へと意識の網を巡らせている。
すると、風が止み静まりかえった部屋に板がきしむような音が響きはじめていった。
初めは窓の周辺、次は天井、次は押し入れ、最後には部屋全体がミシミシとうるさいほどに音をかき鳴らしている。
それと同時に消えていた天井のライトが、唸るような音をたてながら、灯りをつけては消え、つけては消え、狂ってしまったようにその動作を繰り返していった。
「これはこれは」
奇妙奇怪な状況にも関わらず、青年は動じることもなく先ほどと同じような笑みを浮かべている。
部屋を包む騒がしい音や、不気味な光は長くは続かずに数分でおさまり、室内は水をうったかのように静まりかえっていく。
「出……テケ……」
他に誰もいない部屋であるにも関わらず、どこからともなく謎の声が発せられ、その声は室内全体に響き渡っていった。
微動だにしない青年の様子に苛立ちを覚えたのか、謎の声は一層大きく、口調が強くなる。
「早ク……早ク、ココカラ立チ去レ!」
ぱしりと何かをはたくような軽い音がするのと同時に、先ほどの謎の声も聞こえなくなっていった。
そして、くすりと満足そうに微笑む青年のその右手には――
「ようやく現れてくれましたか。今回のお相手は大当たりのようで何よりです」
――若く美しい女性のか細い手首が握られていたのだった。
「何するのよ! 放して」
勢いよく青年の手を振り払ったのは、不機嫌そうに眉間にしわを寄せた凛とした顔立ちの女性。
雪のように真っ白なロングコートと滑らかな陶器のような肌、そして長く艶やかな黒髪のコントラストは、美しい彼女をより魅力的に映し出している。
「客人を怖がらせようなんて、なかなかお茶目なことをなさる」
怒りをあらわにする彼女にたじろぐこともなく、青年は愉快そうに笑っていった。
「お黙りなさい! 二度と口がきけないようにしてやるわよ」
青年の態度と言動は、どうやら火に油を注いでしまったようで彼女は目尻を吊りあげて顔を赤くし、青年を睨みつけている。
「おやおや。ずいぶんと気がお強いようで。そんなふうに額にしわを作っては、せっかくの美人がもったいないですよ」
「余計なお世話だわ。まったく……貴方、一体何しに来たの? 私を追い出そうと言うのなら、前回の胡散臭いやつと同様、泣かせて謝らせて追い返してやるわ」
口角を上げて彼女はにやりと笑う。口ぶりからすると、どうやら腕に自身があるようだ。
だが、その自信がどこから来ているのか、彼女が青年をどのようにして追い出そうとしているのかまでは掴めない。
「追い出す? そんなこと考えてませんよ。面倒くさいですし。僕は、ただ知りたいだけなんです」
「知りたい、って何を?」
淡々と答える青年に対し、彼女は眉間にしわを寄せながらそう尋ねていく。
「貴女がここの娘さんに執着し、彼女を悲しませている理由……ですかね」
青年の眼は細く、さらに表情を崩さないせいか本心はまったくもって読めない。
「私の……理由」
独り言のように呟く彼女はしばしの間考え込んだのち、意を決したように顔を上げ、真剣な表情でそれを聞いた。
「どうしてもその答えを知りたいと言うの?」
どこか真剣な女性の様子に反して、青年はいかにも興味なさげに答えていった。
「うーん、まぁ正直どうでもいいです」
予想外の答えだったのか彼女は何も答えられず、辺りはしんと静まり返る。
「……ど、どうでもいい!?」
ようやく放たれた言葉はたったそれだけで、ぽっかりと開いた口が塞がらなくなっている。
「ええ。個人的にはどうでもいいんですよ、そんなのはね。ただ、仕事なので聞かないわけにはいかないといったところでしょうか」
「『仕事だから』『そんなの』って、その言い方……!」
「依頼者に、怪奇現象の理由をお伝えできないと報酬が減りますから困るんです。理由なんかより、僕個人としては、お美しい貴女自身のことのほうがよっぽど興味がありますね」
「ふん、この最低最悪の金の亡者! 糸目で助平なもやし男! 貴方ろくな死に方しないわよ」
じとっとした軽蔑の目で罵る彼女を、表情も変えないまま青年はただ見つめている。
「おや、ずいぶん嫌われてしまいましたね。ですが、寂しい寂しいといつも泣いていたのは貴女なのでしょう? ここらを通るとよく聞こえていましたよ。それに、この家の娘さんのことにしろ、貴女のことにしろ、女性が泣いているのを放っておくのは気持ちの良いものではないんです」
その言葉にハッとした表情をした彼女は、青年の目をじっと見つめていった。
「……貴方は前回の胡散臭い宗教家とは違うようね」
くすり、と満足そうに青年は微笑んだ。
「そのへんのやつらとは一緒にしないでいただきたいですね。どうです? 困っていることがあるのなら、僕を頼ってみませんか」
彼女は自身のあごに手を添えて、考え込む様子を見せている。
「頼る、それもありか……。さっき貴方、何でこの家の娘、美月を悲しませるようなことをするのか、って聞いてきたわよね?」
「ええ、それが何か」
「私はただ苦しかったし、寂しかったのよ。あの人を返してもらうためには、ああするのが手っ取り早いと思ったの。でもそれが大切な美月のことを悲しませていただなんて……私、どうしたらいいのか、もうわからない」
手のひらで顔をおおい、彼女は苦しそうにうつむいている。
「どうしたらよいのか分からないなら、僕を頼ってみてくださいよ。貴女も救われますし、僕もお給料を貰えて幸せハッピー。これ、利害関係一致してるって思いません?」
緊張感の見られない微笑みとセリフに、深いため息が響き渡る。
「はぁ……見ず知らずのお気楽そうな男に頼るのは癪だけど、賭けてみるのもいいかもしれないわね」
「でしょう?」
「わかった。互いの利害関係が一致しているようだし、貴方を頼らせてもらうわ。さぁ目を閉じて頂戴。説明するのも面倒だし、手っ取り早く貴方をあの日へと連れ出すから」
――・――・――・――
耳鳴りのような甲高い音が聞こえたと思うと、続いてジージーという蝉の音がけたたましく鳴り響いていく。
青年がまぶたを開いて空を仰ぐと、眩しいほどに太陽が輝いており入道雲が遠くに見えた。
いつの間にやら、室内から屋外へと出ており、季節までもが移り変わってしまったらしい。
白コートの女性は目の前からいなくなって、青年だけが家の庭のようなところに取り残されてしまっていた。
「おや。これは……夏、ですか? 僕は暑いの苦手なんですけど」
この光景を見せている白コートの女性がどこかで聞いているのだろうと青年は判断して話しかけるけれど、彼女からの返事はない。
その代わりに、聞き覚えのある声が室内のほうから聞こえてきた。
「美月ー! ご飯よ早く来なさーい」
「いま行くから待ってて!」
壮年の女性の声と、少女の声。
「これは、美月さんと母親の声……?」
青年はぽつりとつぶやいた。
美月とはこの家の一人娘で、まだ小学校一年生の幼い娘だ。
先ほどの白コートの女性は美月のことをよく知っていたようだったし、上手くいけば美月本人からあの女性について話が聞けるかもしれない。
そう考えた青年は誰にも気づかれないように美月の部屋へと忍び込み、開いたふすまから静かに中へと入っていく。
真っ先に目に飛び込んできたのは、血の気を失い、強張った顔をしている美月だった。
「ど……どうしよう」
先ほど白コートの女性に会った部屋と全く同じ子ども部屋。
違うのは窓の外の景色が鮮やかな緑であるということと、足の踏み場もないほど畳の上に広げられたたくさんのおもちゃと真っ青な顔の美月。
「ママにおこられちゃう」
おもちゃに囲まれた幼い美月は小さな手に『それ』を握りしめて震えている。
――ああ、なるほど。こういうことでしたか。
青年は静かに頷いて、少女の前にしゃがみ込み柔らかく声をかけていった。
「美月さん、こんにちは。いや、はじめましてでしょうか」
返答はない。それどころか、青年の存在にすら気づいていないようにも見える。
美月は『それ』を抱きしめて小さく丸まっていく。
少女が次に放った言葉は、青年に対しての言葉ではなくただの独り言。
「おこられるのは……イヤだよ」
「もしや、見えていないのか?」
青年が呟くと同時に少女は立ち上がり『それ』を押し入れの奥へと押し込んでいく。
「かくさなきゃ!」
『それ』を急いで隠し、足早にリビングへと向かった少女は、今度は母と共に夏の風物詩であるそうめんをすすっている。
「美月、どうしたの? 元気ないじゃない」
「そんなことないよ。あのねママ、私ご飯食べたら、ゆうこちゃんと遊びに行ってくるね」
食事を終えた少女は再び、あの押し入れへと手を伸ばす。
「ごめんね、ほんとうにごめんね」
意識が黒く溶けていくのと同時に、再び甲高い音が響き渡る。
まぶたを開けると、青年はあの冬の美月の部屋にいた。
白コートの女性が青年のことを視線も逸らさないままじっと見つめている。
どうやら、過去を見てきた青年が、どんな言葉を放つのかを待っているようだ。
彼の第一声は……
「うーん、残念なことに僕は貴女にフラレてしまったようですね。ああ悲しい」
青年は自身の袖を目元にやり、さめざめと泣いているかのように嘘泣きの仕草を見せていった。
「な! わざわざ過去に飛ばした結果がそれ!? ああ、貴方に頼ろうとした私が馬鹿だっ……」
頭を抱えて悩む女性を横目に通り過ぎ、振り返った青年は微笑んで廊下へのふすまを開けていく。
「大丈夫ですよ、貴女の想いはしっかりと受け取りましたから」
青年の笑みは優しくて心強く、彼女には青年が『任せてくれ』とそう言っているかのように見えた。
青年の背中を見送った彼女はその場にしゃがみ込み、大粒の涙を一すじこぼしていった。
「お願い、頼れる人はもう貴方しか……いない」
――・――・――・――
白コートの女性を部屋に置いたまま、青年は美月と母親が待つリビングへと向かう。
ふすまを開けると、不安そうな表情で椅子に座っている二人と視線が合わさり、すがりついてくるように二人は青年のもとへと駆け寄っていった。
「あの……娘は大丈夫なのでしょうか?」
「おにいちゃん、美月これからどうなるの? こわい夢なんかもう見たくないよ」
この家の一人娘、美月。彼女は睡眠時間が削られるほどのひどい悪夢に、この一ヶ月間ずっと悩まされていた。
眠りに着くとすぐに黒髪で白い服をまとった女性が現れて泣きながら何かをうったえかけてくるのだが、美月にはそれが聞こえない。
何と話しているのかわからないぶん、黒髪の女は自分のことを恨んでいるのではないかと美月は強い恐怖を感じているのだそうだ。
幼い少女の目の下に異常なほどくっきりと刻まれているクマが彼女の苦痛の強さを物語っている。
「大丈夫ですよ、悪夢は必ず治します。そのためにも美月さん、案内していただきたいところがあるんです。いいですね?」
青年からその場所を伝えられた美月は表情を硬くし、ワンピースの裾をぐっと握りしめていたのだった。
――・――・――・――
十分ほど歩いて三人が着いたのは、葉が散ってしまった寒々しい木で囲まれた小さな神社。
歩くたびに落ち葉のじゅうたんが乾いた音を立てていく。
神社を見た途端表情が強張る娘の姿を見て、美月の母親の顔色は血の気を失ったように青ざめていった。
「美月……まさかあなた、神社で何かいたずらしたの!?」
「いえ。お母さんが思うほどのことは、彼女はしていません」
青年は美月を庇うように母親の前へと立っていく。
「美月さん、内緒にしていたこと全てをお母さんに話しましょう。黙っていて苦しいのは貴女ですよ」
青年はしゃがみ込み、美月の手をとって彼女の目を見つめていった。
「おにいちゃん、いっしょにあやまってくれる?」
瞳を潤ませ、声を震わせている美月がそう尋ねると、青年は優しく微笑んで静かに頷く。
「ええ、もちろんです」
美月はうつむきながら、ぽつぽつと半年前の出来ごとについて語っていった。
「あのね、ママ。私……」
――・――・――・――
あの夏の日、美月は自分の部屋でひとり、人形遊びをしていた。
おねえちゃんに、おにいちゃん、おとうとにいもうと、そして、じぶん。
空想しながら理想の家庭を作り上げていったのだが、困ったことに人形の数が足りない。
お父さん役とお母さん役がいなかったのだ。
おもちゃ箱をひっくり返して、ちょうどいい人形を探してみたけれど見つかる様子はなくて。
そんな美月は、ちょうどよく二つの人形を思い出した。
春にしかお母さんに出してもらえない、小さくてとても綺麗な男女の人形……つまりひな人形。
「美月さんは人形遊びをするために、ひな人形を押し入れから出すことにしたんです」
上手く言葉が続かない美月に代わり、青年は淡々とそう語る。
「そして、女雛に続いて男雛を取り出そうとした時、ひっかけて傷をつけてしまった。春になって母親に見つかって叱られることを恐れた彼女はここに来て、男雛を埋めて隠したのです」
「美月……何てことを」
「ママ、ごめ……ごめ゛んなざい゛ぃぃぃ」
わんわんと声にならない声を上げて泣く美月を、そんなふうに育てた覚えはないと母親は叱りつけている。
「お母さん、そのへんで。美月さんはどうしても母親と父親をままごとの中でも作りたかったんです。美月さん、お雛様にはお母さんがお気に入りにしていたコートに似た、人形用のコートを上から着せてあげたのでしょう? それほど彼女は貴女や父親のことが好きなんです」
美月の母は、ふぅとため息をついて、美月の前へとしゃがみこんでいく。
「美月、ママが一番怒っているのはひな人形に傷をつけたことじゃないの。あなたが嘘をついて、ごまかそうとしたことなのよ」
「うん……」
美月はしゃくりあげながらも、静かに母親の話を聞いている。
「あなたに、ずるい嘘をつくような人にはなって欲しくないの。だから、失敗したり悪いことしたりしてもごまかしたりなんかしないで、ママにちゃんと言うように約束して」
「うん」
ハンカチを取り出して母親は美月の涙と鼻水をごしごしと拭い、笑った。
「ほら、美月。早くお内裏様を助けてあげなきゃ」
――・――・――・――
神社で一番大きな銀杏の木の下を掘ると、お菓子の缶が埋まっており、美月がゆっくりとそのふたを開けていくと、中には顔に傷のついた男雛が半年前のまま入っていた。
男雛をぎゅっと抱きしめて、何度も何度もごめんねを繰り返す美月。
そんな様子を見た母親は青年に、こそっと尋ねていく。
「あの……今回のことで呪われたりとかってない、ですよね?」
細い目をさらに細くさせ、青年は優しく笑う。
「ひな人形はその家の娘を守る役割を持っているのです。男雛と離れ離れにされた女雛も、男雛のことだけでなく美月さんのこともずっと気にかけていましたよ。だから、何度も何度も美月さんの夢に出て、助けを求めていたのです。これからは、あの二人を離れ離れにさせることなく大切にしてあげてください。美月さんの夢は元々悪夢なんかじゃなかったんです」
娘の恩人に深々と母親は礼をする。
静かに顔を上げた母親は、小さく驚きの声をあげた。
「あら」
「おや」
空を見上げると、純白の雪がはらはらと舞い落ちてきている。
青年が手を差し出すと、手のひらの上に乗った雪の結晶が静かに溶けて消えていく。
「風花ですか、風流ですね」
「風花?」
首をかしげて母親が尋ねていくと、青年はひとり言のように答えていった。
「こうやって風に運ばれてくる雪のことですよ。僕と同じようにね」
「え?」
空を見上げて青年は優しく笑う。
「ふふ、これであの二人はちゃんと再会できそうですね。幸せそうで何より。フラレてしまうのはなかなかキツイですが」
「どういうことですか?」
その問いかけに対し青年は笑うだけで、何も答えようとしない。
一歩大きく後ろに下がった青年は母と子に声をかけた。
「美月さん、お母さん。長く辛かった恐怖は終わりました。それでは、これにて終幕です」
青年がそう言い終わるのと同時にぶわりと強い風が吹き付けて、母子二人は慌てて目をつむる。
風が止み、二人が目を開けるとそこに青年の姿はなく、ふわふわと舞う風花だけが残されていた。
時を同じくして人通りの少ない道で、藍色の着流しをまとった細い目の青年は、何かを思い出したかのようにぽつりと呟いていった。
「ああ、しまった。僕としたことがお代を貰い忘れてしまいました……まぁたまにはこんな日があってもいいですかね」
そうにこやかに笑う奇妙な青年は、溶けるように風花舞い散る街中へと姿を消していったのだった。
――・――・――・――
それ以来美月の家には春になると毎年決まって不思議なひな人形が飾られる。
白いコートを羽織った凛とした顔のお雛様と、頬に傷のある優しい顔のお内裏様。
どこか温かくて優しいこの光景をくれたのは黒髪で藍色の着流しを着た不思議な青年。
「あの人は一体誰だったんだろうな」
――ありがとう
季節外れの雪を眺めながら、高校生になった美月は静かにそう呟いていったのだった。