弐
月田羅利子は、小さい頃から友達がいなかった。
性格が悪かったからだ。
ひとの欠点ばかりを見つけては、いちいちそれを指摘するので、誰からも嫌われてばかりいた。自己中心的で、相手の気持ちがわからない少女であった。
だから、幼い頃から、いつもひとりで遊んでいた。
家が貧しかったから、オモチャもあまり買ってもらえず。いつも、いろいろと空想をすることで遊んでいた。
おいしいお菓子やケーキを想像し、想像の中でそれを食べ、味や食感、喉の通りや、胃袋に落ちる感触までも細かく想像して楽しんだ。
ぬいぐるみを想像し、それを抱きしめ、あやしているふりをして遊んだ。そのときも、ぬいぐるみの生地の手触り、重さ、ボタンでできた目のプラスチックの固さや、縫い目のざらざらした感触も細かく想像して楽しんだ。
そんな遊びを、小学生になるまで続け、いろいろと細かく想像していくうちに、羅利子は特殊な能力を身につけた。
想像することによって、自由な幻覚を見られるようになったのである。
たとえば、羅利子がパンを想像したとする。
見た目、匂い、手触り、やわらかさ、くわえたときの歯触り、咀嚼したときの食感などを、細かく時間をかけて想像する。
すると、羅利子の目の前に、そのパンがあらわれる。
そのパンは、幻覚である。他のひとには、当然目に見えない。
しかし、そのパンは、幻覚なのに、手触りがある。焼きたての匂いもするし、噛むと歯触りもある。甘い味もある。
羅利子は、視覚だけではなく、触覚、聴覚、嗅覚、味覚、身体の五感の全てでその幻覚を感じているのだ。
つまり羅利子は、想像することによって、限りなく本物に近い、リアルな幻覚を自由に見られるようになっていたのである。
羅利子はこの特殊な想像力で、欲しいものをいろいろと想像して、その幻覚を楽しんできた。
ブランドもののバッグ。高級な指輪。美味しい料理。甘いスイーツ。
しかし、今日、そんなものとは比べものにならないくらい、すごく欲しいものができた。
そう、鹿村雅彦である。




