ゼイン戦記【外伝】アレックス・ヘイロス、城塞都市アラモに到着する。
大陸統一歴三百十七年、八月。
チェド湖を離れてから、十七日目。
西岸から南東へ延びる旧街道を、十名の兵士が歩いていた。
先頭を進むのは、二十二歳の部隊長アレックス・ヘイロスである。
アレックスも、ほかの九名と同じく徒歩だった。
退却戦で乗っていた馬には食料や武具をくくりつけ、自ら手綱を引いて歩いている。
道の両側には、長く手入れされていない草が伸びていた。
デレクが歩きながら後ろを振り返る。
「追っ手は見えません」
バイロンも後方を確かめてから、街道へ視線を戻した。
「隊長、この旧街道を選んで正解でしたな。
かつてはルトニア王国とサイサリス公国を結ぶ道でしたが、新しい街道が整備されてからは、ほとんど使われていません」
「確かに、人目を避けるには都合がいい。
だが、まだ安心はできない。
引き続き、周囲を警戒してくれ」
部下たちへそう告げながらも、アレックスの頭からは、チェド湖で見た光景が離れない。
サイサリス公国軍の本隊は、ルトニア王都から撤退する途中で壊滅した。
アレックスたち十名は偵察任務に出ていたため、敵軍の攻撃を免れることができた。
だが、それは生き延びたというより、仲間が討たれていく様子を遠くから見届けただけだった。
一行の口数は少ないが、デレクとバイロンだけは、努めて普段と変わらぬ態度を見せている。
デレクは仲間たちの疲れに気づき、アレックスに声をかけた。
「隊長、少し休みませんか」
「分かった。
あの林であれば、この街道からも見えないだろう。
あそこで休もう」
十名は旧街道を外れて木々の間へ入り、周囲に人影がないことを確かめると、馬の背から荷を下ろした。
「デレク、あと何日もちそうだ?」
「切り詰めても三日分ほどだ。
だが、ルトニア王国軍に見つかる危険を考えれば、村や町には近づかないほうがよいだろう」
「国境まで持たせるしかないな」
デレクは残った食料を包み直して馬の背へ戻すと、積み荷の量を確かめた。
「これだけの荷なら、隊長一人くらいは乗せられるでしょう。
隊長だけでも、ときどき馬を使ってください」
「九人が歩いているのに、私だけが乗るわけにはいかない。
それだけの余裕があるなら、疲れている者を交代で乗せればいい。
馬を操れなくても、誰かが手綱を引けば乗っていられるだろう」
デレクとバイロンは顔を見合わせた。
「相変わらず生真面目ですな、坊ちゃん隊長は」
「その坊ちゃん隊長というのは、やめてくれないか」
アレックスが言い返すと、沈んでいた兵士たちの間から小さな笑い声が漏れた。
久しぶりに聞く笑いだった。
休息を終えると、十名は再び旧街道へ戻った。
人家や旅人の姿を見つけたときには道を外れ、馬の手綱を引いて林へ身を隠した。
夜は火を焚かず、外套に身を包んで眠った。
敵地を抜けるまでは、一度の油断が命取りになる。
チェド湖を離れて二十日目。
十名は約三百五十キロの道のりを進んでいた。
「隊長、距離から考えれば、すでに旧サイサリス公国領へ入っているはずです」
デレクに言われ、アレックスは周囲を見渡した。
ここから先は故国のはずだ。
それなのに、帰ってきたという実感は湧かなかった。
しばらく進むと、小さな村が見えてきた。
十名はここで初めて人目を避けることなく道を進んだ。
村人たちは、サイサリス公国軍の鎧をまとった兵士たちを警戒するように見つめている。
歓迎する者はなく、むしろ、面倒ごとを持ち込まれたと思っているようだった。
デレクは近くにいた村人へ声をかけた。
「馬に水と飼葉を与えたい。
場所を教えてもらえないか」
案内された小屋で馬の世話をしていると、年配の男が鎧を見ながら口を開いた。
「ルトニア王国から戻ってきたのかね」
「ああ」
「では、何も知らないのだな」
男の言葉に、デレクは手を止めた。
「何の話だ」
「サイサリス公国は、もうない」
一行が息を呑んだ。
「どういうことだ」
「オリバー大公がルトニア王都で亡くなられました。
アデイラ公妃が生まれ故郷のアンドラ公国へ助けを求め、アンドラ公国軍が公都へ入ったそうです。
今では、この辺りもアンドラ公国の領地だと言われています」
「ビアトリクス公女はどうされた」
「存じ上げません。
軍を率いてルトニア王国から退却しているという話は聞きましたが、それから先は聞いておりません」
アレックスは言葉を失った。
チェド湖を離れたとき、東へ進めば帰るべき国があると思っていた。
だが、二十日をかけて戻ってきた故国は、すでにアンドラ公国に呑み込まれていた。
「公都にいるアンドラ公国軍の数をご存じですか」
「そこまでは存じません。
ただ、皆さんがアンドラ公国に従うおつもりなら、公都へ向かっても問題はないと思います。
そうでなければ、街道にいるアンドラ公国の兵に呼び止められるかもしれません」
アレックスはデレクとバイロンを見た。
「公都へ向かえば、アンドラ公国軍に捕らえられるかもしれませんな」
バイロンの言葉に、デレクが頷いた。
「だからといって、この村にとどまるわけにもいきません」
年配の男は周囲を気にするように声を落とした。
「東へ向かわれるのでしたら、アラモを目指す兵士もいると聞いています」
「アラモを?」
「このような離れた村まで伝わっている噂にすぎませんが、キール将軍は、アンドラ公国からの命令に従わなかったそうです。
使者を追い返したという者もいれば、返事すらしなかったという者もいます」
「キール将軍は、兵を集めているのですか」
「いいえ、兵を集めているという話ではありません。
ただ、アンドラ公国には従わないらしいという噂が広がっているだけです。
それを聞いた兵士たちが、自分の意思でアラモへ向かっているそうです」
アレックスが考え込んでいると、デレクが口を開いた。
「キール将軍なら、信用できます。
隊長のお父上も、あの方ほど頼りになる武人はいないと、よく話しておられました」
「お前たちも、キール将軍のことを知っているのか」
「直接お話ししたことはありませんが、何度かお姿を拝見したことはあります。
頑固で融通の利かない方だという話も、よく聞いておりました」
バイロンがそう言うと、デレクが笑った。
「お前も人のことは言えないだろう。
だが、草原の民や南方の山岳部族と幾度も戦い、サイサリス公国南東部を守り続けてきた将軍です。
アンドラ公国に従わなかったという話も、キール将軍なら不思議ではありません」
アレックスは、幼い頃に父から聞いた話を思い出した。
「父も同じことを言っていた。
頑固で融通の利かない男だと笑っていたが、最後には必ず、誰よりも信頼できる武人だと付け加えていた」
アレックスは九名の部下を見渡した。
「アラモへ向かう」
誰一人として、異を唱える者はいなかった。
十名は村で食料を整え、馬にも十分な休息を与えた。
翌朝、出発の準備が整うと、デレクが進路を提案した。
「隊長。
昨日の話を聞く限り、公都の近くを通るのは避けた方がよいでしょう。
カステルナ地域の南側を通る道を使いませんか」
「その道は、アラモへ続いているのか」
「直接は続いていません。
東へ約二百五十キロ進めば、サイサリス公都とアラモを結ぶ街道へ出られます」
バイロンがデレクの説明を引き継いだ。
「公都方面へ向かえば、アンドラ公国軍に出くわす可能性があります。
ですが、反対のアラモ方面は、キール将軍の兵が守っているはずです」
「分かった。
その道を進み、街道へ出た後はアラモへ向かう」
十名はカステルナ地域の南側を通る道を、十日ほどかけて二百五十キロ進み、公都とアラモを結ぶ街道へ出た。
街道の両側には、広大な畑が広がっている。
「旧街道を進んでいた頃とは、ずいぶん景色が変わりましたな」
バイロンの言葉に、デレクが頷いた。
「この地方は、ちょうど刈り入れの時期だからな」
黄金色の穂が風に揺れる畑もあれば、すでに刈り入れを終え、短く切られた茎だけが残る畑もあった。
大人たちは鎌で穂を刈り、子供たちは束ねられた穂を畑の脇へ運んでいる。
そこには、脱穀を待つ穀物が積み上げられていた。
街道では、穀物を積んだ荷車が何台もアラモの方角へ進んでいる。
バイロンは、前を行く一台へ目を向けながら言った。
「畑だけでなく、荷車もずいぶん多いですね」
旧街道とは違い、この街道では人の往来が絶えない。
農民だけでなく、穀物を買い付ける商人や、荷車を護衛する兵士の姿もあった。
アレックスは、道の両側に広がる畑を見渡した。
「この辺りでは、これほど多くの穀物が収穫できるのか」
デレクが答えた。
「はい。
サイサリス公国でも有数の穀倉地帯です。
ここで収穫された穀物は、アラモや公都だけでなく、公国内の町や村へも運ばれます。
本来なら、ウルク王朝へ向かうものもあるはずです」
「ウルク王朝まで運ぶのか」
「はい。
アラモからさらに南東へ七百五十キロほど進んだところに、ウルク王朝の港町ドゥブロヴニクがあります。
そこまで運ばれた穀物は、船でほかの国へ送られます」
「それなら、この辺りで収穫された穀物が、すべてアラモへ運ばれるわけではないのだな」
「そうですね。
どこへ売るかは、作った農民や買い付けた商人が決めます」
近くを進んでいた荷車から、二人の会話を聞いていた農民が声をかけた。
「今年はアラモへ持っていく者が多いですよ」
「なぜですか」
「公都へ向かえば、アンドラ公国の兵に徴収されるかもしれません。
ですから、今年は代金を払ってくれるアラモの商人へ売る者が多いのです」
「なるほど。
アラモであれば、ウルク王朝へ向かう商人にも売れますね」
「それが、ウルク王朝へ向かう隊商も減っているので、以前ほどの実入りにはなりません。
それでも、アンドラ公国の兵に徴収されるよりはましです」
「ウルク王朝へ向かう隊商が減っているのですか」
「はい。
アラモから先の街道を通る隊商は、以前よりも少なくなっています」
「アラモから先の街道は危険なのですか」
「アラモまでは心配ありません。
キール将軍の兵が街道を巡回しています。
危ないのは、アラモを越えてウルク王朝へ向かう道です」
「その街道を通る隊商を、草原の民が襲うのですか」
バイロンが尋ねると、農民は手綱を握ったまま頷いた。
「荷車から穀物や馬を奪う部族がいます。
ですが、すべての部族が敵というわけではありません。
アラモの商人と取引する部族もいれば、報酬を受け取って隊商を守る部族もいます」
「同じ草原の民でも、部族によって違うのですね」
「そうです。
ですが、どの部族が近くにいるのか分からなければ、隊商も簡単には出せません。
キール将軍がアラモを守っているからこそ、この辺りの畑も、南東へ続く交易路も守られているのです」
「いろいろと教えていただき、ありがとうございました」
バイロンが礼を言うと、農民は軽く頭を下げた。
「いえ。皆さんもお気をつけて」
農民が馬を促すと、荷車はゆっくりと十名の前へ出て、そのまま街道の先へ遠ざかっていった。
十名も、ほかの荷車とともにアラモへ向かった。
アラモへ近づくにつれ、畑の数はさらに増えていった。
「街道から離れたところにも、村がいくつもありますね」
バイロンの言葉に、デレクが周囲を見渡した。
「刈り入れを終えた穀物が、あの村々からも運び出されている。
アラモへ近づくほど、荷車が増えるわけだ」
やがて、デレクが街道の先を指した。
「隊長、前をご覧ください」
地平の先に、灰色の線が見えていた。
初めは大地と空の境に浮かぶ影にしか見えなかったが、近づくにつれて、その線は高く、長く伸びていった。
「あれがアラモなのか」
「はい。
あれが城塞都市アラモの城壁です」
「大きい」
一人の兵士が思わず声を漏らした。
「城壁が、どこまでも続いています」
「総延長は六キロを超えると聞いている」
デレクが答えると、別の兵士が城壁を見上げながら言った。
「高さも相当ありますね」
「場所によって八メートルから十メートルほどだ。
一定の間隔で塔も置かれている」
城壁の前まで来ると、その高さがいっそう際立った。
アレックスは足を止め、そびえ立つ城壁を見上げた。
城門へ続く道には、数十台の荷車が並んでいる。
兵士たちが積み荷を確認し、商人が荷の量と運び先を伝えていた。
荷車の多くには穀物が積まれていた。
仲間の一人が、デレクに尋ねた。
「同じ穀物でも、運び先が違うようですね」
「城内の穀倉へ収めるものと、市場へ運ぶものに分けているのだろう」
アレックスたちの番が来ると、門を守る兵士が進み出た。
「所属と名前を」
「サイサリス公国軍部隊長、アレックス・ヘイロス。
こちらは私の部下九名です。
チェド湖西岸の偵察任務に就き、その後、ここまで撤退してきました」
門番の表情が変わった。
「チェド湖から生還されたのですか」
「はい。
キール将軍への面会をお願いいたします」
門番は十名を一人ずつ確認した。
名前を記録し、武器を調べた後、別の兵士へ声をかけた。
その間、アレックスは城門の脇に集められた兵士たちを見ていた。
皆、サイサリス公国軍の兵士だった。
「彼らは?」
アレックスが尋ねると、門番が答えた。
「アンドラ公国に従うことを拒み、アラモへ来た正規兵です。
まだ数十人ですが、毎日のように増えています」
「キール将軍が集めておられるのですか」
「いいえ。
将軍は兵を集める命令など出しておりません。
アンドラ公国からの服従命令を拒んだという噂を聞き、自分の意思で来た者たちです」
兵士たちは城門の近くで、名前を確認されていた。
やがて、アレックスたちは城内へ通された。
城門を抜けると、アレックスは大通りの先を見渡した。
「外から眺めていた以上に広い町ですね」
大通りには人と荷車が行き交い、商人の呼び声が響いていた。
アレックスは、道の両側に並ぶ石造りや木造の建物へ目を向けた。
「大通り沿いには、店や工房が多いのですね」
「はい。
建物の一階を店や工房として使い、その上で家族が暮らしている家が多くございます」
案内役の兵士が答えると、アレックスは城門近くの建物を示した。
「あちらにあるのは、兵営ですか」
「はい。
隣には厩舎がございます。
兵士や馬の出入りが多いため、どちらも城門の近くに置かれております」
厩舎では、長い道のりを歩いてきた馬に水が与えられ、馬具が外されていた。
蹄鉄を打ち直す音に、鍛冶場で武具を修理する音が重なっている。
アレックスは、大通りを行き交う人々へ目を向けた。
「ずいぶん多くの人が暮らしているのですね」
案内役の兵士が答えた。
「はい。
平時でも二万五千人ほどが暮らしております。
兵士だけの町ではありません。
商人や職人のほか、兵士の家族も大勢暮らしています」
穀物を積んだ荷車の何台かが、大通りから西側へ曲がっていった。
その先には、いくつもの穀倉が並んでいる。
「穀物を積んだ荷車は、すべてあの穀倉へ向かうのですか」
アレックスが尋ねると、案内役の兵士は首を横に振った。
「いいえ。
穀倉へ収められるのは、城内で消費する分と軍が買い入れた分です。
市場へ運ばれるものもございます」
「包囲されたときに備えているのですね」
「はい。
城塞都市である以上、食料を蓄えておかなければなりません。
ただし、周辺で収穫された穀物が、すべてアラモへ集められるわけではございません」
「公都やほかの町だけでなく、南東のドゥブロヴニクへ運ばれるものもあると聞きました」
「そのとおりです。
ただ、今年は公都へ向かうことを避ける者が増え、ウルク王朝へ向かう隊商も出発を見合わせています。
そのため、例年より多くの穀物がアラモへ運ばれております」
大通りをさらに進むと、市場が見えてきた。
店先には、穀物や野菜だけでなく、干し肉、乳製品、革製品、馬具などが並んでいた。
アレックスは、見慣れない文様の入った革製品へ目を向けた。
「あれは、草原の民が持ち込んだものですか」
「はい。
アラモは草原の民と争うだけの場所ではありません。
交易のために訪れる部族もおります」
市場を抜けると、住宅が密集する区画へ入った。
道端では子供たちが遊び、家の前では女たちが洗濯物を干している。
アレックスは、鎧姿の自分たちを誰も気に留めていないことに気づいた。
「これだけの兵士が町を歩いていても、誰も気にしないのですね」
「はい。
ここは兵士と、その家族が共に暮らす町です。
アラモで生まれ育ち、そのまま兵士になる者も少なくありません」
都市の中心へ近づくにつれ、道は緩やかな上り坂になった。
その先に、市街地より一段高い場所に築かれた城が見えてきた。
「あれがアラモ城ですか」
「はい。
あの場所からは、城壁の向こうに広がる草原と、城内の大通りの両方を見渡すことができます」
アレックスは、城を見上げた。
「華美な装飾はありませんね。
領主が暮らす宮殿というより、戦のための城に見えます」
「そのとおりです。
アラモ城は、戦を指揮するために築かれた城です」
アレックスたちがアラモ城の一室へ通されて間もなく、扉が開いた。
現れた男を見て、アレックスはすぐに立ち上がった。
老練な武人特有の鋭い眼光。
アラモを守るキール・ナバーロ将軍だった。
九名の部下も一斉に姿勢を正した。
アレックスは一歩前へ出て、深く頭を下げた。
「アレックス・ヘイロスと申します。
お目通りいただき、ありがとうございます」
キール将軍は答えず、アレックスの顔を見つめた。
「アレックスか」
「はい」
「最後に見たときは、父親の後ろから私を見上げていた子供だった。
私のことは覚えているか」
「申し訳ございません。
幼い頃のことですので、覚えておりません」
「そうか。
まあ、無理もない。
大きくなったな。
父親によく似てきた。
体つきはまだ及ばぬが、その目は同じだ」
「父が亡くなってから何年もたちます。
将軍にそう言っていただければ、きっと喜んだと思います」
キール将軍は一度頷くと、アレックスの後ろに並ぶ九名へ目を向けた。
「チェド湖で何があった」
アレックスは、丘の上から見届けた光景を思い出した。
「我々が丘の上から見たことを、順にお話しいたします。
丘へ上がったとき、目に入ったのは、東へ退却する本隊と、その後方から迫るルトニア王国軍でした。
そこへ山の斜面から無数の敵兵が現れ、本隊の隊列の中ほどへなだれ込んできたのです。
襲撃を受けた兵たちは逃げ場を求めて押し合い、隊列は瞬く間に崩れていきました。
さらに後方から追いついた敵軍が襲いかかり、組織立って抵抗していた部隊の姿も、やがて敵兵の中に埋もれて見えなくなりました」
丘の上までは、味方の悲鳴も武器のぶつかる音も届かなかった。
それでも、逃げ惑う兵士や次々と倒れていく仲間の姿は、今もアレックスの目に焼きついていた。
「我々が確認できたのは、そこまでです」
キール将軍は途中で口を挟まず、最後まで聞いた。
しばらく考え込んでから、口を開いた。
「ローガン侯爵も、アーロン将軍も戻らぬか」
「お二人の最期を、この目で確認したわけではありません。
ですが、チェド湖の北岸で本隊が壊滅するところを見ました。
あの状況から生還された可能性は低いと思います」
「分かった。
よく生きて戻った」
アレックスは顔を上げた。
「将軍。
アンドラ公国からの命令に従わなかったという噂は、本当なのでしょうか」
「本当だ。
アンドラ公国から使者が来た。
アラモの兵を引き渡し、私にも公都へ出頭せよとの命令だった」
「それを拒まれたのですか」
「私はアンドラ公国の家臣ではない。
従う理由がない」
「では、アラモの兵だけでアンドラ公国と戦うおつもりですか」
「いや。
まずはビアトリクス様の帰還を待つつもりだ。
ルトニア王国から軍を率いて退却されたことまでは聞いているが、その後の消息は掴めていない。
ビアトリクス様が生きておられる限り、サイサリス公国が滅びたとは思えぬ。
あの方をアラモへお迎えし、そのご意思を確かめた上で、公国の再興を考えたい」
アレックスは、アラモまでの道中と、城内で目にしたものを思い返した。
穀物を積んだ荷車。
市場で声を上げる商人。
武具を作る職人。
そして、この町で暮らす兵士と、その家族。
「ルトニア王国との国境に近い村で、サイサリス公国はもうないと聞かされました」
「そう考える者もいるだろう」
「ですが、アラモでは人々が以前と変わらず暮らしています。
将軍もアンドラ公国への服従を拒んでおられます。
ここには、まだサイサリス公国が残っています」
「そうだな。
お前の言うとおり、アラモにはまだサイサリス公国が残っている。
ビアトリクス様をお迎えするため、この地を守る力を貸してくれるか」
「はい。
私にできることであれば、何でもお命じください」
「アレックス。
お前に任せたい役目がある。
各地から正規兵が集まり始めている。
今は数十人にすぎんが、これからさらに増えるだろう。
一人一人は正規兵だが、ただ集まっただけでは軍として動かせん。
彼らを一つの部隊にまとめてもらいたい」
「彼らを率いろとおっしゃるのですか」
「そうだ。
兵が来るたびに、名前とこれまでの経験を確かめ、一つの部隊にまとめるのだ」
「将軍。
私は初陣で十名を任されたばかりです。
その私に、各地から集まる正規兵をまとめられるのでしょうか。
それに、父の功績があったから部隊長に選ばれたのではないかと、今でも考えることがあります」
「お前が初陣を終えたばかりであることは知っている。
だが、父親が誰であろうと、九名の部下を連れ、チェド湖からここまで戻ってきたのはお前だ。
今のお前は、自分が何も知らぬことを知っている。
分からぬことがあれば、部下の意見を聞くこともできる」
キール将軍はデレクとバイロンを見た。
「それに、お前には支える者がいる。
ここまで共に戻った者たちを信じろ」
「承知いたしました」
面会を終えると、アレックスたち十名は案内役の兵士に連れられ、城門近くの兵営へ向かった。
兵営へ向かう途中、デレクが案内役の兵士に尋ねた。
「キール将軍がおっしゃっていた正規兵とは、先ほど城門で見かけた者たちですか」
「そうです。
まだ誰の指揮下にも入っておらず、名前や以前の所属などを確認しているところです」
「これから、どこまで増えるかは分からないのですね」
「はい。
毎日のように、新たな兵士がアラモへ来ています」
案内役との会話が途切れると、デレクは声を落としてアレックスに尋ねた。
「隊長。
本当に、この役目を引き受けてよろしいのですか。
今は数十人でも、これから何人まで増えるか分かりませんよ」
「そうだな。
私よりも、この役目にふさわしい者がいるかもしれない。
だが、誰かが引き受けなければならないことだ」
アレックスは、デレクとバイロンを見た。
「それに、私には二人がいる。
二人が支えてくれるのなら、私が引き受けることにも意味はあると思っている」
バイロンが小さく笑った。
「我々を当てにして決められたのでしたら、最後までお付き合いするしかありませんな」
「ああ。
二人とも、頼りにしている」
やがて、一行は城門近くの兵営へ着いた。
兵営の前には、正規兵たちが並んでいる。
アレックスが一歩進み出ると、兵士たちの視線が一斉に集まった。
「アレックス・ヘイロスだ。
キール将軍の命により、今日から私が諸君を預かる。
私は二十二歳だ。
この中には、私より年長で、戦場での経験が豊富な者もいるだろう。
私の指揮に不安を覚える者もいると思う。
私はチェド湖でサイサリス公国軍の壊滅を目にし、九名の部下と共にここまで戻ってきた。
諸君と同じく、サイサリス公国の兵士であることを捨てられなかったからだ。
キール将軍は、ビアトリクス公女の帰還を待っておられる。
そのときに備え、我々は一つの部隊として戦えるようにならなければならない。
まずは、一人ずつ名前と経験を聞かせてほしい。
私に、諸君の力を貸してもらいたい」




