忌々しい現実:ノエル視点
オレは【隠密】を使い、兵士が守る門をコソコソと潜り、マナドゥの町に帰り付いた。
身分証を提示していないので、不法侵入になる。
だが、正直に身分証を提示しても、トラブルは避けられないだろう。
体格のごついノエルは、兵士たちにもそこそこ顔が売れていたので、『おまえは誰だ!?』と詰問されかねない。
結果は偽証罪と窃盗の疑いで、牢屋送りだ。
それが分かっていながら、なんで正直に門番のチェックを受けなければいかん?
嫌なこった。
まっぴらごめんだね。
オレはベッドで寝たいんだよ。
今日からオレは、アウトローさ。
「さてと……」
先ずオレが向かったのは、以前から取引のある古物商だ。
手持ちの資金が少ないのもあるが、なにより重たくて邪魔な大剣を売り払ってしまいたい。
未練が残るだけに、担いでいるとモヤモヤした暗い気分になる。
こうした粘つく益体もない感情が、後々大切な場面で判断を狂わせ、オレの足を引っ張るのだ。
そうに決まっている。
断捨離だ。
門前広場を突っ切ると、その先にはマナドゥの町を南北に両断する目抜き通りがある。
石畳が敷かれた目抜き通りは、いつものように行き交う馬車や通行人で賑わいを見せていた。
ここで問題が生じた。
【隠密】を使うオレは、誰からも認識されていない。
そうなると、馬車や通行人はオレを避けてくれないのだ。
ハーキムの森から続く街道であれば、オレが避ければそれで済んだ。
でもマナドゥの町では、そうも行かない。
なにしろ混雑が酷すぎる。
「これは危ない」
【隠密】を解除しようかと一瞬だけ考えたが、止めにした。
遠回りになっても、人気の少ない裏道を使えば良いと気づいたのだ。
「浮浪児も吃驚の恰好で歩いたら、まず間違いなく巡回中の兵士に見咎められるわ」
冷静になってみれば、【隠密】の解除は問題外だった。
墓場から蘇った死体みたいにズタボロの衣装を着た人物は、マナドゥの町に馴染まない。
おそらくきっと騒動が起きるに決まっていた。
近くの料理屋から、食欲を刺激する良い匂いが漂ってきたけれど、おあずけだ。
取り敢えず、悪目立ちしない服を手に入れなければ……。
古物商の名は【正直堂】。
小柄な婆さまが営む、煤けた店だ。
だけど品揃えはよくて、古着なども扱っていた。
「これを買い取ってもらいたい」
オレがバスタードソードを見せると、婆さまは首を横に振った。
「そいつはデカ過ぎるだろ。両手剣なんて、見栄っ張りな騎士や筋肉信奉者しか欲しがらん。ウチでは、そんなもん売れないね。第一、こんな婆に鉄の塊を押し付けて、何をさせるつもりだい。アタシを腰痛にさせるつもりかい?」
なるほど。
確かに婆さまの言う通りだ。
「こりゃ、参ったな。どうしたらいいんだ」
「あそこに鍛冶屋の工房があるだろ。軒先にでも、捨ててきたらどうかね」
「………………」
酷い言い草だけど、婆さまが正しい。
オレはもう、この剣を持ち歩くのに心底ウンザリしていた。
なので婆さまの助言に従い、鍛冶屋の軒先にバスタードソードを置いた。
「おい。研ぎか修繕か?」
入口から顔を覗かせた髭のオヤジが、勢いよく話しかけてきた。
「いや。もう要らないから……」
「ウーム。買取なら、二十万クローザだな」
「えっ。買い取ってくれるんだ」
「ちと厄介な客が、大剣を欲しがっている。そんなもんを打つのは面倒くさいからな。どうしたものかと頭を悩ませてたんだが……。これなら少し手を入れるだけで、新品として売れる。丁度よかったぜ」
髭のオヤジが『ウシシ……!』と笑った。
「どこで拾ったか知らねぇが、首に縄が掛かるようなヘマだけはするんじゃねぇぞ!!」
「盗品じゃないよ」
「わしは貧乏人の味方だ。口は堅いから安心しな。ほらよ、持ってけドロボー!」
髭のオヤジは、金袋を放って寄こした。
「………………」
捨てるつもりで鍛冶屋の軒先に置いた大剣が、二十万クローザになった。
泥棒扱いされたが、文句はない。
オレは【正直堂】で手頃な服と靴を購入し、狭い路地裏に隠れて着替えた。
脱いだ服とお手製の靴は、共同のゴミ箱に放り込んだ。
「ちょっと見、まともになったけど……。身体を洗わないと、食堂には入れてもらえまい」
酒場や食堂は駄目だ。
ちょっとした料理を屋台で買い求めてから、安い宿を見つけよう。
◇◇
ラクロットに与えてしまった時間は長すぎた。
以前であれば三日で済む行程に、二十日も掛けてしまった。
今さら慌てたところで、何も事態は変わらない。
そして何より、オレが疲労の限界にあった。
宿泊客の素性に煩くない木賃宿の女将さんと保証金の交渉を済ませ、二階の角に部屋を借りると、夢にまで見たベッドに身を預けた途端、気を失ってしまった。
次に目が覚めたのは、翌日の夕刻だった。
「信じられん。すっかり寝こけてしまった」
鍛冶屋でもらった金袋はサイドテーブルの上、宝の入った背嚢も床に放りっぱなしだ。
部屋のドアは施錠していなかった。
不用心も極まれりである。
「でもなぁー。背嚢を隠すとしたって、この狭い部屋には場所もなし……」
大きくて、パンパンで、ズタボロの、薄汚い背嚢。
ベッドの端に腰を下ろして、考えること暫し。
「ウム……。こんなもん、だれも触りたがらないよな」
生ものが腐ったような、悪臭。
乾いた血で、まだらに染まった布地。
裂けてしまった側面の穴からは、擦り切れた毛布とイービルセンチピートの死骸が顔を覗かせていた。
イービルセンチピートは、保存食のつもりで持ち歩いていたものだ。
サイドポケットにも、色々な魔蟲が詰まっている。
もう食わんし、気色悪いから捨てたいけれど、このままにしておこう。
いい感じのカモフラージュになっていた。
どう見ても、不快なゴミの塊だ。
「これは隠さない方が、安全じゃないか?」
下手に隠せば、盗人の好奇心を惹く。
でも放置しておけば、誰も触りたくない汚物だった。
それに……。
この部屋には精霊が居た。
精霊の気配を察知する能力は、オレに生まれつき備わった資質である。
他の人には、どうも察せられないようだ。
「キミに相談がある」
〈………………〉
視線を向けて話しかけると、精霊は空中からサイドテーブルの上に降りてきた。
「あーっ。キミは何の精霊だい?」
〈………………?〉
問いかけの意味が分からないのか、ぼんやりとした気配の塊は戸惑ったような動きを見せた。
「もしオレの荷物を見張ってくれるなら、キミに憑代を作って上げよう。使って欲しい素材があるなら、集めてくるといい」
〈……!?〉
今度は理解できたようだ。
精霊は小さく跳ねると、部屋の窓から飛び出して行った。
憑代は精霊の器だ。
それがあれば、傷ついて消滅してしまう危険が激減する。
ただ、自分に適した憑代を得るのは難しいようで、殆どの精霊が裸でふらついている。
母上の離宮で暮らしていた頃、オレの遊び相手は主に精霊たちだった。
憑代の作り方も、手取り足取りで母上から教わった。
手芸が得意なのは、憑代作りの副産物である。
「懐かしいなぁー」
実家を出奔してから、一流の冒険者となるべく精進してきたが、夢は破れた。
『死返し』の精霊を解放してしまったのだから、クラフトの趣味を再開するのもよかろう。
何より、精霊たちとの間に信頼関係を築くことで、失ってしまった戦闘力を補えるような気がした。
どう足掻いても、以前の恵まれた体躯は取り戻せそうになかったが、強さなら何とかなりそうだ。
剣士が筋力と剣技を使い、魔法使いが魔力と魔術を使うように、精霊使いは精霊さんの力を借りるのだ。
憑代と言っても、傍から見れば小振りなヌイグルミだ。
婦女子が刺繍をするのと変わらず、男らしい趣味とは思われない。
だから男らしさを目指してきたオレは、これまで憑代作りを諦めていたのだ。
白状すれば、オレはクラフトが大好きだ。
カワイイは正義だと思う。
「ふっ。悪いことばかりでもないか……。むしろ、何やら自然体に戻れたような気がする」
もう筋トレは止めだ。
剣を振り回すのも止めよう。
ここまで努力して無駄になったのだ。
未練を残したら駄目だ。
「過去ではなく、未来を見据えなければな」
だが、ラクロット。
キサマだけは別だぞ。
そろそろよい時間だ。
日は暮れかけ、冒険者たちも仕事から戻り、酒場へ繰り出す頃合いだろう。
「それでは、ラクロットの情報を集めるとするか」
オレは金袋を懐に入れ、部屋を出た。
情報収集だ。
先に調査結果を言おう。
ラクロットは十日以上前に、マナドゥの町を発っていた。
『あいつは、古くからの相棒と買ったばかりの剣をなくしたから、町を離れるってさ』
『別の土地へ行けば、運気が変わるかも知れないとか、ほざいてたぜ』
『おい、聞いたか?ノエルが魔獣にビビッて、逃げたってよ』
『怪しからん。それでも冒険者か!?何とも許しがたい、卑劣な行為だ』
『ノエルってヤツはさぁー。テメェの技量を鼻にかけるところがあったから、ちと笑える最後だな』
『仲間を見捨てた挙句、他の魔獣と鉢合わせて死んだって……?』
『くくくっ……。迷宮の深層で、馬鹿丸出しだな』
『しかしラクロットは、よく一人でキメラを倒したな。すげぇ男だぜ』
『眉唾じゃねぇーか?あいつが持ち帰ったのは、ヤギの角だけだろ。それでキメラを倒したとか言い張られてもなー。どうせ持ち帰るなら、魔石にしろよ』
『解体する余裕がなかったんだろ。文句を垂れるなら、オマエもヤギの角を持ち帰って見せろや』
『きっとラクロットは、運が良かったんだろ。知ってるかよ。【栄光の剣】がギルドに預けていた額。五千万クローザだとよ。信じられるか?それをラクロットのヤツが引き出して、独り占めだ』
『ヒュィーッ♪あやかりたいね。濡れ手に粟じゃねぇか』
『羨ましい』
『それよりノエルだ。普段は紳士面してたくせに、信じられないクソ野郎じゃないか!』
『あの気取り屋は、貴族の出だとか聞いたぞ』
『けっ。お貴族さまか。そう言うヤツとだけは、組みたくねぇよな』
『まったくだ。ギャハハハ……』
『知ってるか、アイツ?飯を食うまえに、手を洗うんだぜ』
『そんでもって、ハンカチで拭くんだ』
『ブハハハッ!!そんな奴は、俺っちの仲間じゃねぇ。お貴族さまなんかに、安心して背中を預けられるか!?っての』
【隠密】を使って、夜更けまで酒場に居座り続け、拾い集めた情報だ。
オレが裏切者にされている。
楽しげに陰口を叩いている冒険者の中には、魔獣に襲われて死にかけたところを助けてやった奴がいた。
怪我を負い、蓄えが尽きたと言うから、金を貸してやった奴もいる。
それなのに……。
「ははっ。オマエら最低だな」
当人さえ居なければ、恩義があろうと好き勝手に貶める。
要するに、本物の糞ったれどもだ。
「隠密ヤバイ。軽く人間不信に陥りそうだ」
そしてラクロットの行方は、杳として知れず。
覇道の剣についても、噂をしている者は居なかった。
オレは延々と自分の悪口を聞かされる羽目になり、とても気分が悪い。
「オレって、そんなに嫌われてたのか……」
どいつもこいつも、貴族貴族と喧しいわ。
妬みか?
妬みなのか……?
もし妬みなら、貴族にも冷飯食いがいると知れ。
「オレの生活水準は、冒険者になる前の方が酷かった。貴族の家庭では、兄弟で食事まで差別されるんだぞ」
貴族を知りもしない連中の的外れな決めつけには、心底腹が立つ。
そもそもオレは、屋敷を出るときにノバック家と縁を切った。
今は、ただの冒険者だ。
いいや、自分がノエルだと証明できなくなったのだから、歩く死体か。
さもなくば、社会に所属しない無宿人である。
それにしてもだ。
「おい。ハンカチで手を拭くようなヤツは信用できないって、どういうことなんだ!?」
好かれたいと思っていたわけではないが、自分の死まで笑い話にされると流石に応えた。
もういっそ、こいつらは敵だと思った方が気楽かも知れない。
マナドゥの町を立ち去る間際、ラクロットは悪意の種をばら撒いて行った。
その種が一斉に芽吹き、酒場はオレの悪口で花盛りだ。
「くっそぉー。自分の手で殺した相棒を腰抜け呼ばわりするとは、どんだけ性根が腐ってるんだ?」
どうやらオレは、ラクロットにも憎まれていたようだ。
ビンビンに悪意が伝わってくる。
気に入らないことがあるなら、こんな事態になるまえに一言でも伝えておいて欲しかった。
「まあ、今更だけどな」
もう復讐しかない。
オレと同化した『死返し』の精霊も、やる気満々だ。
だが、今すぐに動くことはできなかった。
ノバック伯爵家を棄てたときから、オレには身分がなかった。
そんなオレが曲がりなりにも平民のように暮らしてこれたのは、ギルドカードのお陰だ。
ただし、ギルドカードは万能じゃない。
冒険者ギルドが保証を請け負う、仮の身分証に過ぎない。
ランクに合わせて高額の補償金を払わされるし、罰則規定が山ほどあった。
当然、新規登録者ほど制約が多い。
その制約は、ランクが上がるにつれて外される。
冒険者ランクは社会への貢献度を示す分かり易い目安であり、そのまんま信用値なのだ。
Fランクでは制約がネックとなって、マナドゥの町から離れた途端、身分証の効力を失ってしまう。
つまり領境の関所を通過できず、他の町にも入れない。
ところがオレと同じCランクのギルドカードを所有し、平民の戸籍まで持つラクロットは、領境どころか国境を越えることさえ可能だ。
もっとも行き先は、リネール王国の友好国に限られるが……。
「ヤツが国境を越えたなら、正式な身分証明書を用意しないと追跡できない」
実家から持ち出した身分証は、とっくに期限切れだ。
更新するには親父さまの印鑑や必要書類を揃え、官署に届け出る必要があった。
マナドゥの町にも官署は建っているけれど、印鑑と必要書類がない。
今さら、親父さまに泣きつくなんて、絶対にイヤだ。
それに実家を頼ったところで、オレがノエルだと認めてくれるかどうか、怪しいところである。
「どう考えても、身分証の更新は無理だ」
何とかして、新たに戸籍を購入するしかなかった。
「ツテと充分な資金さえあれば、戸籍は合法的に買える。身分証を偽造するより、有望だろう」
他人を平然と踏みにじる犯罪者にでもならなければ、身分証なしでのラクロット追跡は不可能だった。
ニセの身分証を使ったところで、おそらく結果は同じだろう。
お尋ね者になるだけだ。
「戸籍は公文書だ。扱っているのは貴族の文官。それを書かせるのだから、爵位が高くないと公文書管理局に話を通せない」
難しいけれど、オレには思うところがあった。
身分もなければ金もない、この苦境から脱する秘策だ。
ラクロットに奪われた五千万クローザなんて、はした金になるやも知れん。
ノバック家で冷や飯を食っている間に蓄えた知識は、こうした場面で役に立つ。
一見して無意味に思える情報も、軽んじてはいけないようだ。
マナドゥの町は、ドラローシュ侯爵領の一部である。
そしてドラローシュ侯爵は、自他ともに認める魔法研究者でもあった。
「さっそく、あの特殊な魔核が役に立ちそうだ」
多分おそらく、ドラローシュ侯爵が噂に違わぬ魔法研究者なら、オレのお宝に興味を示してくれるはずだ。




