デュラハンの兜を買った男:ノエル視点
ロイヤルファミリーを前にして、デビュタントを迎えた新入りの挨拶は無事に終わった。
クリスティーナ王妃殿下からお祝いの言葉を頂き、新入りの代表であるベアトリス侯爵令嬢が返礼の言葉を述べた。
デビュタントの儀式は簡素で、たったそれだけ……。
しかしオレは、挨拶の内容をまったく覚えていなかった。
何となれば、新たに生じた問題で、オレの頭が一杯いっぱいになっていたからだ。
フィリップ王太子殿下とアニエス王太子妃殿下は、ベールを外したオレの顔を見て、その正体に気付いてしまった。
他人の素性を覚えるのが王族に望まれるスキルとは言え、実に驚くべき記憶力である。
それともセリーヌ姫の恩人とか、勝手に決めつけているのだろうか。
方やノバック伯爵家の令嬢。
方やドラローシュ侯爵が連れて来た、怪しい遊民の娘。
名前が同じでも、如何に顔貌が酷似していようとも、普通であれば気の迷い、他人の空似で終わる話だ。
フィリップ王太子殿下と同等の条件であれば、誰しもが別人と思うはず。
「アルベール殿下。わたくし油断してしまいました」
フィリップ王太子殿下は場所柄を弁え、直截的な行動に移さなかった。
ただオレを睨みつけ、声にせず唇の動きだけで、『後ほど話がしたい!』と伝えてきた。
「それしき、何ほどのこともあるまい。ノエル嬢には私がついている」
「そう……?」
「兄上夫婦は、セリーヌ姫の一件で礼が言いたいだけであろう。それ以上は、この私が認めん」
うんうん、良い笑顔だ。
アルベール殿下はエスコート役だけでなく、ロイヤルファミリーとの仲介役も引き受けてしまうんだね。
「心配するな。ノエル嬢は、私の傍に居ればよい」
「んーっ!」
分かったから、感謝しているから、そうやってオレを抱き寄せるのは止めろ。
楽団が静かな曲の演奏を終了し、【春の芽生え】を奏で始めた。
季節柄、未だ気の早い曲名ではあるが、舞踏会の一曲目に用いられることが多い。
ダンス好きのカップルが、身体を温めるためにダンスフロアへと繰り出す。
【春の芽生え】は初心者から上級者まで楽しめるよう、振り付けに種類がある。
ダンスを習い始めた子供たちが最初に覚えるステップから、ハードでアクロバティックなものまで、振り付けの難度は幅広い。
ただし、難しくなって苦労するのは、主に殿方である。
ヒールにコルセットのご婦人方には、無理をさせられないだろ?
従ってご婦人方は、ペアとなった殿方を信じて身を任せる。
で、それが結構、難しかったりする訳だ。
まあ、ステップを合わせるだけで、精一杯さ。
殿方が踊りやすいように気を使ってやらないと、途中でコケるんだよな。
「ノエル嬢。一曲如何ですか?」
「殿下がお望みでしたら」
「では……」
オレはアルベール殿下に手を引かれ、ダンスフロアの中央に移動した。
さすがは王子殿下。
ダンスの挨拶も、堂々としたものである。
曲の途中からとは言え、聞きなれた楽曲なので身体が勝手に動く。
女性になったオレにとって、舞踏会でのダンスは気恥ずかしい。
上手に踊ろうとすれば、男性パートナーと重心を調整しなければならない。
この時に背筋を伸ばして男性に体重を預ける場所は、下腹部なのだ。
パートナーの身体に、自分の下腹部をぐっと押し付ける。
意識するなと言われても意識してしまう。
慣れてしまい、気心が知れたなら触れずとも合わせられる。
だが、アルベール殿下とでは無理だ。
「ウムッ。想像以上に踊れるようだな」
「たしなみ程度です」
「初心者ダンスは止めだ。難度を上げるぞ」
「はい」
履きなれない踵の高い靴に、ダンスの女性パート。
なかなかにリスキーな状況だが、風花のサポートがあった。
風の精霊は、軽快なリズムと音楽、様々な舞踏の精霊でもあるのだ。
リズミカルな連続スピンの勢いで、ドレスのスカートがフワリ、フワリと広がる。
上から眺めたなら、まるで白い花が咲いたように見えることだろう。
オレは小鳥のように軽快なステップを披露した。
アルベール殿下の大胆なリフトにも、身体を反らせて応えた。
フィニッシュのポーズを決めると、周囲から見物人たちの拍手が沸き起こった。
「えっ、えっ……!?」
「皆を感動させるダンスだった。これは、そう言う反応だろう?」
「ほぇー」
母上や侍女たちの前でしか踊ったことがないオレは、ちょっと得意な気分になってしまった。
こうやって大勢の見物人から誉めそやされるのは、悪くない。
思わず笑みが零れる。
観衆に手を上げて応えたアルベール殿下の顔も、微かに上気していた。
「はぁはぁ……」
「フッ。頑張りすぎて疲れたようだな」
そう。
オレはウォームアップのダンスで、もう息が上がっていた。
コルセットのせいで呼吸困難なのだ。
寝不足も忘れてはならない。
「殿下もドレスを着たら分かります」
「そうなのか?」
「コルセットで呼吸ができないし、朝早くから、満足な食事をしていないんです」
「料理なら、あちらに山ほどある」
アルベール殿下が、皿に盛りつけられたオードブルを指し示した。
「ですから、コルセットで締め付けられていて、食べられないんです」
「こうした賑やかな席は慣れないのでな。淑女方の隠された苦労も、今初めて耳にしたよ」
「本当に苦しいんですよ」
「あはは……。モンスターを討伐した英雄の口から聞かされると、申し訳ないが笑ってしまうよ」
「そうですか……」
オレはアルベール殿下に勧められて、休憩用の椅子に腰を下ろした。
オレがぐったりとしていると、数名の若い紳士たちが近づいて来た。
「アルベール殿下、ノエル嬢、素晴らしいダンスでした」
「ステファン卿、お褒めに預かり光栄だ」
「ありがとう存じます」
ステファンと言えば、ファビアン・ド・ヴァロワ公爵の孫だ。
冒険者ギルド主催のオークションで、首なし騎士の兜に二億二千万クローザの値を付けたお大尽さまである。
「その美しいベールは、実によいアイデアですな。例えは悪いが、虫除けの蚊帳のようで素晴らしい。この広い会場内に、ノエル嬢の素顔を知る者はほんの数名のみ。一時凌ぎだとしても、賢者の知恵と申せましょう」
「ステファン卿はノエル嬢と、どこで……?」
「私の後ろに控える連中を含め、首なし騎士の城塞でノエル嬢のご活躍を目撃しております」
「ほう。して、卿たちの要件は?」
アルベール殿下が目つきを険しくした。
「そう露骨に警戒なさらなくても」
「こう見えて、私はノエル嬢のエスコート役なのでね」
「我らは、一歩、出遅れた形です。ノバック伯爵家に『ノエル嬢のエスコート役を……』と打診した時には、もう殿下に決まっておりました」
「ステファン卿でも、出遅れるなどと言ったことがあるのだな?確か行動力には、定評があったと思うのだが……」
「血筋に拘る貴族の愚かな因習に邪魔されたとは言え、それは敗北者の言い訳に過ぎません。負けは負けだと心得ております」
「なるほどな……。切り替えが早い」
「結果、殿下の後塵を拝する負け犬となりました。で、色恋とは別の話として、我らの企みに承認を頂きたく罷り越した次第」
企みと来たか……。
二億二千万クローザをポンと支払えるご身分だ。
自身で稼いでいなければ、そのような真似はできやしない。
祖父のファビアン・ド・ヴァロワ公爵や、父親のロレシオ子爵より、随分と才長けているのだろう。
「企みとは?」
アルベール殿下が直截的に訊ねた。
「ノエル嬢を崇拝する者たちで、新たな勢力を作ります」
「なんだそれは……?」
「表には顔を見せない秘密組織ですな」
「我々は資金と物資を流通させ、組織の利権を順調に拡大させております」
「しかし、古い慣習に縛られない分、どうしても結束力が弱いのです」
「いつ誰に裏切られるかと、モヤモヤが消えぬ状況」
ステファン卿と三人の貴公子たちが、それぞれに言葉を連ねた。
「結局のところ、明確な目標がありませんからね。稼ぐばかりで不完全燃焼を抱えたなら、抜け駆けや裏切りを招く原因ともなりましょう。潰しあいこそが、我ら男の性でありますから。このままでは、いずれ破綻を迎えます」
「そこで、何よりも大切なものを共有するのがよかろうと、話し合いの末に結論を得ました」
「それがノエル嬢、貴女です」
「あの日より、ノエル嬢は我らの崇拝対象だ」
ステファン卿がオレに、熱い視線を向けた。
「ノエル嬢を我らの旗頭に……」
「最初は、【レイブンビーク】を支援する貢献者団体とでも、解釈して頂けばよろしいかと」
「「「我らは、稼いだ全てをノエル嬢に貢ぎましょう」」」
「おいおい……。卿たちは、勝手なことを……。そんな話が、通るとでも思っているのか?」
アルベール殿下は、ステファン卿たちを押し止めんとした。
「了承します!」
一瞬とて迷うことない、即断即決である。
「エェーッ!?」
「何か問題でも……」
オレはアルベール殿下を睨みつけた。
お金は尊いのだ。
ご令嬢の友人が居ないぼっち。
パーティー会場で、暇を持て余すぼっち。
そんなご令嬢が、オレの他にも一人。
豪勢な料理が並ぶテーブルを睨みながら、グラスを片手に立ち尽くしていた。
「クレアー」
「あっ、ノエルさん。先ほどは、見事なダンスでしたね」
「クレアも、ジュリアンさまと楽しそうでしたわ」
クレアのエスコート役であるジュリアンさまは、ご友人と歓談中だ。
で、アルベール殿下は……?と言えば、ステファン卿たちに捕まっていた。
どうやらステファン卿たちは、アルベール殿下の領地に拠点を作りたいらしい。
言うなれば、資金投資の話である。
クリスティーナ王妃殿下や宰相の画策で、難しい領地を押し付けられたアルベール殿下としては、領民たちのためにもオレのファンクラブと折衝せねばならんようだ。
まあ、頑張れ。
「そうそう……。ダンスはねぇー。ジュリアンさまも優しくしてくださるし、とても楽しかったわ。でも、ご馳走がたくさんあるのに、食べられないのが惨め」
「あーっ。だよねー。少しだけでも試してみる?」
肉料理の皿を睨みながら、オレは言った。
クレアが涙目で頷く。
「ノエル嬢、クレア嬢、初めまして……。わたくしは、ダンボワーズ侯爵家のベアトリスと申します」
上品な扇で口元を隠したベアトリスさまが、オレとクレアに初対面の挨拶をした。
「これは……。ダンボワーズ侯爵令嬢さま、初めまして」
「初めまして」
オレとクレアは、ベアトリスさまにカーテシーをした。
「ご忠告いたしますわ。貴女たち、コルセットに慣れていないのなら、ローストポークは止めておきなさい。胃がでんぐり返って、大変な思いをしますよ」
「そうなんですね」
「うわぁー。食べないで良かった」
食べるには食べられても、胴を締められすぎているので、きっと食べたものが胃から下りて行かないのだろう。
最悪、リバースの危険さえありそうだ。
「お勧めは、デザートですわ。あちらのテーブルに置いてあります」
「フムフム、半固形物なら食べられそうですね」
「スイーツは大好きです。ベアトリスさま、ありがとうございます」
思いもよらぬ、ベアトリスさまからの助け舟だ。
乗るに決まっている。
「うわぁー。色々なデザートがありますね。どれから食べようか、迷ってしまいます」
「わたくしは、リンゴのコンポートを頂きますわ」
空腹を抱えたオレとクレアは、デザートが並ぶテーブルに陣取った。
「ちょっとよろしいでしょうか?」
「はい……?」
間を置かず、見知らぬ紳士に話しかけられた。
夜会には似つかわしくない聖衣を纏った、年嵩の男性だ。
男性の背後には、これまた清楚な装いの若い女性が付き添っていた。
注目すべきは、若い女性の佇まいである。
武人のように隙がない。
リンゴのコンポートを食べている最中なので遠慮して欲しいのだが、ここは社交の場。
オレは諦めて、手にしたスプーンを皿に置くしかなかった。
「私は武神オージェさまを祀るフレンケル神殿で、神官をしております。マンフレート・ボアルネと申します」
「あたしは聖女のザビーネです」
あっ……。
【聖女の証】か?
武神オージェと聞いて、シャムエルの件がオレの脳裏に浮かんだ。
ユストゥス教団の信徒が十二名ほど他界した、あの謎に満ちた水死事件だ。
「先だっては、武神オージェさまの神使。シャムエルさまをお助け頂き、感謝に堪えません。ありがとうございました」
「ノエルさまが【聖女の証】を授かったと聞き及びまして……。お話をしに参りました」
「そうなんですか」
誰が聞いているとも分からぬ場所で、そのような話はやめて頂きたい。
あの事件は現在も捜査中であり、犯人は特定されていない。
オレが容疑者だと思われたら、迷惑なんだよ。
「どうして神殿に、いらっしゃらないのですか?」
「はぁ。わたくし、武神オージェさまの信徒ではございませんので」
嘘偽りなき、完璧な返答である。
更に補足するなら、ユストゥス教団に目を付けられたくないと言う、真っ当な理由もあった。
「だとしてもですよ。武神オージェさまに聖女として認められたのです。ありがたいことですわ」
「わたくしの崇める神は、月の女神イーリアさまです」
「聞いたこともない、神の名ですね。そのような神を崇めるより、【聖女の証】を授かった責務について考えるべきでしょう?」
「それはシャムエルさまを助けた、謝礼ではないかと……。シャムエルさまに刻印を消してくださいと頼んだのですが、拒絶されてしまいました」
この際、オレが【聖女の証】を望んでいないことは、しっかりと伝えておくべきだろう。
「なんと罰当たりな!!」
「…………」
オレは困った顔をして、マンフレートとザビーネを見上げた。
ついでに僅かな間だけ、ベールを捲り上げる。
「えっ。どうして泣いているのですか?あたしは聖女のお役目について、ご説明したいだけです」
「泣いてません」
「ザビーネくん。ここは新年祝賀パーティーの会場だ。そう声を荒げるでない」
「なっ……。普通に話しているじゃありませんか。とにかくですね。一度、フレンケル神殿にいらしてください。いいですか。分かりましたね?」
魔眼だかオネダリの邪眼だかが本来の力を発揮したようで、二人は当初の勢いをなくし、いきなり気まずそうな口調になった。
「フレンケル神殿で、聖女統括役のロキサーヌさまも、ノエルさんと会える日を心待ちにしていらっしゃるのです」
「どうか一度、難しく考えず遊びにいらしてください」
「ズルズルズル……」
オレはリンゴのコンポートを食べ終わり、皿に残ったシロップを啜りながら小さく頷いた。
なんかもう、帰りたい。
マンフレートとザビーネは、名残惜しそうな顔で立ち去った。
宗教勧誘に失敗したと思っているのだろう。
正解だ。
横に座ったクレアが、心配そうな目でオレを見ていた。
「教会って、ものすごく面倒くさいの」
「うん。気を付けるよ」
オレはクレアの助言を嚙み締めた。




